ツォ・モリリへ 2

午前11時ごろにチュマタンという温泉が出ていることで知られる集落。小さな浴場の小屋がひとつあるだけで、温泉そのものが有効に活用されているわけではない。地表から湯が湧き出ているという現象自体がひとつの観光名所となっていることから、ツォ・モリリに行くついでに立ち寄るマイナーなスポットとなっているだけのことである。

昨夜から天気は悪く、ときおり雨がぱらついている。晴れてくれないと、ツォ・モリリの湖の深い青さを堪能できないことになるので、ちょっと気がかりである。ここから先は少々険しい山道となり、雨脚も強くなってきた。道路にはところどころ水たまりもできている。こんな禿山ばかりのところで雨が降るとがけ崩れでも起きやしないかとちょっと気になったりもする。

遠くに湖が見えてきた。

しばらく走ると湖が見えてきた。これがツォ・モリリかと思ったので、想像していたよりもずいぶん小さくて拍子抜けした。だが周囲の開けた景色はなかなかいい感じだ。だが周囲に村や宿泊施設らしきものは見当たらず、果たして宿泊施設が湖からどのくらい遠いのかとも思った。私が同行のオーストラリア人カップル、マイクとキムと盛んに「ツォ・モリリ」について話しているのを耳にしたナワンが言う。「え?あの湖はツォ・モリリではありませんよ。」

だがこの湖はツォ・モリリではなかった・・・。
このあたりまで来ると行き交うクルマも極端に少なくなる。

途中の道で遊牧の人たちのテントも見かけたが、道路沿いでしばしば見かけるのは、道路作業の人たちのテント。インドの他の地域から来た人たちが工事のためにそこに住んでいる。岩を砕いてバラストを作っている人たちもいるが、夜は冷え込んで辛いことだろう。もちろん身体を洗うこともままならないはずだ。

道路工事の作業員のテント

「本物のツォ・モリリ」は、さらに荒野をひた走った先に見えてきた。平地では考えられないような低いところに立ち込めている雲の様子を目の当たりにすると、このあたりで海抜4,500mもあるというのも頷ける。

最後の橋を渡ってから左に進み、湖畔の道をどんどん進んでいく。天気もますます悪化していて、雨もさらに強くなってきた。どんよりとした灰色になってしまった湖は岸辺のあたりは不思議な青色をしている。湖の遠くの部分は晴れているようで、太陽の光が注いでいるのが見える。雨が降るようになると、それまで非常に視界が良かったラダックの景色が一変して、遠くが見えなくなってしまう。やはりラダックの眺望の良さは湿度が極端に低いためであることがよくわかる。

湖の沿岸を進んだ先には軍のチェックポストがあり、そこで追い返されることになった。そこから先、民間人はオフリミットとなっているそうだ。さきほど橋の左手を進んだのが間違いで、本来は右手に行くべきであったらしい。それでも湖畔を余計にドライブできたことは良かったと思う。午後3時くらいにツォ・モリリ湖畔の村、コルゾクに到着。

〈続く〉

ツォ・モリリへ 1

前日、レーに戻ったその足で、ツォ・モリリ行きのクルマに申し込んだ。オーストラリア人カップルがすでに予約しているとのことで、費用を折半できるのは助かる。その日の夕方、雷鳴とともに雨が降ってきた。かなり雨脚が強く、ツォ・モリリ行きの道路のことが少し気になった。

邪悪な感じがする雲

前日まで2泊3日の行程での運転手、ナワンさんとの再会は案外早く実現した。本日の朝6時半に宿まで迎えに来たのはまた彼であったからだ。人柄はもちろんのこと、運転も無茶はしないので安心していられる。

クルマを手配した旅行代理店の前には、本日同乗するオーストラリア人カップルが到着していた。彼らと簡単な挨拶をして、ツォ・モリリへ向けて出発。

彼らはオーストラリア人だが、現在はロンドンに在住であり、7か月の予定でアジア旅行を楽しんでいるそうだ。明るくておしゃべりな人たちで、いい旅行になりそうな予感がする。このようにクルマをシェアしての泊りがけという場合、同行者に恵まれることもまたひとつの大切な要素である。

レーを出発してから東へ進む。ツォ・モリリ方面とパンゴン・ツォ方面への分岐点となるカルーの集落で朝食。そして一路東へと向かう。パンゴン・ツォやヌブラ行きのような険しい山道を想像していたが、途中いくつかの橋を越えて急坂もあったものの、比較的穏やかな感じの道である。

軍用車両の往来が大変多い

ちなみに、レーからツォ・モリリ行きのバスが出ているようだが、月に3往復のみということなので、クルマをチャーターしないとなかなか行きにくい。

〈続く〉

下ラダックへ 7

朝5時過ぎに起きて、部屋で少し日記を書いて身支度してから宿のテラスで朝食。

ラダックの朝日は心地よい。東の空が赤く焼けることなく、淡々と明けていく。夕方は夕方で、西の空が真っ赤に染まることなく、粛々と日が暮れていく。高度の関係もあるのかもしれないが、おそらく空気に含まれる水分が少ないからなのだろう。

朝方の眺めが最もクリアなことはもちろんだが、それでも昼間のどの時間帯でも抜けるように遠くまで見渡すことができる。これもまた湿度が低いため、気温が上がってきても霞がかからないからだ。そのため、やたらと視力が良くなったかのように思ったりするのだが、これは錯覚であることは間違いない。

夜は夜で、周囲に灯さえなければ、満天の星を満喫することができる。たとえ宿泊施設やその周囲で電灯が煌々と光っていたとしても、ラダックの大半がそうである「午後11時給電停止」の地域であれば、宿の窓からでも信じられないほど派手な星空を楽しむことができる。

平地であれば、これが大気汚染に侵されておらず、空気が澄んだ地域であったとしても、文字通り流れるような天の川を眺めることは無理だ。やはりラダックの高度とともに、湿度の低さが天空の絶景の秘訣。

これから向かうのは、レーへと繋がる幹線道路から少しそれたところにあるリキルゴンパ。ここはシャームトレックと呼ばれる一泊二日のミニトレッキングの起点にもなっている。レーからは遠くはないが、公共交通は日に1往復しかないためクルマをチャーターして訪問する人たちが多い。

山間で、人口密度は希薄、そして外部から大規模な投資を呼び込むような産業もない地域なので、公共交通機関の頻度もまた同様に希薄なものとなる。やはりクルマをチャーターして回らないとラダックは旅行しづらいものがある。

往来の希薄さが地域ごとの個性、独自性といったものを維持する大きな要因となっていることは言うまでもない。まずは外部からの遮断性。国境を挟んで向こうの中国側との間を行き来する公式なルートは皆無であり、インド国内にありながらも陸路でスリナガル方面ならびにマナーリー方面と往来できるのは夏の時期に限られている。観光客もインドの他の地域からの出稼ぎ人たちも、大半はこの時期にやってくる。「そこに仕事がある限り、UP州、ビハール州そしてネパールの労働者たちはやってくる。」というのがインドの常だ。

しかしながらラダックのシーズンである夏季以外のアクセスの悪さや気候条件により、シーズン以外には訪問客が極端に少なくなる。そのため観光産業関係では、未シーズンオフは休業となる。観光以外に外地からの労働者を多く受け入れている農業もまた長い農閑期ということになるため、出稼ぎにやってくる外地の人たちの雇用機会がないという季節的な環境もまた、地域の独自性を守る働きをしてきたといえる。

_

本日、アルチーからレーに戻る途中に訪問するのはリキル・ゴンパ。勇壮な感じで造りも立派だ。やはり他のメジャーなゴンパ同様に、観光客からの収入、とりわけレーから近いこともあり、クルマをシェアして訪れる旅行者が多いこと、そしてトレッキングの起点にもなっているので、ついでに訪問する人も少なくないということがあるに違いない。

そうした関係で、ひょっとすると従前とは違った秩序が形成されているのかもしれない。同じ宗派に属して、それまでは格上のはずであった寺院が経済面において、相対的に地位が低下したり、その逆があったりということもありえるのではないかと思う。

ゴンパからの眺めも素晴らしい。いくつかのゴンパを見学すると、いつしかどれも同じ?といった感じになってしまうものの、周囲の風景の豪快さは格別である。

幹線道路を走っていると、次々にバイカーたちの姿をみかける。西洋人も多いが、同様にインド人も多い。荒野にはやはりロイヤルエンフィールドが似合う。半世紀以上前に設計されたバイクであるが、今でも新車で購入できるというのがいいし、そもそもデザインもエンジンの音もかっこいい。

運転手と3日間一緒に過ごすので、どんな人か最初は少々気になっていたが、話好きで人柄も良くて楽しい旅行となった。もう10数年運転手をしているそうだが、訪れる場所についていろいろ好奇心は尽きないようで、クルマから降りてどこに行くにも同行してくれた。オフシーズンにはザンスカールに戻るのだそうだ。

レーに戻り、これでナワンさんとはお別れ。またいつか再会することがあれば、ぜひまたもや運転をお願いしたいと思う。

〈完〉

下ラダックへ 6

アルチー・ゴンパ
_
アルチーに到着した。アルチーのメインアトラクションであるゴンパへの参道には、ゲストハウス、レストランやみやげもの屋などが集まっており、かなり観光化されている感じはするものの、その一角を外れるとまだまだ素朴な村といった風情だ。
アルチー・ゴンパのある一角から少し離れたところにある集落の裏手には、昔の領主の古い館が見えるので、しばらく散策してみる。館は正面から見ると端正なたたずまいを残しているものの、背後は崩落している部分も多いため、今にも倒壊しそうな危険建築となってしまっている。
遠目には立派に見える館だが・・・。
壁はいつ倒壊してもおかしくない状態であった。
館の手前にある集落は、どれも伝統的な建物ばかりで趣がある。近くでは麦の収穫作業中で、女性たちの姿が目立つ。そうした中にも平地から来たインド人出稼ぎ男性たちがかなりいるようだ。町中や観光地での外地からの訪問客相手の商売にかかわる仕事に比べて実入りは決して良くないものと思われるが、それでもこうして働いている出稼ぎの人たちは、月にどのくらいの収入があるのだろうか。またそうした仕事を求める人々の流れはどのようにして形作られているのだろうか。おそらくそうした人材ネットワークで稼ぐ商売人たちがいるのだろう。
_
宿の近くのベーカリー兼レストランで夕食していると、バイクで旅行している若いインド人男性がやってきた。店主に対してチベット仏教のこと、そうした関係のことを書いてある本について、その他この地域の様々な事柄について質問している。デリーから来たとのことだが、出身はハリドワールであるとのこと、
店主がテーブルを離れてから、しばらく彼と話をしたが、マーケティングの仕事をしていたが退社して、フリーランスのライターとしてやっていくことを画策しており、これまででひと月半、これから残りひと月半をバイクでの旅行に費やす予定ということだ。
ラダックではこれまでザンスカールを回ってきたところで、様々なゴンパを手当たり次第に訪問してきたものの、ただ訪れただけでは、仏像や仏画の意味がわからないので、それらを知るための資料を探しているという。彼の名前はアビジート。
こうした自由なライフスタイルを謳歌する人たちがインドで増えてきている。彼の年齢は30前後くらいか。昔のインドにはあまりいなかったタイプだろうが、このような人たちが確実に増えているのが今のインドであるといえる。
_
〈続く〉

下ラダックへ 5

地層のダイナミックな褶曲
こちらの褶曲ぶりは非常に複雑。まるでパイのよう・・・?

ラマユルを後にして、リゾン・ゴンパに向かう。アルチーに向かう幹線道路から外れて、川沿いの細い道を上っていく。ラダックの山肌を眺めていると、ここでもそうだが、地層の褶曲の凄まじさに目を奪われることがしばしばある。

荒涼とした景色の中、清いせせらぎの眺めが目に優しい

もちろんそうした激しい褶曲はラダックに限ったことではないはずであることは言うまでもない。山肌に木々が生えていると見えなくなるため、ヒマラヤ全域においてこのような具合であるはずなのだ。

小規模な落石の除去作業が進行中

まさに木々が極端に少ないがゆえのことだが、地滑りはかなり多いようだ。とりわけこの地域では多くない雨が降ったりすると、保水力を欠くがゆえに崖崩れは頻繁に起きてしまう。

いずれにしても、このように乾燥した高地にはあまり馴染みがないがゆえに、どこに行っても景色がとても物珍しく感じられる。

垂直によじれた地層がさらに浸食されたものと思われる。

リゾン・ゴンパに到着

リゾン・ゴンパに到着。乾燥した山々に囲まれたこの場所の周囲には、集落らしい集落も見当たらず、まさに人里離れた修行の場という感じがする。こうした寺院で起居している僧侶たちはもちろんのこと、ラダックでは村の人々の間でも、高齢者でなければ普通にヒンディーが通じることを期待できる。言葉に対する柔軟性が高い民族であるということもあるのだろうが、J&K州の公用語のひとつが話し言葉はヒンディーと近い関係にあるウルドゥーであり、誰もが学校で学んでいるということが大きいだろう。

ゴンパの屋上からの風景

リゾン・ゴンパを後にして、しばらくジープ道を下っていくと、運転手のナワンは道端の人影に何やら呼びかけて停車。「なぜかウチの村の人たちがいた!」とのこと。彼らはザンスカールのナワンと同じ村の出身だが、今はカールギルで暮らしているという。

彼らは家族連れで、木陰に敷物を敷いてコンロで煮炊きをしていた。ちょうど昼ご飯を食べていたため、私たちもご相伴に預かることになった。

運転手ナワン(右から二人目)と彼の同郷の人たち

〈続く〉