インドとミャンマーの国境交流本格化へ

もう2か月近く前のことになるが、こんな記事を目にした。

Cabinet Nod for 69 Bridges in Myanmar Highway (Northeast Today)

ミャンマー西部の国道建設にかかる援助プロジェクトで、マニプル州からの越境地点となるモレー/タムー国境から東進するルートになる。これは同州の州都インパールからマンダレー間で計画されている直通バスが通るコースでもあり、旅客のみならず二国間の物流面でも期待されている。

このあたりは東南アジアと南アジアの境目であり、国境両側に様々な少数民族の豊かな生活文化が残されている地域でもあり、単なる通過点としてだけではなく、観光面からも期待されるものは決して少なくないことだろう。

とりわけインドでは、近年になってから中央政府・北東各州政府ともに北東地域のツーリズム振興のために様々なキャンペーンを張っているものの、なかなかその効果は出ていないようだ。

ひとつは、州によってはまだ治安情勢に不穏なものがあり、マニプル州もそうしたカテゴリーに含まれること、そして大きな遺跡や見栄えのする名所旧跡が数多く存在するわけではなく、どちらかといえば、地域の生活文化そのものが魅力という地味な地域であることがその主な理由であろう。

さらには、ここを訪れてからどうするのかといえば、グワーハーティー、コールカーター等の大都市まで引き返してから、インド国内の他のところに向かう、あるいは周辺国に向かうということになる「地の果ての行き止まり」であったため、なおさらのこと、観光客が足を向けにくかったということがある。

そんな状況もインパールからミャンマーのマンダレーへの直行バスが運行されるようになり、私たち外国人もそれを利用できるようになれば、ずいぶん違った具合になってくることと思われる。

「ヤンゴンから入り、ミャンマー西部を訪れてから、インド北東州をあちこち見学、そしてコールカーターから帰国」といったルートがポピュラーになる日もそう遠くはないのかもしれない。

クシーナガル滞在2

サモーサーを片手に散歩を開始

クシーナガル到着の翌朝、最初にマハーパリニルヴァーナ寺院へ。仏陀入滅の地として知られるきれいに整備された遺跡だ。中央にはお堂があり、5世紀の作と言われる涅槃仏が置かれている。私が訪れた時には、タイの仏教徒集団が僧侶に率いられてタイ語で読経。同じく堂内にはミャンマーの一団もあった。こうした中で私もお堂の中に腰を下ろしてしばし瞑想してみる。

ここでもやはり、いくつものブータン人のグループが来ていた。本日出会ったこうした団体は年配者が多く、引率しているお坊さんによると、帰る日はまだ決めていないとのこと。すでに引退している年齢のようなので、時間はたっぷりあるのだろう。こうした年配者でもけっこうヒンディーが出来るのは、いかにもブータン人らしいところだ。

ブータンからのご一行。グループには他に十数名の方々があった。

ここからさらに進むと道路が左側に折れている。ちょうどその折れるところにマーター・クンアル寺院という遺跡がある。ここは、ブッダが亡くなる前に最後の説法をしたところであるとされる。

マーター・クンアル寺院

ここから向こうにはチベット寺、インド・スリランカ寺、韓国寺などがある。大韓寺という韓国寺には質実剛健そうな僧侶がいたが、なんとひとりで頑張っているとのこと。ここに来て2年だそうだ。これらの寺については、正直なところボドガヤーにははるか及ばないし、ルンビニーと比較してもかなり見劣りがする。

チベット寺

韓国寺

さらに進んでいくとタイ寺がある。敷地がとこりわけ広く、建物も立派だ。ここにも宿坊があるのだが、タイ人しか泊めないらしい。それは残念。とても快適そうであるのだが。

タイ寺

このタイ寺の正面にも同様にタイ様式の建物があるが、それはクリニックであった。各国の寺は社会事業にも熱心なようだが、タイ寺はこのクリニック、そして私が宿泊しているベトナムの寺はタイのクリニックの少し先で、学校を運営している。

タイ寺が運営するクリニック

ベトナム寺が運営する学校

もっと先に進んでいこう。右手にインペリアルホテルという高級ホテルがあり、立ち寄ってみる。昼にはバイキングがあるとのこと。600Rsだそうだ。

さらに行くと右手に仏塔が見えたので集落の中に入っていくと入口があったが、忙しいのかお勤めの最終なのか、閉ざされたゲートには誰も出てこなかった。チベット仏教系の寺院ではあるようだ。仏跡では往々にしていくつものチベット仏教のお寺がある。インドで根を下ろして活動している様々な宗派が競うようにして、こうした場所にお寺を開のであろう。

最後にラーマーバール・ストゥーパを訪れた。ここは仏陀が荼毘に付されたとされるところである。今回はいくつかの仏蹟を回ったが、昔はこうしたところに興味がなかったものの、今になってから来ると、なかなか味わいがあっていいのものだ。

仏陀が荼毘に付されたとされる場所

サトウキビジュース屋さんは子供たちの人気者

第3回アフガニスタン凧揚げ大会

アフガニスタン大使館主催の凧揚げ大会というのがあるのだそうだ。2014年から開催されており、今年で3回目とのこと。
日時は2月28日(日)の午前10時から午後1時まで、場所は東急多摩川線の下丸子駅近くの多摩川河川敷。
インド、パキスタン、バングラデシュなど南アジアの国々ではポピュラーな凧揚げだが、アフガニスタンでもまた同様に伝統的に人気がある。
同国では、ターリバーン時代には禁じられていたようだが、その後また人々の間で親しまれているらしい。
さて、この催しではアフガニスタン式の凧と和式の凧が用意されると告知されている。会場に出向いて凧揚げを楽しんでみたり、そこに集っている在日アフガニスタンの方々とおしゃべりに興じたりしてみると、素敵な休日となることだろう。

第3回アフガニスタン凧揚げ大会 (在日アフガニスタン大使館)

※「クシーナガル滞在2」は、後日掲載します。

ルンビニー滞在2

ルンビニーで数多い各国の仏教寺院の中で、とりわけ気入ったものがみっつある。まずは大きな中華寺。私が入るときに、大きな荷物をゴロゴロさせて出てくる若い旅行者がいた。おそらく中国人だろう。こ本堂に向かって右手に宿坊を含むと思われる事務棟らしき建物がある。とてもきれいで、空調の室外機がいくつも見えるため、真夏でも快適に過ごせるにことと思う。

最近の中国の勢いを示しているかのようであるとともに、中国にとってもこの国で中国の威光を見せつけるために、資金をふんだんに注いでいるのではなかろうか。ここで、中国の宗教団体が政府の意図とは無関係に行動しているとは思えないので、多分に政府の息がかかり、意図に従う組織ではないかとも思ったりする。それにしてもこの中国寺院は飛び抜けて美しく豪華だ。

大乗仏教で、日本に近いところから来たものなので、やはり私たちに馴染みの深い雰囲気がある。お堂に置かれた木魚も日本のそれとそっくりだ。僧侶に尋ねてみると中国の深圳から来ているとのこと。僧侶は8名いるそうだ。この方といろいろ話をしてみたかったのだが、英語もヒンディーも理解せず、私の片言の中国語ではせいぜいこのくらいが限界であり、ちょっと残念

大人に引率された袈裟を来た僧籍の子供たちの集団がどやどやと入ってくる。聞けば、ムスタンから来たとのこと。スマホやタブレットを手にした年かさの者もあり、盛んに写真を撮っている。ちょっと質問すると複数の子たちから元気な返事が返ってくる。ムスタンの人と声交わすのは、今回のボドガヤー以来、私にとって2回目だ。よく知らないが案外社交的な気質なのかもしれない。

ムスタンから来た少年僧たちの集団
ムスタンのやんちゃな小坊主たち

もうひとつは、Gedan Internationalという、欧州で活動するチベット仏教団体が建てたもの。スイス、オーストリア、ドイツ、オランダ、フランス、ハンガリー、チェコ等で活動しているらしい。近年、欧州ではチベット経由の仏教徒となる人が少なくないようだが、その背景にはこのように欧州で活動する教団が増えていることがある。

アメリカでもかつては禅が東洋の仏教の代表格であったが、今はチベット仏教のプレゼンスが高まっているという。ダライラマが長年続けてきた積極的な外遊により、チベットへの関心が高まったことがあると言えるだろう。
さてこの寺だが、建物が「蔵欧折衷」になっている。「グレコ・チベット建築」とでも形容できるような、不思議なものだ。僧坊も洋館になっているし、ご本尊にあたるところに通常の仏像があるのではなく、まさにキリストの降誕の図を仏教に置き換えた形で、ブッダ誕生のそれをフィギュアで表現したものが祭られている。

こんな風変りなチベット寺院はこれまで見たことがなかった。敷地内にふたつの大きなチョルテンがあることを除けば、少なくとも外観からはこれがチベット仏教寺院とは気が付かないだろう。

ゴータマ・シッダールタ誕生の図。クリスチャンの「キリスト生誕」と似た構図になっている。

そして最後は、ベトナム寺院を訪問。中国風にひねりをふたつもみっつも加えたような意匠が面白い。中国寺院に曲線を多用したような、独自の味わいは、まさにベトナムらしいところだ。家具などでもそういう部分がある。そしてこういう伝統的なものでは漢字が多用されるのも特徴。実際に読むことができる人はほとんどいなくても、元々は漢字の国であるだけに、伝統として大切にしているのだろう。境内にしつらえてある庭園の橋もまた、ずいぶん曲線的に盛り上がるベトナム式のもので、これまた目を楽しませてくれる。

ルンビニー滞在1

ルンビニーで宿に荷物を置いてから、最初に向かったのは敷地内のチベット仏教寺院、そしてその裏手にあるマーヤーデーヴィ―寺院。ここは寺院というよりも、釈尊が生まれた場所の遺構が保存されているところで、こうしたいい状態でちゃんと残っているというのは感動的でさえある。これは、マーヤーデーヴィー寺院の白い壁の建物の中に保存されており、風雨で劣化しないようになっている。

マーヤーデーヴィー寺院

遺構もきちんと管理されている。

日本、中国、東南アジア他の仏教国の古刹、名刹はもとより、文化や伝統、価値観や行動様式など、仏教が発生していなかったら、現在とまったく異なるものとなっていたわけで、まさにここからそれが始まったということになる。実にありがたいものだ。

世界遺産登録されている遺跡であるが、ここでは2013年には紀元前6世紀のものとみられる建築物の遺構が見つかっており、誕生した時期に様々な説がある釈尊だが、その生誕年について、より古いものであるとする説に有力な手掛かりを与えることになる可能性がある。

釈迦の生誕年が早まる可能性も、ネパールの遺跡で新発見(AFP)
http://www.afpbb.com/articles/-/3003957

マーヤーデーヴィー寺院の裏手には、沐浴池とタルチョが沢山はためく木があり、思索にふけるにちょうど良い空間を提供している。池のほとりで、タイの僧侶と信徒たちが読経を上げていたが、同じく巡礼で訪れていたブータン人団体の男性が、何を思ったのかお経を唱える彼らに、うやうやしくお布施を渡していた。

読経するタイの人たちにお布施を渡すブータン人。でもなぜ??

遺跡公園自体はまだ完成しているわけではないようだが、それでもずいぶん大掛かりで立派なものを作ったものだ。2008年だかにネパール訪問した際、中国が大掛かりな整備に乗り出すという記事を読んだことがあるが、これがそうなのだろうか。まさに中国さまさまである。

ただしいけないのは、自転車で回らないとあまりに広大すぎて大変なのだが、マーヤーデーヴィー寺院がある側から長い通路を渡って、各国の寺院が建ち並ぶエリアへの移動は、徒歩のみで可能であること。自転車の場合は一度敷地の外に出て、別のゲートから入りなおす必要があることだ。まだすっかり完成したわけではないので、今後このあたりは改善されていくことだろう。

天上天下唯我独尊

日本人観光客も多いことと思うが、ボードガヤーと違って日本語が上手な怪しい奴がつきまとうようなことはなく、実に快適に周遊することができる。

各国から出ている寺院見学するのもなかなかいい。ボードガヤーで感じたように、これらはそれぞれ自国の様式を模倣したインド建材によるものでしかないのだが、それでもこうした形でいろいろ工夫して寺院が出されているということは興味深いものである。

広大な敷地内に、韓国寺院、スリランカ寺院、ミャンマー寺院、ネパール寺院、様々な宗派等のチベット仏教寺院その他が点在しているが、とりわけタイ寺院の洒落たデザインと美しい祭壇が目に鮮やかだ。

韓国寺院
ミャンマー寺院
ネパール寺院
チベット仏教系の寺院はかなり多い
これもチベット仏教系の寺院
チベット仏教系寺院のマニ車
タイ寺院
タイ寺院の堂内

遺跡公園の最も北にある日本山妙法寺の仏塔とお堂。藤井日達という僧侶が始めた教団で、ストイックさで知られるが、日本ではあまりその名を耳にすることはない。やはり海外での存在感は実に大きく、建立する建物も壮大だ。基本的に活動先の国での「独立採算」でやっていると聞くので、僧侶たちは厳格な修行者であるとともに、大変優れた経営者であるという話も耳にする。現地政財界とのパイプも太いというが、いったいどうやって集金調達をしているのか、いつも不思議に思う。

日本山妙法寺の仏塔

ここからは湿原の景色が眺められる。仏塔の上から眺めるとさらに良い。「周囲は鶴の保護区となっており、これらを無料で見ることができる」とガイドブックに書かれているが。ちょうどシーズンであるはずだが。私は視力が悪いためよく見えなかった。

日本山妙法寺のお堂も拝見する。ボードガヤーのそれと違って、こちらはこじんまりしているが、やはり日本の教団のお寺らしく、ずいぶんキレイにしてあるものだ。勤行の時間帯も書かれており、誰でも歓迎とある。

日本山妙法寺のお堂

遺跡公園敷地内にはまだ森林が残っている。かつてタライ地域は深い森に包まれており、北インドから人々が大量に移住したことにより、広大な耕作地に変貌したというが、その森林であったころにはこんな風景が続いていたのではないか?と思ったりする。しかしこういう場所なので、冬で気温が低いのに、蚊が非常に多い。アッサムもそうであった。これが気温の高い時期であれば、蚊の大群に大変悩まされることだろう。

かつてのタライ地域はこんな森が果てしなく続いていたのだろうか。

この日の「愛車」
自転車で走り回っての疲れは、Red Bullで癒す。かつてはタイの肉体労働者の「リポビタ」、いまや国際的なエナジードリンクのブランド
遺跡公園の外にあるが大掛かりな工事が進行中。日本の神社の鳥居みたいな形だが、周囲に尋ねる相手がいなかったため正体不明・・・