シェーカーワティー地方へ 4  〈タークルの屋敷〉

マンダーワーのタークルのハヴェーリーを見学。商家ではなく、小領主的な存在であったため、「城」を名乗っている。現在の当主はジャイプル在住とのことだ。

ここは現在、Castle Mandawa Hotelという名前で、おそらくリゾート運営の会社が委託を受けて運営しているようだ。他にもマンダーワーにあとふたつ、ジャイプルにひとつ、チェーン展開している。
建物内は自由に見学できるわけではなく、宿泊客以外はスタッフによるガイドツアーで見学することになっており、その料金は250RSもする。

それはさておき、「宮殿」といっていい規模と内容のヘリテージホテルで、一泊6,000Rsほどのようだが、「オフシーズンなので5,000Rsにしますよ」とも言われた。一般的な感覚として、このくらいの料金でちゃんとしたヘリテージホテルに宿泊できるのならば、充分に価値がある。ラージャスターン州からグジャラート州にかけて、数々の藩王国が割拠したところでは、それこそ無数にといっていいほど沢山の宮殿ホテルがある。とても手の届かない料金のところもあるが、ここのようにそうでもないところも少なくない。ここはそうした中で比較的エコノミーな料金で楽しむことが出来る宿泊施設と言えるだろう。

ただひとつ気に入らないのは、宿泊していない者が見学する際に250Rsという料金を取ること。その料金にはカフェテリアのメニュー内で250Rs分までの飲食が含まれているとのことであったが、実際にはソフトドリンクくらいしかその範囲で頼めるものはなく、結局はそれを大きく上回ることになる。そんな姑息なことをするくらいならば、「見学料金は250Rs」として欲しいものだ。

このホテルをガイド付きで見学してみた。立派な制服を来た(ラージャスターンの伝統的なスタイルの衣装)スタッフが案内してくれるのだが、建物内の特に立派な部分をいくつか回ってくれる。やはり屋敷というよりも、これは事実上の城、あるいはパレスである。モダンなスイミングプールがあったり、おそらく音楽の演奏や結婚式にも使われるであろうマンダップのある中庭もあった。敷地内に立派なシェーカーワティー式のハヴェーリーもある。

メインの建物の屋上からは町全体を見渡すことができる。ごく小さな町ではあるが、上から眺めてみると、大規模なハヴェーリーが多いことに改めて驚かされる。映画「PK」のマンダーワーでのロケの際、アーミルやサンジャイなどが宿泊したとのことだ。

〈続く〉

シェーカーワティー地方へ 3  〈映画をこよなく愛する人々〉

せっかくマンダ‐ワーに来たので、昨年公開されて今年の初めにかけて大ヒットした映画「PK」で、この町でのロケ地であった「チョウカーニー・ハヴェーリー・チョウク」という横丁であることはすぐにわかった。小さな町なのでどこに行くのもすぐだ。

田舎町で、人気スターがやって来ることに大興奮したであろうことは、特にちょっと若い人たちに声かけると、期待を大きく上回る反応がかえってくることから見て取れる。
「この路地の出口で、アーミルがサルマーンのクルマに(確かトラクターであったはず)にひかれた」
「あの歌のダンスシーンで挿入された場面が撮影されたのはここ!」
「映画の中でアーミルにサーモーサーを勧めたのはこの人!」と、わざわざその人物の仕事場まで連れていってくれる人までいた。

映画の中でアーミル・カーンが轢かれたスポット

ダンスシーンが撮影された場所はここなのだとか。



映画「PK」の中でアーミルにサーモーサーを勧める役を務めた人

「おーい、兄貴ィ、日本から記者があんたのことを取材に来たでぇ・・・。オレ、お茶注文してくる。よーく話聞いとってな!頼むでぇ!」なんて具合に早足でどこかに行ってしまった。私は記者ではないし、取材しに来たわけでもないのだが・・・。

ちょっと尋ねると、芋づる式に次から次へとこの映画ゆかりのナントカカントカが出てくるレスポンスの速さ!
「PK」の後は、「バジラン・バーイージャーン」というサルマーン・カーン主演の映画の撮影もなされたとのことで、今後もマンダーワーが他の映画作品のロケ地として使われることが幾度かあることだろう。

やはりどこに行っても映画をこよなく愛する気持ちは誰もが同じであることは、ボリウッド映画ファンの私としても嬉しい。

〈続く〉

シェーカーワティー地方へ 2 〈Hotel Mandawa Haveli〉

滞在先のマンダーワーで宿泊先としたのはHotel Mandawa Haveli。古いが立派な屋敷をホテルとして活用したものである。18世紀から20世紀初頭にかけて、最初は陸上交易、そこで蓄財した商人たちが都会に進出して稼いだ資金を故郷に送ったことから、豪壮で華麗なハヴェーリー (屋敷)が残されたことで知られるシェーカーワティー地方。そのハヴェーリーの内部・外部ともに美しい壁画による装飾が施されているのが特徴だ。

だが、多くはオーナー家族が大都市に転出していったり、売却してしまったりということもあり、田舎町に似つかわしくない大規模な邸宅が間貸しでテナントを得るようになり、地上階は商店、ファーストフロアーから上は集合住宅というような形態になってしまっているところが多い。伝統的なジョイント・ファミリーの邸宅として、中庭を中心に「ロの字型」となっている屋敷に身内の複数世帯が起居するものであったため、間貸しするのにちょうど良いということもあるのだが。

その結果、ハヴェーリーの内部は荒れ放題であったり、オリジナルの形態とは似ても似つかぬ安手の増改築がなされたり、ということになり、壁に精緻なタッチで描かれた絵に対する敬意が払われることもなく、危機的状況にあることは様々なメディア等で伝えられつつも、現地では相変わらずの無頓着という状況が続いていたのが1990年代までのこの地域であった。

21世紀に入ってからは、こうしたハヴェーリー、それらを建てた豪商たちが寄与した建築物(ハヴェーリー以外に寺院や共同井戸など)が歴史的・文化的な価値が高いものであるとして認知されてきてはいる。しかしながら、細切れに賃貸に出されているハヴェーリーについては、長年賃貸で居住している世帯ないしは商店があることから、以前と同様の厳しい状態にある。

ホテルに転用されたハヴェーリーについては、華麗な絵による装飾は見事に復元されていたりするものの、ここでもまたオリジナルの形態とはかなり異なる部分も生じるのは当然のことだが、少なくとも文化的な価値に焦点を当てて、ヘリテージな宿泊施設として供されるわけである。人々にそうした伝統を認知させること、こうした修復活動を通じて、技術が伝承されることなどから、決して悪いことではないだろう。















現在、間借人たちが居住しているハヴェーリーは、そこに住む人との何かしらのコンタクトを取る機会でもないと、なかなか内部を見学することはできないし、オーナーがテナントに貸し出すことなく、ケアテイカーを置いて管理させているようなところでは、いくばくかの謝礼を渡して建物内を見せてもらうことも出来たりはするものの、そうのんびりと見学できるわけではない。そうした点からも、宿泊施設として転用されている場合、誰に遠慮することもなく、建物内を闊歩できるという大きな魅力がある。

ホテルに転用されるところが次第に増えているのは、近年の傾向のようだ。1990年代に幾度か訪れた際に「こうしたハヴェーリーがホテルに生まれ変わっていたら、どんなに素敵な宿泊施設となることか」と思ったことを記憶している。地域の領主の館、豪商たちのハヴェーリー内部を模した装飾が施された宿泊施設はあったものの、このような形態のホテルはまだ存在していなかった。

ただし、今回の宿泊先の近くで、ふたつ、みっつほど営業しているハヴェーリーから転用された宿泊施設については、内装の修復が素人目にも相当いい加減なものであったり、「コンクリート造りの別棟」に客室があったりと、あまり良い印象を受けなかった。伝統的なハヴェーリーを謳う宿泊施設の粗製乱造が懸念されるところである。

〈続く〉

シェーカーワティー地方へ 1 〈デリー出発〉

昼を少し回ったあたりで、デリーのサライ・カレー・カーンISBTからシェーカーワティー方面行きにバスに乗車。このバスの終着地ジュンジュヌーまで距離にして220km程度だが車掌は「6時間半かかる」と言う。かなり迂回しながら進んでいくということもあるが、とりわけラージャスターン州に入ってからの路面状況があまり良好ではないという部分もある。

首都圏から遠く離れているわけではないのに、そのあたりのインフラが整っていないということに、「ゆえに地域特有のものが保存されてきた」という面もあり、近世以降のインド経済で現在に至るまで、重要な役割を担ってきたマールワーリー商人たちの主要な故地であるにもかかわらず、このような状況であるがゆえに、「すっかり見捨てられてしまった過去の繁栄の地」という印象も受ける。このシェーカーワティー地方については、私がずいぶん前にこのブログに掲載した記事があるのでご参照願いたい。

シェーカーワティーに行こう1 華麗な屋敷町

長距離バスに乗るときにしばしば思う。同じ街の始発点から乗車すれば座席を確保できるにもかかわらず、なぜそこまで行くことなく、途中の路上から乗車しようという人が多いのかと。自宅がよほどそこから遠かったり、荷物が多いので市内移動さえも困難というケースを除けば、そのわずかな労と時間を惜しまなければ、車内に入り切れずに次のバスを待たなくてはならないとか、何とか乗り込んだものの、物凄い混雑でにっちもさっちもいかない状況は回避できたりするのだが。とりわけバスターミナルを出て、わずか500mなり1kmなりの地点でバスを待ち構えてドカドカと乗車してくる人々を見るとそのように感じる。

私が利用したバスもそんな具合であった。始発のISBTを出るあたりでは、乗客の誰もが着席している状態であったが、バスターミナル近くやデリー市内の経由地でバスが客集めしているうちに、出入口のドアから乗客があふれて、しがみつく状態となる。

バスは、デリー首都圏を出てから、しばらくの間はハリヤーナー州内を進んでいく。人口稠密で、クルマの多い地域なので、工事中の場所やトールゲート手前などで、ひどい渋滞となる地点がいくつもある。ハリヤーナー州といっても、デリーと較べるとかなり田舎であったり、貧し気であったりする地域も少なくないようだ。バスはやがてレーワーリーという街に到着。ここは交通の要衝となっており、ラージャスターン州やUP州の各方面への乗り換えのために降りていく人たちは少なくない。

だが、こちらとしては「まだレーワーリーか!」と大変ガッカリしたりする。デリー近郊のグルガオンからパタウディーを経て少々進んだあたりに過ぎないからだ。

車内が一時空いたと思いきや、ここからまた大勢乗り込んでくるので、さきほどまでと変わらない満杯状態となる。

やがてバスはラージャスターン州に入った。スマホが機能していれば、どのあたりを走っているのかわかるのだが、まだアクティベートされていないため、少し大きな町に差し掛かったときに地名を確認してguidebookの地図を見る。それでどのあたりまで来ているかわかる。すでに午後4時になっているが、先はまだまだ長い。車内でよく人々が電話しているが、それがなにやら羨ましく思える。やはり今の時代、旅行中でも携帯がないと不便に感じてしまう。

シーズンではないので大丈夫かとは思うが、予定地到着が遅い時間になることがわかっている場合、やはり前もって宿に電話して空きを確認できると安心だ。とりわけ「ここに宿泊したい」というところがある場合には。
ガタガタと走るバスの車窓から外を眺めていると、やがて陽は西に大きく傾き、大きな大地を朱に染めていく。こうした時間帯のインドはとりわけ美しいと思う。

いつしかシェーカーワティー地域に入っているようで、この地域特有の2本ないしは4本のミナレット状の塔がある井戸がしばしばみられるようになってきた。私の近くに座っている青年はバンガロールから36時間かけて鉄道でやってきたというITエンジニア。ジュンジュヌーの近郊に実家があるとのことだが、家族や友人たちに幾度も携帯電話から連絡しては、通過している場所を伝えている。バイクで誰かが迎えに来てくれることになっているとのこと。久しぶりの帰省で大変嬉しいことは満面の笑みからもよくわかる。

すでに陽はとっぷりと暮れてしまった。午後7時近くになったあたりで、ようやくジュンジュヌーのバススタンドに到着。下車してから今度はマンダ‐ワー行きのバスを探す。バスのチケットカウンターで、地元の学校で英語の教員をしている人と出会った。この人は実におしゃべりで、英語教員だけあって大変に流暢な英語を話す。インドで起業しているというネパール人にも会った。生まれもインドだそうだが、父母の祖国ネパールでの不安定な様子がいつも気がかりとのこと。

ジュンジュヌーから1時間ほどでマンダーワーのバススタンドに到着。商店がいくつか並ぶ一角スバーシュ・チャンドラ・ボースの胸像があるところが「バススタンド」ということになっている。

降りたところから宿が遠くて、途中の路地の暗がりに犬がいたりすると嫌だなと思ったが、ここからすぐ近くに目的の宿があったので良かった。

この日の宿泊はHotel Madawa Haveli古いハヴェーリーをホテルに転用したもので、部屋によって広さや形、装飾等は異なり、料金設定も違う。照明が暗いのは難だが、きれいで快適な部屋だ。

マンダーワー行きバスに乗り換える前、ジュンジュヌーに到着する少し前あたりで、スマホにシグナルが入っていることを確認していた。宿の屋上で食事を注文してから早速ボーダフォンに電話してSIMをアクティベートする。しばらくすると開通した。これだけでずいぶん気分が違う。宿のWi-Fi頼みは心もとないが、ネットが常時接続、そして電話がいつでもかけられる、受けられるという安心感は実にいい・・・というより、今やどこにいても必須である。

〈続く〉

上海経由デリー行き2

インドまでの行きや帰りにかなり待ち時間が空くことになったりもするのだが、その
時間にちょっと街に出て散策してみたり、買い物や食事を楽しんでみたりするといいだろ
う。渋滞等に影響されることのない地下鉄ネットワークが広がっており、表示も判りやすくしっかりしている。アライバルホールに面したところにある観光案内所でツーリストマップでももらっておけば、ガイドブックなど持っていなくても特に不便に感じることはないはずだ。

浦東空港までの地下鉄2号線の途中駅、南京東路駅から、租界時代に建てられた壮大な西洋式建築が建ち並ぶ外灘は近いので、時間さえ許せば途中で降りて見物してみるのもいいだろう。とても飛行機の乗り換えのために立ち寄っているとは思えない、ちょっと贅沢で充実した気分になるはずだ。

クラシックな雰囲気の外灘から黄浦江を挟んだ対岸のモダンな眺めが好対照で面白い。

南京東路駅(地下鉄2号線)を出たところ

外灘の風景

観光客用のバス

外灘の対岸にはこんな景色が。重厚な石造りの建物が並ぶ外灘とは好対照なモダンな眺め。

〈続く〉