先入観を疑うべし

バーングラーデーシュでのグラーミーン・バンクによる取り組みから世界的に注目されるようになったマイクロ・クレジット。通常、商業銀行から融資の利用ができず担保も持たない人々のグループに対する少額融資であり、返済についてはそのグループ全体が責任を負うという仕組みだ。経済的に困窮している層、とりわけ女性たちの経済・社会的地位向上のための役割が評価されている。

マイクロ・クレジットの代表格と言えるグラーミーン・バンクがアメリカに進出し、グラーミーン・アメリカを設立したのは2008年。当初はいろいろ不利な予想もあったが、現在までの4年間で着実に実績を上げているようだ。

Grameen America

滝川クリステル×ムハマド・ユヌス(ウェブゲーテ)

米国市民の間での経済格差について、よく「米国の黒人の寿命はスリランカと同程度である」ということが言われる。国民皆保険制度がなく、医療費が私たちから見れば法外なまでに高額なものとなりがちなことから、定収入のある勤め人でも大病を患った結果、自己破産という例はよくあるようだ。ましてや経済的に不利な境遇下にあるマイノリティの人たちともなれば、必要なときに充分な診療を受ける機会を逃してしまうということは決して想像に難くない。

だが、具体的な数字を提示することなく「スリランカ並み」という表現には、かなり恣意的なものを感じずにはいられない。このあたりの事情をあまり知らない人がそれを耳にすると、『とんでもなく短命』であるような印象を受けることを画策しているはずだからである。国連の統計によると、2005年から2010年の間のスリランカの平均寿命(74.25歳)は突出して高く、南アジア地域の平均の64.48歳を10歳近く上回る。ちなみにインド(64.19歳)は、ちょうどその平均値あたりにいる。

世界の平均寿命 (United Nations Population Division)

平均寿命73~74歳程度の国々はといえば、中東やアジアでは、サウジアラビア(73.13歳)、バハレーン(74.60歳)、タイ(73.56歳)、欧州ではルーマニア(73.16歳)、ハンガリー(73.64歳)、エストニア(73.91歳)あたりが挙げられる。日本では何故か長寿のイメージがあるブルガリア(72.71歳)、経済成長著しい中国(72.71歳)と比較しても、実はスリランカの数字はなかなか立派だ。豊かな産油国、東ヨーロッパと同水準なのだ。

予備知識無しで、「アメリカの黒人の寿命はスリランカ並みだ」と言われると、いささかショックを受けるかもしれないが、これを「金満の産油国並みだ」と言い換えたら、どんな印象を受けるだろうか。

国情の異なる国々の寿命を平たく慣らした世界平均(67.88歳)はあまり意味のないものかもしれない。だが、あらゆる面においてはるか前を邁進しているはずのアメリカ(77.97歳)の平均寿命が、自分たちの国との間のあまりに大きな経済格差のあるアメリカの平均寿命が、自分たちのそれとの差が3歳強しかないことについて、スリランカの人たちは不思議に思うだろう。

アメリカにおけるバーングラーデーシュ発のマイクロクレジットの成功、アメリカの黒人がとりわけ短命であるという一種の都市伝説の類など、先進国と途上国という色分けを取り払って社会を眺めてみると、世の中でいろいろ興味深いものが見えてきそうだ。

サッカーボール Made in Pakistan

ADIDAS、DIADORA、PUMA、NIKE等々、ブランドを問わず、サッカーボールに表示されている生産地は、パーキスターンとなっていることが多い。世界に出回っているこれらのボールのおよそ8割は同国で製造されているという。もちろんサッカー以外の種目においても、とりわけ縫いボールの場合はたいていそんな具合らしい。

だがパーキスターン各地で広くこれらが生産されているわけではなく、パンジャーブ州のスィヤールコートに集中しているのは興味深い。縫いボールの工程が機械化されているところもあるらしいが、やはり主流は手縫いであるため、極めて労働集約的であることから、低賃金で作業する労働力が豊富にあるところということになる。するとパーキスターン全土はもとより、南アジア地域で普遍的にこの産業が盛んであってもいいように気がするのだが、そうではなく、一極集中しているのには何か理由があるに違いない。

パーキスターン以外にも、サッカーボールを大量に生産している国は他にもいろいろある。中国製のボール、南米で作られたボールもあるし、価格帯は非常に高かったがかつては日本製も公式試合球(市場はほぼ日本国内に限られていたようだが)として販売されていた。

パーキスターンでサッカーボールの生産が飛び抜けて多いことについて、歴史的な経緯という観点からは、サッカーの母国であるイギリスの海外領であり、家畜の屠殺が盛んであったということがある。ボールの外皮として使われる牛皮はもちろんのこと、現在使われているゴムチューブが普及する前までは、牛の膀胱が使用されていたため、ボール製造の材料の有力な供給地であった。

牛皮といえば、今では本革のサッカーボールはほとんど見かけなくなった。かつてはサッカーボールといえば、当然のごとく革製品であった。皮革という性質上、同じメーカーの同一品番の製品であっても、かなりバラつきがあった。同じように使用していても、かなり寿命が異なった。動物の皮である以上、部位により厚みや硬軟にどうしても差異が出てくるため、ボールに空気が充満して表面が緊張した状態で放置すると、ゆがみが生じてくる。そのため、練習や試合で使う際にポンプで空気を入れて、使い終わったら空気を抜いて保存するというのが常識であった。これを怠ると、とりわけ安価なボールの場合、楕円形になってしまったり、縫い目が広がってチューブが外にはみ出してきたりすることがよくあった。

主流であった本革から人工皮革へと素材が切り替わる大きな転換期は、1986年メキシコで開催されたワールドカップであった。サッカー選手としてピークにあったマラドーナが大活躍して母国アルゼンチンを優勝に導いた「マラドーナの、マラドーナによる、マラドーナのための大会」として広く記憶されている大会だ。彼の「神の手」によるゴール、伝説の5人抜きなど、後々に語り継がれるプレーを連発した大会だった。この大会で公式球として採用されたのは、ADIDAS社のAZTECAというモデル。ワールドカップ初の人工皮革製のボールだった。

人工皮革のボールが普及し始めた当初、高級品を除けばまだまだ本革製品と質感が異なり、あまり積極的に手を出す気にはならなかったものの、クオリティの向上には目覚ましいものがあり、耐久性の面はもちろんのこと、サッカーの全天候型競技という性格からも、雨天でも水を吸収して重くなって反発性が失われるという本革特有の欠点とは無縁で、濡れた後の手入れの面倒もなく、素材の普及とともに高級品が低価格化していくという非常に喜ばしい展開が進んでいく。その結果、本革製品を市場からほぼ駆逐することになった。

サッカーボールの人工皮革化は、テニスコートほどの広さのコート(体育館あるいは人工芝)で行う5人制の競技、フットサルの普及にもつながっている。もともと「サロンフットボール」ないしは「インドアサッカー」として知られていたものだ。これのラテン式名称の略語フットサルが定着した結果、競技の正式名称として採用されるようになった。このスポーツで使用されるボールのサイズは、成人のサッカーで使用される五号球であるのに対して、四号球とひと回り小さいだけでなく、外皮には低反発素材を含む人工皮革が使用されており、狭い場所での競技に適した反発性に仕上げてある。人工皮革素材の発展と普及なくして、この競技が現在のように広まることはなかっただろう。

話はスィヤールコートのボール生産に戻る。3月24日(土)と25日(日)に東京渋谷区の代々木公園で開催された「パキスタン・バザール」に、日本の外務省招聘により、スィヤールコートの工場関係者たちが出展していた。ブースには工場の経営者とともに工員2名が詰めており、サッカーボールの手縫い作業を実演していた。初めて外国を訪れたという工員たちとも少し話をしたのだが、作業はなかなか時間がかかるもののようで、一個縫い上げるのに2時間くらいかかるとのこと。そのため1人が丸1日かけても、せいぜい4個か5個程度しか作ることができないらしい。世界の生産量の8割を担うというスィヤールコートで、どのくらいの人々がこうした作業に従事しているのか、ちょっと想像できない。

一針一針丁寧に縫い上げていく慣れた手さばきはお見事!

スィヤールコートという街自体は、人々の平均年収が1,370米ドルと高く、パーキスターン全土の平均値の倍ほどの収入を上げていることから、地域経済におけるボール生産業の貢献度は非常に高いものと思われる。

とはいえ、こうした製品はMade in Pakistanとして消費者からの需要があるわけではなく、あくまでも生産委託元の外国ブランドの名前で輸出されるがゆえのことであり、内外の市場で通用する地場ブランドが存在していないことについては憂慮すべきものがある。同様に、スィヤールコートなくしてサッカーという世界的な競技が成り立たなくなっている現状にもかかわらず、相も変わらずパーキスターンはサッカー不毛の地であることについても、なんだかお寒い限り・・・としか言いようがない。

PACPAD

こんな記事を見かけた。

iPadならぬ「パクパッド」、パキスタン国防省が生産 (asahi.com)

googleで検索してみると、同様の記事がいくつか引っかかってくる。

$200 PACPAD by Pakistan military (ubergismo)

PACPAD: An Android Tablet by Pakistan Aeronautical Complex (Android Phones in Pakistan)

上の記事ではスペックも記されており、こうしたタブレットPCとしては一般的なレベルのものであるようだ。タブレットPCの低価格化はかなりの速度で進行している。とりわけ第三世界で開発製造されるアンドロイドOSを用いた製品としては、7インチ画面の製品で200米ドル前後という価格は、とりたてて安価というわけではないが、軍需企業による一般消費者向け製品という点が話題になっているのだろう。

ちょっと気になるのは、この製品のホームページhttp://www.cpmc.pk/products/pad/にアクセスしようとすると、PC画面に以下の表示が出たこと。

ウェブサイトに何か仕込んであるのか、それともハッカーに攻撃されたのか知らないが、ちょっと危険な匂い?がする。果たして、製品自体は大丈夫なのだろうか、と締めくくってしまっては、懐疑的に過ぎるだろうか?

「フェリーチェ・ベアトの東洋」 東京都写真美術館にて

19世紀を代表する偉大な写真家、フェリーチェ・ベアトーの作品群が日本に上陸する。

アメリカのロサンゼルスにあるJ.Paul Getty Museumによるフェリーチェ・ベアトー(1832-1909)の作品の国際巡回展の一環として、日本では東京都目黒区の東京都写真美術館での公開である。

2年ほど前に、『時代の目撃者 ベアトー』と題して、写真家ベアトーについて取り上げてみた。今の残されている幕末の江戸の風景の秀作の中には、彼の手による作品が多いことは、日本でよく知られているが、1853年に勃発したクリミア戦争、そして1857年に始まるインドのセポイの反乱を撮影したことにより、戦争写真家の先駆けでもある。

当時の交通事情はもちろんのこと、その時代の写真機材自体が後世のものとは大きく異なるため、彼が撮影したのは戦闘行為が終了した直後であるとはいえ、戦火の爪痕生々しい北インド各地の様子や処刑される反乱兵の姿などを伝えるとともに、当時の街中の様子なども活写しており、貴重な歴史画像を私たちに残してくれている。

ベアトーの生涯を概観する日本発の回顧展という位置付けがなされており、アジアの東西で多くの風景を撮影した彼の青年期から晩年までの軌跡をたどることができる。写真芸術としての高い価値はもちろんのことながら、歴史的な重要性も極めて高い。

今から180年前に生まれ、103年前にこの世を去ったベアトーが後世に残してくれた風景の中にじっくりと浸ることができる稀有な機会だ。

会期は、3月6日から5月6日までの2か月間。

フェリーチェ・ベアトの東洋 (J・ポール・ゲティ美術館コレクション) 東京都写真美術館

※チェラプンジー2は後日掲載します。

ネパール映画上映「बाटोमुनिको फूल」邦題「道端の花」

बाटोमुनिको फूल 邦題:道端の花

2月26日(日)に、埼玉県川越市の市民会館大ホールにて、ネパール映画が上映される。

映画タイトル:बाटोमुनिको फूल (BATOMUNIKO PHOOL) 邦題「道端の花」(2010年公開)

地理的にも文化的にもインドの強い影響を受けてきたネパールらしく、この作品もインドの娯楽映画的なカメラワーク、演出、サウンド等々を駆使したものであり、亜大陸の映画文化圏の広さと懐の深さを感じさせるものがある。

内容は、幼馴染の男女ふたりをめぐるラブストーリーをベースにしているが、カースト差別による苦しみ、それを長年に渡り人々に強いてきた社会、変革を訴えてきた上位カーストの「活動家」の欺瞞等々を様々な角度から描いた社会派的な作品でもある。

ネパールは、小さな山国ながらも多民族・多文化・多言語が共存し、豊かな多様性に満ちた小宇宙のような広がりと奥行を持つ国だ。そうしたリッチな文化環境を育んできたのは、この社会を構成する沢山のコミュニティであり、それぞれの伝統が引き継がれてきたがゆえのことだろう。だが同時にそうした個々のコミュニティの確固として存在するがゆえに、差別というネガティヴな面も生み、その違いを固定化することにもつながる。

製作者は、ダリットをはじめとする低位カーストの人々に対する差別を、異なるカーストの男女の悲恋という形で映画に表現したが、これを持って言わんとしているものは、この国の社会に対するもっと大きな訴えであるように思える。

低カースト救済を看板にした欺瞞、カーストをベースにして社会を分断してしまう政治、あるイデオロギーのもとに低カーストの支持を集めて、そのイデオロギーの根源たる外国に対して自国を売り払おうとしているかのように見える勢力、混迷を極めて出口の見えない政争の世界・・・。

ダリット役の青年やその家族が、風貌も暮らしぶりも、とてもそれらしくは見えないとか、ストーリーの展開にやや唐突なものがあるとか、いろいろ感じることはあるかもしれない。これもまた、独自の事情や背景があってのことと受け入れて、じっくり鑑賞したい。

美しい映像を楽しむのもよし、悲恋のストーリーに涙するのもよし、胸の中で製作者の意図や社会的背景を思うもよし。私たちそれぞれが、個々の感性でこの作品を鑑賞したい。ネパール映画で初めて、日本語字幕スーパー付きでの公開であるとのことだ。

チケットについてのお問い合わせは、Asia Friendship Associationまで。

※『インパールへ4』は後日掲載します。