インドの東、タイの西

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インドの隣国であり、一時期インドの一部でもあったミャンマー。北西部にはナガ族のようにインドとミャンマーにまたがって暮らす少数民族もあるし、ラカイン族はビルマ族と南アジア系の人々との混血であるとされる。また都市部を中心にインド系人口も少なくない。また中部には英領時代に兵士として入ってきたグルカの人々の子孫も定住している。衣食ともに中国とインド双方の影響を色濃く受けてきた東南アジア地域の中でも、特に『インド度』が高い国のひとつといえるだろう。
他の東南アジアの他国に比べてやや面倒な部分もある。たとえばヴィザである。この地域では、日本あるいは他の先進国等の国籍を持っている人たちにつき、シンガポールやマレーシアのように一定期間内の観光目的による滞在については査証が免除されている国がある。またタイのように当該国と相互免除の取り決めがなくても、先進国等の人々に対して2週間からひと月程度の期間、ヴィザ無しでの滞在を認めている国も少なくない。こうした措置がない国々においても、ラオス、ベトナム、カンボジアのでは、陸路・空路ともに到着時にその場で取得できるようになっているので簡単だ。外貨獲得における観光業からの収入の割合が高く、それを大いに振興させようという狙いがあるのだろうが、いずれにしても人々の往来がかつてなく盛んになっている昨今、多くの場合特に問題が生じていない国の人々については出入国関係手続きについて簡略化が進んでいる昨今である。
現在のASEAN加盟国で、どこの国の人についても頑として事前に査証取得を求めている国といえば、ミャンマーくらいだろうか。ミャンマー政府の中でも、とりわけ財務関係や観光振興関係の部局などは、このあたりの手続きを簡素化して外国人観光客を多く呼び込みたいところなのであろうと私は想像している。
1990年に行われた総選挙の結果を受けての平和裏な手段での政権交代を否定し、そのまま居座り続ける軍主導政権のありかた、人権侵害や少数民族などに対する強制労働その他により欧米を中心とした国々による経済制裁を受けているこの国にとって、外貨収入の貴重な手段であるからだ。
しかしその一方、政治的な問題から、ひょっとしたらジャーナリストかもしれないし、人権活動家かもしれない外国人たちが入国する前に一度きちんとフィルターにかけておきたいという、セキュリティの面からくる要請があるのだろう。軍政下にあるとはいえ、政府内でも閣僚たちや省庁等により、いろいろ意見のあるところであるはずだ。

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最後のムガル皇帝、ここに眠る 2

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高さ約100mの巨大な黄金色の仏塔がそびえるシュエダゴン・パゴダから東南方向、バハードゥル・シャー・ザファルのダルガーへと向かう。地元ではよく知られた場所らしく、途中幾人かに道を尋ねたが皆ここのことを知っていた。
広い道路、中央分離帯、そして道の両側に軍施設があるエリア、要人らしき人たちの邸宅が並ぶ高級住宅地になっている。界隈の屋敷の造りといい、道路の縁石や緑地のしつらえかたといい、どこかインドを思わせるものがあるのは、やはり英領時代の名残なのだろう。
こういう場所なので歩く人はほとんどなかった。辻ごとに警戒するポリスや軍人のほかに目に入るものといえば、広くスムースな道路をスピードを上げて駆け抜けていくクルマくらいだろうか。
緑多く閑静な市街地の一角にそのダルガーはあった。ここNo. 6, Theatre Roadは生前、彼が幽閉されていた場所のすぐ近くである。建物もごく新しいものであるが、規模は想像していたよりもかなり小さかった。先述のとおり、界隈はごちゃごちゃしたムスリム地区などではなく、まさにその対極にあるようなエリアだ。ここを訪れた人はダルガーの立地としてはミスマッチな印象を受けることだろう。
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敷地に足を踏み入れてみる。階段を少し上ったところにある礼拝所があり、その反対側の小部屋に三つの墓が並んでいる。入って手前からバハードゥル・シャー・ザファル、妻のズィーナト・メヘル、孫娘のラウナク・ザマーニー・ベーガムの墓石である。だがこれらはオリジナルではなく、あくまでもそれら3人を追悼する意図のもとに再建されたものだ。室内にはこれらの人物の写真や絵も飾られている。

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最後のムガル皇帝、ここに眠る 1

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1857年の大反乱から今年5月でちょうど150年の節目となっている。メディア等でも何かとこの関連の記事が掲載されているのを見かけるこのごろだ。
インドやイギリスでは、この大事件の舞台を巡るツアーも出ている。主だった史跡の中にはこれを機に大きな改修の手を加えたところもあると聞く。ラクナウのレジデンシーのようなメジャーどころではなく、人々からすっかり忘れ去られたマイナーな戦跡等の中には、たまたまこうした風潮の中で観光客たちの姿を見かけるようになったような場所もあるのかもしれない。
私もこの機会に大反乱に関わる場所を訪れてみようかといくつかの場所を思い浮かべてみたが、結局ミャンマーのヤンゴンに足を延ばしてみることにした。ここは大反乱そのものとは縁がないが、騒ぎが平定された後にムガル最後の皇帝、バハードゥル・シャー・ザファル(1775〜1862年)がここに流刑となりこの地で没している。私は彼の墓を見に行きたいと思った。ここは現在ダルガーとして近郊の信者たちを集めているそうだ。
彼の治世のころ、すでにムガル朝は政治的にも財政的にも衰退しきってデリーとその周辺を治める小領主のような存在に成り下がってしまっていたともに、跡継ぎを決めるのも、地方から上京してきた藩王に謁見するについても、デリーに進駐していたイギリス当局の許可を必要とするなど、支配者としての主権をすっかり失っていた。当局の『そろそろこの王朝の存続を打ち切りにしてしまおうか』という意図も見え隠れしていた時期である。
イギリスに対して叛旗をひるがえした勢力は、名目上の首領として当時のムガル皇帝を担ぎ出すことになったが、老齢の皇帝自身もこの機を形勢挽回の最後のチャンスと見て賭けに出たのだろう。しかしその代償は非常に高くついたことは言うまでもない。

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観光振興 北東インドとバングラーデーシュは相互補完?

インドの北東地域は観光地としての大きなポテンシャルを秘めている。外国人観光客に門戸を開放してからまだあまり年数が経っておらず、『何か新しいところ』を求める人々にとってはまだ『辺境』のイメージがあり、それ自体が魅力的であること、また南アジアと東南アジアの中間にあり文化的にも非常にユニークなことに加えて、変化に富んだ地勢もあり、トレッキングやエコツアーなどいろいろ発展する可能性があるようだ。
しかし地理的なウィークポイントも大きい。北東地域からコルカターの方角を眺めると、その間に横たわるバングラーデーシュの大きさを思わずにはいられない。ハウラーから鉄道で向かえば丸一日かかるグワーハーティーも直線距離ならば約520キロ、シローンもおよそ460キロ。西ベンガル州都から見てバングラーデーシュを越えた反対側にあるアガルタラーは300キロほどである。しかし空路を使う場合を除けば、ずいぶん遠回りになってしまい『本土』からのアクセスは芳しくない。この地域を訪れる観光客があまり増えないことの主な原因のひとつは交通の便であろう。
またバングラーデーシュにしてみても、随一の大都会ダッカはもちろん、数々のテラコッタ建築で知られるラージシャーヒー周辺、クルナのバゲール・ハートのイスラーム建築群、少数民族が暮らすチッタゴン丘陵地帯、茶園が広がるシレット、バングラーデーシュ最南端で周囲に珊瑚礁が広がるセント・マーティン島など数々の見どころを抱えるなど、観光資源も豊富である。ガウルの遺跡やスンダルバンなど、インドとの国境にまたがる史跡や国立公園などもあることもなかなか興味深い。
だがこの国についても同様にアクセスの問題がある。ヴィザが必要なことに加えて、国土をぐるりと一回りするほど長い国境線を共有している割にはインドとの間で通過可能なポイントが限られていることから、往来はあまり便利ではない。それがゆえに隣のインドに較べて観光目的で訪れる人々があまり多くないのだとも言えるだろう。
そもそもインドとは別の国になっているがゆえに、様々な華やかに喧伝される隣国に較べてこの国の魅力が取りざたされる機会も相対的に少なくなってしまう。

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Destination Pakistan 2007

Destination Pakistan 2007
 今年、インドの隣国パーキスターンでは政府の音頭により『Destination Pakistan 2007』と銘打ち観光の推進を図っている。隣国インドに負けず劣らず多彩な文化と豊かな自然に恵まれ、非常にリッチな観光資源を持つ国である。近年何だかネガティヴなイメージが定着してしまっているようだが、これを機会にその魅力を存分にアピールしてもらいたい。
 PTDC (Pakistan Tourism Development Corporation) のウェブサイトにも『Visit Pakistan Year 2007』と謳われている。ホームページ上部を見てわかるとおり、英語以外に8ヵ国語での情報提供がなされている。だが機械的に翻訳されているだけなので、ここの日本語版を見てお判りのとおり、かなり凄いことになっている。
 サイト内で目下準備中のようだが、求人募集もなされるようだ。『Talent Hunt』直下にある『apply for a job』をクリックすると出てくる個人情報や学歴・職歴を記入するフォームの下のほうには、『PTDC is committed to equal opportunity employment regardless of race, color, ancestry, religion, sex, national origin, sexual orientation, age, citizenship, marital status, disability, or any other status』と書かれている。明らかに外国人の雇用についての案内であろう。

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