ビカネール7 Royal Cenotaphs

बीकानेर राज परिवार का विश्राम-स्थल つまりResting Place of Bikaner’s Royal Family

ホテルになっている宮殿の前をぶらりと歩いてから、オートに乗ってRoyal cenotaphsに行く。Sagar Chhatriという名前で知られている。ここはビカネールの王家の人々の火葬場であり、歴代の主要な人々を記念するチャトリが沢山建ててある。ヒンドゥーは通常、墓は作らないため、ここは亡骸や遺灰は格納されていないものの、事実上の墓所のようなものであるともいえる。

天井に描かれた模様も見応えがある。









当然のことながら、藩王国の当主であった人物やその正妻の記念碑はどれも大きく、それ以外のものとは規模が著しく異なる。また若くして亡くなった王女の記念碑はそれらに較べて気の毒なほど小さかったりする。男性のチャトリの内部中央には石碑が立てられており、女性の場合はこれが地面と平行に埋め込んである。
1972年生まれで2000年に28歳で亡くなったディクシャー・クマーリーという王女のチャトリ

また時代が下ってからのものには、大理石ではなくコンクリート造りのものもあるなど、時代とともに変遷していく様子がうかがえるのも興味深い。
こちらはコンクリート造り

2009年に亡くなった人物のチャトリもあり、今後も王族の直系の人たちについてはこのような措置がなされていくのだろう。
だが歴代の王は、インド独立前には複数の妻があり、中には19人も抱えていた王もあったが、側室は対象外であるらしい。

〈続く〉

ビカネール6 Lalgarh Palace

LALGARH PALACEを訪れる。宮殿なのになぜかガイドブックに掲載されていないと不思議であったが、その理由は着いてみて理解できた。現在、ホテルになっているのである。

ラールガル・パレスはホテルになっている。






それでも博物館が併設されており、小さいながらも写真等がなかなか見応えがあった。ビカネール流派の細密画も展示されていて、その解説も良かった。最初はムガルの影響で導入されたそうだが、やがてムガルが凋落していくことから、技術を習得する対象ではなくなり、独自の技法が発達することになったわけだが、具体的な違いについても例示を挙げて解説してある。

また、アウラングゼーブがラージャスターンの王たちのイスラームへの改宗をもくろんでいたこと、彼によるアフガン方面の出征に他の王国の王たちと参戦したビカネールの王はその策略に気が付き、ヒンドゥーは外地にいかないことをタテマエに船を破壊したという故事。ここではビカネールの王がそれをリードしたとある。

また第一次世界大戦に、ビカネール藩王国も参戦したとは知らなかった。スエズの防衛のためにラクダ部隊を送ったとのことで、船からクレーンで降ろされるラクダの姿やこの部隊を率いた王族のことも紹介されている。

ここはホテルとともに今もラージャーの家族の所有。Princess Rajyashree Kumariという王女、もうかなり年配の人物だが、このパレスのことについて書いた本、ビカネールの歴代の王について著した本などがある。これは広く市販されているものらしい。博物館では王たちの偉業を伝える内容に終始しているが、これが政府の所有であったならばもっとニュートラルな内容になっていたことだろう。博物館内には王家が利用した鉄道専用車両も展示されている。

〈続く〉

ビカネール5 近郊の町デーシュノークのネズミ寺

昨日の夕食の際もそうであったが、Hotel Jaswant Bhawanの宿泊者たちは母屋にて食べることになっている。オーナー家族の生活空間なので、ホームステイ風でいい感じ。朝食で同席となったのはアメリカ人カップルとフランス人カップル。食事の際に話し相手がいると大変うれしい。しばらく楽しい会話を楽しんでから、ビカネールから30kmほど離れたデーシュノークという町にあるカルニー・マーター寺院へ向かう。バスで1時間程度の道のりだ。

カルニーは14世紀に実在した人物であるといい、後にドゥルガー女神の化身であるとして神格化された。主要な神格と結び付けたローカルな神格を目にすることは珍しくないため、インド全国規模で眺めると、まさに「やおよろずの神」状態となる。

さて、カルニーは、息子のラカンが溺死したことを受け入れられず、彼をこの世に生き返らせることに成功。以降、この一族は亡くなるとネズミに生まれ変わり、永遠の生命を享受するとされる。現在もこの寺院が位置するデーシュノークの町には、カルニーの子孫を自称する人たちが少なからず暮らしているとのことだ。

寺院の入口の上にはシヴァのシンボルである三又の槍、そして周囲をムガル城壁風の壁で囲んで、白亜の門がある奇妙な寺院だ。何かの通過儀礼で参拝に来たらしい着飾った子供たちがいた。



堂内に参拝する人たちの行列

境内に入るとバジャンの演奏が奉納されている。和やかな雰囲気だ。小さな窓の前に人々が集まっているので何かと思えば、そこにネズミたちか沢山。足元には水たまりがあり、おそらくそこにはネズミの糞尿がたまっているに違いない。これは気持ち悪い。

境内でバジャンの演奏



お堂に参拝してみたが、どこもかしこもネズミたちがたくさん。あちこちに配置されていたり、参拝客が与えたりする餌をモグモグと食べ続けている。生まれたときからこのように大切にされているため、目の前まで近づいてもまったく逃げることはない。ネズミらしくないとてもくつろいだムードである。

フワフワした姿は見た目可愛いのだが、ネズミの糞尿が散らばっているであるはずのお寺の床を裸足で歩くのはあまり気持ちが良いものではない。かなりユニークなお寺であるが、聖性と衛生の観念は異なるので、ビカネールに戻ってから、食事前には手を入念に洗おうと思う。

寺院前にいくつかある売店では、この寺のシンボルでもあるネズミのマスコットが売られていた。

ネズミにちなんでドラえもんなのか?

ネズミのぬいぐるみもある。

バスでビカネールに戻る。帰りは少し早くて40分程度で到着。こうした移動でもそうだが、かつては州公社によるバスがほとんどであったものの、今ではプライベートのバスが非常に多い。どちらが良いかについては何とも言えないが、州営のほうがまだ良かった部分もある。満員になるまで発車しないということはなく、ダイヤに従って運行していた。

路線を民営化することにより、とりわけ採算路線では便数が増えるのではないかという仮説もなりたつ。いっぽうでそうではない地域では反対の流れになるということも言える。

バスの民営化は、どのような観点からどういう路線を民営化していったのだろうか。これもまた興味深い研究対象となり得る。また州による政策の違い(州によって右から左まで、様々な政権がある)や地域的な特異性(山岳地等)といった部分も合わせると、インドのバス事業民営化について書かれた本があるならば、ぜひ読んでみたい。

〈続く〉

ビカネール4 Junagarh Palace

同じオートでビカネール市内に戻り、ジュナーガル宮殿を訪れる。ラージャスターン州各地でそうだが、最近は訪問者たちをまとめてガイドツアーをするようなところが増えているが、ここもまた同様。そのぶんキレイに展示されているし、落書きなど悪質ないたずらをするようなケースも少なくなっているはずだ。良い状態で見学できるし、いろいろ質問も出来るため、こういう措置は賛成したい。














その後、併設されている博物館を見物してから、市内を散策。裁判所、その他の役所などが藩王国時代の勇壮な建物を利用しており、いかにも旧藩王国の都といった面影があって良い。シュリー・ガンガー・シアターという、今はどうやら閉鎖されているらしい映画館が裁判所のすぐ近くにあるのだが、これもまたラージプート建築で見事だ。ラージャスターンの他の主要な街に較べると、交通量は多くなく、歩きやすいのもありがたい。

〈続く〉

ビカネール2 旧藩営鉄道

宿から見て、鉄道駅がすぐ裏手なので、列車の汽笛がよく聞こえてきて風情がある。英領期には旧藩王国でも藩王国立の鉄道が敷設されたりなどしていた。開明的な君主が先端技術を導入したということもあろうが、これらの路線がイギリス当局により、藩王国の大きな負担により建設させたという部分も多いにあると思う。

こうした鉄道の多くはメーターゲージであり、各地にあった鉄道会社が独立後に統合されてインド国鉄となった後、ブロードゲージの幹線と軌道幅の相違から直接乗り入れできない不便を長いこと甘受してきたわけだが、同時に着々と全国路線のブロードゲージ化の事業は進行していき、近年はほぼ完成したといえる。ジャイサルメール、ビカネール、シェーカーワティーなどにもデリーからブロードゲージの直通列車が走るようになっている。シェーカーワティー地域においては、デリーからメーターゲージでジュンジュヌー経由でジャイプルに走っていたものだが、この路線も近年ブロードゲージ化された。ジュンジュヌーはまだメーターゲージのため、路線から外れることとなり、各駅停車の路線のみが残っている。

統合といえば国鉄だけではない。藩王国が割拠し、イギリスが間接統治を行なった旧ラージプータナ地域だが、インド独立後は行政組織も新生のインド共和国と統合させられることになったことから、旧藩王国により役人たちの明暗は分かれたのではないだろうか。有力な旧藩の役人たちはどんどん上のポストを占領して、そのラインで人事が進んでいく、あるいは冷や飯を食わされることになった旧藩の役人たちは不満たらたら・・・。そんな今の会社社会でもよくある悲喜こもごもが、ここでも展開されていったりしたのではなかろうか、と想像している。

〈続く〉