J-one ジーワン 創刊号

J-one 創刊号

ご存知Namaste Bollywoodを発行しているスタジオ・サードアイから、新しい刊行物が産声を上げた。Jeevan (जीवन)、つまり『生命あるもの』『生命』『生涯』『寿命』『生活』といった意味を持つ言葉をテーマに、『ポスト3.11の生き方を探るニュー・ライフスタイル・マガジン』がスタートした。

創刊号で取り上げられている様々なJeevan (जीवन)は、インドやその周辺国に限らず、東南アジア、アフリカそして日本の福島と多岐に渡る。

巻頭には東日本大震災でいち早く救援活動に乗り出したパーキスターンやインドの有志の人々のことが取り上げられている。またインドのラダックで生活支援を展開するNPO、バーングラーデーシュ産の革製品フェアトレードに取り組む日本の女子大生たち、世界各地で難民支援に取り組む人たち等の活動が取り上げられている。

J-one Talkと題して、発行人のすぎたカズト氏と村山和之氏の対談『生命ある物をありがたくいただく生き方』からいろいろ考えさせられることが多い。ここにいろいろ書き出してしまうわけにはいかないので、ぜひ本誌を手にしてじっくり読んでいただきたい。

福島や原発関係では、福島の様々な業種で日々頑張っている人たちの声が伝えられ、大手メディアが伝えない原発問題の盲点について多くの鋭い指摘がなされている。そのひとつに、私たちが『規制値以下なので安全』と信じ込まされている食品その他の放射能の数値がある。

そもそもこれらは暫定的に大幅に底上げされている(つまり原発事故以前ならば当然基準値外のものが大量に出回っている!)ことを、私自身うっかり忘れかけていた。これについて『カロリー表示があるように食品に線量表示を義務付ければ・・・』という下りに大きく頷いてしまう。

日々、新聞では各地で測定された線量が掲載されているが、当然同じ地域でも地形や風向き等によって、かなり差が生じることは聞いているものの、目に見えないものであるだけに、実際に測定することなく自覚できるようなものではない。同誌の取材により、原発周囲の避難区域からかなり離れたエリアでも、報道されている数値以上に、相当高い線量が検出されることが明らかにされており、大手メディアから一律に流される情報を鵜呑みにしてしまうことの危うさに背筋が寒くなる思いがする。

だが怖いとボヤイてみたところでどうにもならない。私たちひとりひとりが、自分自身のJeevan (जीवन)を見つめなおして、何か小さなことでも、今できることから始めてみるようにしたいものだ。

さて、このJ-one誌の入手方法についてはこちらをご参照願いたい。

 

インドにとってネパールは『第二のパーキスターン』となるのか?

しばらく前から、北京に事務局を置く中国政府筋と関係の深い基金によるネパールのルンビニーにおける大規模な開発計画が各メディアによって取り上げられている。

Nepal to build £1.9 billion ‘Buddhist Mecca’ (The Telegraph)

China plans to help Nepal develop Buddha’s birthplace at Lumbini (Reuters)

The Lumbini project: China’s $3bn for Buddhism (ALJAZEERA)

このことについては、最近では朝日や読売といった日本のメディアによっても書かれており、記事を目にされた方は多いだろう。ちなみにその基金とは、亚太交流与合作基金会である。

調達予定の資金額は何と30億ドルで、ネパールという国自体の年間の歳入の合計額に比肩するほどのものであるという。上記リンク先のロイターの記事によれば、計画には寺院の建築、道路や空港の建設、コンヴェンション・センター、仏教大学の設置等が含まれるとのことで、これが実行に移されることになれば、今は静かなルンビニーの町の様子が、近い将来には一変していることだろう。

人類共通の遺産、とりわけアジアにおいて広く信仰されている仏教の聖地が整備されること、観光産業への依存度が高いネパールにおいて、観光資源が開発されること自体は大いに結構なことではあるものの、小国の年間歳入に匹敵するほどの資金を提供しようというプランの背後には、スポンサーである中国の国家的な戦略があることは無視できない。

ちょうど昨年の今ごろ、ネパールは『中国の時代』を迎えるのか?』と題して、中国によるネパールへの積極的な進出について取り上げてみた。また一昨年には『ネパールにも鉄道の時代がやってくるのか?』として、中国の占領地チベット(中国は西蔵自治区を自称)からの鉄道の延伸計画等について触れてみたが、今度はインド国境から数キロという場所であることに加えて、ネパールでマデースィーと呼ばれる人たち、ネパール南部でインドの隣接する地域同様に、マイティリー、ボージプリー等を母語とする人々が暮らす地域に打って出た。

インドにとっては国境すぐ向こうに『同族の人々』から成る『親中国の一大拠点』7が出来上がってしまうことを意味する。対外的には、特にインドにとっては大いに憂慮されるものであるが、ネパール政府にとっても、この計画は一方的に利を得るものとはならない可能性もある。

同国で不利な状況下に置かれているマデースィーの人々の地域である。自治権拡大等を求めての活動が盛んで、中央政府に対する反感の強いマデースィーの人々のエリア。そこに外国による国家の歳入に比肩するほどの投資がなされるというのは尋常なことではない。

現在までは、インドと中国を両天秤にかけて、うまく利益を引き出しているように見えるネパールだが、将来的には対インド関係においても、また内政面においても、同国が『パーキスターン化』するのではないか?と危惧するのは私だけではないだろう。決して好意的なものばかりではない様々な思いを抱きつつも、ときには関係が冷却したこともあるとはいえ、伝統的には特別な互恵関係にあった『身内』のインドとの対立と緊張、自国内でのさらに新たな摩擦と軋轢といった事柄が生じる可能性を秘めており、それらが現実のものとなる時期もそう遠い将来ではないような気がする。

中国によるネパールへの数々の援助のオファーは純粋な善隣外交の意志からなされているものではなく、まさに自らの国益のためになされているということに対して大いに警戒するべきなのだが、目下、同国議会の第一党にあるのは、インドと一定の距離を置くいっぽう、中国寄りの姿勢を見せるネパール共産党毛沢東主義派である。

以前、あるジャーナリストの方に話をうかがった際、手を替え品を替えといった具合に矢継ぎ早に繰り出す援助プロジェクト等のオファーにより、中国側に引き寄せられつつあるネパールのことについて、こんな風に表現されていたのを思い出す。

『ネパールは、南側のインドという比較的ゆるやかな斜面と北側の中国という急峻な崖の間に位置する国。南側に転がれば怪我は軽いけど、北側の崖に転落したらどうなることか。けれども当人たちはそれがまだよくわかっていないようだ。』

ネパールの空には、ネパール・インド双方に不幸を呼び込む暗雲が、北の方角からじわじわと押し寄せているように感じている。これが杞憂であればよいのだが・・・。

アーグラーで爆発

9月7日に起きたデリー高等裁判所での爆弾テロの記憶も新しい中、昨日9月17日夕方にアーグラーのジャイ・ホスピタルのレセプション付近で爆発が起き、15名が負傷、うち3名が重体と伝えられている。

現在までのところ犯行声明等は出ていない。また爆発物や犯行手段が特定されていないためテロと断定されてはいないものの、状況に鑑みて事故ではなく事件としての捜査が続いている。

Agra blast: City had specific intelligence alert (Rediff.com)

元々、地域の社会構成等から『センシティヴなエリア』でもあり、20日ほど前から治安当局が警戒していたということではあるが、テロに関わる可能性がある小さなグループが点在しており、そこに出入りする者たちが爆発物を製造していた可能性がある・・・等の噂ともつかない情報と合わせて錯綜している。

爆発の規模は小さく、混雑したバーザールで起きたわけでもないため、被害の規模は決して大きなものではなかったが、こうした事件が起きるごとに「また彼らが・・・」「たぶんあの人たちが・・・」といった具合に、決して事件には関係のない特定のコミュニティに対する不信感、猜疑心は深まっていくことは否定できない。

日本の主要メディアでも報じられたアンナー・ハザーレーの汚職運動と合わせて、国民会議派を中心とする連立政権にとって不利な状況が続いている。ローク・サバー選挙で2度の敗北、サング・パリワール内での不協和音、BJP党内でのパワーゲーム等の関係もあり、しばらく雌伏を余儀なくされているサフラン勢力が、力を盛り返しつつある様子もうかがえる。こうした中で、ひとつひとつの出来事の積み重ねが近い将来の政局に与える影響は決して小さくないだろう。

同じ9月17日に、グジャラート州首相のナレーンドラ・モーディーは61歳の誕生日を迎えている。彼の就任前、2001年1月にカッチ地方を襲った大地震からの復興、グジャラートの高い経済成長等、彼の行政手腕は高い評価を得て再選され在任2期目にある。

彼は、極右的なスタンスの政治家の中で最も人気の高い人物のひとりである。彼の州首相就任後間もない2002年にアヨーディヤーからサバルマティ・エクスプレスで帰還途中のヒンドゥー右翼活動家たちが大勢乗り合わせていた車両が州内のゴードラー駅に停止していたとき、地元のガーンチーと呼ばれるコミュニティのムスリムたちが襲撃し、車両に火を放ったことに端を発したグジャラートの大暴動を抑えることができなかったばかりか、これを陰で大いに煽っていたと信じている人々は今も多い。

この暴動の際、地元選出の元国会議員でムスリムのエヘサーン・ジャフリーも命を落としている。グジャラート州の国民会議派組織の重鎮であった人物であるのにもかかわらず、本人の度々の要請にもかかわらず警察が動かず、自宅に押し寄せた暴徒に殺害されることとなった。

余談になるが、ゴードラー駅での列車襲撃事件の際、乗り合わせたほとんどの人たちが亡くなったのは、国鉄の客車車両前後のドア以外からは出入りすることのできない構造が原因であったため、その後はノンACクラス、ACクラスともに車両真ん中の窓からは緊急時に脱出できる造りに改められることとなった。

グジャラートの大暴動から10年近い歳月が経過し、昨日彼の61歳の誕生日に合わせて開かれた政治集会では、インドのニュース番組でも取り上げられていた。同州の複数のムスリムコミュニテイの代表たちも招待され、ステージでナレーンドラ・モーディーの誕生日を祝福するシーンもあり、彼らとの融和を演出する試みがなされていた。 加えて、彼は昨日から『人々の友愛と融和のため』と称して3日間の断食を実行中である。

グジャラート州での行政手腕の実績を背景に、上げ潮の勢いのナレーンドラ・モーディーは、イメージチェンジを図るとともに、国政への進出に意欲を見せており、グジャラート州外でも将来のインド首相として期待する層も多い。このところ相次ぐテロと合わせて、何か不安なものを感じずにはいられない9月17日であった。

ラージ・タークレー ヒンディーで答える2

さて、ラージ・タークレーはシヴ・セーナーから飛び出した後も、バール・タークレーに対する敬慕の念を表明しており、自分こそが彼の思想の正当な後継者であると主張していることからも明らかであるように、MNSの政党としてのスタンスはシヴ・セーナーと根本的には大差ないし、支持層の厚い地域もムンバイー市内及び沿岸部という点で共通している。

違いといえば、党としての規模が小さいことと、それなりに歴史のある『本家』シヴ・セーナーに比べて、幹部や支持者は若年層が多いこと、そして地域主義に加えて『サフラン色』のイメージが濃いシヴ・セーナーに比べるとかなり宗教色が薄いことだ。地元のマラーティーを母語にするムスリムコミュニティの一部からの支持も取り付けていることは特筆すべきだろう。今のところは、マハーラーシュトラ州外に影響力を及ぼすという野心は希薄であるようだ。ゆえに地元『マラーティー主義』に全力を注ぐことができるという強みはある。

昔は風刺漫画家としても知られていた叔父のバール・タークレー同様、ラージ・タークレー本人も画才には自信があるようで、MNSのウェブサイトで彼の作品を閲覧することができる。

話は冒頭に戻る。昨日取り上げてみたラージ・タークレーのインタヴューである。

मोदी के गढ़ में हिंदी भाषी बने राज ठाकरे (AAJTAK)

彼は、メディアの取材にはたいていマラーティーのみで応じることで知られているだが、8月上旬にグジャラート訪問の際にヒンディーによるかなり長いインタヴューに答えた模様がニュースで流れていた。

「ラージ・タークレーがヒンディーによる取材に応じています」とリポーターが喋り、彼は最初少々はにかみながらテレビカメラの前に姿を現す。

彼は、ヒンディーという言葉に対する敵愾心はない。マラーティーを母語とする地元ではマラーティーを使うべきだ。私はグジャラートに来ているが、グジャラーティーは出来ないのでヒンディーを使うことにしているetc.といった具合に、ヒンディーで応じている理由に触れた後、州都ムンバイーを初めとするマハーラーシュトラ各地に労働者たちを送り込んでいる北部州に対する批判を展開している。

リポーターが「ムンバイーの経済を支えているのは北部の労働者たちではないですか?」と水を向けると『彼らが大挙してやってくるのは、彼らの州に仕事がないからだ。州の経済がまるでなっていないからだ』と応じ、彼らの流入が地元の雇用に悪影響を与えているという従来からの主張に繋がっていく。

インタヴューの中で、ラージ・タークレーが『ヒンディーは美しい言葉だ』と持ち上げたことを除けば、MNSの従来からの主義主張に照らして目新しいものは特になかったが、それでも『ヒンディーでインタヴューに応じた』こと自体が、地元のマハーラーシュトラではちょっとした波紋を投げかけることになったようだ。 先述のリンク先の放送局以外のメディアに対しても同様にヒンディーで質疑に応じている。

その結果、ライヴァル関係にあるシヴ・セーナーには『我が党が真のマラーティー主義擁護者である』というアピールをさせる機会を作ってしまった。ラージ・タークレーがヒンディーでメディアのインタヴューに応じたのは、決してこれが初めてではないのだが、比較的最近、州政府の要職に就いた人物が就任式にてヒンディーで宣誓を行なったことに対する激しい批判を行なったこともあり、ちょっとタイミングが悪かったのかもしれない。

ともあれ、彼がメディアに対して『ヒンディーで答える』こと自体が一種のサプライズであり、他方ではスキャンダルにもなり得るというのが彼の立場である。

彼自身にとっては、こうした形で必要に応じて、マラーティーを理解しない他州の大衆に対してヒンディーによるMNSの主張を発信していくことは、長期的には決して損なことではないだろう。

マハーラーシュトラの暴れん坊、ラージ・タークレーは、中央政界に強いインパクトを与えることができるような人物ではないし、地元マハーラーシュトラにおいても今後檜舞台に躍り出る政治家であるとも思えないのだが、これまで同様に決して無視することのできない一定の影響力を行使していくはずだ。たとえ本家シヴ・セーナーと決別しても、根強い支持層を持つマラーティー主義を掲げた極右政党の親分である。

こうした空気の中、昨年1月に『ムンバイー タクシー業界仰天』と題して取り上げてみたように、デモクラティック・フロント(コングレスおよび1999年にコングレスから枝分かれしたナショナリスト・コングレス)政権下のマハーラーシュトラで、タクシーの営業許可に対する条件として『マハーラーシュトラに15年以上居住』『マラーティーの会話と読み書き』などという、シヴ・セーナー/MNSばりのマラーティー優遇策を打ち出したりするようなことが起きる。

Maharashtra Govt. makes Marathi mandatory to get taxi permits (NEWSTRACK india)

現在のマハーラーシュトラ州政界は、コングレス+ナショナリスト・コングレスとこれに対抗するシヴ・セーナー+BJPの対立軸で展開しているため、中道の政権にあってもちょっと右寄りのポーズを取る場合もあるのは仕方ない。

マハーラーシュトラ州政治のメインストリームの中で、本家シヴ・セーナーに対するMNSの居場所はないのかといえば、そうともいえない。上記の二大勢力の次に左翼とダリット勢力があるが、MNSは単独でそれに次ぐ位置にあるからだ。今後の風向き次第では、上位ふたつのどちらかと協調することも考えられる。

グローバル化が進展していく中でそれに対する地域民族主義が今後どうやってこれに抗っていくのか、どのように折り合いを付けていくのかという点から、とても興味深いものを感じている。

今後も事あるごとに注目していきたい政治家の一人である。

<完>

ラージ・タークレー ヒンディーで答える1

デリーのラームリーラー・マイダーンにおいて、社会活動家アンナー・ハザーレーの断食が11日目に入っている。ジャンロークパール法案をめぐる一連の動きが予断を許さない状況になっている中、インド政治がらみながらもこれとは全く関係の無い事柄について触れるのはいささか気が引けるのだが、こちらも個人的にとても気になる人物である。

ナレーンドラ・モーディーの招きでグジャラート訪問した際のラージ・タークレー

今月初めのことであったが、マハーラーシュトラ州のMNS (マハーラーシュトラ・ナウニルマーン・セーナー)の党首、ラージ・タークレーがグジャラート州首相のナレーンドラ・モーディーの招きにより9日間グジャラート州を訪れた際、メディアの取材に応じているが、その中でヒンディーによるインタヴューが放送されたこと自体が話題になっていた。

मोदी के गढ़ में हिंदी भाषी बने राज ठाकरे (AAJTAK)

元々、彼は極端な地元のマラーティー主義と、州外からやってきて就労する人たち、とりわけ北インドのヒンディー・ベルト地帯から来た人たちに対する排斥を主張し、暴力的な示威行動等も辞さない政党、シヴ・セーナーの幹部で、党創設者であるバール・タークレーの甥であり、バール・タークレーの息子で現在は党を率いているウッダヴ・タークレーのいとこである。シヴ・セーナーの中核にあった人物だ。

しかしバール・タークレーの高齢化とそれに伴う健康不安から、指導部の世代交代が行なわれる中での党内のお家騒動の中で、一時期州与党にあった時期にマハーラーシュトラ州首相まで務めたことがある大物ナーラーヤン・ラーネーが党を追われて国民会議派に加わるというサプライズな出来事があったが、その年末にはウッダヴ・タークレーとほぼ同格の立場にあったラージ・タークレー自身が同党と袂を分かつという大きな出来事があった。

翌年3月にラージ・タークレーは、シヴ・セーナー時代の取り巻きを引き連れて現在のMNSを結党している。党がシヴ・セーナーとその分家に当たるMNSに分かれたことにより、相対的にシヴ・セーナーの社会的影響力が減じることに繋がったようだ。

2003年7月下旬にムンバイー市内で起きた市バスの爆破テロに抗議して実施したムンバイー・バンドの際にはちょうどムンバイーに居合わせて、彼らの実行力(強制力)の凄まじさに驚かされたものだ。その模様については以下をご参照願いたい。

MUMBAI BANDH !! 大都会ムンバイーがフリーズした日 1

MUMBAI BANDH !! 大都会ムンバイーがフリーズした日 2

MUMBAI BANDH !! 大都会ムンバイーがフリーズした日 3

だがその3年後、2006年7月にムンバイーでシヴ・セーナーが再度試みたバンドは失敗に終わったのは、党が割れたことによる弱体化の表れだろう。その後彼らの地元であるインド最大の商都で、こうした規模のバンドは実行されていない。

ただし地域主義とともに反共産主義(地元ムンバイーの財界の支援を受けて、60年代後半から70年代にかけて共産党勢力と激しく対立し、共産党傘下の労働運動の影響力を弱体化させた経緯がある)を掲げて1966年に発足したシヴ・セーナーは、時代が下るとともに、マハーラーシュトラ州という地域を越えて大衆にアピールできるヒンドゥー至上主義に傾向してきた経緯がある。

シヴ・セーナーのシンボルマーク 咆哮するトラ

中央政界やいくつかの他州の議会にも議席を持ち、国内各地に咆哮するトラのシンボルマークを掲げた支部が存在する。国外においても、彼らの支部というわけではないが、1999年にネパール・シヴ・セーナーという友党が発足している。

そんなことから、ときに彼らの地元のマハーラーシュトラ州の外で徹底したバンドを決行することもある。2006年7月下旬にはウッタラーカンドの州都デヘラドゥーンでもシヴ・セーナーによる『ラージダーニー・バンド』が決行された。

事の良し悪しはさておき、デヘラドゥーンの街の規模はムンバイーとは比較にならないほど小さいとはいえ、彼らのホームグラウンドから遠く離れたところにありながらも、見事な(・・・という言葉は適切ではないものの、パーフェクトなバンドであった)統率力で州都の機能を丸一日停止させていた。この日もたまたまその場に居合わせたため、『達人たちのバンド1』及び『達人たちのバンド2』と題した記事をアップしたことがある。

<続く>