ヤンゴンのクリスチャン墓地

ヤンゴン郊外のクリスチャン墓地

先日取り上げたミャンマーのヤンゴン郊外の日本人墓地のすぐ北にクリスチャン墓地がある。英国人をはじめとする欧州系の人たちの墓が沢山あるのではないかと予想していたが、そうではなかった。

墓地に埋葬されている方々のほとんどはミャンマー人

敷地内の墓石の大部分はミャンマー人のもので、クリスチャンネームとともにビルマ名も刻まれている。世俗の生活の中で、もっぱら使用していたのは当然後者のほうだろう。この国においては、ヒンドゥーもムスリムも日常用いているのはビルマ名である。

無造作に積まれている墓石

欧州人たちの墓は、ごく小さな一角にまとめてあった。想像していたよりもはるかに少ないが、相当整理されてしまったに違いないことは、墓石が無造作に積まれている有様からも見てとれる。

時は移ろう。世を支配する立場の側にあった人たちも鬼籍に入り、世間に影響を及ぼすことはなくなる。人々の間の記憶から忘れ去られていき、歴史の過去に消えていき、この世に生きる私たちとは無縁の存在となっていく。

付近にはシーア派ムスリムの方々の墓地もある。当然、インド亜大陸からの移民(および少数ながらイラン系の移民)ということになるので、ぜひ訪れてみたかったが、すでに日没の時間となってしまったので断念せざるを得なかった。

SEASONS OF YANGON

SEASONS OF YANGON
SEASONS OF YANGONの客室へ

ヤンゴンの空港の国際線ターミナル正面にあるSEASONS OF YANGONというホテル。かつては、アメリカのラマダグループのホテルであったが、90年代前半に撤退した後を受けて、オーストラリア系資本が買収し、現在に至っている。

元々が『外資系のちょっといいホテル』であったため、施設は古びている部分もあるが、それでもずいぶんお得感があった。5、6年前には一泊25ドル、2年前は30ドルであった。それが昨年には35ドルと上がったのだが、今年は一気に50ドルにまで上昇している。

それでも市内の宿の料金が軒並み急騰している中、相場や建物の質や部屋の内容等を考え合わせると、まだまだ割安感はあるといえる。今のところはまだ部屋でwifiを利用できないが、現在ではロビーでは使用することができるようになっている。

数年前に、支配人で華人系マレーシア人のTさんと飲んだことがある。個人でフラリと訪れているお客に自分のワインを振舞って話し込むことができるという暇な時代であったわけだが、当時は私以外に宿泊客が2人とか3人とか、そんな状況であった。

「この国がこのままであるはずがない。今に大きく変わると信じているから続けているのだ」と熱く語るTさんであったが、閑古鳥の鳴く大型ホテルにこの程度の宿泊客数、この程度の料金設定で、よくやっていけるものだと思った。

今、Tさんが期待していた、まさにその時期がやってきたといえるだろう。今晩宿泊しているのは何と60人という。道理で、次から次へとレセプションに新しいお客が到着しているわけだ。

「ウチみたいに、周囲に何もない、空港近くにあるトランジットホテルは、何泊もするものではない。まさに乗り換えが目的でお客さんたちが利用するホテル。だから空港により多くの人たちが乗り降りする状況になることが大切なんだ。」とも言っていたことを思い出す。

まさにそういう状況になりつつある。乗り入れている航空会社、そして本数も大幅に増えてきた。そして各フライトの搭乗率も着実に上がってきている。スタート地点が低かっただけに、これからの伸びしろは大きい。

客室内

今後、市内では大小、高いものからエコノミーなものまで、様々な宿泊施設がオープンする方向にあるようだが、まだまだ宿泊施設は著しく不足しているため、クラスを問わず、今後もしばらくの間は宿泊料金の上昇は続くものと思われる。

ミンガラードン・タウンシップにある空港とこのホテルだが、今のところ周囲には特に何もない状態ではあるものの、いくつか新しい飲食施設が出来上がっていて、それなりにお客が入るようになっている。

少し北東方向に向かうと、小規模なバスターミナルやそれなりの規模のマーケットもあり、そのあたりから商業地が延伸してくることも充分あり得ることだろう。

このミャンマーという国、とりわけ商都ヤンゴンは、ほんのチラリと目をやっただけでも、無限大の商機と可能性を秘めているように思えてならない。

避難経路を示す図。ラマダホテル時代のものらしい。

ヤンゴンの日本人墓地

ヤンゴンの日本人墓地
ミャンマー最大の都市、ヤンゴンの空港から北東方向にクルマで20分ほど進んだ地域に、日本人墓地がある。もともとはあちこちに埋葬されていたものを、ある時期にこの場所に集合させたものであるとも聞いている。背景には在ヤンゴンの日本人会による尽力も大きかったとのこと。
大正時代に亡くなられた方の墓石
連合軍墓地のように高度に組織化された感じではないが、様々な異なる背景を持つ日本人たちがこの地に眠っている。石の表面が摩耗して、もはや判読することすら難しくなっているものも多いが、古くは没年が大正時代のものあったし、昭和一桁に亡くなった人の墓もかなりある。第二次世界大戦が始まる前の当時のミャンマーで、個々の人たちにとって具体的にどんな縁があって移り住むことになったのかはわからないが、大英帝国の海外植民地の大都市のひとつとして繁栄したこの街だけに、様々な商機があったのだろう。この時代に日本から渡ったからゆきさんも少なくなかったようだ。
戦没者関係の慰霊碑や墓石が目立つ
連隊の従軍概要についても記されていた。
戦没者たちへの鎮魂碑
戦没者関係の石碑は非常に多い。
「ビルマの竪琴」の主人公のモデルとなった人物の関係の石碑もあった。
亡くなったご本人もまた軍国主義の時代の被害者。決して繰り返してはならない歴史である。
墓地内で、最も存在感があるのは、やはり戦没者関係である。大きな石碑が多く、具体的な記述があるためでもある。個々の墓碑、所属していた連隊等の戦友たちによる慰霊碑、戦没者の出身県による同類の石碑等々。だがこの時期の墓碑に特徴的なのは、個人の名前も何も刻まれていないものがかなりあることだ。これらの人々が亡くなったとき、個々の身元確認が困難であったり、混乱を極めた時代であったりしただけに、埋葬先にまで故人の基本的な情報の伝達すらうまくいかないという状況があったのではないかと推測できる。
また先述のとおり、各地に埋葬されていたものを、この地にまとめて改葬したということもひとつの原因かもしれない。日本人の墓であることは判っていても、そこに葬られているのが誰なのかが分からなくなっているというケースもあってもおかしくない。
戦没者埋葬エリアでは氏名も亡くなった日付もない墓石が多い。
個人的に存じ上げている、戦時中に航空通信連隊に所属して終戦を迎えたという方があるのだが、まさにその方が戦友たちのために個人で建立された石碑を見かけた。世間というものは案外狭いものだ。
この方の出身地は平安北道。現在は北朝鮮となっている。
戦時中に亡くなった方々の中で、明らかにコリアン系の方々の名前も少なくなかった。日本と併合されていた時期に他界した人々であるがゆえに、日本人という扱いになるのだろう。この写真の方の場合、没年が昭和12年となっているので民間人であると思われるが、その後マレー半島への侵攻に始まる東南アジア方面への日本軍の展開の中で、軍人や軍属としてこの地を踏んだコリアン系の方々も少なくなかったはずなので、この時期に日本人名で埋葬されているケースもあるのではないかと思う。
1978年の航空機事故で亡くなった日本人技術者たちへの慰霊碑
戦後に亡くなった方々のものもある。1978年に起きたヤンゴン発ミッチーナー行きの国内線墜落事故で亡くなった、援助プロジェクトの関係で来緬した日本人技術者6名の慰霊碑、そのあたりの時代から2,000年代に入るまでの間に、当地で亡くなった日本人たちの墓である。
隣国タイなどと異なり、対外的に非常に閉鎖的な体制が続いていたこの国だけに邦人在住者の数や在留していた目的等もごく限られるため、戦後のこの国の激動の時代をつぶさに目撃するという稀有な体験をしてきた人たちであると言えるだろう。
埋葬された時代を問わず、日本の墓地と大きく異なる点として、大半のものに戒名がないということがある。ごく一部にこれが刻まれている墓石があるが、それらは日本で遺族が菩提寺からもらったものであろう。
故郷から遠く離れた熱帯のこの地で安らかに眠る人々の魂がここにある。

MAI (Myanmar Airways International) ミャンマーから日本への直行便就航

MAI (Myanmar Airways International)

てっきりMAI (Myanmar Airways International)が日本との間の定期便を飛ばすようになるのかと思ったのだが、そうではなくゴールデンウィーク期間中の訪問客のためのチャーター便であった。

5月1日に成田からマンダレーへ、そして5月5日夜にヤンゴンから成田に向けての帰国便(成田到着は5月6日)という組み合わせ、もしくは4月27日に関空を出発してマンダレー到着、そして5月1日にヤンゴンから関空へと戻るというものだ。

2013年ゴールデンウィーク限定 祝!ミャンマー国際航空 ミャンマー直行便就航 (MAI)

チャーター便の航空券販売とともに、ヴィザの手配も代行 (MAI)

しているようで、なかなか力が入っている。おそらく定期便就航へ向けての地ならしといったところなのではないだろうか。

ところで、MAIの東京事務所がすでにオープンしているとは知らなかった。ただし「日本地区総代理店」と記されていることから、どこか日本の提携先の旅行取扱業者がMAI予約・発券等の業務を請け負っているものと思われる。おそらく前述のヴィザ取得代行についても同様であろう。

現在のヤンゴン国際空港の小ぶりながらもモダンなターミナルビルがオープンしたのは2007年のことだが、建物を含めた空港施設が手狭になるのはそう遠い将来のことではないはずだ。

同様に、MAIによるミャンマーと日本の間を直行する定期便が就航するのも近い将来のことであればとても嬉しい。

ボイシャキメラ2013

_4月14日(日)に東京都豊島区の池袋西口公園で「第14回カレーフェスティバル & ボイシャキメラ バングラデシュ正月祭」が開催された。

開催場所に集まっている人々の大半はベンガル人、とりわけバーングラーデシュ人たちであるのは、この催しをオーガナイズしているのがJAPAN BANGLADESH SOCIETYという団体であるがゆえのことである。

同胞たちと出会うことができる年に一度のイベントに参加するために、群馬県、茨城県といった首都圏周辺地域はもちろんのこと、関西その他のエリアからも泊りがけで来る人たちが多い。

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私自身も、この催しで知人や顔見知りの人たちをあちこちで見つけては、世間話に興じるのがとても楽しいことを思えば、在日バーングラーデーシュの人たちにとってはまさに欠くことのできない一大イベントなのだろう。

会場でときどきヒンディー語が聞こえてくるのは、在日バーングラーデーシュ人の勤務先等で接触のあるインド人が来場しているためのようだ。

開催地の池袋西口公園のそこここで、在日の彼らの二世たちが遊んでいる姿を見ると、往々にして会話が両親の母語のベンガル語ではなく、日本語であることに気が付く。

妻子連れで日本在住のケースに限れば、主にITその他の企業による派遣で日本に来ている人たちが多いインド人たちに比べて、在日バーングデーシュ人たちは「骨を埋める」覚悟で来ている人たちが多い。もちろん公立学校以外の選択肢を取った場合のコストの大きさの関係があるかとは思うが、在日の彼らの日本に対する心情や期待感に応えることができる日本であることを願いたい。

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