「英語圏」のメリット

コールカーターで、ある若い日本人男性と出会った。

インドの隣のバーングラーデーシュに4か月滞在して、グラーミーン・バンクでインターンをしていたのだという。これを終えて、数日間コールカーターに滞在してから大学に戻るとのこと。彼は、現在MBAを取得するためにマレーシアの大学に在学中である。

マレーシアの留学生政策についてはよく知らないのだが、同級生の半分くらいが国外から留学しに来ている人たちだという。

今や留学生誘致は、世界的に大きな産業となっていることはご存知のとおりだが、誘致する側としては英語で学ぶ環境は有利に働くことは間違いなく、留学する側にしてみても英語で学べるがゆえに、ハードルが著しく低くなるという利点があることは言うまでもない。

同様のことが、ターゲットとなる層となる自国語が公用語として使われている地域が広い、フランスやスペインなどにも言える。これらに対して、国外に「日本語圏」というものを持たない日本においてはこの部分が大きく異なる。

出生率が著しく高く、世帯ごとの可処分所得も潤沢な中東の湾岸地域にある産油諸国においては、急激な人口増加に対する危機感、そして石油依存の体質から脱却すべく、自前の人材育成に乗り出している国が多く、とりわけ欧米諸国はこうした地域からの留学生誘致に力を入れている。昨年、UAEのアブダビ首長国で開かれた教育フェアにおいては、日本も官民挙げて力を注いだようだが、来場者たちは日本留学関係のエリアはほぼ素通りであったことが一部のメディアで伝えられていた。

投資環境が良好なUAEにおいては、Dubai International Academic Cityに各国の大学が進出して現地キャンパスを開いているが、それらの大学はほぼ英語圏に限られるといってよいだろう。やはりコトバの壁というものは大きいが、こういうところにもインドは堂々と進出することができるのは、やはりこの地域との歴史的な繋がりと、英語力の証といえるかもしれない。

日本政府は中曽根内閣時代以来、留学生誘致に力を入れているものの、現状以上に質と規模を拡大していくのは容易ではなく、「留学生30万人計画」などというものは、音頭を取っている文部科学省自身も実現不可能であると思っているのではないかと思う。仮に本気であるとすれば、正気を疑いたくなる。

もともと日本にやってくる留学生の大半は日本の周辺国であり、経済的な繋がりも深い国々ばかりであり、その他の「圏外」からやってくる例は非常に少ない。また、日本にやってくるにしては「珍しい国」からの留学生については、日本政府が国費学生として丸抱えで招聘している例が多いことについて留意が必要である。そうした国々からは「タダで学ぶことができる」というインセンティブがなければ、恐らく日本にまでやってくることはまずないからである。

身の丈を越えた大きな数を求めるのではなく、質を高めるほうに転換したほうが良いのではないかと思うが、ひょっとすると、少子高齢化が進む中で、外国から高学歴な移民を受け入れて、労働人口の拡充に寄与しようという目的もあるのかもしれないが、実際のところは、学齢期の人々が漸減して、冬の時代を迎えている国内の大学の生き残りのための政策なのではないだろうか。

こればかりはどうにもならないが、もし日本が「英語圏」であったならば、様々な国々からの留学生の招致は現状よりももっと容易であったに違いない。

ヤンゴンのホテル代に思うこと

ヤンゴンを訪問する際、国内線であれ国際線であれ、そこからの出発が早朝の場合、前日はいつも空港目の前にあるSeasons of Yangonというホテルを利用することにしている。

国際線ターミナルの正面、国内線ターミナルはそのすぐ脇なので、寝坊してもまったく心配ない。歩いても目と鼻の先なのだが、頼むまでもなくクルマで送ってくれる。

90年代前半に撤退した米資本のラマダグループのホテルであったが、その後豪州資本のホテルグループに買収されて現在に至っている。

これについて昨年も書いたとおり、建物や施設はくたびれているものの、空港目の前というロケーションと廉価な宿泊費を考え合わせると、かなりお得感のあるホテルであった。

「・・・であった。」と過去形なのは、25米ドル、30米ドル程度で宿泊できた数年前と違い、昨年は50米ドルにまで上がり、現在は70米ドルにまでなっているからだ。

もちろん昨今のミャンマーブームにより、最大の商都ヤンゴンの宿代の急騰ぶりは様々なメディアでも報じられており、市内のどのホテルも2倍どころか3倍以上も吊り上がっており、これはホテルの格を問わず、安宿でも同様にずいぶん高くなってしまっている。

そんな具合なので、以前から宿泊施設を運営しているような場所では「景気が良くなった」と実感していることだろうが、便利な立地のところはどこも地価の上昇著しく、安宿から中級程度のホテルといったリーズナブルな料金の宿を新たに建築するには、ちょっと敷居が高くなってしまっているようだ。そんな状態なのに需要はどんどん伸びているがゆえに、ますます宿泊費がうなぎのぼりに上がっていく。

それでもやはりそこに商機があれば、積極的に参入する者が増えるのは当然のことであるため、まさに建築ブームとなっている市内では、新たに建築されるホテルの類もまた多い。

ミャンマーブームはしばらくの間冷めることはなさそうなので、こうした供給の側が追い付いてくるようにならない限り、ホテル代の上昇は今後も続くであろうことは言うまでもない。

ダウンタウン在住で、ちょっと目端の利く人は、このブームを見越して、旧首都のもともと価格の高かった地域の物件を手放して得た資金でまだ価格が手ごろだった郊外で、しかも良好な環境で家屋を入手したりもしていたようだ。もちろんそうした動きもまた今後も引き続き続いていくはずだ。

ただし、そうした地価上昇とともに、そうした利ザヤ目当てで売買できる立場ならば良いが、ダウンタウンで賃貸暮らしをしている人たちにとっては、昨今の状況は「収入はそうでもないのに家賃ばかりがガンガン上がっていく」という憂慮すべきことかもしれない。

加えて、景気が良くなれば苔むしたような建物が並ぶダウンタウン地区に再開発という話が出るのもそう遠くない将来のことではないかと思う。大規模な開発がなくても、大きな建物がまるごと次々に取り壊されて新しくなるということも続いている。

あちこちに植民地時代の面影を色濃く残すダウンタウンのインド人地区、中国人地区といった趣のあるタウンシップも、街並みの保存という概念が広まる前に、凄まじい勢いで追憶の彼方に消え去ってしまうかもしれないし、経済的な理由でそのあたりからの人口流出と新たな流入により、地域の個性も失われてしまうのではないかと少々気になったりもするこのごろである。

新年快楽!心想事成!!

2014年の春節は1月31日である。その前日30日は大晦日ということになるので、中国、台湾、加えてその他の中国系のたちが多く暮らしている地域はそれから一週間ほど正月の華やいだ雰囲気の中で休日を過ごすことになる。

アセアン諸国には多くの華人たちが暮らしており、地域によって潮州人が多かったり、広東人が多かったりという特色があるが、それぞれのコミュニティにおける伝統にローカル色を織り交ぜて、様々な祝祭が展開される。

中国系の人々にとって、たとえ大陸の人であれ、在外華人であれ、そうした自分の住んでいる国の外で同じ中国系の人々、とりわけ同じ客家系であったり、福建系であったりといった同一のコミュニティに属する人々の暮らしぶりやしきたりなどを目にするのは、なかなか興味深いことなのではないかと思う。

自国の家庭内で使っている言葉が、まったく異なる国に定住した先祖の同郷の人々に通じるということはもとより、それぞれの土地に根付いて代々暮らしているだけに、生活様式もローカライズされ、普段使っている語彙も地元の言葉等の影響を強く受けていることに気付いたりもすることだろう。

中国から国外への移民の初期は、ほとんどが男性ばかりであったため、同じ潮州人、広東人といっても、本土の人々とはかなり異なる風貌になっていることも少なくない。それでも民族としての中国人、あるいはもっと細かなコミュニティの出自であるというアイデンティティを持つことができるのは、同族としての絆の深さと自身が背負う文化や伝統への愛着とプライドゆえのことだろう。

私自身は中国系の血を引かない、ごく普通の日本人であるため、そのような感情を抱くことはないのは少し残念な気がしないでもない。

さて、アセアン諸国から見て西の方角にあるインド。かつてほどの人口規模はないとはいえ、今も決して少なくない数の華人たちが暮らすコールカーター。多くは広東系あるいは客家系であるが、先祖の出身は広東省の梅県が多い。通信手段の限られた時代であったため、中国から国外への移民の場合だけでなく、インドから東南アジア方面その他への移民たちの場合でも、同郷から非常に多くの人々が渡ったというケースは多い。人づてのネットワークがそうさせたともいえるだろう。

コールカーターの華人社会について、地元で生まれ育った華人自身(現在はカナダに移住)によって書かれた本があり、インド人の大海の中の片隅で暮らす華人たちの暮らしぶりを活写している。描かれているのは、華人社会の中での濃密な人間関係であり、周囲のインド人たちとの関わりであり、1962年に勃発した中印紛争のあおりで苦渋を舐めることになった中華系の人々の悲哀でもある。

書名 : The Last Dragon Dance

著者 : Kwai – Yun Li

発行 : Penguin Books India

ほぼ同じコンテンツで「Palm Leaf Fan」という書名でも出版されており、こちらはamazon.co.jpでKindle版を購入することができるため、インド国外から購入の場合は手軽だろう。

書名 : Palm Leaf Fan

フォーマット : Kindle版

A SIN : B009LAH84G

同じ著者による論文「Deoli Camp: An Oral History of Chinese Indians from 1962 to 1966」は、ウェブ上からPDF文書でダウンロードできるが、こちらも必読である。ラージャスターン州のデーオーリー・キャンプといえば、第二次世界大戦時にアジアの英領地域に居住していた日本人たちが収容された場所として知られている。中印紛争により「敵性国民」とされることになった華人たち(インド国籍を取得していたものも含む)もまた、居住して商売を営んでいた土地から警察に連行されて、デーオーリー・キャンプに収容された時代があった。

この論文は、キャンプでの日々や解放されて居住地に戻ってからも続く差別や困難などについて、体験者たちにインタビューしてまとめたものである。これを読むと、ベンガル州北部のダージリン、メガーラヤ州のシローン、アッサム州の一部にも少なからず華人たちの居住地があったこともわかり、少なくとも中印関係が緊張する以前までは在印華人たちの社会にはかなりの奥行きがあったことがうかがえる。

さて、話は華人たちの旧正月に戻る。今年のコールカーターでの華人の春節のことを取り上げた記事をみかけた。

Chinatown in Kolkata, only one in India, to celebrate Chinese New Year amid plans for a facelift (dnaindia.com)

ライターであり写真家でもあるランガン・ダッター氏も自身のウェブサイトで華人たちの新年を取り上げている。

Chinese New Year, Calcutta (www.rangan-datta.info)

短い動画だが、昨年のコールカーターでの華人たちの旧正月の模様を映したものもある。

Chinese New Year in Kolkata India (Youtube)

Youtubeの動画といえば、ムンバイー在住のドキュメンタリー映像作家のRafeeq Ellias氏がコールカーターの華人たちについて取り上げた作品「The Legend of Fat Mama」を観ることができる。

こちらは旧正月の祝祭の映像ではないが、同地の華人社会をテーマにした秀作なので、ぜひ閲覧をお勧めしたい。

※「マジューリー島4」は後日掲載します。

ビルマハイウェイ

ビルマ系米国人の歴史家、タンミンウーによる原書「WHERE CHINA MEETS INDIA」の和訳版である。著者は1961年から10年間に渡って国連事務総長を務めたウー・タン(ウ・タント)の孫にあたる。

原書の初版は軍政期の2010年に出版されている。この年の11月に実施された総選挙を以て、「民政移管」されたことについて、あまりに軍にとって有利なシステムで選挙が実施されたことにより、「軍政による看板の架け替えに過ぎない」「欧米による経済制裁解除狙いが目的の茶番劇」と酷評された選挙であった。

「実質は軍政の継続」と批判されつつも、経済面では「中国による野放しの専横」がまかりとおっていることへの危機感とともに、「東南アジア最後のフロンティア」としての潜在力と市場規模を持つミャンマーへの制裁解除のタイミングを待っていた先進諸国の反応は迅速で、一気に大量の投資が流入することとなり、ご存知のとおりの「ミャンマーブーム」となっている。

そんなわけで、この本が執筆された当時からそれほど長い年月が経過していないにもかかわらず、すでにミャンマーを取り巻く環境は大きく変わってきている。それほど変化は早い。

新興市場としての魅力、新たな「世界の工場」としての先進国からの期待と同様の思いを抱きつつも、利用価値の高い陸続きの隣国として、戦略的な意図での取り込みを図る国々もある。

自国の内陸南部からインド洋への出口を狙う中国。中国との接近により国内北部の平定を企図するミャンマー。

隣国ミャンマーに対する中国の進出に危機感を抱いて挽回を狙うとともに、自国北東部の振興を期待するインド。中国に傾斜し過ぎることに対するリスク回避のため、カウンターバランスとしてインドへの接近を試みるミャンマー。

こうした各国の思惑が交錯するとともに、地元の人々もまた分断された国境の向こうとの繋がりに期待するものがある。もともと北東インドはインド世界の蚊帳の外にあるとともに、ミャンマー北西部はビルマ族自身が完全に掌握をしたことのない周辺地域であった。

北東インドにあった王国は、アホム王国のように現在のタイ・ミャンマーにまたがって分布しているタイ系の民族によるものであったり、マニプル王国のように現在のミャンマー領に進出したりといった具合に、相互にダイナミックな往来がある地域でもあるのだが、現在は国境から両側がそれぞれ、もともとは従属していなかったインドあるいはミャンマーの国の領土として固定されてしまっているとともに、往来が希薄な地の果ての辺境という立場におかれるようになっている。

そんな現状も、東南アジア地域への陸路による出口を求めるインド、中国とのカウンターバランスを期待するミャンマーの交流の活発化により、「地の果て」が南アジアと東南アジアという異なる世界を結ぶ物流や交易の現場として、いきなりスポットライトを浴びて表舞台に飛び出してくる可能性がある。もちろんこれまであまり知られていなかった観光地としての期待もある。

そうした動きの中で、先進国による経済制裁の中で、これとは裏腹に強固に築き上げられたミャンマーと中国の間の深い経済の絆、ミャンマーが属するアセアンの国々による政治や投資での繋がり等と合わせれば、これら政治・経済、人やモノの流れが幾重にも交差することになるミャンマーの地勢的な利点は非常に大きい。

やがては単なる市場やモノづくりの拠点としてではなく、東南アジア、中国、南アジアという三つの世界を繋ぐ陸の交差点として、大きな発言力を持つ大国として台頭する日がやってくるようにも思われる。

そんな未来の大国へと成長する可能性を秘めたこの国について、様々な角度から検証しているのがこの書籍である。ぜひ一読をお勧めしたい。

書名:ビルマハイウェイ

著者:タンミンウー

翻訳者:秋元由紀

出版社:白水社

ISBN-10: 4560083126

ISBN-13: 978-4560083123

 

書名:Where China Meets India

著者:Thant Myint-U

出版社:Faber & Faber

ISBN-10: 0571239641

ISBN-13: 978-0571239641

 

オートリクシャーの工場

下記リンク先の動画は、バジャージ社のアウランガーバードにあるオートリクシャー工場の製造ラインであるとのことだ。

Autorickshaw Factory (Youtube)

大手企業の工場なので当然のことだが、工場内は整然としていて、各工程にて効率的に組立がなされている様子が映し出されている。失礼ながら、もっと荒っぽい作業が行われているものとばかり思っていた私にとっては、ちょっと意外であった。

これは、ドキュメンタリー作品の「Rickshaaa! A Film on Three Wheels」(ソーミャディープ・ポール監督)というのがあるそうで、その作品中でのひとこまであると、上記のYoutubeンク先には書かれている。機会があれば、その作品自体を鑑賞してみたいものだ。