Tourist Visa on Arrival

過日、導入から1年半以上経過したTourist Visa on Arrivalの制度を初めて利用してみた。現在、観光、友人や親戚訪問といった目的でインドを訪問する日本、フィンランド、ニュージーランドその他11か国の人々がデリー、コールカーター、ムンバイー、チェンナイのいずれかから空路にて入国する場合に限って利用できる。(対象となる国籍の人間であっても、パーキスターン出身あるいは在住者であったり、身内にパーキスターン国籍あるいは出身者がいたりするとこれを利用不可)

1日にどのくらいの人たちがこれを利用して空港でヴィザ取得をしているのかは定かではない。申請カウンターに人が並んでいたらかなり待たされるであろうと思い、インド行きのフライトのチェックインの際に『出口に可能な限り近い席を』と頼んでおいた。

加えて目的地の空港に到着して、他の乗客たちとターミナルビルの中に足を踏み入れた際、早足で人々を次々追い抜いていったため、VOAのカウンターに着いたときには、今回2人で訪問している私たち以外には誰もいなかった。

渡された申請書を手早く記入し、証明用写真1枚を添付してパスポートとともに係官に提出する。料金は1人2500Rsと言われたが、持ち合わせがないと伝えると1人62米ドルの2人分として124ドルを請求された。ウェブサイト等では1人60米ドルと書かれているのだが。後から来た女性は『日本円で支払う』と言うと、6000円請求されていた。

係官はその現金を私服で徽章等の付いていない所属不明の男性に渡し、彼は背後の入国審査台の向こうに消えていく。しばらく待たされた後に彼は5000Rsを手にして戻ってきた。後で判ったのだが、この人は到着客が両替するトーマスクックのカウンターで働いているスタッフであった。空港での両替レートは芳しくないとはいえ、少し差額が出るはずなのだがこれはどこかで宙に消えてしまうシステム(?)のようである。 件の日本円で渡した女性の分も同様であった。ともあれ、担当官から手渡された領収書に書かれた金額は、1人あたり2,500Rsであり、インドルピーによる支払いを前提にした制度であるようだ。

係官たちの仕事ぶりといえば、非常にアンプロフェッショナルであった。カウンターの中にはイミグレーションの徽章を付けた大の大人が5人もいるのだが、皆あたかも『本官はたった今、突然異動を言い渡されてここに配置されました』といった風情で、『どの帳簿に何を記入するのか?』『どのスタンプを使うのか?』『有効期限はどうするのか?』などといったことを互いに尋ね合ったり、やれ『スタンプの押す方向が違う』だの、『出国便の日付を越えて出していいのか?』などとやりあったりしている。この制度が導入されて、はや1年半以上が経過しているとはとても思えなかった。

そんなこんなで、私たちの前には誰もいなかったのに、手続きが終わるまで1時間半かかった。ヴィザ発給と同時に入国印も押される。イミグレーションのカウンターに行き、担当官はこれをチェックするのみ。

荷物のターンテーブルのところに行くと、同じ便でやってきた人たちの姿はすでになかった。引き取り手のない荷物はフロアーの片隅に固めて置いてあり、その中に私たちの荷物があった。

遠隔地に住んでいたり、多忙で査証取得に出向く時間がなく、かつ滞在可能期間が最大1か月までで結構、インド滞在中に他国に出入りするつもりもない(VOAは同一人物に対して年最大2回まで、前回出国時から2ケ月経過した後に次回のVOAが取得可能)という場合にはメリットがある。ただし繁忙期にはカウンターで相当長く待たされることになりそうだ。

今後、この制度の対象国を広げていく方向にあるようなので、その恩恵にあずかる人も増えてくるだろう。空港でのヴィザ取得手続き自体の迅速化も期待したいところである。

航空性中耳炎

中耳炎になった。小学生だったころ以来である。当時は風邪を引いては耳もおかしくなっていたものだが、今回は飛行機に乗ったことが原因である。

航空性中耳炎について耳にしたことはあり、航空機の乗務員の間でしばしば発生する職業病のようなものということは知っていた。機内の気圧の変化により、耳の中が痛くなることがあるが、その際にあくびや唾を飲み込むなどしてうまく耳抜きができないままになっていると生じる不具合である。

気圧の変化といっても、上昇時つまり耳の中の気圧が周囲よりも高くなる際よりも、下降時に鼓膜の内側の気圧が、その外側よりも低くなるときに起きやすいという。

飛行機が着陸態勢に入るというアナウンスの後、飛行機がどんどん高度を下げていく中、耳の中がツーンと突っ張った感じになった。いつものようにあくびをしたり唾を大きく飲み込んでみたりする。普段ならば耳の中が「バリバリッ」と音を立てて元に戻るところだが、今回はカゼを引いていて鼻がひどく詰まっているためか、左側の耳にはまったく効果がなかった。

飛行機が滑走路に着陸してターミナルまでゆっくりと動いている最中もその状態は変わらず、市内に出て宿に荷物を置いてもまだ同じ状態が続き、数日経っても回復しなかった。

プールや海で泳いでいて耳の中に水が入ったときの様子に似ている。おかげで左耳の聞こえかたが悪くなっている。障子一枚隔てた向こうからの聞いているような感じだ。

これではいけない、と耳鼻科医に診てもらっているところだが、なかなか治らない。診察の際に左の鼻から、耳に繋がる耳管に空気を通してもらうと、かなり痛みを伴うがなんとか通気できるようになる。

するとしばらくの間はすっきりと聞こえるようになるのだが、またすぐに塞がってしまうような感じになる。塞がっているといえば、鼻腔から耳にかけて空気がスムースに通るようになっていなければならないとのこと。そこが塞がってしまうから気圧の調整がうまくいかず、耳の中の気圧が外気よりも低くなったままになってしまう。

すると鼓膜の内側に水が溜まってきてしまい、いわゆる滲出性中耳炎を発症する。これがいわゆる航空性中耳炎が起きてしまうメカニズムであるとのことだ。

やれやれ・・・。

Trains at a Glance 2011年7月改定版

日々が過ぎ去っていくのは早いもので、2011年もすでに半分以上が終わってしまった。インドにおいて7月は鉄道時刻表改定の時期だ。例年のごとく国鉄のウェブサイトにこれがPDF形式でアップロードされている。

Trains at a Glance (July 2011 – June 2012)

なお今年5月から7月までの夏季特別列車の時刻表も閲覧できる。

All India Summer Specials Time Table (April-July2011)

インターネットでの鉄道予約といい、ウェブで閲覧できる時刻表といい、かつて列車の予約が大仕事だった時代がまるでウソのようだ。

 

虫屋台

久しぶりにバンコクのカオサン通りに来てみた。

特にここで何か用事があるわけではない。だが一時滞在の外国人という流動的かつ季節や時勢によって大きく増減するお客を相手に、これまた多くはこの場所において一時滞在的なタイ人その他の商売人たちが、様々な工夫を凝らした仕事をしているのを見物するのが楽しい。

もちろん昔からずっと同じ場所にて家族で商っている人たちもあるのだが、そうした人たちは少数派である。そもそもカオサン通りは1980年代以前までは米穀類の問屋街であり、目と鼻の先には王宮その他バンコクの観光名所が目白押しというロケーションに目を付けた現地女性が、外国人向けの民宿を始めたのがそもそもの始まりであったという。その後は次から次へと安宿、飲食店、旅行代理店その他の旅行者向けの商売をする人たちがこの通りを占めるようになった。

バンコクの繁華街どこでもそうだが、カオサンもとりわけ流行り廃りは早い。いつ訪れても雰囲気は同じようでも、お店はずいぶん入れ替わっていることに気がつく。視界を遮るものが多く、雑然としているためそうとは気付かなかったりするのだが、いつの間にかビルが丸ごと建て替わっていたりもする。

カオサンに高級な感じのリゾートホテルが出来ていた。泊まるならば、このホテル余りのバンコクではけっこういいところが安く出ていたりするので、市内のまともなところに宿泊したほうがいいと思うのだが。とりあえず何でも手近に揃うというメリットがあるので、利用する人は案外少なくないのかもしれない。

昨年の同時期に見かけたアップル製品の専門店は姿を消していた。iPhone, iPad, iPhone, そしてアップルのノートパソコン等が展示されていて、店内ににはそこそこ人が入っていたものの、やはりバックパッカーのゾーンにアップル製品は高価格過ぎたのだろうか。

カオサンでは昔からタトゥー屋はあったが、それらがずいぶん増えていることに改めて気付かされる。いろいろなデザインのサンプルを手にして、旅行者たちに手当たり次第に声をかける男たちがいる。それほどタトゥーが西洋人の若者たちの間で一般化しているということだろうか。もちろん日本人の間でもそうした傾向はあるのだが。

何の屋台かと思えば昆虫専門

食べ物や飲み物等の様々な屋台が出ているカオサン通りだが、夕方になると昆虫専門屋台も出ている。飼育用ではなくすべて食用で、すでに調理済みだ。タイでもイサーン(東北)地方ではもともと昆虫を食用とする例は多いが、もちろんここでは好奇心旺盛な外国人たちが顧客である。

イナゴ
タガメ、甲虫、何かの幼虫

タガメ、何かの幼虫、甲虫、イナゴなどいろいろあるが、すべて素揚げになっている。極め付きはサソリである。けっこう大きなサソリが他の虫と同じように揚げてあり、黒々テカテカと光っている。写真を撮りに寄ってくる人も多く注目度は抜群。

サソリの姿揚げ

見た目はグロテスクだが、調理しているのはタイ人なので、試してみると案外美味なのではないかと思う。だが私自身は、昆虫を口にすることに対してとても抵抗感があるのでやめておく。

いい商売になるかどうかはさておき、西洋人のバックパッカーたちの中で、これらをトライする人は少なくない。仲間や彼女の前で豪胆なところを見せてやろうといった気負った感じの若い男性が多いようだ。あるいは酔った勢いでといったところだろうか。もちろんこれらを「旨いから食べたい」という動機を持つ者はまずいないので、当然そういう具合になる。

サソリを食べて「醤油の味しかしないなあ」などと仲間に言う者、ビールを片手にイナゴをつまむ者・・・。だが1, 2回ほど齧ってみれば、それで満足してしまい、習慣的にこれら好んで食すリピーターはほぼ皆無だと思う。カオサン通り彼らの顧客はタイでの定住者ではなく一時滞在者なので、次から次へと新たにこの場所にやってくるため、商機は無尽蔵である。

ある意味『コロンブスの卵』のようなものかもしれない。こうした屋台が外国人たち相手に売れるはずがないと思うのがごく当たり前のところだ。だが近ごろは食に対してオープンな人たちが増えているのか、あるいは単に客層が好奇心に溢れる若い世代が大半であるためかもしれない。屋台のお兄さんは『案外売れているぞ』と手応えを感じているのではなかろうか。

かといってこれが大当たりすることもなさそうなので、お客が飽きてきたらさっさと違う品物を売り始めるに違いない。カオサン通りに出入りする商売人たちは、様々なアイデアと機知でいろいろ試行錯誤している。彼らのフットワークの軽さが面白い。

バーングラーデーシュの旅行案内書

地球の歩き方 バングラデシュ

日本の出版社から出ているバーングラーデーシュのガイドブックといえば、旅行人の『ウルトラガイド バングラデシュ』くらいかと思っていたが、昨年10月に地球の歩き方から『バングラデシュ』が出ていることに今さらながら気がついた。

近年、日本からアパレル産業を中心に企業の進出が盛んになってきているとともに、同国首都ダーカーに旅行代理店H.I.S.が支店をオープンさせるなど、観光の分野でも一部で注目を集めるようになってきているようだ。

すぐ隣に偉大なインドがあるため、観光地としてクロースアップされる機会が少なく、存在すら霞んでしまう観のある同国だが、なかなかどうして見どころは豊富である。

もちろんここがインドの一部であれば訪れる人は今よりも多かったことだろう。またインドとの間のアクセスは空路・陸路ともに本数は多く、両国の人々以外の第三国の人間である私たちが越えることのできる国境も複数あるため、行き来は決して不便というわけではない。

だがインドのヴィザに近年導入された『2ケ月ルール』のため、インド東部に来たところで『ふと思い立ってバーングラーデーシュに行く』ことが難しくなってしまっている。インド入国前のヴィザ申請の時点で、隣国への出入国を決めておかなくてはならなくなったからだ。

だからといって西ベンガル、アッサムその他インド東部まで来て、この実り豊かな麗しの大地を訪れないというのはもったいない話だ。

インドでも西ベンガル州で親日家、知日家と出会う機会は少なくないが、ことバーングラーデーシュにおいては、日本のバブル時代に出稼ぎに行った経験のある人々が多いこと、日本のODAその他の積極的な援助活動のためもあってか、日本という国に対して好感を抱いてくれている人たちがとても多いようだ。

それはともかく、歴史的にも地理的にも、『インド東部』の一角を成してきた『ベンガル地方』の東部地域だ。南側に開けた海岸線を除き、西・北・東の三方を東インド各州に囲まれ、本来ならばこれらのエリアとの往来の要衝であったはずでもある。

またこの国の将来的な発展のためには、圧倒的に巨大な隣国インドとの活発な交流が欠かせない。同時にインドにとっても、人口1億5千万超という巨大な市場は魅力的だし、この国の背後にあるインド北東諸州の安定的な発展のためには、ベンガル東部を占めるこの国との良好な関係が不可欠である。もちろん今でも両国間の人やモノの行き来は盛んであるのだが、それぞれの国内事情もあり、決して相思相愛の仲というわけではない。

イスラームやヒンドゥーの様々なテラコッタ建築、仏蹟、少数民族の居住地域、マングローブ等々、数々の魅力的な観光資源を有しながらも、知名度が低く訪れる人も多くない現況は、『インド世界』にありながらも『インド国内ではない』 がゆえのことだ。

日本語のガイドブックが出たからといって、訪問者が急増するとは思えないものの、やはり何かのきっかけにはなるはず。今後、必ずや様々な方面で『バーングラーデーシュのファン』が少しずつ増えてくるように思われる。