BJPの神通力が及ぶ州、及ばない州

こちらはインドにおけるBJPとそれがリードする政治アライアンスのNDA、これと対立する国民会議派とそれがリードするアライアンスのUPA、そしてその他地域政党支配州を含めた勢力分布図。

Map of Ruling Parties in States of India (Maps of India)

ラージャスターンについては今は国民会議派政権だが、BJPと拮抗しており、次の州議会選でどう転ぶかわからない。しかしチャッティースガル、ジャールカンドといった先住民が多い地域は、今でも国民会議派及びUPAの地盤だ。そのいっぽうで先住民同様に、本来は国民会議派の地盤であった北東州でのBJP勢力の浸透ぶりは目覚ましい。

特徴的なのは、多民族国家のインドで、ひとつにまとまることが容易ではない先住民、少数民族地域での浸透にBJPが成功しているのとは裏腹に、地元民族主義的な志向が強い地域では、このBJPの浸透が容易ではないこと。西ベンガルしかり、オリッサしかり。そして南インドではカルナータカを除いて、テーランガーナー、AP、ケーララ、タミルナードゥの各州は、BJP、国民会議派の2大勢力にとって「圏外」だ。

リンク先の図では、タミルナードゥは「NDA (BJP below 50%)と記されているが、同州の与党AIADMKはNDAに属しているため、そのような記述になっているものの、234議席中、BJPはわずか4議席。同州においてBJPの存在も発言力も無いに等しい。こうした地域について、BJPは浸透を図っているものの、今後も苦戦を続けることだろう。

Why the BJP is focusing on the South to further the party’s footprint (INDIA TODAY)

こうした地域でもBJPによるラリー(政治集会)は開かれるのだが、インド中部以北と違って、演台に立つBJPの大物の弁士による演説には通訳が付き、ひとしきり喋ってから現地語による訳が聴衆に伝えられ、反応を見つつ弁士は後を続け、といった具合。ときに通訳がうまく伝えられなくて右往左往というシーンも、稀ながらあるようだ。会議派のラーフル・ガーンディーの演説でそんなシーンがあり、Youtubeで拡散されたこともあった。

そんな感じで距離感があるため、とりわけ南インドでは、現地の「反北インド」的な感情も少なくない中、BJPの浸透には、なかなか容易ではないものがある。

ビハール州で独自のジャーティ調査を実施へ

長年、国勢調査において国民のジャーティへの詳細な調査をと主張してきたニーティーシュ・クマール。彼がチーフミニスターを務めるビハール州で独自の調査が行われることになった。インドにおいてはセンシティブなテーマで、かつ政策実行において大切なものでもある。指定カースト、指定部族、その他後進諸階級(OBCs)の人々への留保制度という優遇があり、その他の上のカーストということになっている人たちが損をするという待遇が固定化されている。

この逆差別には是非いろいろあるが、私個人としては、インドで実施されている留保制度というものについてはまったく賛同できない。実際の経済状態ではなく、生まれたカースト等により留保が与えられる、あるいは与えられないという不条理なものであるからだ。

カーストは下であってもビジネスの世界、弁護士、医師などの専門職、政界で活躍している人は多い。そういう人たちの子女にまで留保枠を与えるのはおかしいだろう。同様にブラーフマン、ラージプートなどでも貧困にあえぐ人たちは多いし、富裕な商人層として知られるマールワーリーにだって、貧し過ぎて今日の糧にも事欠く人たちは大勢いる。けれども彼らには救いの手は差し伸べられない。そんな差別がある。留保はカーストという観念的な出自ではなく、現実の出自つまり実際の家計状況によるべきだ。

しかもその根拠となる、国民のそれぞれがどのジャーティに属していて、それぞれがどのくらいの人口規模を擁しているのか、どのような職業に従事して、世帯ごとにどういう家庭状況にあるのか、地域ごとの特徴なども含めて、きちんと把握されていないものであるからだ。

それでいて「政治の力」により、票田となる特定のカースト、とりわけ人口規模が大きく、ロビー能力の高い後進カーストがそうした優遇措置を勝ち取っていくとともに、留保対象外のカーストの若者たち、つまり上位カーストの人たちの将来の可能性を奪われていく。たとえ世帯の経済レベルは留保対象の者たちと同等か、それ以下であっても。

こんな状況であるため、やはりこれはきちんとした調査、分析、評価が実施されてしかるべきもの。後進州のビハール州が全国に先駆けてこれを実施することは注目に値する。この調査の中でムスリムのコミュニティーについてもかなり詳細に調べるらしい。今後の進展に期待したい。

これを実施したからといって、前述の逆差別が解消されるわけではないのだが、少なくともカーストやジャーティごとの実態がきちんと調査されるのは良いことだと思う。

Bihar is talking caste census but with Mandal memories — Hope, anxiety, fear (The Print)

インドラプラスタへの観測気球

インドでの地名改名について、日本では唐突に伝えられるため、時の政府が気まぐれで勝手に変えたと思う人は少なくないかもしれないが、実はそのかなり前から有識者や有力者の発言、市民団体からの発案などが報じられていることが多い。

そうした中でどのような反応が市民の間から出るのか、様子を観察しているフシが感じられる。もちろんメディアもそうしたことを続報として出すので、「あの街も名前変わるかもしれないんだな」と読者は気が付く。

以前、冗談半分で「BJPによる改名ラッシュの中でデリーがインドラプラスタになるかも?」と書いたことがあるが、実際にそういう動きはやはりあるようだ。リンク先で伝えられている事柄についても、やはり発言者独自の考えというよりも、右翼勢力による首都改名についての観測気球のようなものかもしれない。

BJP政権下での地名改名については、「地名の浄化(シュッディーカラン)」という特徴がある。外来勢力による支配等に因んだ名前を廃してヒンドゥー的なものに置き換えることによるそれだ。

「デリー」については、それ自体に問題があるわけではないのだが、それを英語で「デリー」と呼ぼうと、ヒンディーで「ディッリー」と呼ぼうと、ウルドゥー語で「デーヘリー」と呼ぼうとも、長い長い間、様々な外来勢力に蹂躙されてきた過去を持つ都市、地域の名称であることには変わりはない。

そこで神話「マハーバーラタ」に出てくる都「インドラプラスタ」に替えることで、そうしたネガティヴな記憶を帳消しにするシュッディーカラン、浄化をしようということなのだろう。さすがにインドの首都の名前が変わるようなことがあると、その他の土地の地名変更とは次元の異なる強烈なインパクトとなる。

Now, demand to rename Delhi as Indraprastha (NATIONAL HERALD)

落陽の国民会議派

国民会議派の退潮ぶりを象徴するようなニュース。アラーハーバード(現プラヤーグラージ)のジャワーハル・スクエアにある「インド独立運動の聖地」のひとつ、国民会議派のアラーハーバード事務所だが、家賃滞納で立ち退きを迫られている。

インドの初代首相ネルーの実家「アーナンド・バワン」を訪れたことのある人はとても多いかと思うが、この事務所はその妻であったカムラー氏が地域の代表を務めたときに拠点としていた歴史的な場所だ。

もちろん今は国民会議派の活動の本拠地、ひいてはUP州の国民会議派本部はラクナウなので、ただの地方のローカルな党事務所のひとつにしか過ぎないため、ネルー家がアラーハーバードに暮らしていたときのような重要度はないとはいえ、「ジャワーハル・スクエアのコングレス事務所」と言えば、誰もが「ああ、ネルー家のお膝元の」と思い出す象徴的な場所。ゆえにこれが危機となればニュースになる。これまでも関係者たちは幾度も資金調達に努めてきたようだが、いよいよ危なくなっている。

同様に現代のネルー家、つまりガーンディー家であり、国民会議派の実質的な本丸であるデリーの「10 Janpath」(総裁ソーニアー氏の居宅の所在地)の主も経済的な不正疑惑の渦中にあり、専門調査機関からの聴取などを受けるなど、こちらもグラついている感じだ。

まだいくつかの州では地元ボス政治家たちの底力により国民会議派が政権を維持している州、与党BJPと拮抗する力を持つ州もあるが、MP州で「21礼砲級の旧藩王国当主」のジョーティラーディティャ・スィンディヤーがBJPへ手下とともに移ったように、もしかするとラージャスターン州でも同様の事件が起きるかもしれない。

先の州議会選挙戦後に大ボスのアショーク・ゲヘロートと最後までチーフミニスターの座を巡って争った、頭脳明晰かつ人望も非常に厚い若手のホープ、サチン・パイロットの動向が懸念される。あのときのふたりの抗争は「10 Janpath」にまで持ち込まれて、ガーンディー家3巨頭(ソーニアー氏、息子のラーフル氏、娘のプリヤンカー氏)による大岡裁きに委ねることにまでなったことは記憶に新しい。

国民会議派は、このまま地平線の彼方へと沈んでいってしまうのだろうか。

Congress struggles to clear party office dues by July 15(THE TIMES OF INDIA)

No Football, No Life

第二次ターリバーン政権樹立後、2010年にスタートしたアフガニスタンのフットボールのトップリーグ「アフガン・プレミア・リーグ」はどうなったのかと思っていたが、やはり同政権誕生以降は実施されていないらしい。そこでプレーしていた選手たちはインドやキルギスなどのクラブに移って活動しているとのこと。

この「プレミア・リーグ」では、選手たちへの報酬は出来高の日払いという、ちょっとビックリなもので、観客席はちょうど競馬場のような感じだったらしい。大半は賭けが目的で来ていたらしい。そんな具合なので、おそらくだが、「マッチ・フィックシング」も横行していたものと想像される。

まぁ、それでもスポーツに人々が熱狂できるのは平和と安定あってこそのもの。ターリバーン政権下で経済的には大変でも、とりあえずの平和と安定はあるのかもしれないが、音楽などともにスポーツのような娯楽を認めないため、世界的なスポーツなのに、その国のトップリーグが消滅(ということはその下のリーグもだろう)という事態。「あれ?でも今でもアフガニスタン代表って活動しているよね?」と思われるかもしれないが、みんな国外在住選手たちとのこと。

No Football, No Life。ここには人生なんてものは、もうないのだなぁと感じる。

‘No domestic league, no women’s football, Afghanistan’s future is uncertain’, says men’s coach Anoush Dastgir (Firstpost)