ボドガヤー 2

ナムギャル寺院
中国寺院
中国寺院

マハーボディー寺院を出てから、チベットの名刹のボドガヤーにおける別院であるナムギャル寺院、そして中国寺院等を訪れてから朝食取っていないことを思いだす。中国からインドに亡命してきたカルマパが建てさせたことで知られるテルガル寺院へオートで向かう。この寺院の境内には軽食を出す店があり、そこでインスタントラーメンのワイワイを頼む。出来上がってくると、これが想像以上に辛くて閉口した。

テルガル寺院
テルガル寺院のマニ車

テルガル寺院はなかなか立派だが、やはりレンガ積みとコンクリで建てて、外見だけをチベット風にした建物であるがゆえに、他国が出している寺院もそうだが、あまり慈しみを感じるものではないが、場所が場所だけに仕方ない。各国のお寺の見本市さながらの様子は見応えがあるし、いろいろ訪れてみるのは楽しい。

そこからさらにオートでブータン寺院に行く。入口のところにトラ柄に塗られた白い野犬がいた。奇妙で面白いといえばそうなのだが、なんだか気の毒でもある。お堂の中には前国王と現国王の写真も飾られていた。

ブータン寺院
ブータン寺院
トラ??

ブータン寺の隣は日本山妙法寺。日蓮系の教団だが、日本ではあまりその名前さえも聞かないのに、海外ではやたらと存在感がある。海外での活動は、どこも現地での自力更生型であるため、ここの僧侶たちには大きなビジネス感覚、政治感覚が求められる。物凄く仕事が出来るバリバリのデキる男たちの集団というイメージがある。境内は日本の飛び地のような雰囲気だが、プレスクールの施設が出来ていて、幼稚園くらいの子供たちが授業を受けている。先生や子供たちの声が聞こえてくる。このお寺の正面には何もない空間が広がっていたと記憶しているが、今はいろいろと建て込んでいる。

日本山妙法寺
日本山妙法寺境内の日本的な空間
日本山妙法寺が運営する学校

妙法寺の向かいには、太生山一心寺という教団が構えていた。中に入ってみると、岡山から来て11月から駐在しているという若い尼さんがいて、いろいろ話を聞くことが出来た。
この人はデリーとプネーに留学したことがあり、サンスクリットを専攻していたとのこと。※ネットでこの教団のホームページにアクセスしてみたが、ずいぶん小さな教団らしい。また尼寺らしく、代表者も女性のようだ。このお寺も日蓮系とのことだが、いわゆる新宗教に相当するような教団なのかもしれないがよくわからない。日本山妙法寺もそういう括りになるようだ。

一心寺

一心寺はNGOのAMDAとボダガヤーで共同しているそうだ。宗教団体が海外で活動する際には、こうした民生型のNGOと協力して事業を進めていくことが多いと尼さんは言っていた。どちらも単体ではなかなか入っていくのが難しいことがあるが、布教と援助事業を掛け合わせるとうまく行くことが多いのだという。ボダガヤーではもう、新しい寺院の建築は出来ないことになっているとのことだ。政府が制限しているとのこと。

寺を辞して、大仏に行く途中で、仏心寺というお寺があった。こちらも日蓮系だそうだ。本堂でお参りさせていただく。ここには宿坊があり、こういうところに宿泊しても良かったなと思う。そこから大仏へ。バブルの頃に建築が始まり、円高の時代で日本経済も好調だったころだからこそ出来た事業だろう。今後はこうした規模での建築は日本の教団にはできないように思える。

大仏

そこからさらに先に進むと、中国系の寺院があったが、門が閉まっていて入ることはできなかった。その近くにはカンボジア寺院がある。実にいろいろな国がお寺を建立しているものだ。最後にカルマ寺院へ。ここではチベット仏教系の寺が実に多い。お堂は扉が閉まっていて、拝観することはできなかった。

中国系の寺院だが台湾の教団と思われる。
カルマ寺院

ここを最後に、ボドガヤーを出てパトナーに向かうことにした。

ボドガヤー 1

仏陀が悟りを開いた地、ボドガヤーを初めて訪れたのは1989年であった。外国の仏教教団がそれぞれのスタイルで建てた大きな寺院が沢山あり、さながら「世界仏教寺院博覧会」のような様相を呈していたことに驚いた記憶がある。

しかしながら地元の人々が暮らす地域は、まだ村であり、ボドガヤーを縦断する道路沿いに小さな食堂や簡素な宿が点在していた。各国が建てた大きな仏教寺院を除けば、特に視界を遮るものはほとんどなく、どこからでも周囲が広く見渡せる素朴な環境であった。

「素朴な」といっても、それは視覚的な部分だけで、やたらと日本語が巧くて、日本人旅行者をカモにしていると思しき輩は出没していたし、重要な仏跡であることを除けば何もない寒村に、世界各国から幾多の観光客が日々訪れるだけあって、私たち一時滞在の外国人が接することになる相手は、あまりのんびりしたムードの人たちではなかったようにも思う。

現在のボドガヤーは見違えるように建て込んでいて、かつて村であった面影はなくなり、すっかり町になっている。おそらく季節ものかと思うが、仮設の遊園地が出来ていることから、観光客ではなく、地元に暮らす人たちを相手にしても、それなりの商売が成り立つようになってきているようにも思われる。

2013年にオープンしたという新しいゲストハウスに宿泊。NGOが運営するもので、子供たちの学校も運営しているという。現在35人の面倒を見ており、その半数くらいはホームレスであるとのこと。ここのオーナーはまだ若い人だが、フランスの人たちからの援助も受けてのプロジェクトを進めており、手の届く範囲と規模でやっているそうだ。

ゴータマ・シッダールタが悟りを開いたとされる場所にあるマハーボディー寺院へ行く。入口手前にある履物預かり所に靴を置いてきたが、預けてある靴がずいぶん少ないことを不思議に思ったが、寺院のお堂の中に入るまでは土足でいいらしい。

裸足で進んでいくと、さすがにこの時間帯はずいぶん寒いし足元が冷たい。暑季には、足が焼けるほどに熱いことだろう。建物中までは靴を履いていてよいというのは、結局ここではチベット仏教の影響力が強いということがあるがゆえのことかもしれない。

参拝者の中にはインド在住のチベット仏教徒たちが多いが、その中にはブータン人たちの姿も多い。洋服を来ているとどこの人だかわからなかったりするのだが、聖地を訪れるということもあって、民族衣装で正装してくる人が多い。とりわけ男性のそれは実に凛々しくていい感じだ。

他にもベトナム人のグループが自国の僧侶とともにベトナム語の経典を読んでいたり、ミャンマーの仏教徒グループが自国の僧侶に率いられて訪れていたり、タイ仏教徒の集団も見かけた。また中国系の人たちの姿もある。ベトナムの訪問客はかなり多くなっているのか、町中でベトナム語で書かれた看板も見かけた。限られた時間の滞在の中で、案外見かけなかったのが日本人のそうした団体で、特にそれらしき人は見かけていない。円安のためもあるかもしれない。

ミャンマー人団体
ボダガヤーの町中で見かけたベトナム語の看板

境内の敷地内では、チベット仏教徒たちが五体投地の礼拝をしている。中央の本堂の外側では、チベット仏教のバターと小麦粉で作った細工物が飾られており美しい。ゴータマ・シッダールタが悟りを得たとされるボディー・ツリーの周辺では、とりわけ多くの人たちが読経をしている。この木はやはり大変なパワースポットのようで、身体の隅々にまで、そして鼓膜にまでビンビン感じるものがある。スピーカーを通した読経の声があまりに大きいため、そのくらいビンビンと響くのである。

五体投地して礼拝するチベット仏教徒たち
バターと小麦粉を練ったものから出来ている。
ゴータマ・シッダールタはこの菩提樹の下で悟りを得たとされる。
ゴータマ・シッダールタがここで悟りを得たとされる菩提樹のたもとで読経する人たち
様々な言葉による読経
様々な言葉による読経
様々な言葉による読経
様々な言葉による読経

インド式の塔からなる本堂に入ってみた。中に行くまで行列がずいぶん時間がかかるが、私の前にいる親子はムスタンから来た母子である。子供は大変利発そうな感じで、警備しているインド人女性警官といろいろ話をしている。ずいぶんヒンディーが上手いのだが、ムスタンから来たことがその会話の中からわかった。

後からハタと思ったのだが、ムスタンのような閉ざされた地域の人たち、しかも幼い子供がヒンディーを流暢に話すというのはおかしい。ネパール語さえおぼつかなくてもおかしくないような気がする。するとインド在住なのかもしれない。聞いておけば良かった。ムスタンは外国人の入域が厳しく制限されているが、もしかするとそれとは裏腹に、ムスタンの人たちは活発に外界と行き来しているかもしれない。ちょうどブータンの人々がそうであるように。なかなか普段接点のない人たちだが、案外デリーでそういうムスタンの人たちを見かけてはいるのかもしれない。ただ、こちらが彼らをムスタン人と認識できないだけなのだ。

「タージマハルを訪問する外国人が減少」という記事について

以前、別のメディアでも同様のものを見かけたことがあるのだが、夕一ジマハルを訪れる外国人観光客が減っているとのことだ。

Dip in number of foreigners visiting Taj Mahal, for 3rd year in row (The Times of India)

背景についていろいろ書いているが、私が思うには、インドにおける観光振興がうまくいっている証なのではなかろうか。インドを訪問する観光客数自体は順調に伸びているようである。具体的には、観光資源があまりに豊富なこの国の魅力的なスポットや地域が国外にもさらに広く認知されることにより、訪れる先がより拡大しているものと捉えることができるだろう。

Number of foreign tourist arrivals in India from 2000 to 2014 in millions (statista.com)

90年代以降にインド人の間で自国内の観光が大きなブームとなり、それが定着することとなったが、80年代以前はかなり宗教的な目的で(巡礼やそれに近いような形で)「聖地」とされるところを訪れるというのがかなり大きな割合を占めていたという特徴はあるのだが、現在のインドの人々の大方は、純粋に各地の名所旧跡や自然を楽しむといったものになっている。もちろん情報量の違いから、インド人の旅行好きな層と一般的な外国人観光客とでは、そうした旅行先に関する知識の量に雲泥の差があるのは当然のことだ。

そうした状況から、インドを訪れる外国人観光客の層にしても数にしても、厚みが着実に増していることの背景には、この国が経済その他の面で注目される度合いが年々高まるにつれて、従前よりも多くの地域に人々が関心を持つようになったこと、これまであまり取り上げられなかったエリアやスポットも紹介されるようになってきていることなどがあるだろう。その背景には、日々増えていくインドの人々向けの旅行関係サイトのほとんどが英語であるがゆえに、世界中の人々が容易にアクセスして情報を得ているというようなことが作用していることもあるのかもしれない。

例えば、以下のような記事がある。外国人観光客とインド人観光客の訪問先の乖離について述べたものだ。

Foreign tourists choose to travel in a very different India than locals (QUARTZ India)

このように偏向した傾向が緩和されつつあるという現状があるのではないかと私は推測している。同時に、一般的な外国人観光客にとって、「新たな魅力が次々に発掘されていく」ことは、当然の帰結として、観光目的での入国者のコンスタントな増加に繋がることにもなる。

よって、超有名どころを単体で見ると、訪れる人々の数が減るということがあっても、まったく不思議ではない。「タージマハルを訪問する外国人観光客は減少、しかし総体としては、インドを訪れる観光客が年々増加している」ということは、むしろ諸手を挙げて喜ぶべき現象であると私は考える。

アフガニスタン人のナーン屋の店頭にて

デリーのラージパトナガルのアフガン人地区で、ナーンを焼く店。様々な顔立ちのアフガニスタン人たちが、それぞれの郷里式のナーンを商う。

はなはだザックリとした言い方をすれば、小麦食文化圏、アーリア系人種、啓典の民、etc.・・・、アーリア人発祥の地とされる中央アジアのフェルガナ盆地からイランを経て欧州までの人々の先祖の基層にある部分は、非常に共通するものがあることを感じる。

少なくとも、私たちの東アジア文化圏から見ると、彼らはまさに遠縁の親戚同士という気がする。

それにしてもこの地域、行き交う人々の間にアフガニスタン人の姿が実に多く、商店の看板にもダリー語での表記があちこちに見られる。

味の都、国際都市デリー

昼食は、ラージパトナガルのアフガニスタン料理へ。ホウレンソウの炒め物とケバーブ。とても上品な味わいだ。そして甘い緑茶にはカルダモンが効いていて、これまた美味である。この地区では、いろいろな顔立ちをしたアフガン人たちのナーン屋が、様々な種類のナーンを焼いて売っている。この料理屋で出てきたのは丸くて厚いウズベク式ナーンであった。おかずを注文すると自動的にナーンも出てきて、何枚頂いても良いというのがアフガニスタン式らしい。サイズが大きく、かなりお腹に溜まるので、そんなに大量に食べられるものではないが。

若いインド人カップルが店に入ってきてプラオを注文した。料理とともにナーンも出てくると、「これをおかずにナーンを食えというのか?」などと難癖をつけている。とりあえず食事を注文すると、これも同時に供されるのが習わしのようなので、勘弁して欲しいものだ。ここではナーンの料金は取らないし、食べなければ次のお客に回すのだろうから。

上品な味わいのアフガン料理

ラージパトナガルのアフガニスタン人地区のナーン屋店頭

様々な顔立ちのアフガニスタン人たちを目にする

焼きたてで実に旨そうな香りが漂う

ウズベク式ナーン

そしてデリーメトロのR.K.アーシュラム・マールグ駅近くにあるウズベク料理屋で夕食。店内にはウズベクのポップスが流れていて、それらしい雰囲気がある。注文したのはウズベク式のプラオ、サフランの色がとても濃くなったビリヤーニーのように見えるが、あっさりと薄味の脂ごはんという印象。これにスパイスやトウガラシを足すと確かにビリヤーニーになるという感じがする。このプラオがインドで現地化されたものがビリヤーニーなので、まさに同類の食べ物である。

ウズベク式プラオ

翌日はマージヌー・カー・ティーラーのチベット人居住区でチベット料理を食べる。本場チベットから移住してきた人たちが営む店が軒を連ねており、食事を出す店も少なくないが、人気の店はいつ訪れても常にお客で一杯だ。トゥクパと揚げたモモを注文する。中華料理の影響を強く受けてはいるものの、やはりチベット料理には独自の味わいがある。

トゥクパと揚げモモ

デリーにて、ムグライ料理、パンジャービー料理も素晴らしいのは当然だが、こうした近隣地域の料理屋もまた非常に美味なものを出すところが多い。とりわけ、そうした料理の本場の出身の人たちが大勢集う店では、決してハズレることなく、とても旨いものにありつくことができる。さすがは国際都市デリーだ。