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カテゴリー: greater india

  • カラーチーのタミル人コミュニティ

    カラーチーのタミル人コミュニティ

    パキスタンのスィンド州カラーチー市南部にあるジンナー病院裏手に暮らしているというタミル系のおぱあさんへのウルドゥー語によるインダビュー動画。印パ分離前に父母がマドラス近くのアガラムという村から来たとのと。もともと農民の出身だそうだ。「アガラム」については、ググッてみると、チェンナイの西側に出てくる。今はチェンナイメトロの路線が近くを通っているため、チェンナイの郊外といった具合なのだろう。彼女自身はカラーチーで生まれたという。

    彼女は自身のムルガン信仰について、そして現在はコロナで支障が出ているがと前置きしたうえでの祭事について、信仰と食生活の関係などを話している。このあたりにはタミル系の90家族が暮らしており、その他「裏手には25家族か30家族くらいいる」とのこと。クリフトン・ビーチとチンナー・クリークと呼ばれる入江の間に半島状に伸びた陸地にジンナー病院が立地しているため、おそらく「裏手」というのは入江の北側で大きな市街地になっている部分のことを言っているのだろう。

    パキスタンに暮らしていて特に困ることなどないという。決まったコミュニティ内で見知った人たちとの間で暮らしていること、インドでの居住経験はない(幼い頃に両親とともにアガラム村を訪問したことはあるとのこと)ため、比較のしようはないはずとはいえ、どこの世間でもそんなものだろう。タミル人だから、ヒンドゥーだから、ここではああ不便!などということはあまりないはず。とりとめのない雑談ではあるものの、こうしてよく喋る人はインド・パキスタンには多い。

    インタビューの最後に出てくるヒンドゥーの男性は、おばあさんのいつもの参拝先繋がりの人で、息子さんの友人でもあるそうだが、この人もタミル系なのかどうかは言及されておらず、なぜここに出ているのかよくわからないが、たぶん「俺も写して」とかなんとかでしゃしゃり出て来たのだろう。インド・パキスタンではこういう人はよくいる。

    Tamil Community in Pakistan | Pakistani Tamilian in Karachi | Little Tamil Nadu in Pakistan (Youtube)

  • No Football, No Life

    第二次ターリバーン政権樹立後、2010年にスタートしたアフガニスタンのフットボールのトップリーグ「アフガン・プレミア・リーグ」はどうなったのかと思っていたが、やはり同政権誕生以降は実施されていないらしい。そこでプレーしていた選手たちはインドやキルギスなどのクラブに移って活動しているとのこと。

    この「プレミア・リーグ」では、選手たちへの報酬は出来高の日払いという、ちょっとビックリなもので、観客席はちょうど競馬場のような感じだったらしい。大半は賭けが目的で来ていたらしい。そんな具合なので、おそらくだが、「マッチ・フィックシング」も横行していたものと想像される。

    まぁ、それでもスポーツに人々が熱狂できるのは平和と安定あってこそのもの。ターリバーン政権下で経済的には大変でも、とりあえずの平和と安定はあるのかもしれないが、音楽などともにスポーツのような娯楽を認めないため、世界的なスポーツなのに、その国のトップリーグが消滅(ということはその下のリーグもだろう)という事態。「あれ?でも今でもアフガニスタン代表って活動しているよね?」と思われるかもしれないが、みんな国外在住選手たちとのこと。

    No Football, No Life。ここには人生なんてものは、もうないのだなぁと感じる。

    ‘No domestic league, no women’s football, Afghanistan’s future is uncertain’, says men’s coach Anoush Dastgir (Firstpost)

  • 強力なシールドが消えた 

    80年代末から90年代にかけての弾圧の時代にもスーチーが投獄されることはなかったと記憶している。

    彼女の父親、暗殺されたアウンサン将軍の同僚であったり、部下であったりした世代の人たちが軍幹部だった頃なので、アウンサンへの敬意や恩義、幼い頃からよく知っていたアウンサンスーチーを可愛がっていたなど親近感などもあったのかもしれない。また彼女の母親は駐インド大使などを務めていたこともあり、もともと政府幹部に近い距離にあったことも背景にあったのではないかとも想像する。

    もちろんその頃、ビルマのお札にはすべてアウンサン将軍の肖像が描かれるなど、国民的な英雄であり、その愛娘であった彼女への扱いは慎重であったのは当然のことでもあったのだろう。

    1988年8月8日に同国の国民が一斉に政府に民主化を求める抗議活動に立ち上がったとき、英国で結婚生活を送っていたアウンサンスーチーが体調の悪い老いた母親の介護のため帰国していたまさにそのとき、1988年8月8日にビルマの国民たちが政府に民主化を求める抗議活動のため、一斉に立ち上がったことを受け、同国の独立の父であるアウンサン将軍に関する研究生活(父親のことを学術的に研究するという人も稀だが)を送ったことがある彼女にとって、父の遺志を継ぐことは当然の義務であったのかもしれない。

    その行動は1990年の総選挙という形で結実したわけだが、アウンサンスーチー率いるNLDは大勝したにもかかわらず、当時の軍政は政権を明け渡さないどころか、NLD幹部を次々に拘束し、アウンサンスーチーはインレー湖近くの自宅に軟禁されることとなった。

    そんな最中に高名なチベット学者でもあった英国人の夫が重病で余命いくばくとなり、軍政は彼女にしきりに帰国を勧めていたが、無理矢理連行して国外追放するような手荒な真似はしていない。もちろんひとたび故郷を後にすると、二度と戻ってくることができないことを知っていた彼女は耳を貸さなかった。

    民主化活動家やジャーナリストたちはいとも簡単に殺害されたり蒸発したりしているのに、アウンサンスーチーだけは、まるで目に見えない強力なシールドで守られていて、悪人たちは決して指一本触れることすら出来ないようで、常々不思議に思っていたのは私だけではないだろう。

    民主化運動後、お札からはアウンサン将軍の肖像は消え、政権の意向もあり国のアイコンとしてのアウンサン将軍の描写は次第にフェードアウトしていくことになったようだが、今はすでに彼女自身が父親を超えるスケールのアイコンとなった。

    そんなアウンサンスーチーを投獄した今の軍政幹部たちだが、もはや世代交代を重ねて、アウンサン将軍のことは書物で読んだり話に聞いたりして知っていても、本人と直接の面識のある人はいない。今回彼女を刑務所に送るということの背景には、彼女やその父親へのそういう距離感もあるのかもしれない。親子と個人的な付き合いはなく、アウンサン将軍への絶対的な敬意というものも、民主化運動開始以後の軍政による、英雄アウンサン将軍のレガシーに距離を置いたことなどから、軍政側には彼女に対する一定の敬意のようなものはすでに無いのだろうか。

    アウンサンスーチーはすでに77歳。ただでさえ残された時間はとても短いのに、現在までのところ11年の禁固刑が確定しており、これまで起訴されている件ですべて有罪ということになれば、刑期は150年を超える可能性がある、とリンク先記事は指摘している。

    ミャンマー国軍、スーチー氏を刑務所に収監 (産経新聞)

  • ジョージアのタンドゥール

    ジョージアのタンドゥール

    ジョージアに滞在中の方のFB上で幾度もタンドゥールやそれで焼かれたパンの類の写真を見かけた。ググッてみると、やはりジョージアでは伝統的にこうした窯の利用が多いらしい。なんとなく欧州文化圏のような気がしていたが、同時に中央アジアとも接している地域でもある。文化圏を信仰面のみで区別することはナンセンスだということを感じる。

    生活文化に信仰が与える影響には、食のタブーであったり、祝祭等の内容やサイクルであったり、通過儀礼等々があったりするが、信仰を同じくする国々などへの心理的距離の近さ、それとは裏返しに信仰が異なる場合の距離感の遠さなどいろいろあるかもしれないが、それ以外の自然環境であったり、それぞれの信仰が浸透する前から地域で引き継がれている伝統であったり、信仰や人種を超えて地域で共有してきた文化や習慣といったものの深みは当然あるはず。

    タンドゥールが伝播した北限がどこなのかは知らないが、ジョージアのような「タンドゥール文化圏」の北周縁部の人たちが、その文化圏の南端とも言えるインドのパンジャーブ地方を訪れたならば、自分たちのものとは少し異なるけれども似たような用途で用いられるその土窯を見て、多少のエキゾ感はあっても、懐かしい思いにかられるのではないかと思う。その意味では正教徒である彼らが自国の食文化の延長線上にあるものをペーシャーワルであったり、オールドデリーであったりといったイスラーム教徒の料理屋の店先で目にすることになる。

    同時にタンドゥール文化圏外、例えばタミルナードゥ州の人たちがジョージアを訪問することがあったら、自分が暮らすバンガロールやマイソールなりの街で見かけるムグライやパンジャーブ料理店などで目にするタンドゥールと同じようなものがあり、ジョージアでもイスラーム文化圏起源であると思われるタイプのパンが焼かれているのを見て、母国インドが中央アジアを経て、このジョージアにまで食文化でゆるく繋がっている部分があることを感じ、主に米食の自分たちにとってアウェイ感のある北西インドのイスラーム系料理に対して、ますますの距離間を感じてしまうなどということもあるのかもしれない。

    人間が政治的な意図で引いた国境、民族や宗教を背景にする文化圏、急峻な山岳その他厳しい地形等条件などによる地理的な障害など、世界を区分するボーダーというものは重層的に存在しているが、その中にはこうした食文化の繋がりないしは断絶をベースにした食をベースにしたボーダーラインのようなものも存在する。もちろんその境界とは目に見えてきっぱりと区分されているわけではなく、ゆるく重なり合っていたり、融合しあっていたりするものだ。

    それだけではない。ときにはスペイン系の食文化が大きく飛んでラテンアメリカにも広がっていたり、中国起源の麺料理の影響がイタリアに飛んでいたり、その他の中華料理の手法なども東南アジアで華人移民たちを通じて伝播していたりなど、いきなり飛び地が存在していることもあるなど、食文化というものは文化、民族や地域を越えて縦横にクロスオーバーすることもある非常にダイナミックなものである。

    He Dives Into Ovens to Bake Bread (Youtube)

  • ムンバイのヒンディー語映画「ANEK」にナガランド出身のヒロイン

    ムンバイのヒンディー語映画「ANEK」にナガランド出身のヒロイン

    ナガランド出身でムンバイで活動するモデル、アンドレア・ケヴィチュサー。15歳の頃から時折モデルの仕事などもしていたとのことだが、メガーラヤ州都シローンで高校を卒業した2019年、ムンバイに拠点を移して本格的にモデルの仕事に従事するようになった。そしてこのほど封切となった作品「ANEK」で映画デビューを果たした21歳。

    私たちと同じモンゴロイドでボリウッド映画に出演する人は皆無ではないものの、ハードルの高い世界。今後も役柄に恵まれて活躍する場を持てるとよいと思う。北東部出身の人たちへの差別感情の解消にも繋がることを期待したい。

    こちらは映画デビューに際しての本人、アンドレア・ケヴィチュサーさんへのインタビュー動画。日本でJRに乗っていたら誰も「インド人」とは思うはずもない「和風顔」である。

    Andrea Kevichusa on Anek: ‘A day will come when actors will get cast not for their ethnicity, but for their talent’ (Firstpost)

    NAGALAND MODEL ANDREA KEVICHUSA’S FEATURE MOVIE ‘ANEK’ RECEIVES POSITIVE RESPONSE (Youtube)

  • インドメディアにおけるパキスタン関係者の討論番組

    インドメディアにおけるパキスタン関係者の討論番組

    「AAJTAK」の討論番組から

    インドのニュースプログラムAAJTAKにおける討論番組。普段はインド国内の政局や隣国等との国際関係などを巡る議論が国内各界や関係者等を招いて行われる。近年はコロナ禍もあり、出演者をスタジオに集めてではなく、オンラインでの開催となっている。

    そうなってくると、ヒンディー語プログラムなので出演者はヒンディー語話者のみという縛りはあっても、もはや国境はあってないようなものなので、トピックによっては、ときにはインド国外からの参加者もあった。ウクライナ情勢を巡ってはアメリカの国務省のインド系職員の参加もあったりした。この日は混迷するパキスタン政局を巡っての議論で、パキスタンの現在の与党、パキスタン正義運動や野党のムスリムリーグなどの関係者を招聘しての開催だった。

    同時に複数の者が大声で発言を続け、司会者が割って入ってもなかなか収まらないことかしばしばあるのはインドもパキスタンも同じだが、途中、パキスタンの退役軍人でもある軍事専門家が、あまりに横柄な態度で司会者や他のパキスタンからの出演者に悪態をつくため、しびれを切らした司会者が厳しい言葉で退席を命じられ、この人物が画面から姿が消えるという、普段はまず見られないシーンまであったが、そこまでヒートアップするほど盛況であったとも言える。

    インドの討論番組で、インド人キャスターの司会のもと、パキスタンの人たち、つまり当局の関係者、軍事専門家、ジャーナリスト等々が議論を交わす。インド側のお膳立てで、パキスタン人関係者たちの喧々諤々の討論がインドのニュース番組上で進行し、それをインド人聴衆が観るというような企画をいつも簡単に実現できるようになった。ある意味、歴史的な出来事といっても良い。

    こうしたものは初めての試みというわけではなく、昨年夏にはターリバーンの手中に陥落したアフガニスタンに関して、インド及びパキスタン双方の与党関係者、外交や軍事の識者等を交えての討論会がこのAAJTAKで実施されていた。

    それはともかく、従前は隣国からのニュースをそのまま流用するか、あるいはインド側のジャーナリストや識者が論評する内容を伝えるのがパキスタンに関する報道のありかたてあったが、このような形での取り上げ方はとても新鮮だ。まさにコロナ禍のポジティブな面がこれで、たぶん数年程度ではなし得なかったことが、一気に進んだ感じだ。それを私のような第三国の野次馬が見物できるのだから、これまたありがたい。

    蛇足ながら、デーヴァナーガリー文字で書かれるヒンディー語とペルシャ文字で書かれるウルドゥー語は、まったく別の言葉だと思っている人もいるようだが、このようにヒンディー語のプログラムにウルドゥー語話者が母語で出演して、ヒンディー語による司会のもとで、ごく当たり前に討論を展開し、それをヒンディー語話者である視聴者がこれまた当たり前に聴くことが出来るというのが、ヒンディー語とウルドゥー語の関係性でもある。

  • カナダの客家印度中華料理屋

    カナダを訪問する機会があったらぜひ訪問してみたいと思うのが、カルカッタから移住した華人が経営する中華料理屋。

    カルカッタからカナダへの移住はルートが出来上がっているためたいへん多く、「華人流出」の主な行き先はカナダなのだ。その中でもトロントとその周辺が主流。ちょうどカルカッタ華人(客家人と広東人でほぼすべて)の先祖の大半が今の広東省の梅県が出自であるように、地縁血縁を頼って移住するケースが多いためらしい。

    そんなわけで、カナダ、とりわけトロント(やその周辺)に行くと、カルカッタの旧中華街や郊外のテーングラー地区で食べられるような「客家印度中華料理」や「広東印度中華料理」といったものにありつくことが出来るという。

    揚げ物や点心類を除けば、おかずものはグレイビーを含むアイテムが多い(カレー類のようにご飯にかけて食べるため)とか、インドアイテムもレパートリーに含まれるなどといった特徴がある。

    とはいえ、一般的なカナダ人は客家料理、広東料理の区別はつかない(日本人ですらよくわからない)だろうし、ましてやカナダ移住前に香港にいようが、インドにいようが、まったく関心はないはずなので、そうした背景は「知る人ぞ知る」違いでしかないのかもしれない。

    それでもこうしたインドからの華人移民たちは、親族や同郷の仲間たちと集まると、インドの映画音楽をかけて踊ったり、祝い事の際にはミターイーを配ったりという具合と聞くので、何か接触できる機会があると勉強になりそうだ。

    トロント近郊のヴォーン市にある「Royal Jade Restaurant」は、そうしたカルカッタ起源の華人たちが営むレストランのひとつ。今も親族が経営する店がカルカッタにあるという。どちらもぜひ味わってみたいものだ。

  • イスラーム化前のスィンド地域

    パーキスターンの英字紙DAWNのウェブ版に興味深い記事を見つけた。

    紀元7世紀から8世紀初頭にかけての同地域における仏教徒王朝内での宮中クーデターによるバラモンの大臣による全権掌握、そして西方からのイスラーム勢力の侵入による王朝の終焉までを簡潔にまとめたものである。

    HISTORY: SINDH BEFORE THE ARABS ARRIVED (DAWN)

    美しい王妃と夫である王の重臣との禁断の愛と彼らが示しあっての権力簒奪という映画さながらの展開。王となった父の跡を継いだ息子のモラルの反する行動による民心の離反、この頃勢力を伸長させていたイスラーム勢力による王国の陥落・・・。

    今となっては、その痕跡を見つけることすら容易ではないこの土地だが、かつては玄奘三蔵も訪問しており、無数の仏塔が建ち並ぶ国土であったという。

    アラビア地域に発したイスラーム教は、この時期まさに「イスラームの衝撃」とも言うべき、短期間で一気に不可逆的なブレイクアウトを起こした未曾有のムーヴメントであった。当時のスィンド州の人々は、まさにその現場を直に目撃し、体験していたわけである。

  • 「中国料理の世界史」という本

    「中国料理の世界史」という本

    こちらは面白い中国料理史本。シンガポール、マレーシアなどの「海南鶏飯」は、海南島出身の移民者が創始者と推定されるものの、中国の海南島には似たものはあるものの、ここで「海南鶏飯」と称されているのと同じものはないのだそうだ。

    また、マレー華人の朝の街角の国民食みたいになっている「肉骨茶(バクッテー)」は、どうやら1930年代に始まったらしいのだとか。伝統とは後に創作されるものであり、「名物」もまた後付けで由来が云々されていくことがよくわかる。

    世界の他の地域の華人料理についての記述はもちろん、本場中国での各地の料理が互いに共振しあって相互に影響を与えて形作られていく過程について描かれているのも興味深かった。やはりそこにはまとまった数での移住など、人的要因が大きく作用しているようだ。

    600ページ近いボリュームを持つ本書は、大変興味深く、世界に分布した中国料理や現地化したアイテムなどを考えるにあたり、とても示唆に富むものであるが、インドの中国料理に係る記述がわずか5ページしかないことだけは残念である。

    書名:中国料理の世界史

    著者:岩間一宏

    出版社:慶應義塾大学出版会

    ISBN-10 ‏ : ‎ 4766427645

    ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4766427646

  • 野犬さえいなければ

    野犬集団さえいなければ、インド・パキスタンの小路の散歩は楽しいのだが。

    この動画にはたまたま映り込んでいないが、かしこに「犬相のわるい」奴らがたむろしてるんはず。日中はまだいいのだが、日没後はかなり厄介。

    最近はカメラを持たずに「Huaweiライカ(笑)」で済ませているため、本当は要らないにもかかわらず、万一の犬対策としてコンパクトな一脚は持ち歩いている。

    こちらが棒状のものを手にしていると、「ソーシャルディスタンス」を取ったり、「見て見ぬフリ」をするのだから、野犬は実に卑劣な生き物だ。それでもたまに吠えかかってくるのはいるけど。私が犬嫌いなのも察知しいてるわけで。どうにも苦手なのは野犬である。

    Gali Surjan Singh in walled city of Lahore, January 2022 (facebook)

  • Googleマップは賢い

    Googleマップは賢い

    昔、各地の土地の名前や街なかの名前の正しい読みを確認したくて、デーヴァナガリー文字の地図を集めたことがあるが、今はスマホの言語設定を変更するだけで簡単に見ることができる。非デーヴァナグリー圏の地名も設定した言語で確認できるのも良い。

    さらには中文に設定すると、インド各地の地名がどう綴られるのかも眺められて楽しい。繁体字にすると、単に簡体字から繁体字に変換されるだけなのか、それとも大陸と台湾でのインド地名表記のブレ(・・・があるのかどうかは知らない)が反映されるのかということにもかすかな興味が飛ぶ。ときに誤記もありそうだが、概ね合っているのだろう。

    また同じナーグリー文字でもヒンディー語設定とマラーティー語設定で、インド各地の地名表記にズレはあるのか、あるいは「デリー」がヒンディー語では「ディッリー」であるのに対してウルドゥー語では「デーヘリー」となるように、インド国内の他の地名でもヒンディー/ウルドゥーで異なるものはあるのかなど、いろいろ頭に浮かぶものはある。

    だが、そんなことにハマりこんでしまうと、向こう数時間くらい夢中になってスマホとタブレットを並べていじり回すことになりそうなので、このあたりにしておこう。

  • 新生エアインディアへと着々

    インドの財閥ターターの元で民営化されるエアインディア。財閥を所有する筆頭企業ターター・サンズでは新生エアインディアのトップの人選が進んでいるそうだ。

    航空会社は半期ごとにダイヤを見直しつつ、シームレスに操業しているわけなので、民営化された瞬間に大きく変わることはないにしても、1年、2年のうちに国内であまりに手を広げ過ぎた(官業によくあること)路線の整理、労組の強さから国際的にも引けを取らない給与水準と言われる同社操縦士の報酬、その他スタッフの人員整理などの労務管理面での大ナタがふるわれることだろう。

    国営エアインディアでとりわけ足枷になっていると言われる旧インディアンエアラインスの国内路線及びSAARC内や湾岸産油国への路線は、既存のLCCに任せることになるのかもしれない。少なくとも政治主導で開設させられたローカル路線については、もはや継続する義理もなくなる。

    それはそうとコロナまでは順調な経済成長が続いていたインドでは各地で空港の新設が相次ぎ、出来上がったものの定期便の乗り入れがないとか、乗り入れ開始したものの利用者が少なく半年か1年で撤退してそのまんま放置されている空港がけっこうある。官業というものは、なんといい加減なものなのかと思う。

    Tata Sons looking at hiring new Air India Management as sale proceeds (mint)