センティネル族

アンダマン諸島の中のセンティネル島に住むセンティネル族。外界とまったく接触を持たない民族として知られているが、アメリカの若い宣教師が彼らの島に上陸を試みて弓矢で射殺されるという凄惨な事件が発生した。

このセンティネル族、いくら孤立した民族とはいえ、その出自でインド本土の学校に進学したり、街に定着したりした人たちは若干程度いるのでは?と思いましたが、まったくそうではないらしい。

政府の保護政策により、地域への入域が禁止されていることの裏返しに、政府から彼らへの働きかけもほぼ無い。今も石器時代同様の暮らしであるようで、文化人類学的には大変価値のある存在だ。またこの島内で世界が完結していること、外界からまったく影響を受けていない独自の言語、価値観、倫理観があることなど、大変興味の引かれるものでもある。

この若い宣教師は、旺盛な好奇心と使命感みたいなもの、そして功名心に駆られて上陸を試みたのかもしれない。

クリスチャンの言う「神は愛なり」という言葉は好きだが、一方的な価値観、倫理観、文明観の押し付けにより、ときには「神は害なり」に転じることもある。

とくに宗教のようなものに限ったことではなく、政治活動、販売活動、その他何かの教宣活動においても、「これは素晴らしいから受け容れるべき」というような態度は、相手の存在や現状を否定することに等しいことも少なくない。

North Sentinel Island tribespeople believed to have killed trespassing US ‘missionary’ (CNN)

11月末からエアインディア(国内線)深夜便導入

夜遅い時間帯から未明にかけて、格安の運賃設定でいくつかのルートで運行が開始されるとのこと。

現在のエアインディアは、ともに国営のエアインディア(国際線)とインディアンエアラインス(国内線と近隣国への国際線)が合併したものだが、1990年代初頭のインディアンエアラインスにおいて、到着予定時間が午後6時台の便は、ほぼ必ず7時以降の到着となると言われていた。到着が午後7時以降になると、操縦士以下、乗務員たちに手当が出るため、そのように「調整」されるのが習わしだったという。当時、インドの大手ニュース雑誌The Weekに掲載されていたので、たぶん本当のことだったのだろう。

またストも頻発してした。夏のシーズン前に空路しか手段のないラダックを訪問した際、インディアンエアラインスのストにより1週間ほどレーに足止めされた日本人訪問者たちに会ったことがある。

当時の私は仕事をしておらず、レーへの滞在の期限はなかったので影響はなかったが、彼らはゴールデンウィークの休暇で来ていたため、とても困っていた。このときデリーからレーに飛ぶ手段はインディアンエアラインスしかなかったのだ。近年、スリナガルからレーへのルートが開通する時期が早まっている(温暖化のためもあるかもしれない)が、当時は5月上旬にはまだ開いていなかったはずだ。

デリーなどからでも国際電話をかけるのは容易ではなかった時代なので、ラダックからとなるとなおさらのこと連絡するのにも苦労したらしい。

インディアンエアラインスについては、「親方三色旗」体質が言われているだけあり、財務状況は惨憺たるもので、合併したエアインディアが民営化を画策しつつも実現できないのは、巨額な赤字が背景にあり、買い手がつかないからだとされている。

しかしながら会社の責任のみによるものではなく、国営であるがゆえに政府の意思を受けて民間が参入したがらない路線のフライトを無理して引き受けなくてはならないこと、幹部として天下ってくる人たちによる放漫経営などによる部分も大きいと聞く。

それはさておき、民間航空会社のフライトと視覚的に大きく異なるのは若くてスタイリッシュな感じの客室乗務員が多い今どき機内と異なり、かなり年配の人たちが目につくことだ。いわゆる「使い捨て」ではなく、長く仕事を続けられるのは良いことだ。おそらく労働組合活動が盛んであることによるメリットだろう。

この深夜便の導入については、おそらく経営陣と労組とのやりとりもかなりあったのではないかと思うのだが、やはり周囲の環境が大きく変化していることが背景にあるのは間違いない。

Air India late-night flights starting this month, flight tickets from Rs 1,000 (livemint)

「幸せの国」から来日した留学生たち

インドでは留学生を含めたブータン人はたくさんいて身近なため、インド人がブータンやブータン人にファンタジーな幻想をいだくことはないようだが、「幸せの国」などといったブータン政府による官製プロパガンダが浸透している日本では、いろいろと誤解(良い方向に)されているようだ。
ブータンからの留学生が増えてきていることから、彼らと接触する機会も増えてくるはずだが、人数が急伸していくとともに、それにつれて超過滞在その他のトラブルの事例も増えていくのは不可避。やはり彼らも高額な借金を抱えて来日するため、ベトナムなど他国からやってくる学生たちの中に見られるような問題とは無縁ではいられないだろう。
良い関係を築けるよう期待したいが、現実はそればかりでもないように予想している

急増するブータン人留学生 ――人手不足ニッポンの労働現場支える (YAHOO ! JAPANニュース)

「幸せの国」から流出する難民

「幸せの国」とかいう官製プロパガンダや「世界初の禁煙国」とかなんとか、健康的なイメージで語られることが多いブータンだが、難民流出、麻薬の蔓延などなどいろいろ問題は多い。国内の少数民族への抑圧はかなり知られている割には、割と知らんぷりを決め込むメディアは少なくない。

この少数民族への圧迫だが、同じくヒマラヤの王国であったスィッキム王国の失策から学んだようだ。国内の近代化を推し進める中で、労働力不足からネパール系住民を大量に受け入れた。

その結果として、主要民族であったはずのブーティヤー族がマイノリティに転落。ネパール系住民による権利要求運動が高まり、国内は不安定化。王族は待遇の保証の条件と引き換えに自国をインドに併合。つまり国を売ってインドの庇護のもとに入った。このいきさつを中国は認めないためスィッキムをインド領と認めていない。

地理的にごくごく近い小王国であること、ブーティヤー族とブータン人は民族・文化的にもごく近いこともあり、決して対岸の火事ではなかったわけだ。同様に王国ではなくなったネパールについても大いに参考にしながら国家運営をしているようだ。

ヒマラヤの多民族居住環境で、民族衣装ゴ(男性)やキラ(女性)を日常的に着用したり、やたらと伝統的なものがフィーチャーされる国粋主義的な姿勢は、この国の防御的なスタンスを象徴するもので、そこにはこうした伝統を共有しないマイノリティへの高圧的な姿勢があることを忘れてはいけない。

・・・とはいえ、ヒマラヤ地域で特別な存在感、貴重な文化遺産や豊かな生活文化に満ちた国であり、大変興味深い地域であることは変わらない。ただ「私たちが忘れてしまったものがある」とか、GNHが高いとかいう、変な取り上げかたはやめて欲しいものだ。

「幸せの国」ブータンから追われた不幸な少数民族ローツァンパ(AFP)

ロヒンギャー料理

下記リンク先動画はロヒンギャー料理を映したもの。
元々はベンガルの民で、移住・定着したのがアラカン地方を中心とする主にミャンマー南西部。出自といい居住地域といい、料理が美味しくないはずがない。
難民化して日々の糧にも困窮している人たちが多い現状だが、そうした人たちがこういう素敵な料理を安心して腹いっぱい食べられる日が、遠からずやって来ることを祈らずにはいられない。

Rohingya food مأكولات روهينغيا (Youtube)