ミャンマーのメディアを国外で読む

近年、経済面からアジア最後のフロンティアとして注目されているミャンマーでは日々、様々な動きがあるものの、まだまだ国外に伝えられる情報には限りがある。

国内各方面で進む自由化とともに、報道の分野でも緩和が進むことから、民間資本による新聞や雑誌などのメディアも雨後の筍のように増えてきている。紙媒体以外にもネットで積極的に発信するようになってきている。

だがこうしたメディアの歴史が浅いこともさることながら、インドと同じく旧英領の国でありながらも、現在は「英語の国」ではないため、海外への発信力となるとかなり弱いと言わざるを得ない。

インドと異なり、独立後のミャンマーでは行政や教育の分野等で、英語の排除とミャンマー語化が進んだため、旧英領とはまったく思えない「英語の通用度」となっている。

それはさておき、総体としてミャンマー語の印刷物の洪水の中で、数多くないが存在する英語メディアは貴重な存在といえるのだが、これまたこうしたメディアの草創期にあるためか、以下のようなウェブサイトが存在する。

Myanmar Journal Download

ミャンマーのニュースから始まり、音楽、スポーツ、テレビ、PC、ショッピング等々、様々な分野の雑誌をPDFで閲覧することができる。

版元が異なるこれほど沢山の雑誌類を無料で読むことができるというのはなかなか凄いことだ。ミャンマー語が出来ないのが非常に残念になるほどだ。

こうした形での誌面の公開がいつまで続くのかわからないが、利用できるうちはミャンマーの英語メディアに目を通しておこうと思っている。

※「ツォ・モリリへ4」は後日掲載します。

ツォ・モリリへ 3

せっかくのツォ・モリリ到着だが天気には恵まれなかった。

道を更に進んで村の中心部に入る。ここまで来るといくつかのゲストハウスの看板が目に付く。結局、ゴンパのすぐ隣のゲストハウスに宿泊することにした。ちょうどこの日にダージリンからあるリンポチェがやってくるとのことで、出迎える人たちが集まっていた。この村の人々以外に、周囲の地域で遊牧をしている人たちも大勢来ているとのことで、ボロボロの恰好をした人たちも少なくない。外地から高僧がはるばる訪問するという特別なハレの日ということもあり、ラダックの伝統的な頭飾りと民族衣装をまとった女性たちの姿もある。

遠来のリンポチェの到着を待つ人々

しばらくするとリンポチェのお出まし。人々が急に列を成して出迎える。さきほど見かけた伝統衣装と頭飾りの女性たちが先導して、リンポチェのクルマがやってきた。この出迎えの儀式が終わると、みんなそそくさと帰っていく。

「いよいよお出まし」の知らせとともに道路脇に整列する人々
伝統衣装で着飾った女性たちがリンポチェの乗るクルマを先導

幸いなことに雨は止んだ。しばらく湖の風景をカメラに収める。そうこうしているうちに晴れ間が出てきて、ほんのわずかな時間ながらも深い青色湖の姿を眺めることができた。この時点で気温はわずか12℃。夜間には零下になることもあるのだとか。天空には晴れ、曇り、そして雨天が混在し、広大な大地に複雑な陰影を投げかけている。湖対岸の山々にかかる雲の低さに、ここは海抜4,500mであることをしみじみと感じる。

幸いなことに少し晴れ間が見えてきた
喜んだのも束の間、すぐに厚い雲に覆われてしまったりする。
負け惜しみみたいだが、大地に投げかけられる陰影が刻々と変化するのを眺めているのも楽しかった。
彼方に見えるこの山は中国なのだそうだ。
僧侶たち

同行のマイクとキムと斜面の展望台まで上ると、村の子供たちが集まってきた。好奇心旺盛な彼らは、ちょっと照れくさそうにしながらも、私たちにずんずん迫ってきていろいろな質問をしてくる。そうでありながらも、やはり行儀が良くて控えめなのはラダック人らしいところだ。

村の子供たち。みんなとても利発そうだ。
マイクとキム、そして村の子供たち

斜面を宿のあたりまで下り、ゴンパのお堂を拝観。ちょうど10日に一度のバスが到着したところのようで、正面の広場のところに停車している。

10日に1回、レーとの間を往復するバス。ツォ・モリリ湖畔の村、コルゾクに到着した翌朝、レーへ折り返す。

宿とゴンパの間のスペースに大きなテントを張って営業している食堂がある。ここはかなり繁盛していて、お客がひっきりなしに出入りしている。外国人の利用者も多いようだ。特にこれといった産業もなさそうなこの村で、手際よく、相当なハイペースで仕事を続けている姿を見ていると、おそらくここの女主人は稼いだお金でもっと立派な食堂を建てたり、旅行者相手の宿を開いたり、ということになるのかもしれない。

テントの食堂の女主人は大変な働き者

マイクとキム、そして本日のレーからのバスで到着したという西洋人たちと楽しい会話をしながらの食事。こういう気楽な時間を持てることも旅行の楽しみのひとつである。

この村の野犬は毛足が長く、いかにも高地かつ寒冷地に適応したものであることがわかる。ロバも毛足が長めになっている。動物もやはりこうして環境に適応するようになっているのだろう。

テントの中に座っているのも少々寒くて辛くなってきた。私たちが宿に帰ると、テレビではクリケットの中継が放送されていた。マイクとキムはオーストラリア人らしくクリケットフリークのようで、宿の人や宿泊しているインド人旅行者とクリケット談義に興じていたが、こちらはこのスポーツについては関心がないのでついていけない。本来ならば、インドにおいてクリケットは必須科目であることは間違いないのだが。

天気さえ良ければ、灯の少ないコルゾクの村の夜には満天の星を楽しむことができたのだろうが、あいにく空模様はそういう具合ではない。それでも雲の切れ目から湖水に降り注ぐ月の光が美しかった。

雲の切れ目から月が覗く

〈続く〉

ツォ・モリリへ 2

午前11時ごろにチュマタンという温泉が出ていることで知られる集落。小さな浴場の小屋がひとつあるだけで、温泉そのものが有効に活用されているわけではない。地表から湯が湧き出ているという現象自体がひとつの観光名所となっていることから、ツォ・モリリに行くついでに立ち寄るマイナーなスポットとなっているだけのことである。

昨夜から天気は悪く、ときおり雨がぱらついている。晴れてくれないと、ツォ・モリリの湖の深い青さを堪能できないことになるので、ちょっと気がかりである。ここから先は少々険しい山道となり、雨脚も強くなってきた。道路にはところどころ水たまりもできている。こんな禿山ばかりのところで雨が降るとがけ崩れでも起きやしないかとちょっと気になったりもする。

遠くに湖が見えてきた。

しばらく走ると湖が見えてきた。これがツォ・モリリかと思ったので、想像していたよりもずいぶん小さくて拍子抜けした。だが周囲の開けた景色はなかなかいい感じだ。だが周囲に村や宿泊施設らしきものは見当たらず、果たして宿泊施設が湖からどのくらい遠いのかとも思った。私が同行のオーストラリア人カップル、マイクとキムと盛んに「ツォ・モリリ」について話しているのを耳にしたナワンが言う。「え?あの湖はツォ・モリリではありませんよ。」

だがこの湖はツォ・モリリではなかった・・・。
このあたりまで来ると行き交うクルマも極端に少なくなる。

途中の道で遊牧の人たちのテントも見かけたが、道路沿いでしばしば見かけるのは、道路作業の人たちのテント。インドの他の地域から来た人たちが工事のためにそこに住んでいる。岩を砕いてバラストを作っている人たちもいるが、夜は冷え込んで辛いことだろう。もちろん身体を洗うこともままならないはずだ。

道路工事の作業員のテント

「本物のツォ・モリリ」は、さらに荒野をひた走った先に見えてきた。平地では考えられないような低いところに立ち込めている雲の様子を目の当たりにすると、このあたりで海抜4,500mもあるというのも頷ける。

最後の橋を渡ってから左に進み、湖畔の道をどんどん進んでいく。天気もますます悪化していて、雨もさらに強くなってきた。どんよりとした灰色になってしまった湖は岸辺のあたりは不思議な青色をしている。湖の遠くの部分は晴れているようで、太陽の光が注いでいるのが見える。雨が降るようになると、それまで非常に視界が良かったラダックの景色が一変して、遠くが見えなくなってしまう。やはりラダックの眺望の良さは湿度が極端に低いためであることがよくわかる。

湖の沿岸を進んだ先には軍のチェックポストがあり、そこで追い返されることになった。そこから先、民間人はオフリミットとなっているそうだ。さきほど橋の左手を進んだのが間違いで、本来は右手に行くべきであったらしい。それでも湖畔を余計にドライブできたことは良かったと思う。午後3時くらいにツォ・モリリ湖畔の村、コルゾクに到着。

〈続く〉

ツォ・モリリへ 1

前日、レーに戻ったその足で、ツォ・モリリ行きのクルマに申し込んだ。オーストラリア人カップルがすでに予約しているとのことで、費用を折半できるのは助かる。その日の夕方、雷鳴とともに雨が降ってきた。かなり雨脚が強く、ツォ・モリリ行きの道路のことが少し気になった。

邪悪な感じがする雲

前日まで2泊3日の行程での運転手、ナワンさんとの再会は案外早く実現した。本日の朝6時半に宿まで迎えに来たのはまた彼であったからだ。人柄はもちろんのこと、運転も無茶はしないので安心していられる。

クルマを手配した旅行代理店の前には、本日同乗するオーストラリア人カップルが到着していた。彼らと簡単な挨拶をして、ツォ・モリリへ向けて出発。

彼らはオーストラリア人だが、現在はロンドンに在住であり、7か月の予定でアジア旅行を楽しんでいるそうだ。明るくておしゃべりな人たちで、いい旅行になりそうな予感がする。このようにクルマをシェアしての泊りがけという場合、同行者に恵まれることもまたひとつの大切な要素である。

レーを出発してから東へ進む。ツォ・モリリ方面とパンゴン・ツォ方面への分岐点となるカルーの集落で朝食。そして一路東へと向かう。パンゴン・ツォやヌブラ行きのような険しい山道を想像していたが、途中いくつかの橋を越えて急坂もあったものの、比較的穏やかな感じの道である。

軍用車両の往来が大変多い

ちなみに、レーからツォ・モリリ行きのバスが出ているようだが、月に3往復のみということなので、クルマをチャーターしないとなかなか行きにくい。

〈続く〉

下ラダックへ 7

朝5時過ぎに起きて、部屋で少し日記を書いて身支度してから宿のテラスで朝食。

ラダックの朝日は心地よい。東の空が赤く焼けることなく、淡々と明けていく。夕方は夕方で、西の空が真っ赤に染まることなく、粛々と日が暮れていく。高度の関係もあるのかもしれないが、おそらく空気に含まれる水分が少ないからなのだろう。

朝方の眺めが最もクリアなことはもちろんだが、それでも昼間のどの時間帯でも抜けるように遠くまで見渡すことができる。これもまた湿度が低いため、気温が上がってきても霞がかからないからだ。そのため、やたらと視力が良くなったかのように思ったりするのだが、これは錯覚であることは間違いない。

夜は夜で、周囲に灯さえなければ、満天の星を満喫することができる。たとえ宿泊施設やその周囲で電灯が煌々と光っていたとしても、ラダックの大半がそうである「午後11時給電停止」の地域であれば、宿の窓からでも信じられないほど派手な星空を楽しむことができる。

平地であれば、これが大気汚染に侵されておらず、空気が澄んだ地域であったとしても、文字通り流れるような天の川を眺めることは無理だ。やはりラダックの高度とともに、湿度の低さが天空の絶景の秘訣。

これから向かうのは、レーへと繋がる幹線道路から少しそれたところにあるリキルゴンパ。ここはシャームトレックと呼ばれる一泊二日のミニトレッキングの起点にもなっている。レーからは遠くはないが、公共交通は日に1往復しかないためクルマをチャーターして訪問する人たちが多い。

山間で、人口密度は希薄、そして外部から大規模な投資を呼び込むような産業もない地域なので、公共交通機関の頻度もまた同様に希薄なものとなる。やはりクルマをチャーターして回らないとラダックは旅行しづらいものがある。

往来の希薄さが地域ごとの個性、独自性といったものを維持する大きな要因となっていることは言うまでもない。まずは外部からの遮断性。国境を挟んで向こうの中国側との間を行き来する公式なルートは皆無であり、インド国内にありながらも陸路でスリナガル方面ならびにマナーリー方面と往来できるのは夏の時期に限られている。観光客もインドの他の地域からの出稼ぎ人たちも、大半はこの時期にやってくる。「そこに仕事がある限り、UP州、ビハール州そしてネパールの労働者たちはやってくる。」というのがインドの常だ。

しかしながらラダックのシーズンである夏季以外のアクセスの悪さや気候条件により、シーズン以外には訪問客が極端に少なくなる。そのため観光産業関係では、未シーズンオフは休業となる。観光以外に外地からの労働者を多く受け入れている農業もまた長い農閑期ということになるため、出稼ぎにやってくる外地の人たちの雇用機会がないという季節的な環境もまた、地域の独自性を守る働きをしてきたといえる。

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本日、アルチーからレーに戻る途中に訪問するのはリキル・ゴンパ。勇壮な感じで造りも立派だ。やはり他のメジャーなゴンパ同様に、観光客からの収入、とりわけレーから近いこともあり、クルマをシェアして訪れる旅行者が多いこと、そしてトレッキングの起点にもなっているので、ついでに訪問する人も少なくないということがあるに違いない。

そうした関係で、ひょっとすると従前とは違った秩序が形成されているのかもしれない。同じ宗派に属して、それまでは格上のはずであった寺院が経済面において、相対的に地位が低下したり、その逆があったりということもありえるのではないかと思う。

ゴンパからの眺めも素晴らしい。いくつかのゴンパを見学すると、いつしかどれも同じ?といった感じになってしまうものの、周囲の風景の豪快さは格別である。

幹線道路を走っていると、次々にバイカーたちの姿をみかける。西洋人も多いが、同様にインド人も多い。荒野にはやはりロイヤルエンフィールドが似合う。半世紀以上前に設計されたバイクであるが、今でも新車で購入できるというのがいいし、そもそもデザインもエンジンの音もかっこいい。

運転手と3日間一緒に過ごすので、どんな人か最初は少々気になっていたが、話好きで人柄も良くて楽しい旅行となった。もう10数年運転手をしているそうだが、訪れる場所についていろいろ好奇心は尽きないようで、クルマから降りてどこに行くにも同行してくれた。オフシーズンにはザンスカールに戻るのだそうだ。

レーに戻り、これでナワンさんとはお別れ。またいつか再会することがあれば、ぜひまたもや運転をお願いしたいと思う。

〈完〉