サウジアラビアの観光振興

昔ならば(昔といってもどのあたりまで遡るかによるが)サウジアラビアが観光振興政策を打ち出す時代がくるとは想像すらしなかった。観光査証そのものが存在せず、どうしても見たければ通過査証でなんとかするしかなかった国。その後、名目は「視察」で事実上の観光客を国を限って受け入れるように転換した。たしか十数年前であったか。

そして今では「Visit Saudi」というキャンペーンを打ち出している。コロナ禍の中で渡航はできないが、収束した後を見据えてのものだろう。広い割にはあまり観るべきところはない国と思う人もあるかもしれないが、実はけっこう名所には事欠かないサウジアラビア。

インドから同国各地への直行便は多いので、コロナが収束したら訪問してみたいと思う。そうしたフライトの乗客の大半はインド等からの出稼ぎの人たちなのだが、サウジアラビアを観光していても、各地のいろんなところで、インド、ネパール、パキスタンからの出稼ぎの人たちと出会うことだろう。インド旅行裏バージョンみたいなものになるかもしれない。

人口統計に在住外国人も含まれる湾岸諸国。総人口中に占める外国人の割合が88%と最も高いUAE、81%のカタール、68%のクウェートと比較すると、サウジアラビアでは32%とずっと低い。それでもサービス産業従事者のほとんどは外国人であると思われる。その中でインドをはじめとする亜大陸の人たちが占める割合は高く、加えてエジプト、スーダン、モロッコなどのアラビア語圏の人たちという具合だろう。以前、土地っ子の雇用創出のために外国人タクシー運転手を締め出そうという試みはあったようだが、結局サウジアラビアの人はそういう仕事をしたがらないので、今でも運転手たちは外国人のようだ。

乗り物の運転手車掌等を含む交通機関の職員、商店の店員、食堂や宿屋等で働いているスタッフやマネージャーなどは、たいてい出稼ぎの人たちだろう。そんなわけで、旅行して接する人たちの多くはインドや周辺国の人たちだろうと想像している。

前述のとおり、サウジアラビアよりもさらに総人口中に外国人の占める割合が高いUAE、カタールなどで、「アラビア語の次に広く通じる言葉」は、ヒンディー/ウルドゥー語だという。このあたりもコロナ明けに訪問してみたいと考えている。

アラビアへようこそ (SAUDI TOURISM AUTHORITY)

ENGAGED

こちらはトイレ のドアの表示。「occupied」とあるよりも、少し厳粛な感じがする。中の人が真剣に取り組んでいるような印象を受けるではないか。

少なくとも便座に腰掛けてスマホでもいじっているような、待たされている側にとっては腹の立つイメージは浮かばない。

電話にしても、そうだ。話中で「busy」と考えると、無駄話のせいで繋がらないような気もするが、「engaged 」であれば、何か真面目な会話が進行中であるようなシーンが目に浮かんでこなくもない。

なぜこのように違ってくるのかといえば、occupied、busyは、いずれも単一の人物Aさんの行動を反映したものであるのに対して、engagedであれば、Aさんの意思にかかわらず、自然現象や第三者との関係により、その状態にあることを余儀なくされているというイメージをも想起され、「それならば仕方ない」というムードを醸成するのだ。

仕方ないは仕方ないのだが、トイレを待つというのは、まさに一日千秋の想いである。実に切ない・・・。

※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

おじいちゃん 、おばあちゃんの公園

ボンベイの湾岸風景の美しさをアピールするためにチョウパッティービーチから撮影した写真をよく見かけたことがある。本当に良い眺めだ。ブラジルのリオデジャネイロの海岸風景に匹敵するだろう。いや、それを凌駕すると言いたいところだ。

さて、そのチョウパッティービーチの背後に静かで素敵な公園がある。界隈に住んでいるらしい年配者たちが静かに歓談しているが、よく整備されているのにとても空いている。

入口のゲートに回ると「ナーナー・ナーニー・ウデャーン」と書いてある。おじいちゃん、おばあちゃん公園とは変な名前だが、園内はきれいでとても静かだ。

ここに足を踏み入れてみると、ちょうどここから帰ろうとしているおじいさんに注意された。「ここはシニアシチズン専用なのです。申し訳ないけれどもね。そういう年代になってから来てください。」

ゲート付近に注意書きらしきものが出ているが、マラーティー語のみで書かれているのでよくわからない。同じデーヴァナーグリー文字を使う言葉でもネパール語はヒンディーの知識である程度の見当がつくが、マラーティーだともう少し距離があるようだ。看板に出てくる「クリパヤー」「ナーナー」「ナーニー」とか「スーチナー」あたりは共通なので拾えるのだが。

ここは、還暦を迎えないと入ってはいけないとのこと。そういう公園があるとは思わなかった。

「NANA NANI UDYAN (おじいちゃん、おばあちゃん公園」と書かれている。

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

漢字のイメージ

これはインド人がイメージする「漢字」であるらしい。

日本人の多くがアラビア文字のことを「ミミズがのたくったような」と捉えているので、人のことは言えない。

ムンバイのフォート地区のアートスペース入口にて。

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

インドの英語

インドにおける旧英領のレガシーのひとつに英語がある。どこに行っても、少なくとも都市部で英字紙を目にしないことはなく、その他の出版活動はもちろんのこと、テレビニュースや街中の看板や広告などにも英語が氾濫しており、同様に流暢な英語をしゃべる人たちも多い。

旧英領であったから今でも英語が広く通用しているという面はあるのだが、統治していた期間、現地の言語事情や独立後の政府の方針などにより、行政・教育の仲介言語として英語が引き継がれるかどうか、またどの程度使用されるのかについては様々である。

同じ英領インドから分かれた国であっても、パキスタンとなるとウルドゥー語の地位に対して英語はさほど高いとは言えないし、バングラデシュとなると、国民のほぼ大半がベンガル語を母語とするベンガル人から成ること、加えて東西パキスタン時代においては、西からの独立運動におけるベンガル語の存在は象徴的な意味合いもあったため、現在のバングラデシュにおけるベンガル語のステイタスは、インドにおけるヒンディー語のように「下駄履きの言葉」であるかのようなぞんざいな扱いではまったくない。

また、ミャンマーにおいてはこうした限りでもなく、多民族・多文化から成る国家でありながらも、独立後は行政・教育の仲介言語のビルマ語化が強力に推進され、英語は排除されていくこととなった。その単一言語化に見られるような極めて中央集権的な手法のもとで、それまで各地の藩王に任されていた自治の簒奪も含まれていたのだろう。独立間もないころから各地の少数民族が叛旗を翻すこととなった。1962年のクーデターで中央政府の実権を掌握したネ・ウィンは、さらに国粋主義=ビルマ族主義の政治を推し進め、様々な地方の反政府勢力との対立関係は恒久化することとなった。この国では、かつて英領であったことをまったく感じさせないほど、一般的には英語がほとんど通用しない。

また、英領下に入ったことがないのに英語がかなり広く浸透しているネパールにおいては、隣国インドへの進学・就職といった接続上、やはり英語というものが大切であったり、国の根幹産業である観光においても必須であったりするという背景があるからだろう。

また、ブータンにおいては、1970年代に学校教育の英語化が推進され、国語であるゾンカ語の授業以外は、基本的に英語でもって授業がなされるようになっている。背景には各教科の授業を英語化することにより、バラエティ豊かで内容も進んだ外国における教科書やプログラムの導入が容易となり、卒業後に専門教育に進んでからも同様に外国のそうした文物をダイレクトに吸収できるメリットを是としてのものだろう。ヒマラヤの山間の小国が近代化を図るにあたっての英断であったと言えそうだ。

もちろん、ここで言う「外国」とは、お隣にあり外交的にも特別な関係にあるインドのことであり、学校教育の英語化に当たってはインド政府の全面的な協力により、多数のインド人教師たちが各教科に渡り、またブータン全土で活躍したとも聞く。

そんな「英語の国インド」であるが、都市部とそれ以外、また州や地方による差異はあるが、平たくならすとインドにおける初等教育の場で、イングリッシュ・ミディアムによる学校はわずか17%に過ぎないという。日本においては、外国人子女向けに設置されているインターナショナルスクールの類を除けば、ジャパニーズ・ミディアムによる学校が100%であることを考えると、大変なものではあるのだが。

インドにおける英語教育ないしは英語のあり方は、日本のそれと大きな違いがある。日本において、英語は「外国語」であり、「イギリス、アメリカ、オーストラリアにニュージーランドなどの言葉」と一般的に認識されており、教育の場でもそのような扱いをしている。

そのため英語教育の場には、こうしたアングロサクソンの民族語としての色合いが濃く、テキストなどに出てくる会話場面などでも、英米の街中でのやりとりなどが想定されていたり、そうした地域でのトピックなどが取り上げられていることが多い。

インドにおいて英語は外国語ではなく、「インドの言葉」として教育・運用されている点が私たちのそれとは大きく異なると言える。たとえわずか17%の学校であっても、日々そこでの授業が英語で与えられ、課題等も英語で実施するとなると、日本において同じような年代の生徒・学生たちが「外国語の授業として教えられる英語」とでは、運用力や理解の深さに大きな差が出ることは言うまでもない。

またインドの都市部では「英語が母語」という人たちは少数派ではあるが、確実に存在する。そうした人たちが暮らすエリアは下町などではなく、中産階級以上が暮らすポッシユなエリアの立派なお家ということになるが。とはいえ、決して「インドの言葉を理解しない外国人駐在員家族」などのような立場ではなく、経済的にも豊かで羽振りの良い自分たち、インドの文化や習慣などにも造詣の深い自分たちこそが「インド人の中のインド人」と自負している。

そんな彼らだが、家から一歩出れば人々と言葉を交わすのに現地の言葉を当然流暢に使い、普通にコミュニケーションしているのだが、それでも家の中で家族との会話は昔からいつも英語、読み物や新聞なども常に英語。ヒンディー語など現地語も読めなくはないのだが、その読み書きは幼少時からほとんど習っていないため、字面を追うだけで頭が痛くなる。でもテレビのエンタテインメント番組や映画はヒンディー語その他現地語なので、夕方以降はそうしたブログラムを観てゲラゲラ笑ったり、悲しいストーリーに涙したりする。

そんな彼らの英語は、米英の人を真似たアクセント、会話の中でのリアクション、ちょっと気の利いた言い回しまでもを模倣しようとしたがる日本人のそれと違って、インド人の英語はインド人がお手本なのでブレることがないのである。やはりその言葉が自国のものとしてきちんと消化されているがゆえ、「インドの言葉として英語を使う」インド人らしいところである。

A Sampling of Indian English Accents (Youtube)