キングフィッシャーは『発泡酒』?

なんと『発泡酒』であった!
インドのビール、キングフィッシャーを日本で飲んでみた。小ビンで量が少ないのは物足りないが、緑色のボトルが個性を主張し、『Since 1857』の文字が語る歴史と貫禄が深い味わいを保証、そして鮮やかな色彩のカワセミの絵がキレの良さを象徴しているようだ。これこそ世界に冠たるビールの中のビールであると思っていた。まぁ、お酒の好みなんて人それぞれだから要は気分である。
ゴクリ、ゴクリと喉を鳴らせてから、ふと目に入ったのが日本市場向けに背面に貼られた小さなラベルの文字。

である。
まさにこの三文字を目にしたときだ。『百年の恋が醒めた』気分になったのは。
私の目が一点に釘付けになっていると、隣で一緒に飲んでいた友人もこれに気がついた。
『え〜?これって発泡酒だって』
と時を同じくして声を上げてしまう。
あのキングフィッシャーが発泡酒 = 第二のビール = 安酒・・・。
信じていたものに裏切られたような気分だ。
発泡酒とはあくまでも日本の法令上の区分で、麦芽の使用率やビールとしては認められない副原料を使っているかどうかによる違いでしかない。おいしいかどうかはまた別の次元の話なのだが。
気を取り直してふたたび口をつけてみると、今度はやっぱり発泡酒のような味わいが広がった。
要はお酒というものは『気分』なのである。

観光振興 北東インドとバングラーデーシュは相互補完?

インドの北東地域は観光地としての大きなポテンシャルを秘めている。外国人観光客に門戸を開放してからまだあまり年数が経っておらず、『何か新しいところ』を求める人々にとってはまだ『辺境』のイメージがあり、それ自体が魅力的であること、また南アジアと東南アジアの中間にあり文化的にも非常にユニークなことに加えて、変化に富んだ地勢もあり、トレッキングやエコツアーなどいろいろ発展する可能性があるようだ。
しかし地理的なウィークポイントも大きい。北東地域からコルカターの方角を眺めると、その間に横たわるバングラーデーシュの大きさを思わずにはいられない。ハウラーから鉄道で向かえば丸一日かかるグワーハーティーも直線距離ならば約520キロ、シローンもおよそ460キロ。西ベンガル州都から見てバングラーデーシュを越えた反対側にあるアガルタラーは300キロほどである。しかし空路を使う場合を除けば、ずいぶん遠回りになってしまい『本土』からのアクセスは芳しくない。この地域を訪れる観光客があまり増えないことの主な原因のひとつは交通の便であろう。
またバングラーデーシュにしてみても、随一の大都会ダッカはもちろん、数々のテラコッタ建築で知られるラージシャーヒー周辺、クルナのバゲール・ハートのイスラーム建築群、少数民族が暮らすチッタゴン丘陵地帯、茶園が広がるシレット、バングラーデーシュ最南端で周囲に珊瑚礁が広がるセント・マーティン島など数々の見どころを抱えるなど、観光資源も豊富である。ガウルの遺跡やスンダルバンなど、インドとの国境にまたがる史跡や国立公園などもあることもなかなか興味深い。
だがこの国についても同様にアクセスの問題がある。ヴィザが必要なことに加えて、国土をぐるりと一回りするほど長い国境線を共有している割にはインドとの間で通過可能なポイントが限られていることから、往来はあまり便利ではない。それがゆえに隣のインドに較べて観光目的で訪れる人々があまり多くないのだとも言えるだろう。
そもそもインドとは別の国になっているがゆえに、様々な華やかに喧伝される隣国に較べてこの国の魅力が取りざたされる機会も相対的に少なくなってしまう。

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インド発 日本・中国・アメリカ行き

ケーサル種
昨年6月末、日本におけるインド産マンゴー輸入が解禁となったことを取り上げたが、インドの外交努力の結果か、それとも何でもかんでもインドが注目を浴びる昨今の風潮によるもの(?)なのかよくわからないが、同国産のマンゴーが従来より多くの地域で広く楽しまれることになりそうだ。
週刊誌インディア・トゥデイ4月25日号に、マンゴーに関するちょっと興味深い記事が出ていた。世界全体の生産高のおよそ半分を収穫するマンゴー大国インドだが、これらの輸出について重量で見ると、一昨年は53,480トン、昨年は69,606トンと急増、金額にすればそれぞれ8億9千万ルピー、12億8千万ルピーと伸びているのだという。
そして今、インドのマンゴーには巨大な『新興市場』が浮上してきている。日本と中国がインド産マンゴー輸入の禁を解き、アメリカも同様に門戸を開くようになったため、インドから輸出に回る量の大幅な増加が見込まれている。

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国ってなんだろう?

アッサム、メガーラヤ、トリプラー各州を訪れてみて、インド北東部とバングラーデーシュは、別々の国であるがゆえに不利や不便を蒙っている部分がとても多いように思われる。それらは通商や水利などを含む経済活動や国土の開発全般にかかわることでもある。これらの地域がふたつの違う国家に属することから、住民たちが勝手に越境して移住すれば『不法移民』ということになる。もちろんこの隣国は近代史の中で、しかるべき経緯があって出来上がった国である。かつてアッサム州の大半もデルタ地帯に広がるこの国の前身である東パーキスターンになりかけた歴史を持つが、結局これがインドの一州として現在に至っていることもまたひとつの必然である。
時の為政者たちの綱引きによって画定された国境により、人々が暮らす土地はそれぞれの国家に従属することになる。そしてこれらを操るそれぞれの政府が人々のアイデンテイティ、思想、歴史観を規定するものとなるため、ひとつながりの地域がふたつの国に分かれて以降、地域文化や伝統のありかたにも大きな影響を与えることもあれば、隣国に対するスタンスが政争の具となり、相互に反発や敵対感情を生むこともある。これがかつてのパンジャーブ州や現在のJ&K州の不安定さにも如実に示されるとおり、地域の政情を不安定なものとすることもしばしば見られる。
そうした視点で見れば、北ベンガルのごく細い回廊部でかろうじて『本土』と接する北東諸州は、バングラーデーシュ、中国、ミャンマーといった諸手を挙げて友好的とはいえない国々に囲まれている地理条件を思えば、非常に不利であることは言うまでもない。
また人々の生活レベルではどうだろうか。もともと『本土』とはかなり違った風土や文化を持つ地域であり、とりわけ本土のマジョリティとは信条、民族、伝統どこを見ても自分たちは異なると自覚している人々が、すぐ目の前にある『隣国』よりも自分たちのほうが『インドとは違う』ことに理不尽さを感じることもあるかと思う。自分たちが国境向こう側に比較してよっぽど高度に発展していて経済的にも優位であったりしなければ、国への帰属意識よりも『占領されている』という感情が先に立ってもおかしくないだろう。インドという国への参加意識をなかなか持ちにくいのではないかと想像する。
こちら側がインドに属していること、そこに国境線があり向こうには別の国が厳然と存在していることは歴史による必然であるから、その是非について云々するつもりはない。だが人々の営みはともかく、雨雲はその境目に関わりなく大地を潤し、生物たちもまた彼らの目には見えない結界に縛られることなく行き来している(動物たちには縄張りがあるとはいえ)ことを思えば、人間という生き物がいかに特異な存在であるかということを感じなくもない。

ジープで進む田舎道

ニール・マハルの船着場から先ほどバスを降りたところに戻り、しばらく道なりに進むとモーター・スタンドがあり、何台かのバスと多数の乗り合いジープが停車していた。ここからウダイプルに行くクルマがあるのかどうか尋ねてみると、まさにこの中の一台のジープ(スモウではなく本当のジープ)がそちらへと出発しようとしていた。満員に見えるがまだ客を積み込もう・・・いやクルマの側面や後部に幾人か『つかまらせよう』としているところだった。私にはちょっと無理そうなので、次のクルマに一番乗りして運転手の隣席を確保して待つことにした。
客引きの大声に呼び込まれてお客が次々に集まってくる。ふと気づけば私が座る前の席には運転手を含めて4人、中列と後列にも4人ずつ、後部のステップに立つ者が3人、左右のドアにも幾人か貼り付いているが人数はよくわからず、屋根の上に2人。かなりの過積載ではある。加えて彼らが町で購入して各々自宅に持ち帰る野菜、米、足を縛ったニワトリなどが乗客たちの足元に転がっている。私の隣の男性は購入したばかりのダンボール箱に入ったテレビ(?)を抱えているため非常に圧迫感がある。目の前がフロントガラスで景色が見えて気が紛れるのは幸いではある。

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