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カテゴリー: security

  • 路上のATM

    路上のATM

    朝6時にチェックアウトしてシーロム駅からホアランポーンに向かう。

    東南アジア各地で路上に面したATMが多いが抵抗感はないのだろうか。もっともこういう場所でまとまったお金は下ろさないのかもしれないが。

    路上にむき出しのATMの前にて。

  • 炎の壁(TRIAL BY FIRE)

    NETFLIXオリジナル作品として、ごく最近制作されたもので、テーマは1997年6月に起きたウパハール・シネマの火災事件とその後の遺族たちの闘争。実話に基づいたシリアスな内容。

    炎の壁(TRIAL BY FIRE) NETFLIX

    南デリーのグリーンパーク地区にある昔ながらの単館映画館(事件当時はシネプレックスなど存在しなかった)で、ミドルクラスの商圏にあるシネマホールであったため、上映作品も悪くなかった。

    火災事故は、映画館内で保管していたジェネレーターの燃料に電気のスパークが飛び引火というもので、あまりに杜撰な危険物の管理体制が問われるとともに、上映開始後にホールの外側から鍵をかけて出入りできないようにしてあったとのことでもあった。火災発生当時には誰も施設内を監視していなかったため、観客たちが炎に包まれるまでになってから映画館側は火災発生を認識といった信じられない状況について当時のメデイアで報じられていた。

    この映画館のオーナーはスシール・アンサルとゴーパール・アンサル(兄弟)が運営する「アンサル・グループ」の所有であることも伝えられていた。不動産業等を始めとするビジネスを展開している資金力に富む企業体であり、政界にも顔が利くアンサル兄弟である。

    やはり当初のおおかたの予想どおり、事件の調査とその後の遺族たちの起訴による裁判は難航。そのいっぽうでこのアンサル・グループはちょうどそのあたり(1999年)に南デリーに「アンサル・プラザ」というインドにおけるモダンなショッピングモールのハシリといえる施設をオープンして大変な人気を博すところでもあった。その後、同グループはデリー首都圏を中心にいくつもの「アンサル・プラザ」をオープンしていく。

    そんな財力も政治力もあるアンサル・グループを相手に遺族たちが闘う様子をドラマ化したもので、インドでもかなり話題になっている作品らしい。

    Trial by Fire: Series on 1997 Uphaar Cinema fire to arrive on Netflix in January (The Indian EXPRESS)

    Delhi HC refuses stay on Trial By Fire, web show on Uphaar tragedy releases on Netflix (Hindustan Times)

  • KANGRA VALLEY RAILWAY

    昨年7月、モンスーンの大雨により起点のパンジャーブ州パターンコート駅からしばらく進んだ先の橋梁が落ちて以来、運行が休止されていたカーングラー渓谷鉄道だが、「そろそろ復旧」との報道。

    パターンコート駅から終点のヒマーチャルプラデーシュ州のジョーギンダルナガル駅までを1日2往復、ジョーギンダルナガル駅のひとつ手前のバイジナート・パプローラー駅までを4往復する山岳鉄道だ。山岳といっても緩やかな丘陵地が多いのがこの地域だ。

    インド国内の他のトイトレインと異なり、沿線に大きな観光地は存在しない(それでも文化の宝庫インドなのでマイナーな名所旧跡はある)こともあり、地元民たちの生活の足として機能しているため本数は比較的多いため利用しやすい。それがゆえに地元の人々からは運休が続いていることについて苦情が多いというのは、無理もない話だ。

    Train service to be resumed on Kangra valley line soon: MP Krishan Kapoor (The Tribune)

  • ディバイダー(中央分離帯)

    ディバイダー(中央分離帯)

    信号機はほとんどないため、気を付けて横断することになるが、道路の上下線の境にディバイダーがあるかないかでずいぶん渡りやすさというか、安心感が違ってくる。

    どちらからもクルマやバイクが途切れなく走っていて、バスやトラックなどの往来も多いと、ディバイダーのない中央部分で途切れるのを待つのは不安だ。両側から大型車がやってきて、自分のところで上下行き違ったりすると、それこそ全身が縮み上がる思いがする。中央をはみ出して走行してくるクルマもあるし、よく見えなくなる日没後は恐怖である。

    そんなわけでディバイダーがある道路だと安心して渡ることができる。だが幅員の大きな道路ではディバイダーが超えられないくらい高かったり、フェンスが張ってあって渡ることができなかったりする場合もあるので、なかなか油断がならない。

    ディバイダーがないため渡りにくい道路
    ディバイダーがあるため渡りやすい道路
  • Velbonの一脚 M52

    Velbonの一脚 M52

    Velbonの手軽な小型一脚はおすすめ。カメラを持たない場合もなかなか重宝する。夕方以降の街歩きに便利。野犬を追い払うのに良いし、棒状のものを持っていると、あまり寄ってこないものだ。ちょっとした抑止力になる。

    私にとっては、撮影用ではなく野犬対策用なので、あまり大きくて重いと邪魔だが、M52(という型番)ならば携帯性と実用性のバランス(軽いけど殴ることができて、突くこともできる)が良い。

    持っていると、使ってみたくなるもので、気持ちよく寝ている野犬の頭上に勢いよく撃ち下ろしたくなる衝動にかられる。(笑)

    ラーティーを手にしたインドの警官の心情がわかるような気がする。

    武器の所持はいけない。銃の所持が容易なアメリカで銃犯罪があとをたたないのは、まさにそれが根本的な原因だろう。道具には使用目的がある。手にすると、使いたくなるのは当たり前のことなのだ。

    そして核兵器など絶対持ってはいけないのも同様だ。ウクライナに自国軍を侵攻させた国の大統領が核のボタンを押したくてうずうずしているのは、まさにその証拠だろう。道具というものは、あれば使いたくなるというのが道理だ。危ない、危ない。

  • インドのSUBWAY

    インド独自の具材のこともあるが、やはり特徴的なのはヴェジタリアン専用カウンター、ノンヴエジ専用カウンターに分かれていること。スタッフもそのようにヴェジ専門とノンヴエジ専門となっているようだ。社会規範としてそうなっているだけに、きちんと対応している。

  • インド国産空母の就役と新たな海軍旗

    インド国産空母の就役と新たな海軍旗

    昨日、インド海軍航空母艦「INS ヴィクラーント」2代目が就役。インド初の国産空母である。式典にはモーディー首相も出席し、新たなインド海軍旗が発表された。1950年以来長年使用されてきたセント・ジョージズ・クロス、つまり白地に赤十字のイングランド国旗でもおなじみのあの柄の右上にインド国旗をあしらったデザインの使用が終わり、十字を外して左下にマラーター王国のシヴァージーの紋章に獅子柱頭と海軍スローガンとあしらったものであり、インド海軍の新時代の幕開けを演出している。

    これまでの海軍旗

     

    一新された海軍旗
  • 長いこと繋がらないと・・・

    今回のAUの通信障害。一社の通信ネットワークに問題が生じても他社のネットワークに乗り入れて通信を確保する「ローミング」の仕組みすらなかった。問題が生じるかもしれないことを、そもそも前提としていなかったからなのだろう。

    インドあたりだと携帯通信コストが安いこともあり、異なる2社くらいのSIMを利用している人は多い。ひとつは仕事用、もうひとつは私用だったり、あるいは田舎や山間部でもネットワークが広い国営BSNLと通信品質の高い民間会社という組み合わせだったりと、人によって様々だ。とりわけ最近はデュアルSIM対応のスマホが多いので、容易にそうしたバックアップができる。

    ハンドセットと通信抱き合わせでの販売もないわけではないが、通常はスマホはスマホ、SIMカードはSIMカードで、それぞれ別々に購入するので、「私はドコモ」「俺はAU」というようなことにはなりにくい。

    州によっては、騒擾があると携帯ネットワークそのものが政府の命令により遮断されてしまう場合もある。それが顕著なのは、カシミールであったり、西ベンガル州の山間部、ダージリン周辺であったりする。それが2日、3日程度の話ではなく、長期間に及ぶこともこれまでよくあった。

    そうした地域では、日本ほど社会や産業がネットワークに依存する度合いが高くはないとはいえ、今の時代そうした場所でもネットなしには生活が成り立たない人たちは多いし、そうした産業や医療機関も当然あるわけだ。一体どうしているのだろうか?

    KDDI、auの通信障害「ほぼ回復」と発表–発生から丸2日と14時間半 (CNET Japan)

  • 返り討ちのスペシャリスト

    インドにはEncounter Specialistと称される警官たちがいる。犯罪捜査の中で、ギャングや凶悪犯と遭遇し、銃等で狙われる中で反撃してこれを仕留めてしまうスペシャリストということになっている。

    とりわけ景気が良くなって犯罪が増えたのか、それとも多くの民間テレビニュースチャンネルが勃興して、センセーショナルな報道が過熱していく時代であったためか、90年代半ばから2000年代に入るあたりにかけて、インド各地、特にムンバイを始めとする商取引が盛んで不動産取引も多い地域を中心に、このEncounter Specialistがメディアで大きく取り上げられるようになった。

    プラディープ・シャルマー、ダヤー・ナーヤク、プラフル・ボーンスレー、ラヴィンドラ・アングレー等、大きな「エンカウンターでの活躍」があると、ニュース番組等で、まるでスターのような扱いだった。幹部ではない現場の警官がテレビのインタビューで繰り返しフィーチャーされるというのは、それまではなかったことで、とりわけダヤー・ナーヤクはそうした取材に気さくに応じるなどメディアへの露出が大きかったためか、彼をモデルにした「AB  TAK CHHAPPAN (今まで56人」という映画まで制作・公開されたほどだ。

    だが、こうした「Specialist」たちが、40人、50人、60人・・・中には100人超と、エンカウンターで被疑者たちを撃ち倒すいっぽうで、そうした本人たちや警官隊には犠牲者がほぼ出ていない不自然さに対して疑問の声も上がるようになった。

    実際には、犯人を移送中に郊外の人気のないところで車外に出して殺害していたり、建物内で拘束した後、問答無用で撃っていたことなどが明らかになり、こうした「Encounter Specialist」たちが今度は次々に逮捕されたりクビになったりということが続いた。警察にとって裁判で証言されると都合の悪い人物であったり、政治がらみの依頼によるものも疑われるなど、外から真相を知るのは困難な闇の世界である。

    2004年にはグジャラート州で「イシュラト・ジャハーン事件」というのも起きた。警察による当初の発表では、パキスタンのテロ団体との繋がりが疑われたというイシュラト・ジャハーンという女性及び乗用車に同乗していた3名を含めた計4名が警察車両を武器で攻撃し、警官たちはこれを返り討ちにして仕留めたとのことであったが、遺族たちが「テロリストと関係があるはずはないし、武装などしてたはずもない」と訴え出て、長く粘り強い法廷闘争の末、亡くなった4人の無実を勝ち取った。

    そうしたこともあり、今では警察による「エンカウンター」については英雄視どころか疑いの目が向けられるようになっているが、こうした疑わしいケースでクビになったはずの警官が、他州の警察でひっそりと復職していることもあるようだ。

    かつてのように「50人退治した」「60人退治した」というような英雄譚として特定の「Encounter Specialist」が祭り上げられることはなくなったし、警察も仕留めた警官自身を特定しないようになっているようだ。

    それでもまだどこかでこうした「私刑による死刑」を容認する空気はある。映画で逮捕された凶悪犯を証拠不十分で釈放、しかし担当した警官自身はそれが真犯人であることを知っており、義憤から殺害するというようなシーンやこれに類するものが今も散見される。

    また2020年にマッディヤ・プラデーシュ警察に逮捕されて、ウッタル・プラデーシュ警察に引き渡され、同州で裁判を受けるはずだったヴィカース・ドゥベーというヤクザがいたのだが、警察による移送中に車両が事故を起こし、その際に警官の銃を奪って撃ちながら逃走しようとしたという、不可解な「エンカウンター」で殺害されるという事件があった際、警察を非難する声とともにこれとは反対に称賛する向きも多かった。こちらも同様に司法への期待感があまりなく、それならば警察が始末をしてくれれば、という感情が下敷きにあるようだ。

    同様の「カルチャー」はパキスタンやスリランカなど周辺国にもあり、リンク先の記事にもあるように重篤な人権問題だと非難されている。

     

    Explained | Police encounters in India: cases, convictions and court orders (THE HINDU)

  • 金曜日の後には土曜日がやってくる

    金曜日の後には土曜日がやってくる

    ウッタルプラデーシュ州では、「反社会的行為」への対応としての「ブルドーザー政治」がすっかり定着してしまっている。反ムスリムの姿勢を強く示すBJPの中でも1992年のバーブリー・マスジッド破壊事件で暴徒たちを組織して煽動したとされる「右翼の中の最右翼」ヨーギー・アーディティャナートがチーフミニスターを務めるのがウッタルプラデーシュ州。彼は「ブルドーザー・ババー」とも呼ばれるようになっている。いつもサフラン色の衣類を身にまとっているが、この人はゴーラクプルにある名刹ゴーラクナートの高僧でもある。

    ムスリムによる暴動、ムスリムによる反政府的な運動があると、その首謀者とされる人物の家に政府が差し向けたブルドーザーやパワーショベル(これらをインドではまとめてブルドーザーと呼ぶ)が差向けられて、家屋であったり所有しているビルであったりを「違法建築である」「建物に違法な部分がある」として破壊してしまうのだ。

    インドに限ったことではないのだが、このあたりの国々の家屋には屋上に鉄筋の柱がむきだしで突き出ているのをよく見かける。あたかも建築中であるかのように。ある程度お金が溜まってゆとりができたら、さらに上階を建て増すことができるようにしてあるのだ。また都市部の建て込んだ地域では、本来所有している地所から少しはみ出した構造物があったりすることもある。多かれ少なかれ多少の「違法性」のある建物は少なくないのだろう。

    政府所有の土地に勝手に家を建てて占有している人々(スクウォッター)が集住しているようなところで、行政がブルドーザーを何台も送り込んで壊し、更地にするというようなことはしばしばあり、それらがニュースになるということは昔からあった。それでも事前に通告がなされて、その地域でひとまとめに実施するものであった。

    その日になってから処分通知書とブルドーザーが同時にやってきて、該当家屋だけをピンポイントで破壊、というのはこれまでなかったので、あたかもその所有者である当人への処罰であり、見せしめでもあるかのように、家屋が破壊されるのが特徴だ。ゆえにこれを「ブルドーザー政治」と呼ぶ。

    その様子はテレビニュースでもオンエアされ、人々が広く知るところとなるので、家屋の所有者は知らずとも、メディアには事前に知らせているのだろう。「先日の暴動の首謀者をやっつけている!ヨーギー政権はよく働いているじゃぁないか!」と印象付けるための広報活動と言える。

    画像はウッタルプラデーシュ州チーフミニスターのヨーギー・アーディティャナートのメディア担当アドバイザーであるムリティャンジャイ・クマールによるツイート「ウプドラヴイー、ヤード・ラケーン・キ・ハル・シュクラワール・ケー・バード・エーク・シャニワール・ザルール・アーター・ハイ(反乱者どもよ、忘れるなよ、いつも金曜日の後には、ある土曜日が必ずやってくる)」という言葉。ここにあるのはまさにそのブルドーザーが家屋を破壊している様子だ。

    金曜日の後は土曜日というのは当たり前のことなので、「だから何だよ?」と思われるかもしれない。

    その意味だが、「イスラーム教の聖日金曜日の後には、ヒンドゥー教の凶事をもたらすシャニの神の日が来る」(イスラーム教徒が浮かれた後には、ヒンドゥー教の凶神が罰しに来る。だから覚悟していろよ)という脅しなのである。

    なお「シュクラワール(金曜日)」「シャニワール(土曜日)」だが、単に曜日としての「ワール」ではなく、「イスラーム教徒の金曜礼拝の日」に起きた「ワール(攻撃)」と「シャニ」による「ワール(攻撃、打撃)」と掛けてもいるのだろう。「イスラーム教の礼拝の後に起こした暴動の後には、必ずヒンドゥー教の神による報復がある」というデュアルミーニングとなるけだ。このあたり、言葉の使い方は確かに上手い。

    今後は、「ヤード・ラッケーン、ハル・シュクラワール・ケー・バード、エーク・シャニワール・ザルール・アーター・ハイ」を「覚えていろよ、借りはきっちり返してやるからな」として、あるいは「ハル・シュクラワール・ケー・バード・シャニワール・ザルール・アーター・ハイ」を「因果応報」の意味として、慣用句のように使用されることになりそうな気がする。

    その語句の背景はやがて忘れられていくわけだが、そうした中でウッタルプラデーシュ州の「ブルドーザー政治」が故事として、その「慣用句」の成り立ちの理由として、その頃の物知りが「昔々、こんなことがあってね」と、若い人たちにその知識を披露したりするのだろう。

  • 強力なシールドが消えた 

    80年代末から90年代にかけての弾圧の時代にもスーチーが投獄されることはなかったと記憶している。

    彼女の父親、暗殺されたアウンサン将軍の同僚であったり、部下であったりした世代の人たちが軍幹部だった頃なので、アウンサンへの敬意や恩義、幼い頃からよく知っていたアウンサンスーチーを可愛がっていたなど親近感などもあったのかもしれない。また彼女の母親は駐インド大使などを務めていたこともあり、もともと政府幹部に近い距離にあったことも背景にあったのではないかとも想像する。

    もちろんその頃、ビルマのお札にはすべてアウンサン将軍の肖像が描かれるなど、国民的な英雄であり、その愛娘であった彼女への扱いは慎重であったのは当然のことでもあったのだろう。

    1988年8月8日に同国の国民が一斉に政府に民主化を求める抗議活動に立ち上がったとき、英国で結婚生活を送っていたアウンサンスーチーが体調の悪い老いた母親の介護のため帰国していたまさにそのとき、1988年8月8日にビルマの国民たちが政府に民主化を求める抗議活動のため、一斉に立ち上がったことを受け、同国の独立の父であるアウンサン将軍に関する研究生活(父親のことを学術的に研究するという人も稀だが)を送ったことがある彼女にとって、父の遺志を継ぐことは当然の義務であったのかもしれない。

    その行動は1990年の総選挙という形で結実したわけだが、アウンサンスーチー率いるNLDは大勝したにもかかわらず、当時の軍政は政権を明け渡さないどころか、NLD幹部を次々に拘束し、アウンサンスーチーはインレー湖近くの自宅に軟禁されることとなった。

    そんな最中に高名なチベット学者でもあった英国人の夫が重病で余命いくばくとなり、軍政は彼女にしきりに帰国を勧めていたが、無理矢理連行して国外追放するような手荒な真似はしていない。もちろんひとたび故郷を後にすると、二度と戻ってくることができないことを知っていた彼女は耳を貸さなかった。

    民主化活動家やジャーナリストたちはいとも簡単に殺害されたり蒸発したりしているのに、アウンサンスーチーだけは、まるで目に見えない強力なシールドで守られていて、悪人たちは決して指一本触れることすら出来ないようで、常々不思議に思っていたのは私だけではないだろう。

    民主化運動後、お札からはアウンサン将軍の肖像は消え、政権の意向もあり国のアイコンとしてのアウンサン将軍の描写は次第にフェードアウトしていくことになったようだが、今はすでに彼女自身が父親を超えるスケールのアイコンとなった。

    そんなアウンサンスーチーを投獄した今の軍政幹部たちだが、もはや世代交代を重ねて、アウンサン将軍のことは書物で読んだり話に聞いたりして知っていても、本人と直接の面識のある人はいない。今回彼女を刑務所に送るということの背景には、彼女やその父親へのそういう距離感もあるのかもしれない。親子と個人的な付き合いはなく、アウンサン将軍への絶対的な敬意というものも、民主化運動開始以後の軍政による、英雄アウンサン将軍のレガシーに距離を置いたことなどから、軍政側には彼女に対する一定の敬意のようなものはすでに無いのだろうか。

    アウンサンスーチーはすでに77歳。ただでさえ残された時間はとても短いのに、現在までのところ11年の禁固刑が確定しており、これまで起訴されている件ですべて有罪ということになれば、刑期は150年を超える可能性がある、とリンク先記事は指摘している。

    ミャンマー国軍、スーチー氏を刑務所に収監 (産経新聞)

  • ついにゴアでも「復興運動」を展開へ

    ヒンドゥー右翼たちにより、デリー、アーグラー、マトゥラー、バナーラス等において、イスラーム教関係の施設や遺跡などに対して、「元はヒンドゥー教の寺であったものを、イスラーム教徒侵略者たちが破壊してモスクその他のムスリムの施設などに変えた」として、いろいろな運動が展開されているのはご存知のとおり。

    そうした中で同時多発的に裁判も進行中で、「ヒンドゥー教徒による礼拝を認めろ」だの「ヒンドゥー教寺院であった証拠はこのリンガム状の物体だ」などとして、専門の学者ではなく、裁判所に認定を迫るかのような姿勢で、既成事実化して、しまいにはそれらの施設や遺跡を乗っ取りそうなムードだ。

    これらは少なくとも表向きはBJPその他のサングパリワールと呼ばれる一連の関係団体によるものではなく、ごく普通の市民が縦横の連帯すらなく、自発的に始めた運動のようになっている。しかしたとえばバナーラスやデリーの事例のように、普通の主婦たちがわざわざそんなことに血道を上げるだろうか。いかにも怪しい。

    こうした上げ潮の勢いが先日のBJPの広報担当者による預言者モハンマドを侮辱したとされる発言が出るまでに至ったのだろう。こうした動きはこれまで北部が中心であったが、イスラーム教徒ではなく「クリスチャンに侵略されたゴア」でも始まった。かつて存在したヒンドゥー教寺院、ポルトガル当局に破壊されたお寺を復興しようという動きだ。

    ポルトガル時代に9割を越えたクリスチャン人口は、ポルトガル当局による苛烈なヒンドゥー教への弾圧に加えて、改宗すれば人種の違いに寛容なポルトガル植民地社会というインセンティブもあり、多くの人々がヒンドゥー教から離れてカトリックを受け入れたことが背景にある。

    そんなゴアだが1961年のインドによる軍事侵攻により陥落し、強制的にインドに併合された後、当然のことながら相互で人口の大きな移動があり、現在はゴア人口の7割近くがヒンドゥー教徒となり、カトリックはマイノリティーに転落して久しい。

    インドによる脅しと侵略への恐怖が現実化していた1950年代後半には、ゴア市民はこうなる事態、すでに「ゴアン」としてのアイデンティティーを確立していた人々は、インド人の大海に呑み込まれてしまうことを危惧していたのだ。当時のゴアはインドに対して比較的裕福で、インドはとても貧しかったこともそうした嫌インドの背景にあった。

    インドがポルトガル領ゴアに経済封鎖を実施していた頃は、ポルトガルが支配するところのゴアとパキスタンは蜜月状態にあり、生活物資、食料その他の必需品がカラーチーの港からパナジの港へと大量に運ばれたという。

    これまでゴアでクリスチャンとヒンドゥーの関係は悪くなかったが、こうした右翼の動きが浸透していくようなことがあれば、すでに多数派となっているヒンドゥー社会からクリスチャンが次第に排除されていく未来もあるのかもしれないし、今の時代を生きるカトリックのゴアンの人々の間から嫌インドという動きも出てくるかもしれない。

    今後の推移を見守っていきたい。

    Goa’s Own Gyanvapis: Govt To Reconstruct Temples Destroyed During Portuguese Regime? (Outlook)