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  • コミュナルなテンション

    コミュナルなテンション

    BJPの広報担当者によるイスラーム教預言者に関する侮辱的な発言があったとして、インド各地そして世界各地から非難の声が上がっている。イスラーム諸国では駐在しているインド大使が現地政府に呼び出されて叱責を受けたりなど、受難が続いているらしい。

    インドでは政治問題等に関する討論番組が盛んだが、そうした場への出演者のひとりが「インドネシアのような小さな国の政府に我がインドの大使が呼び出されて叱責を受けるとはまったくもって心外な侮辱的な扱いである。BJPはこれを甘受しておるのか?」などと、まったく的外れな発言をしていたとともに、インドネシアを小国呼ばわりするのにも驚いたりした次第。

    先週末は、金曜礼拝後にインド各地で同時多発的にムスリム群衆による抗議活動が巻き起きたとニュースになっていた。デリー、ラクナウ、ハイデラバード、スリナガルその他、いろいろな街で時を同じくして一斉蜂起のように発生したことが伝えられていた。ラダックのレーのような小さな町でもそうした活動があったという。これらの背景に相互に繋がりはないのか、焚き付けた者がいないかどうかなど、各地の警察が連携して調査しているとも報じられた。

    この2日ほど前、大衆に対する煽動的な言動があったとして、AIMIMのリーダー、アサードゥッディーン・オーウェースィーに関するFIR(First Information Report=犯罪報告書)が出されたことがニュースになっていたため、彼やAIMIMを中心とする、あるいは経由するネットワークに疑いの目が向けられているのだろう。

    関連ニュースでは、デリーからの報道でDCP(Deputy Commissioner of Police)から談話を取っていた。シウェター・チョウハーンという、いかにもキレ者という感じの喋りで自信に満ちた堂々たる対応であった、年齢はまだかなり若いと思われる女性で、おそらくデリー警察ではなくIPS(Indian Police Service)採用だろうか、男社会の中では毎日突っ張っていないと甘く見られそうだし、部下や同僚も本人よりもかなり歳上のようだ。エリートはエリートで、それはまた大変なのだろうなぁとか、いろいろ想像してしまう。実際、エリート官僚のまだキャリアの浅い頃には、なかなか周囲とうまくいかないことやハラスメントもいろいろあったりと、苦労も多いものらしい。

    インタビューに応じるDCP (ニュースチャンネル「AAJTAK」の放送画面から)

    話は抗議活動に戻る。先日はカーンプルでムスリム暴徒による大規模な投石事件が報じられていたり、それに先んじてこのところデリー、マトゥラー、バナーラスなどで、それぞれイスラーム関係施設が元はヒンドゥー寺院であったとして、調査を許可せよだの、ヒンドゥー教徒たちの礼拝を許可せよだのと、裁判所に訴え出るなど、マイノリティーへのパワハラとでも言うべき事案が相次いでいる。

    そこに来てのBJPのヌールプル・シャルマー(広報担当の女性)による発言であり、これを受けての「一斉蜂起」であった。こんな具合だと、インドにおいて、ここしばらくはコミュナルなテンションは続くのであろう。

    Two killed as Muslims and Hindus clash in India (REUTERS) 

  • ラッパーの死

    5月29日に、パンジャービーのラッパー(パンジャーブ州議会議員でもある)のスィッドゥー・ムーセーワーラーがクルマで移動中に十数発の銃弾を撃ち込まれて殺害されるという凄惨な事件があった。関与が疑われているのは、パンジャーブ出身のギャング、ローレンス・ビシノーイーだが、現在デリーのティハール刑務所に収監中なのになぜか?と言えば、塀の中からスィッドゥーを脅迫していたローレンスは、彼の殺害を決めて、在カナダのパンジャービーギャング組織と連絡を取り、カナダからパンジャーブ現地の手下だか協力関係にある者たちがスパーリー(ヒットマン)として送り込まれたらしい。今どきのインドらしい国際間の連携とも言える。

    こうしたリスクを抱えている有名人たちには、先の州議会選挙で国民会議派が負けて庶民党政権となるまでは、手厚い警護が付いていたのだが、政権交代後は「セレブを特別扱いしない」という庶民党の方針から警護体制の簡略化が実施されており、まさにそれを突いての犯行であったとされる。

    それまでスィッドゥーは防弾処理を施された車両で複数のガードマンたちと往来していたとのことだが、この日は自家用車で、後続車両におそらくライフルを手にした護衛が付くのみであったといい、高性能銃器を手にしたプロの殺し屋による奇襲には対応できなかったようだ。

    サルマーン・カーン自身も、ローレンスからずいぶん前から脅迫されてきたひとりで、身の安全が危惧されているため、この事件後は警護が大幅に強化されることになったと聞く。

    インドの音楽関係者にしても映画人にしてもこの手の脅迫にかかる事案は昔から多く、かつてはグルシャン・クマールのような超大物さえも殺害されたことを記憶している人は多いだろう。

    Salman Khan’s security beefed-up outside his Mumbai apartment after Sidhu Moose Wala’s murder. Here’s why (THE ECONOMIC TIMES)

     

  • Tejo Mahalayaの本

    Tejo Mahalayaの本

    デリーのクトゥブ・ミーナール、バナーラスのギャーンヴァーピー・マスジッドの論争と時を同じくして展開しているアーグラーのタージ・マハルが「ヒンドゥー寺院を改変して建てられたもの」という主張。

    「タージ・マハル」ではなく「テージョー・マハーラヤ」であるとする論争だが、元々ジャイプル藩王国所有の地所であったという主張等々のニュースが日々インドから流れる中、ヨタ話であってもネタ的には興味深い部分もある。インド雑学の見地からは、とうてい看過できないものがある。インドアマゾンのKindle本を検索すると、書籍の概要からしてドンピシャのものが見つかったので購入。今話題になっている「テージョー・マハーラヤ」の元ネタはだいたい網羅されていそうだ。

    正しい歴史認識が最も大切であることは言うまでもないし、ヨタ話を擁護するつもりももちろんないのだが、そうした言いがかりの根拠としているもの、でっち上げの内容と根拠とするものについて把握しておくことは大切だ。

    編集者兼著者のStephen Knappという人物は、インド(及びその他の国々)でヴェーダ関係の書籍をいくつも出しているなど、西欧人(たぶんオーストラリア人)ながらも、極右勢力とは親和性がとても高いように思われる。

    著者 : Stephen Knapp
    ASIN : B06ZZ6GXN5

  • インドとロシア

    ロシアへの武器依存度が高いインドがリスクヘッジのため新たな調達先を広げる動き。

    それでもロシア非難へとスタンスを変えることはないだろう。インド自身、1971年に武力による現状変更を実施した(第3次印パ戦争、これにより東パキスタン解消、バングラデシュ成立)ことがあるだけでなく、POK問題(パキスタン占領下のカシミール)過去がある。

    2年前にJ&K州からラダック地域を分離させ、ともに連邦直轄地としたインドだが、その分離前の州議会総議席111のうち、24議席はPOKに与えられている。(他国支配下にあるため、この24議席分の選挙区からは立候補も選挙の実施もなく空席)分離後のカシミールでもPOKの24議席は保持される。そう、隣国支配下にあるカシミール西部はインドからすると不可分の自国の領土。

    インドにとってこの地域でのパキスタンとの境界は一事的な停戦ラインにしか過ぎないLOC(実効支配線)であって、国境ではない。パキスタン+中国の同盟関係及び核の保有などもあり、LOCが西方に移動したり、POKがインドの手に戻る可能性は限りなく低いとはいえ、もし将来何かあって、力関係がインドに俄然優位に傾くことがあれば当然、インドは現状変更へと乗り出す可能性は高い。ウクライナ問題の向こうに透けて見えるのは、中国と台湾の関係だけではない。

    かつてインドによる武力行使のため、国土を大きく削られるとともに人口の半分以上(1971年当時、西パキスタン人口5,900万人、東パキスタン転じてバングラデシュ人口6,500万人)を失った過去があるパキスタン。今回のロシアによるウクライナ侵攻をメディアで目の当たりにしたことにより、核による抑止力を持つことの重大さを確信していることだろう。

    それだけではない。インドと友好的な関係にあり、両国国民が旅券なしで国境を往来することができ、査証なしで居住することも出来る特別な関係のネパール。近年は大きく中国の側に傾倒するとともに、印中両国の間でバランスを取っているように見えるが、将来中国軍の基地を置かせるような動きがあれば、インドは軍事行動を含めた大変厳しい態度で応対するはず。それに対して国連で非難決議が提出された場合、これを握り潰してくれるのはロシアということになる。そう、東パキスタンを潰したときも当時のソ連の後楯がなければ無理だったかもしれない。印露の仲は実に深い。

    インド、武器調達先の多様化模索 ロシア依存脱却へ (REUTERS)

  • リンガムか噴水か

    ギャーンヴァーピー・マスジッドで見つかったとされるシヴァリンガムの画像とのこと。右翼はリンガムであると主張し、彼らに同意しないものは噴水だとか。裁判所の仲介により、モスクに調査団を受け入れさせる前から、メディアではモスク内のヒンドゥー的な意匠、つまり建物内の持ち送りの梁や柱の構造であったり、壁面に掘られたヒンドゥー的なデザインを含む彫物であったりをも映し出しており、意図的にヒンドゥー寺院では?という視覚的な誘導を行うなどといったこともあった。

    しかし昔からヒンドゥーがマジョリティーであったインドの環境下でムスリムの建築物にヒンドゥー教徒の職人集団が関わることは、ごく当たり前のことで、ムガル全盛期の代表的な建築物郡群すべてにヒンドゥー的な要素は見られる。それは中東地域ではほとんど見られない庇であったり、インド起源のヒンドゥーや仏教の象徴でもあるハスの花の意匠であったり、ベンガル式のジョールバングラー型の屋根であったりと様々だ。もともとそうした多文化融合の造形がインドのイスラーム建築の特徴でもある。

    それにしても不思議なのは、このモスクの「ギャーンヴァーピー」という名称。普通はアラビア語やペルシャ語で、それらしい命名をするものだが、なぜサンスクリットで「知恵の泉」と名付けたのか。実に珍しい。

    まさにこれこそインドの多文化社会を象徴するようなもので、本来ならば内外に誇れるもののように思うのだが、その名前がゆえに標的になっているとすれば、なんと皮肉なことだろうか。

    Shivling or fountain in Gyanvapi mosque? Here’s what IIT-BHU experts say (INDIA TODAY)

  • 34年前の過ち

    ナウジョート・スィン・スィッドゥー。元クリケット選手で、インド代表の花形選手として活躍もしていた。その後、テレビタレントとして数々の番組に出演。

    2004年からは政治家に転向してBJP選出のパンジャーブ州議会議員として活動を開始。その後2017年には国民会議派に鞍替え。州観光大臣であった2018年には、同じくクリケット選手で南アジアを代表する名選手だったパキスタンのイムラーン・カーン首相を相手に「クリケット外交」を演じ、アムリトサルからすぐ国境向こうにあるスィク教の名刹、カルタールプルのグルドワラー・ダルバール・サーヒブへ、インド側からヴィザ無し訪問のスキームを実現させて脚光を浴びた。その後、国民会議派のパンジャーブ支部のトップの座に就くなど、順風満帆の時期が続いていた。

    そんな中でパンジャーブ支部内での内紛、それに続いての州議会選挙敗北と、なかなか大変なことになっていたのだが、このたび1988年、つまり彼のクリケット選手現役時代に起こした危険運転のかどで、懲役1年の判決が下りたのは一昨日。実は危険運転というよりも、危険運転が生んだトラブルの中で、当時25歳だったスィッドゥーが65歳の男性を殴ったことにより、その男性の死を招いたという事件。本来ならば殺人事件あるいは暴行及び傷害致死として扱われるべきところ、一貫して「road rage」として報道も裁判も続いていた。

    この件について、幾度も裁判を重ねており、選手時代、タレント時代、政治家となってからもつきまとう彼自身が抱えるリスクであったが、被害者の遺族による粘り強い闘いにより最高裁でまで争われ、ついに彼はその償いをすることになった。まさにその事件が起きてから34年後になった今になって、である。

    事件後で被害者は亡くなったが、いっぽうでスィッドゥーはさらにクリケット選手としてのキャリアを積み、タレント業でもスポットライトを浴びて、政治家としても活躍した。もう充分に華やかなキャリアと人生を謳歌しておいて、いまごろになって、わずか懲役1年の判決。やるせない話だ。

    ニュースによると、彼にはまだ法的に争うことができる余地は残されているものの、それがうまくいく可能性は限りなく低いとも言われている。

    SC sentences Navjot Singh Sidhu to one year in jail in 1988 road rage case (Hindustan Times)

  • 奇妙な捻じれ

    最高裁の命令により調査チームを受け入れさせたバナーラスのギャーンヴァーピー・マスジッド。ヒンドゥー寺院であった確固たる証拠があったとして、ここでプージャーを行なうことを求めるヒンドゥーの原告側が「バーバーがおられた」とし、ムスリム側は「何も見つからなかった」。シヴァのリンガムらしきものの痕跡が見つかったとのことのようで、さらに確固たる証拠として、リンガムに向かい合わせるナンディの姿がないか調べるという方向らしい。

    ここにあったヒンドゥー寺院をモスクに転用したということは、もともと古くから伝えられてきた史実のようで、そのような例はここに限らず、とりわけインド北部や西部には多い。

    ここはムガル朝のアウラングゼーブ帝の時代に転用されたとのこと。1991年にアーヨーディヤーのバーブリー・マスジッド(ラーマの生誕地とされる場所にあった寺院で、やはりムガル帝国時代にモスクに転用された。1992年に右翼に率いられら暴徒たちが破壊。インド各地にコミュナルな暴動が連鎖)問題のとき、こちらもやり玉に上がっていた。

    現在はムスリム以外は立ち入り禁止の施設として現在に至っている。近年、右翼勢力はこうしたムガル時代に起きた賛ムスリム的な事象を反ヒンドゥー=反民族=反国家的な過去で、それを取り戻すことが愛国的な行いであるかのように煽る。同時に植民地時代の反政府テロリストたちを反英愛国者と持ち上げ、さらには1857年の大反乱を「インド最初の独立闘争」と位置づける。

    するとこの時代の歴史解釈の根本的な部分に、奇妙で大きな捻じれが出てくるのだが、これについてはどう辻褄をつけるつもりなのだろうか。

    多数はヒンドゥーのインド人傭兵たちの勢力がインド各地で当時の東インド会社軍に対して反乱を起こし、その勢力が合流しながら当時の統治の拠点を次々に陥落させていった。火の手がデリーに及んだときに彼らが集結して反乱のシンボルとして担ぎ出したのはムガル最後の皇帝、バハードゥル・シャー・ザファル。

    それまで英国人指揮官の元で働いてきた無名のインド人兵士たちが求めた権威は、当時すでに権勢は衰えて威光の及ぶ範囲は「デリー周辺」でしかなかったムスリム王朝の当主であった。劣勢に継ぐ劣勢で追い込まれたイギリス側は、それでも内部の立て直しと反乱の及んでいなかった南部等からの援軍などで反攻に出たわけだが、その際に大きな力となったのはパンジャーブ及びその近隣地域のスィク教徒勢力。

    英国当局が比較的短期間に力を回復して、反乱勢力を退治して粛清、軍の再編、英国人社会の綱紀粛正、英国本国では東インド会社の解体とインド省による直接統治へと急転換していくことになる。現在も軍や警察などでスィク教徒のプレゼンスが高いのには、反乱平定後に親英・尚武の民として重用されたことが背景にある。つまりムガルこそが独立運動の先駆けの象徴であり、スィク教徒は親英の売国勢力であったことになってしまうため、極右勢力によるムガルを「侵略者」と位置付けと、極右勢力を含めたインドの広範囲での「1857年の大反乱はインド最初の独利運動」という定義は相反するものになるのだ。

    Decoded: What is the controversy over Varanasi’s Gyanvapi Masjid? (India Today)

  • 熱波のインド

    記事によると、デリーで観測史上の最高気温が45.6℃とのことだが、それとて一定の条件での計測なので、路上や空調のない車両の中などではこれよりも数度高かったり、50℃を超えていたこともあるはずだ。

    先日は49度を超過とのことで、従来の記録を4度ほど上回ったことになる。これも同様に実際街なかで働く人たち、路上で商う人たちは実質55℃のような過酷過ぎる環境で働いていたのだろう。

    今の東京のような快適な気候からはちょっと想像が及ばないし、お盆あたりの東京の状況とも比較にならない。いくらこの時期のインドは湿度が低く、日本のお盆は湿度が高いとはいえ、ベースになる気温がまったく違うので、比較にすらならない。

    たとえ湿度が低くても、体温を超えると相当消耗するし、さらには風呂の温度を超えると、とても耐えられるものではない。50℃という気温は死の世界とも言える。26℃と30℃がぜんぜん違い、30℃と34℃も相当異なるように、45℃と49℃もずいぶんな差だろう。

    地球温暖化で氷河が痩せ細ったり、海岸沿いの低地が海の下に沈むことなど、懸念されていることは多いが、インドあたりの緯度の内陸部の酷暑季では人々の生存が困難なものになりそうだ。

    India heatwave: Delhi records highest ever temperature at 49C (The Telegraph)

  • Taj MahalかTejo Mahalayaか

    Tejo Mahalaya (荘厳で偉大な棲家)という名前を聞き慣れない方はググッていただきたい。いくつもの関連記事が出てくる。

    ヒンドゥー史上主義者たちの主張によると、このTejo Mahalaya は現在誤ってTaj Mahalと呼ばれており、ムスリムの皇帝の妃の墓廟であると誤解されているが、本当はMahadeva Mandirつまりシヴァ寺院であるのだという。元々そこにあった寺院をシャージャハーンによるタージマハルの構造物が呑み込む形で「併合してしまった」というのだ。インド考古学局によって閉鎖されている謎の20の部屋(メディアによっては22の部屋とも)があり、そこにはこれがムスリムの墓廟などではなく、ヒンドゥー寺院であるという証拠が隠されている、ゆえに誰も入ることができないように固く閉じられていると主張している。

    確固たる史実をまったく無視した、何の合理性も道理もない主張だが、ついにアラーハーバード高等裁判所へ、インド考古学局に謎の20の部屋を開けて調査チームを受け入れよという訴え出たのだ。バラエティ番組的な興味関心は覚えるものの、そしてヒンドゥー史上主義者に勝ち目はないように思えるのだが、もし芳しい結果が得られなくとも、すぐに次の一手を容易しているはずだ。そんなこんなで、どんどん外堀が埋められて、いつしかヒンドゥー寺院であるとの既成事実みたいなものが積み上がるとも思えないのだが。

    1989年代後半からサフラン勢力が頭を持ち上げ始めて、90年代には檜舞台に躍り出るまでになった。そして今世紀に入ってからは、まるで19世紀後半のヒンドゥー・ルネサンスのごとく、これまでの共通理解や社会通念を覆すような「ネオ・ヒンドゥー・ルネサンス」を展開している様には、もう驚きしかない。その「ルネサンス」は地域、カースト、社会的地域を超えて人々を強く結びつけ、それ以前は排除あるいは無視されていた層や部族も大手を広げて歓迎される一方で、ムスリム、クリスチャンといった外来の思想を奉じるコミュニティーに対しては非常に敵対的だ。

    高等裁判所は訴えを退けたが、この原告団は最高裁まで争う構えを見せている。仮にこのTejo Mahalayaの「調査」が近い将来実施されたとして、結果がどのようなものになるのか、それがメディアでどう消化されて人々に伝えられるのか、社会がどのような反応を見せることになるのか。

    この件もそうなのだが、時を同じくして、デリーのクトゥブ・ミーナール、マトゥラーのクリシュナ・ジャナムブーミー、バナーラスのギャーンヴァーピー・マスジッドと似たような文脈での訴えがなされて、同時期に並行して進行していくというのは、どう考えても偶然ではないだろう。

    また、ムスリム支配を背景に持つ地名に対する改名が相次いでいることも然り、一連の嫌ムスリム的な事象が相互に作用しあっている部分もあるようだ。現在のインドが急速に変貌しているのは経済面だけでなく、こうした思想面においても同様だ。

  • United Hindu Frontって何者だ?

    メディアにUnited Hindu Frontというヒンドゥー右翼団体の名前をよく見かける。検索してみるとデリーのヤムナ河東岸のアーナンド・ヴィハールの北にあるシャーハダラーに本部があるようだ。HPは見つからないがFBページにいろいろ主張を載せている。

    クトゥブッディーン・アイバクの時代、この地域にあった多数のヒンドゥー寺院、ジャイナ教寺院を破壊してモスクが建設された。このモスクが擁する巨大なミーナールは現在「クトゥプ・ミーナール」として知られており、世界遺産にも登録されている。文化、民族、これに付随する信条なども時代とともに移ろう。ときに外来勢力に征服され、ときに別の民族に蹂躙され、あるいは平和的に融合して歴史は形作られていく。

    そんな悠久の歴史を象徴するモニュメントのひとつがクトゥブ・ミーナールであるわけだが、ここで地面に置かれた神像、上下さかさまな状態で建造物の中に組み込まれている神像、織の中に取り込まれたような具合になっている神像などをめぐり、またこうした神像がふんだんにあるにもかかわらずプージャーを執り行うことができない(インド考古学局管理下の遺跡であるため)現状などに抗議していた団体United Hindu Frontが、クトゥブ・ミーナールの改称を求めて開始した新たな運動が各メディアに報じられている。

    クトゥブ・ミーナール」ではなく「ヴィシュヌ・スタンブ(ヴィシュヌの柱)」と呼ぶようにせよ、と。もともとどういう背景を持ち、どんな属性を持つ人たちが、どのように活動に参加しているのかちょっと興味がある。決して彼らに賛同するわけではないが、右傾化するインドの今後が透けて見えるような気がするからだ。

    Right-wing activists demand renaming of Qutub Minar as Vishnu Stambh, detained (The Indian EXPRESS)

  • 合従連衡の背後にあるもの

    半月以上前のニュースになるが、これを目にしたときに思ったこと。

    こういう報道があると、すぐに「同じシーア派のイランとの☓☓☓」というような話が出るのにうんざりする。

    イランは日本で喧伝されているような感じの宗教的な国ではないし、ましてや原理主義の国でもない。人々とモスクの関係性は、言ってみれば日本の私たちとお寺や神社みたいなもの・・・と書くと、イランのことを知らなければ「ええっ!?」と言われるかもしれないが。広範囲にリベラルなイランの人たちと宗教施設との関係は、タイやミャンマーの人たちとお寺のような距離ですらない。SF的な仮定で、日本の仏教系新興宗教団体傘下にある政党が独裁政権を樹立して人々を縛ったら、私たちの国が「仏教版イラン」になる、そんなイメージでよいかと私は思う。その意味ではイランは特殊な国だ。

    また中東地域での長年のシーア派とスンナ派の対立というのもかなり虚構で、そもそもイランだってシーア派が多数となったのは16世紀のサファヴィー朝以降の話。もともとはシーア派の地域であったことはたぶん日本の社会科の教科書だって出ていると思う。教義で対立するわけではなく、人々を都合で色分けする為政者により対立が起きるのだ。

    フーシ派とイランの関係性、またヒズボラとイランの関係性だって、シーア派という信仰が絆となっているわけではなくて、地政学上の、また地域の様々な勢力関係による繋がりから、結果としてそういう形になっているはずなのに、「信仰が同じだから仲間グループ」としてしまっては、まったくの思考停止というか、本質を見誤ってしまうことは間違いないだろう。

    これはインドでも同じ。宗教的右翼のBJPと、「地域的に人口分布的にもたまたまヒンドゥーである」マラーター民族主義のシヴ・セーナーがガッチリ協力していたのは、ヒンドゥーという信仰の共通点からではない。

    だから先のマハーラーシュトラ州議会選挙で選挙協力して勝つも、組閣で揉めて協力関係瓦解。そして選挙戦では敵同士で、思想や主義では相容れないはずの世俗派で中道左派の国民会議派、ナショナリスト会議派とまさかの連立を組んで、今は仲良く政局運営している。つまり「ヒンドゥー」そして「右翼」という共通項は、協力関係の絆ではなかった。本質は実務的に協働できる関係性にあるか、という冷徹な判断なのだ。そこには観念的な信仰や情緒的な要素など、ほとんど入り込む余地はない。日本における自民党と公明党の関係だってそうだろう。戦略的連携だ。

    「同じシーア派同士だから手を結ぶ」という単純な結論付けや「かたやスンナ派、かたやシーア派だから対立する」という誘導のような予定調和的な言い草は、大昔の「社会主義国同士は連帯する同志なので戦争はしない」とか「メンドリが時を告げると天下は乱れる」という幻想とまったく同じだ。メディアはときにびっくりするほどズボラでテキトーなものである。

    フーシ派がサウジアラムコ石油施設を攻撃、火災発生 死傷者なし (REUTERS)

  • デジタル化が進むインド

    何かと至らない面は今でも多いけど、やたらと進んでいる部分は日本よりもはるかに前を疾走しているインド。日本でいうところの「マイナンバーカード」にあたる「アーダール・カード」は導入以降たいへんうまくいっており、農民や各種助成金等の受給者への給付は、そうした層の人々の銀行口座開設も平行してどんどん進めたため、昔のように行政の担当者が村落や集落に行って現金で配るということもなくなり効率化するとともに、そうした担当者によるピンハネもなくなるなど、高い成果が出ているようだ。

    今年は政府・行政関係のサービス等について、横断的かつ統一的な運用を導入するとのことで、個人に紐づいた各種申請・認可、入学、奨学金、運転等免許類、その他諸々が、ひとつのアカウント&パスワードで管理されるようになるとのこと。日本においては、政府への不信感が根強いため、包括的な管理をさせることを是としない風潮があるが、インドにおいては現場の役人等の不正等からくる不信感も強いのに、この違いはいったい何だろうか。

    Soon use a single sign-in to access plethora of government services, entitlements (THE TIMES OF INDIA)