箱根がピンチ

インドとまったく関係のない話で恐縮である。
8月最後の週末に泊りがけで箱根を訪れてみた。

箱根観光マップ(箱根離宮)

箱根山の火山活動が活発化し、「大涌谷周辺の想定火口域から700メートル程度の範囲まで影響を及ぼす噴火が発生する可能性」のため、警戒レベル3となり、入山規制が敷かれていることは常々報道されているところだ。

この影響により例年になく行楽シーズンの箱根が空いているという話をよく耳にはしていた。直前になってコンタクトしたにもかかわらず、箱根登山鉄道の終点の強羅駅目の前にあり、エコノミーな料金ながらも豪華なバイキング形式の夕食と朝食で人気の宿泊施設が予約できたので訪れてみることにした。

小田急線で小田原を経由して箱根湯本に到着した時点ではわからなかったが、箱根登山鉄道のプラットフォームで到着電車を待つ時点で、おかしなことに気が付いた。

「電車を待つ人がいない・・・」

8月最後の土曜日の午前9時ごろである。普段は週末であれば(箱根は首都圏各地からのアクセスの良さ、温泉場でもあることから、年中「シーズン」であったりする)、それなりの混雑があるものだが、到着した車両のドアが開いて着席すると、車両内にはひと組の家族連れ以外には誰もいなかった。本来ならば、ラッシュアワーの通勤電車なみに混雑していいはずの休日の朝なのだが。
ほとんど空気を運んでいるような具合の電車は、途中幾度かスイッチバックをしながら高度を上げていく。聞こえてくるのはエンジンのモーター音と車輪の軋む音だけだ。静まり返った途中駅で降りる乗客はなく、乗り込んでくる人もない。

閑散とした途中駅

執着駅の強羅もこんな具合

強羅駅前 休日の午前中とは思えない寂しさ

出発駅の箱根湯本から40分ほどで終着駅の強羅に到着。ここから早雲台へ行くケーブルカーが接続しているのだが、早雲台から大涌谷を経由して桃源台までを結ぶロープウェイへの乗り継ぎのためにあるがゆえに、そのロープウェイが運休している今、利用する意味はほとんどなくなってしまった。
出発直前のケーブルカー車内はガラガラであった。

そのため、強羅駅前から桃源台までの代替バスが運行されているのだが、登山鉄道でやってくる観光客よりも、この案内のために配置されているスタッフのほうが多いように見える。

桃源台、箱根町、元箱根を繋ぐ遊覧船に乗り込んでみる。もともと少ない乗客の半数ほどが外国人であった。その大半は中国語話者、そして若干の西洋人。話し声が大きいのはやはり中国語での会話であること、周囲の山の景色などから、四川省の九寨溝にでも向かっているような気さえしてくる。

「海賊船」という遊覧船からの眺め

箱根町船着場の目の前にある食堂に入ったが、他のところがそうであるように、お客のいない店内で、ただ時間ばかりが過ぎていく。みやげ物屋も同様で、品物が山積みされた傍らでそれを手に取って眺めたり、購入したりするお客が不在。

宿泊したのは家族連れに人気の宿で、夕食時にはテーブル席の半分くらいが埋まっていたが、それでもこの時期としては大変少ないのだという。流行っているところでさえもこんな具合なので、その他の宿泊施設は目も当てられない状況だろう。

温泉場が発展してリゾート地化した箱根には、固有の歴史や文化と呼べるものはないため、見るべきものといえば山あいの景色くらいだ。その中でも目玉であった大涌谷が立入禁止となっているため、「とにかくのんびりして温泉を楽しむ」のが正解となる。

のんびりするといっても、それがなかなか出来ない人たちのために「××美術館」「××博物館」「××ギャラリー」といった、土地に縁もゆかりもないものを、取ってつけたような施設がたくさんある。特に興味も関心も抱くことはできないが、やはりこうしたところに立ち寄ることになる。訪れてみると、それなりに楽しむことはできるのだが、やはりこれらでも訪問者よりもスタッフのほうが多いような印象を受けた。

宮ノ下駅近くの富士屋ホテルはジョン・レノンが家族で滞在したことで有名。こちらはそのホテル近くの写真館に飾られていた写真

一番のピークの時期のひとつでこんな有様ならば、週半ばの平日などはどのようになっているのかと心配になる。箱根山の火山活動の状況は、警戒レベル3となっており、噴火による災害が発生する可能性があることを呼びかけているわけだが、統治の経済(ほぼすべてが観光ないしは観光関連に依存しているといって間違いないだろう)にとっては、すでにこの閑散とした状況そのものが甚大な災害であるともいえる。

今年4月と5月にネパールで発生した大地震の影響により、インドのラダックでも観光客の数が大きく減っていることはすでにindo.toにて伝えたとおりだ。もともと不要不急の観光という目的への出費については、その時々の景気の波に左右されやすく、政治や治安状況によっても大きな変動に見舞われることが多々ある。これらが安定している国においても、気象の変化や災害の発生といった予見できない要因に翻弄されるリスクが常につきまとう。いずれも地元の努力では解決のしようもないのは辛いところだ。
観光業というものは、まさに水物であることを改めて感じずにはいられない。

ラダック やけに訪問客が少ない2015年の夏

ラダックの中心地レーのメインバーザール

このところ4年続けて7月にラダックを訪れている。この時期はシーズン真っ盛りで、レーの中心部には各国からやってきた外国人観光客、国内各地からやってきたインド人観光客でごった返し、彼ら相手の仕事、土木工事、農繁期の作業のために来ているインド人出稼ぎ人やネパール人もまた大勢来ており、まったくもってどこの土地にいるのだか判らなくなりそうな多国籍空間・・・というのが例年のこの時期であったが、今年はだいぶ様相が違った。

とにかく外国人旅行者が少なく、同様にインド人訪問客も多くない。「天候の不順により雨が多いこともあるかと思うが、やはりネパールで4月と5月に発生した大地震の影響だろう、それ以外に考えられない」というのが地元で暮らす人たちの大方の意見だ。

ラダックのシーズンといえば、およそ6月から9月までの短い期間ということが、インドの他の観光地と大きく異なる。5月や10月あたりならばラダックへの陸路は開いているし、その他の時期でも飛行機で訪れることはできるのだが、ラダック地域でアクセス可能なエリアや楽しむことのできるアクティヴィティは限られるため、夏の季節の人気ぶりとは裏腹に閑散とした状態で商売にならないため、店や宿も閉めてしまうところが多い。ゆえに今シーズンの不振はとても痛いという話をよく耳にした。

観光業は水物だ。現地の状況は決して悪くなくても、政治や経済の動向、隣接する地域(ラダックからネパールまでは1,000kmほどあるのだが、外国から来る人たちにとっては「同じヒマラヤ山脈」ということになるのだろう)での災害などが、如実に影響を及ぼしてしまうという不安定さがある。

人気の宿はそれでも込み合っていたりはするものの、それ以外では閑古鳥が鳴いているし、とりわけ内外からのツアー客をまとめて受け入れていたような規模の大きな宿泊施設においては、例年の強気な料金設定とは打って変わって、かなり大胆なディスカウントを提供しているところも少なくないようであった。

トレッキングに出かけてみても、やはりトレッカーの少なさには驚かされた。おそらくヌブラやパンゴンレイクその他、クルマをチャーターして訪問するような場所でもそんな感じだろう。

インドにあっては西端にあたるラダックでさえもこのような有様なので、今年はヒマラヤ沿いの他の地域でもかなり厳しいものがあると思われる。

チェラプンジーの雨

インド各地から猛烈な熱波のニュースが伝えられるこのごろだが、北東インドではすでにプレ・モンスーンの雨が降りはじめているとのことだ。その中でも「世界で最も多雨な場所」とされるチェラプンジーの降雨量には圧倒的なものがある。下記リンク先記事をご参照願いたい。

Pre-Monsoon: Heavy rain continues over Northeast India (skymet)

ベンガル湾から吹き上がって来る風が、ちょうど入江に集まる波のような具合に、北のヒマラヤ山脈と東のアラカン山脈に挟まれた行き止まりに衝突するのがインド北東部。当然、非常に多雨なエリアであるのだが、とりわけチェラプンジーにおいては、ちょっと想像もできないような豪雨となる。

印の付いている地点がチェラプンジー

モンスーンの時期の北東インド観光地は閑散としてしまうのだが、例外的にチェラプンジーにおいては、「世界一の物凄い雨を体験するために」訪れる人たちが多いと聞く。

それでも、乾季には生活用水が不足して、給水タンカー車が行き来する、ちょっと皮肉な部分もある。つまり雨期にそれほど集中して降るということの裏返しでもある。

NIZAMUDDIN URBAN RENEWAL INITIATIVE




久しぶりにフマユーン廟に足を踏み入れた。四半世紀ぶりくらいだと思う。デリーはしばしば訪れて、近くを通ることはしばしばあっても、中に入ってみようと思わなかった。この度はちょっと気が変わって、ごくごくそばまで来たついでに見学してみることにした。

ずいぶん見ない間に敷地内も建築物そのものも、非常にきれいに整備されるようになったのもさることながら、世界遺産(指定されたのは(1993年なので、もうふた昔以上も前のことになるが)となったことによる効果を有効に活用しているように見受けられた。

Nizamuddin Urban Renewal Initiativeというプロジェクトが実施されており、このフマユーン廟、その周辺地域のスンダル・ナーサリーニザームッディーン地域において、イスラームの歴史的モニュメントを保護・発展させていくため、地域の人々自身による史跡の建築の装飾を含めた伝統工芸の振興により、これを持続可能なものとしていき、雇用・就業機会の確保とともに、公衆衛生の普及等も図っていくという、いわば地域興し的な計画である。

このプロジェクトにおいて、フマユーン廟だけでなく、スンダル・ナーサリーニザームッディーン地域の史跡等も整備されることになっている。

これに参画する官民合わせて五つの組織は、それぞれArchaeological Survey of India(ASI)Municipal Corporation of Delhi (MCD)Central Public Works Department (CPWD)Aga Khan FoundationAga Khan Trust for Culture (AKTC)である。

同プロジェクトのホームページ上で写真やテキストで発信される情報以外にも、同サイトで公開される年報にて、様々な事業の進捗も報告されるなど、情報公開にも積極的に努めているようだ。

世界遺産を核として、地域社会の発展に貢献するとともに、その地域社会からも世界遺産の整備に働きかけていくというサイクルがすでに軌道に乗っているのか、今後そうなるように試行錯誤であるのだろうか。

いずれにしても、地域社会と遊離した、政府による一方的な史跡の整備事業ではなく、このエリアを歴史的・文化的に継続するコミュニティという位置づけで参画させていくという手法が新鮮だ。歴史的なモニュメントを含めた周辺のムスリムコミュニティにとって、これらの活動が地域の誇りとして意識されるようになれば大変喜ばしい。

世界遺産の有効な活用例として、今後長きに渡り注目していくべきプロジェクトではないかと私は思っている。

遺跡の修復に関するコミットメントの具体例を紹介する表示がいくつもあった。

こちらも同様に、装飾の復元に関わる情報を記載

サーサンギルの野生動物保護区へ4 

サーサンの町の夕暮れ

宿に戻ると、闇サファリを勧誘する男が来ていた。夜間閉鎖されている国立公園にバイクで乗り込み、徒歩でライオンに接近するのだという。基本料金が1,000ルピーで、ライオンに出会うことができたら、成功報酬として更に1,000ルピーだという。

彼が曰く、大声を上げたり、駆け出したりしなければ危険はないのだという。そんなバカなことがあるだろうか。町中の夜間、野犬集団に囲まれても大変危険であったりするのに、大型肉食獣のライオンがそんなにおとなしいはずがない。

「夜10時出発だがどうだ?」などと言う。

おそらく、彼は客引きで、国立公園内の集落の住民が手引きするのではないかと想像したりする。ともあれ、たとえ間近にライオンを目撃することが出来ても、彼らのエサになるのは御免なので、当然お断りである。

闇サファリの客引きを追い返して部屋に戻る

〈完〉