The Lady

The Lady

今年7月21日(土)から、映画The Ladyがi日本で公開される。

母国ミャンマー(ビルマ)の民主化を目指して長い闘いを続けているアウンサンスーチー氏とその家族愛を描いた作品だ。

英語によるインタビュー映像しか見たことがない(私はビルマ語はわからないので・・・)が、上品な物腰とウィットに富んだ受け答えには誰もが魅了される。スレンダーな外見からは想像できない闘志と粘り強さを発揮して民主化運動を率いてきたスーチー氏の努力がようやく報われようという動きになってきている今、ミャンマーが今後本当に良い方向に動いていくことを願わずにはいられない。

建国の父、アウンサン将軍の娘であることによるカリスマと責任感はもちろんのこと、彼女自身の持つ人間的な魅力とこれまでの行動により示してきたリーダーシップと高潔さについて、誰もが称賛を惜しまない。ミャンマーの人々の間での支持とともに、遠く離れた家族との絆と信頼もまた、彼女を力強く支えてきたのだろう。

この夏、より多くの方々と感動を分かち合いたい。

BB AIRWAYS

ある方がフェイスブックに書かれていたことによって知ったのだが、在日ネパールの方でこんな試みに取り組んでいる人物があるとのこと。

「日本とネパールを結ぶ直行便を実現します」 BB AIRWAYS

BB AIRWAYSとは聞き慣れない名前だが、上記ウェブサイトによると、「2012年の運航に向けて準備中」であるとのこと。ネパールの首都カトマンズのトリブヴァン空港と結ぶ予定とされるのは、なんと茨城空港。9月の運航開始を目指しているのだという。

しかしこれまで名前さえ聞いたことのない会社なのでまったく見当もつかなかったのだが、ネパールのウェブサイトにはいくつか関連の記事が出ていることに気が付いた。

BB Airways gets ministry’s green signal (The Himalayan)

NEW AIRLINE: BB Airways Gears up for September Launch (Routes Online)

BB Airways acquires int’l operation licence (THE KATHMANDU POST)

BB Airways (ch-aviation)

日本在住のNRN(Non Resident Napalese)による航空会社だが、本拠地は母国ネパールとなるようで、就航先はデリー、バンコク、クアラルンプル、香港、東京(成田空港同様、茨城空港も便宜上「東京」?)、カタール、シンガポールとなっている。すでにネパール当局のライセンスは得ているとも書かれている。

これらの記事は、今年1月から2月時点のものであり、その後の進捗はよくわからないが、茨城空港への乗り入れはともかく、ネパールを本拠地とする新しい航空会社がスタートしていることは間違いないのだろう。

それにしても、この航空会社をスタートさせるというネパールから来たビジネスマン、ウェブサイトにあるように、最初は留学生として来日、その後日本で起業したということだが、BB AIRWAYSのリンク先を覗いてみると、いろいろ手広くやっているようだ。そこに来て今度は航空会社の設立と、ずいぶんやり手の人物のようだ。近々、日本の経済誌等でよく見かけるようになるだろうか。

どうなるのかまだよくわからないが、茨城・カトマンズ直行便就航計画の進捗を伝えるニュース等があれば、今後フォローしていくことにしたい。

成田・ヤンゴン直行便就航へ

先日に引き続いてミャンマーの話題。近ごろ何か取り上げられることの多い同国に、成田空港から全日空の直行便が就航する。時期は未定だが、年内には実現する見込みとのこと。実は、1996年7月から2000年2月まで、同社の関空・ヤンゴン便が飛んでいたのだが、長らく休止となっていた。

全日空 ミャンマーに定期便再開 12年ぶり(日本経済新聞)

おかげで、東京から眺めると隣国タイの首都バンコクとあまり変わらない距離にあるにもかかわらず、ヤンゴンはずいぶん遠く感じられてしまう状況が変化することを期待したい。これまでは、成田からタイ航空の午前便で出発して、同社が複数便持つバンコクからヤンゴンまでの遅い時間帯の便を利用すれば同日に到着することができたが、さもなければバンコクで一泊しなければならないのが現状だ。

今から1年ほど前にはMAI (Myanmar Airways International) によるヤンゴンから成田に乗り入れの計画を取り上げてみたことがあったが、まだ実現していない。それでも同社のウェブサイト内のルートマップには、『Future Route』として東京、ソウル、香港、デリー、ドバイといった就航予定地が記されている。

ミャンマーへの経済制裁緩和近しという情勢により、ビジネス目的で世界中が注目していることもあり、今後は他国の便も順次乗り入れを図るようになってくると予想される。

インドからは、エアインディアがコールカーターから月曜日と金曜日にヤンゴンに就航している。今後、ジェットエアウェイズその他が就航することもあり得るのではなかろうか。もとより関係の深いインド・ミャンマー両国であり、利害を共有する部分も少なくない隣国同士でもある。ヤンゴンその他に大規模なインド系の人口が存在していることもあってか、従前から商用その他でミャンマーを訪問するインド人や他国在住のインド系の人々は少なくなかった。

前述のMAIは、ヤンゴンから水曜日と土曜日にビハール州のガヤーへの定期便がある。ビジネス目的の乗客が多いとは思えず、仏教国ミャンマーとはいえ、そこから仏蹟巡りに出かけるお客がワンサカいるとも考えられないのだが、主にどういう人たちが利用しているのかよくわからない。予定されているデリー便の就航が待たれるところだ。

経済成長にともなう可処分所得の伸長により、海外旅行を楽しむインド人が増えており、インド発の様々なパッケージツアーなどもいろいろ売り出されている。タイやマレーシアと較べて華やかさに欠けるものの、美しいビーチや壮大な遺蹟等の観光地には事欠かないミャンマーだけに、今後は観光目的で訪問するインド人も増えてくることだろう。

私たち日本人にとっても、インドのすぐ隣のミャンマーという魅力的な国が訪れやすくなるのは嬉しい限りだ。インドまで足を伸ばす際に、行き帰りともにヤンゴン経由でミャンマーも見物という選択肢が可能となるのはありがたい。

ミャンマーのE visa

近ごろ何かとニュースで取り上げられることが多くなったミャンマー。『上からの民主化』の進展により、経済制裁の緩和が近いことが予想されるため、経済面からの注目を浴びるようになっているからであることは言うまでもない。

国際社会からの孤立が長く続いてきたことによる経済や各方面インフラの立ち遅れの中で、今まさにどん底にあるにもかかわらず、初等・中等教育は広く普及しているため、識字率は約90%と意外なまでに高い。加えて一大農業国であるとともに、地下資源大国としても広く知られている。石油・天然ガスなどに加えて、鉄、錫、銅その他の鉱物資源にも恵まれている。

それらと合わせて、人口6千万を抱える大国であり、先述のとおり一定水準の教育が行き届いた人材豊富な国家でもあることから、多くの国々にとって将来有望なマーケットであるとともに、製品加工基地としての役割も期待されることになる。

大きな潜在力を抱えつつも、政治的理由によって、これまで極めて低い水準にあっただけに、経済制裁が緩和ないしは解かれることになれば、今後急激な成長が見込まれるだけでなく、その伸びシロは限りなく大きい。

従前から、そうした将来性を見込んで同国に投資している企業や個人等はあったものの、長く続いてきた軍事政権による圧政と、これに対する先進諸国等による経済制裁下での先の見えない停滞が続く中、一部のASEAN諸国やインドによる投資や交易、加えて海外進出意欲旺盛な韓国の企業や個人による進出を除けば、同国での外資といえば、ほぼ中国による寡占状態にあった。

たとえ旅行者として同国を訪れても、アメリカやEUによる経済制裁の影響はごく身近に感じられるものである。古色蒼然とした街並みや市内を走るあまりに旧式の自動車の姿はもとより、ヤンゴン市内の一部の高級ホテル(自前のルートによりシンガポールなど海外で決済)を除いて、トラベラーズチェックもクレジットカードも使用できず、基本的に米ドル現金を持ち込んで使うしかないという状態は、初めて訪れる人の目には、あまりに奇異に映ることだろう。経済制裁により、海外との金融ネットワークから遮断されているがゆえのことである。また同国自身の厳格な外貨管理により、基本的に『普通に店を構えた両替商』は存在しなかった。そのため主に宝石、貴金属類、みやげもの等を扱う店を回り、交渉のうえでミャンマー通貨に両替するのが普通であった。

そうした状況も近々変わっていくようだ。ヤンゴンの国際空港等にちゃんとした市中レートで両替カウンターが出来ていると聞く。おそらく市内の繁華街や国内のメジャーなスポット等に、今後『ちゃんと店を構えた両替屋』が続々出てくることだろう。

それにミャンマー国内から正規のルートによる海外送金サービスが開始されるという話も耳にする。商取引はもとより、同国から海外留学を希望している若者たちにはとっては朗報だ。たとえば日本に留学しようとする場合、現在までのところミャンマーから日本へ正式な送金ルートが不在であったため、ミャンマー国外つまり日本ないしは第三国に留学経費を支弁することが可能な立場(経済的に裕福な近親者)がなければ、たとえ若者自身の親がミャンマーでそれなりに高い経済力を持っていても門前払いであったからだ。

インドでは、経済政策の大きな転換により、1990年代から2000年代にかけて、とりわけ都市部が大きく様変わりし、その動きは衰えることなく続いているが、自国内での規制その他のみならず、経済制裁という大きな足枷をはめられてきたミャンマーにおいてはおそらくそれ以上の速度で多くの物事が変化していくことだろう。もちろん人口がインドの足元にも及ばない程度のものであり、人口密度もあまり高くない。『スピード感』ではこちらのほうが勝ることになると思われる。またASEANというひとつの大きな経済圏の枠組みの中にあることも有利に働くことだろう。あくまでも経済制裁の大幅な緩和あっての話ではあるが。

前置きが長くなったが、ミャンマーで観光客向けにE visaというシステムが月内にも導入されるという。事前にインターネット上で所定の手続きとクレジットカードによる査証代金の支払いを行ない、それと引き換えに数日以内にメールで送られてくるレターをプリントアウトして、入国時にパスポートとともにイミグレーションに提示し、その場でヴィザを発行してもらうというシステムだ。

MYANMAR E Visa “How To Apply” (myanmarevisa.gov.mm)

本日4月10日現在、まだ運用は開始されていないようだが、申請手続きはこちらの画面で行なうことになるらしい。証明写真のデータをアップロードするかカメラ付きのPCあるいはウェブカメラにてその場で撮影することもできるのだろう。

現在、東南アジアの中で私たちが観光による査証取得必要なラオス、カンボジア等で国境到着時に簡単なフォームを記入して現金で代金を支払えば即座にヴィザが発行されるような具合になると良いのだが、まだまだ『敵が多い』国であるだけに、このあたりが最大限の譲歩なのだろう。それでもこうした動きは大いに歓迎したい。

今後10年、15年の間に、ずいぶん旅行しやすい国になっていくことだろう。道路その他交通網の整備に多額の投資がなされるはずだし、観光という分野も主要な産業の柱のひとつとして位置づけられることは間違いないので、宿泊施設その他の面でも大きく改善されていくことと思われる。

そうした中で、まだわずかに残っている、かつて『英領インド』の一部であったことの面影や残り香も急速に失われていくことも必至だ。人々の暮らしが向上し、今よりも自由に物を言える社会になること、民意が反映される国になっていくことについて、諸手を挙げて応援したいことは言うまでもないが、他のどこにもないこの国であるからこその味わいに関心がある向きには、まさに今が旬なのかもしれない。

もうひとつ期待したいことがある。各地で民族運動が盛んであることから、まだまだ外国人が入域できなかったり、自由に立ち入ることができなかったりする地域が多いミャンマーだが、このところ各反政府勢力との和解が進んできているため、陸路で入国して他の地点から陸路にて出国という旅行も、やがて容易にできるようになってくるのではないだろうか。

とりわけインドとの間については、インドのナガランド州のMorehからミャンマーのチン州のTamuのルートが外国人に対して開放されるようになるとありがたい。現在、インドのナガランドは私たち外国人がパーミット無しで入域できるようになっているが、ミャンマー側はそうではないようだ。

南アジアと東南アジアの境目の地域が広く自由に旅行できるようになれば、いろいろ新たな発見があることと思われる。また、これまで隅に置かれてきたエリアの文化・伝統の価値やこれまで影で果たしてきた歴史的な役割が人々に再認識されることにもなるのではないかと思っている。

「ボイシャキメラ」&「ダヂャン」

4月15日(日)午前10時から午後6時まで、東京都豊島区池袋の池袋西口公園にて、「第13回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ」が開催される。

毎年、大盛況のJBS(Japan Bangladesh Society)主催によるこのイベントには、東京周辺はもとより、関西その他各地から多くのベンガル出身の人々が集う。

同じ日に、千代田区の日比谷公園で、在日ビルマ(ミャンマー)人たちによるダヂャン(水祭り)も開催される。

母国から遠く離れた日本で、バーングラーデーシュとビルマ(ミャンマー)という隣り合う国々の人々が、それぞれの正月を祝う。

日本人の私たちも、お正月気分をシェアさせてもらって、大いにおしゃべりに興じることができれば幸いである。

イベント当日は好天に恵まれますように!