素焼きのチャーイカップ

 一昔前のインド旅行記を読むと「鉄道では素焼きのカップにチャーイが注がれ…」なんていうくだりが、でてきたりする。こうした器は使用後、そのまま放り投げて、文字通り土に還る。なかなか哲学的だったが、今では軽くて扱いやすいプラスチックの使い捨てカップの普及もあって、ほとんど見かけなくなってきた。
 だが、ラールー・プラサード・ヤーダブ鉄道大臣の肝いりで、素焼きチャーイカップ「クルハル」が再び日の目を見ようとしている。
 鉄道車内のベッドシーツ、毛布、カーテン等も、それまで納入させていたリライアンス社をやめて、カーディー(伝統的な荒い手織り綿布)の採用を検討中。今後ずいぶん趣のあるアメニティが利用されることになりそうだ。
 ラールー大臣は、今年五月に初めて中央政府内閣入りしてからは、所管の鉄道省に定時に出勤してこない役人を締め出し、「今後、遅刻常習犯に対して厳罰で臨む」とハッパをかけて、意外な(?)辣腕ぶりを見せる話題の人だ。
 ビハール州出身。元同州首相にして現職のラーブリー女史の夫。後進階級のヒーローとして一部では人気だが、汚職や出所不明の財産といったスキャンダルも絶えず、公私ともにメディアに取り沙汰されることが多い政治家でもある。
 もちろん利権が絡んでくることなので、公に喧伝されている環境問題や農村部の活性化などといった建前の背後には政治的要素と打算がチラついている。策士ラールー氏自身ならではの目論見があるのだろう。「果たして全国規模でちゃんと供給できるのか?」という疑問も出ているようだ。実現したとしても、ひとたび鉄道大臣が交代すれば元の木阿弥という「朝令暮改」的なものなるのかも?
 どうやら素焼きのチャーイカップの復活劇は、風情やロマンをあまり感じさせるものではないようである。
▼ラールー鉄道相とチャーイのカップ
http://timesofindia.indiatimes.com/articleshow/823496.cms

日の丸サポーター インドへ

カルカッタ ソルトレイク・スタジアム
 成田からコルカタへ直行便で行く一泊三日(機内一泊)の旅。これはちょっと尋常ではない。長いこと飛行機の中に閉じ込められて、インドの大地にタッチしてあっという間にトンボ返り。インド好きにとっては首を傾げたくなるスケジュールだが、こんな大急ぎの旅にはワケがある。コルカタで9月8日に開かれるワールドカップのアジア地区一次予選のインド対日本の試合を観戦するための「日本サッカー協会オフィシャルツアー」なのだ。
 宿泊するホテルによるが、料金は9万9800円から11万9000円。現地に夕刻到着して一泊。翌日は試合を観戦してからそのまま空港へ行き、帰国便に乗るという相当ハードなものである。
 主催は大手旅行代理店H.I.S。飛行機はバンコク乗り換えではなく、このツアーのためにコルカタへの直行便が運行するということだ。キャリアは国営エア・インディアだが、この日は日本からの試合観戦者たちのために頑張ってくれる。
 インドの滞在は正味33時間。到着後ホテルで8時間ほど眠るとすると、ちゃんと意識があるのは25時間、おまけに歯磨きにひげそり、風呂や食事の時間も取らなくてはいけない。女性の場合、化粧という作業が加わるのだからさらに大変だ。自由になる時間は滞在時間の半分もない…という人だって出てくるかもしれない。
 このようなごく限られた時間内で、サッカー観戦をするのだ。ツアー参加の日本人サポーターたちにとって最大の敵は、日本代表を地元で一泡吹かせてやろうと試合に臨むインドのチームではなく、自分たちにふりかかる時間不足と疲労かもしれない。
 試合当日は会場ソルトレイク・スタジアムへ行く時間までは自由行動。希望者には市内半日観光もオプションで用意されている。
 半日観光の中身は、ジャイナ教寺院(入場)、カーリー寺院(下車)、ヴィクトリア記念堂(下車)、インド博物館(入場)、ガンジス河(下車)など。”下車”とは、車から降りて外観をボンヤリ眺めるということらしい。ちなみに参加料金は60ドルもかかるそうだ。

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復活なるか?「地上の楽園」

photo by www.kashmirretextured.com / Rafiq Kathwari
 インドのケーブルテレビで、カシミール地方の自然や文化を紹介する番組が流れていた。ヨーロッパ制作のプログラム。日本ではあまり機会のないことだが、外国の制作会社が作った自国紹介のTV番組というのものは、往々にして何か違和感を感じられるものだ。この番組、インド国内視聴者の反応はどんなものだったのだろうか。
 カシミールといえば、有名なハウスボートの誕生秘話はご存知だろうか。藩王国時代、外国人の土地購入が認められなかったため、英国人が屋敷の代わりに、湖に豪華なハウスボートを浮かべたことがはじまり。いわば苦肉の策である。カシミールの宿泊施設の典型のごとく言われているハウスボートの歴史は意外にもそう長くはない。
 カシミールの状態が安定していた1988年以前、風光明媚なカシミールの景色は、よくインド映画に出てきたものだったし、ハネムーンや家族旅行先の定番であった。気候はフランスのアルプス地方とほぼ同じ。暑い夏に「涼しいインド」を訪れるのも粋なもの。インドに数多く点在する避暑地の中でも、別格の存在である。
 長らくテロと暴力の連鎖の中にあったカシミールだが、ひとたび平和が訪れれば、すぐさま昔のように夏のインド観光地のハイライトとして、内外から多くの人びとを集めることができるはずだ。今年は15年ぶりに観光シーズンのにぎわいを取り戻しつつあるというカシミール。例年観光客が2万人以下と低迷していたころに比べ、今年はすでに10万人以上の人びとが訪れているという。
 「地上の楽園」とまで表現されたかつての輝きが取り戻されるを願ってやまない。


カシミール 楽園復活なるか? (BBC-SouthAsia)
kashmir Retextured
カシミールの人びと、街、自然、喜びと憂い。Rafiq Kathwariによる写真とエッセイ。

あられもない「神様」

hindu bikinis

 ヒンドゥーの神様をあしらった下着やトイレの便座カバーを欧米のデザイナーが制作。その一部がインドでも発売、ヒンドゥー宗教団体による抗議活動が起きているという。こんな商品が、自分たちの市場に出回るとなると、インドの一般的な人びとは決して快く思わないことだろう。 
 外国人にとってはエキゾチックで、ときにクールな「デザイン」に見えても、それを信仰する人たちにとっては冒涜以外の何ものでもない。表現の自由はあっても、さまざまな文化や人種からなるこの世の中。自分たちとは違った価値観を尊重することは大切だ。 
 多くの国ぐにで、人びとの信仰と倫理・価値観は切り離すことができない。「無宗教だ」と言う人も、長年受け継がれてきた文化や思想背景からなる道徳、生活習慣や年中行事から無縁でいることはできないのだから、やはり神は存在するということになるのかもしれない。
 宗教の名のもとに、一律の価値観を人々に押し付けたり、行動が制限したりするべきではないが、同時に個々の信仰を否定あるいは侮辱するようなこともあってはならない。  
 インドに限ったことではないが、宗教にはしばしば政治の影が色濃く見え隠れする。聖と世俗の境はあってないようなものなのかも。この世は実にややこしい。 
下着に神様 VHP(世界ヒンドゥー協会)が抗議
ビキニのなかで微笑むヴィシュヌ!?
Vishva Hindu Parishad公式サイト

中央アジアとボリウッド

stil photo by The Rising 
 アーミル・カーン主演のインド×イギリス合作映画『The Rising』のロケがタジキスタンで進行中。なぜタジキスタンなのかというと、撮影地の風景が、映画の舞台となる19世紀のアフガニスタンに似ているからだ。
 ブラッド・ピットが出演していた『セブン・イヤーズ・イン・チベット』は、映画の内容に不満な中国当局から撮影許可が下りなかったため、アルゼンチン、モンゴル、カナダで撮影された。このように現地の政治・治安上の理由のため、第三国でロケが行われることはしばしばある。
 ロケ地アーエチーは、アフガニスタン国境から50キロほどのところのある村。昔から両国の間を行き来する人は少なくなかったことだろう。よほどアフガニスタン的雰囲気に満ちたところなのではないかと想像している。 
 下記の記事には「タジキスタンでインド映画が人気」とあるが、やはり旧ソビエト領・中央アジアの国ぐにでも、インド映画は人びとに親しまれているのだろうか。そういえば「タリバーン政権崩壊後のアフガニスタンで映画館が復活!」というニュースを新聞やテレビで見かけたときにも、「映画」とはすなわちインド映画のことであった。 
 以前、中国領・新疆ウイグル自治区を訪れたことがあるが、やはりインド映画はなかなか人気があるようだった。バザールで俳優や女優のブロマイドを目にし、町角でヒンディーポップスを耳にすると、妙に嬉しくなったものだ。
 映画の影響か、パキスタン人が多いせいか知らないが、カシュガルあたりではカタコトのヒンディー語/ウルドゥー語を操るウイグル族の商売人たちがいたりするのにもびっくりした。こうした地域でも好感をもって迎えられるインド映画。やはり地元の人びとの心の琴線に触れるものがあるのかもしれない。 
 日本でも一時インド映画が流行り、いくつかの作品が続いて公開された時期があったが、大多数の観客からは「これまでと違う変わった映画」「突然歌やダンスが出てくる奇妙な作品」といったキワものとして受け止められたのか、どうも定着しなかったようだ。
 ロードショー公開された映画が似たような作品に偏りがちで、「インド映画はどれも同じ」という印象を与えたのかもしれないし、マスコミの扱いが人びとに先入観を刷り込んでしまったのかもしれない。 
 それにしても、かたやインド映画を娯楽としてすんなりと受け入れられる国があれば、日本のように好奇心に満ちた眼差しでジロジロ観察した後、忘却の彼方へと押しやってしまう国もある。

 配給や上映時間の関係など、作品の内容以外にもいろいろワケがあるのかもしれないが、そもそもインド映画が定着するか否かということは、文化的・社会的な奥深い要因とつながりがあるのではないかと思う。 
完成間近の『The Rising』 タジキスタンで撮影中