藩主の宮殿転じてブッダ博物館

ミャンマーのシャン州にあるニャウンシュエの町の北側に『ブッダ博物館』がある。この建物は英領時代の藩王国の主の宮殿。しかしながら展示物にはその藩王国を偲ばせるものは何ひとつなく、独自の歴史や文化とは関係なくニュートラルな仏教に焦点を当てた展示となっている。

ここの最後の藩主はイギリスからの独立後、最初のビルマ大統領となった人物であったとのこと。何かで読んだか耳にしたことがある・・・と記憶の糸をたどっていくと、行き着いたのはこの本である。 著者の姉が嫁いだ相手が、ビルマの初代大統領の息子ということであった。

消え去った世界

―あるシャン藩王女の個人史-

著者:ネル・アダムズ

訳者:森博行

出版社:文芸社

ISBN-10: 4835541383

シャン州には、ダーヌー、パラウン、ラフーその他さまざまな民族が居住しているが、『シャン』という州名が示すとおり、主要民族はタイ族の近縁にあたるシャン族だ。

第三次英緬戦争の際に英国側に協力したシャン族の諸侯たちの土地は、コンバウン朝が終焉を迎えてからは、英領期のインドに割拠していた藩王国と同様の扱いとなった。

イギリスが直接支配したビルマ族主体の中央地域と違い、その他の各民族がマジョリティを占める地域は、現地の諸侯たちの自治に委ねられており、イギリスは彼らを通じてそれらの土地を間接統治する形となっていた。ちょうどインド各地に割拠した藩王国のような具合である。あるいは現在のミャンマーの国土の『管区(division)』『州(state)』の区分は、当時の行政の版図を引き継いでいる。

著者のネル・アダムズ (シャン名はサオ・ノン・ウゥ)は、当時のシャン州の藩王国のひとつロークソークで生まれ育ち、ミッションスクールで欧州人の子弟たちや地元の富裕層の子供たちと一緒に教育を受けた。

当時の公用語は英語であったが、こうした全寮制の学校内では英語以外は禁止。イギリスその他の欧州人や英領であったインドからきた職員や教員たち。支配者たちに欧州的な価値観と規律を学ばせることにより、土地の支配層に自分たちと共通の価値観を持たせるとともに、支配層に親英的な空気をみなぎらせることも意図していたのだろう。

今の時代においても国によって濃淡の違いこそあれ、学校教育の場は単に必要な教科を教えるだけではなく、民族教育の場でもあり、国家意識の陶冶の場でもある。

ビルマ族の民族主義運動が高揚していった結果であるこの国の独立は、それまでイギリスに従属していても、ビルマ族に服属しているとは思っていなかった他の民族たちにとって、決して喜ばしいものではなかった。これはその後国内各地で長く続いた内戦の原因といえる。

とりわけ1962年のネ・ウィン率いる国軍によるクーデター以降、中央政府が推し進めた『ビルマ式社会主義』政策は、この国独自の社会主義体制の建設とともに、社会・文化全般の『ビルマ化』でもあり、非ビルマ族がマジョリティを占める地域においては、ビルマ族による『侵略』であったともいえる。

多民族社会における国家の統合おいて、主流派以外の人々が支払うことになる代償は大きい。とりわけその帰属が武力や権力により否応なしに押し付けられた場合には、それまで地域社会が育んできた独自の歴史や文化は軽んじられてしまいがちである。

最後の藩王にして、初代のビルマ大統領であったSAO SHWE THAIKEの宮殿が、その来歴についての説明もなく、ただ『ブッダ博物館』として運営されていることは、まさにそれを象徴しているように感じられる。

放射能検査

バンコク出発から1時間ほど経つと、ヤンゴン到着の機内アナウンスが流れる。郊外を旋回しながら高度を下げていく中、地上には燦然と黄金色に輝くいくつかの仏塔が見えてくる。まもなく飛行機はヤンゴン国際空港に着陸する。2007年に完成した国際線ターミナルビルは、バンコクのそれとは比較にならないほど規模は小さいものの、きれいでモダンな造りである。

イミグレーションの列に並ぶ。ヤンゴンに乗り入れている航空会社は近隣国のものばかりであり、機材も大きなものは使用されていない。発着便数も少ないため、そう長く待たされることもなく、実に気楽な空の玄関口だ。

出迎え等の人々がたむろする待合室からは、大きなガラス張りになっている室内がすべて見渡せる。入国審査、機内預け荷物が出てくるターンテーブル、カスタムズ等を通過して出口にやってくる人々の姿がよく見える。すぐ横に隣り合う旧態依然の国内線ターミナルとはずいぶんな違いだ。

私の順番が来て係官にパスポートを差し出すと「向こうに戻って放射能検査を受けてください」とのこと。今年3月11日に発生した東日本大震災により、福島第一原子力発電所で深刻な事故が起きたことを踏まえての措置である。

白衣を着た係員が私の身体全体をなめまわすように測定器を当てる。もちろん何の反応も出ないのだが。もし放射能の高い数値が出たら入国できないのかと尋ねると、「どうなんでしょうねぇ。ちょっと私もわかりません」と屈託のない笑顔を見せてくれる。

現場の人たちにしてみれば「わからないけど、上のほうからそういう指示が出たからやっています」というわけなのだろう。居住地ではなく国籍で検査の有無を決めているのがおかしい。たとえ米国在住で長らく自国に戻っていない日本人が「あなたは日本人だから」と検査させられたり、千葉県在住のカナダ人はチェックされなかったりという具合なのだ。

ともあれこれほどの規模の原発事故を経験した国は他には旧ソビエトのみ。世界中で大きなパニックを呼んだチェルノブイリの事故と同じレベル7という最大級のカテゴリーに区分されていることもあり、不安に思われるのは仕方ないだろう。

バンコクを出るときに買ってみた週刊の邦字新聞『バンコク週報』には、在タイの日本食レストランの客離れによる苦戦が伝えられている。また食品のみならず工業製品等も検査のため海港や空港等で長いこと留め置かれるという事例が多々あることが伝えられている。

今や日本産、日本製という『ブランド』が安心と品質のシンボルではなく、『放射能にまみれている・・かも?』と、かなりの疑念を持って見られるようになっているのははなはだ残念である。

生業 2

話はバーンチラーに戻る。マディヤ・プラデーシュ州で指定カーストのカテゴリーに入っているこのコミュニティでは、伝統的に農耕と売春を生業とする人が多いという。家庭を経済的に支えるために、最初に生まれた娘が娼婦となるのが長らく続いてきた習慣であるとのこと。

奇妙なことに、バーンチラーの人々の中には、自らをラージプートだと自称する例も少なくないとのことだ。この地を諸侯が群雄割拠していた時代、自らが仕える王家のために身内の女性を娼婦に仕立て上げ、敵方の要人のもとにスパイあるいは刺客として送り込むことをためらわない忠誠心を持つ武人階級であったという言い分だ。

彼らが今のマディヤ・プラデーシュの北西部に多く住むことになったきっかけは、当時イギリスがその地に駐屯させていた兵士たちの慰安目的で娼婦たちを必要としたことによるものであるという説があったり、ムガル帝国が領土拡大のために各地に遠征を繰り返していた時代、バーンチラーの女性たちを多数同行させていたとする伝承があったりするなど、性を生業としてきた歴史はかなり長い。

近年、そのコミュニティの中では自らの身内の女性が娼婦となる以外に、外部の女性とりわけ幼い子供たちを売買するブローカーとしての役回りをする者が出てきており、同州周辺地域はもちろんのこと、遠くは中東方面にまで手を広げているケースもある。

インディア・トゥデイの3月30日号にもその関連の記事が出ていたのだが、当のバーンチラーのコミュニティの中から、先祖伝来の悪しき習慣を改めようと努力する人たちの動きについても取り上げられていたのは幸いである。

だがマディヤ・プラデーシュ州内では、バーンチラーの他にもベーリヤー、カンジャル、サーンスィーといった、やはり売春が盛んなコミュニティがある。長らく続いてきた因習の連鎖を断ち切るべく行政は働きかけているそうだが、あまり効果は上がっていないという。

<完>

良き仲間たち

4月17日(日)に東京豊島区の池袋西口公園にて『第12回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ』が行なわれた。

3月に発生した東日本大震災の影響で、様々なイベントや催し等の中止や延期が相次いでいる中、地震による被災者支援チャリティを全面に打ち出しての開催である。

在日のバーングラーデーシュ人と日本人との交流の機会であるとともに、前者にとっては毎年開かれているこの集まりで『同郷の友人・知人がやってくるから』とわざわざ東京から離れた地方からも長距離バスや新幹線等で駆けつける人も多い。

そんなことから自粛という選択肢ではなく、地震による被災支援という姿勢で臨んだということもあるかと思うが、何も生み出すことのない後ろ向きの『自粛』ではなく、能動的な形で取り組んでくれたことは高く評価できるだろう。

ともあれ地震、津波はもとより、福島第一原発の事故による放射能に対する懸念から、3月中旬以降、東日本在住の外国人たちは大挙して国外に出て行った。

たまたま仕事その他の都合で一時的にこの地域に居住している人たちにとって、帰国あるいは第三国にも収入の途あるいは就業機会が容易に得られる見込みのある状態にあれば、わざわざこの地に残らなくてはならない理由というのはあまり見当たらないはずだ。日本からの出国は至極当然の行動なのではないかと思う。

そんなわけで、今年のボイシャキメーラーではバーングラーデーシュの人たちの姿はかなり少ないのではないかと想像していた。昼ごろまでは人出もまばらであった池袋西口公園だが、午後になると急速にベンガル系の風貌の人たちが増えてきて相当な混雑となり、昨年以前とその様子は変わらないようである。眺めた感じ、 会場内の群衆の三分の一くらいはバーングラーデーシュの人々であったと思う。

家族連れも多く、ステージで順次繰り広げられる詩の朗読、音楽の演奏、舞踊といったプログラムの中で、バーングラーデーシュ人と日本人を両親に持つと思われる少年が日本語訛り(・・・と思われる)ながらもベンガル語で立派にスピーチをこなし、ステージ周辺ではベンガル人の両親に連れられてやってきた小学生が複数の日本人同級生とおぼしき子供たちと一緒に遊んでいる姿も見られる。

日本人と結婚した人が多い(主に夫側がバーングラーデーシュ人)ということもあるが、在日のバーングラデーシュ人たちは日本での定住・永住志向が強い人が多い。そんなわけでこうした子供たちが通う学校は普通の公立学校であったりする。同様の傾向が最初は同国から留学生としてやってきた人たちにもいえる。例え結婚相手は故郷の両親が決めた自国の女性であっても、就職後は日本に定住するというライフプランを描いている人が多く、前者と同様に日本国籍を取得している例も少なくなく、日本社会への同化の度合いはかなり高い。

主にバブル期に来日して日本に定住した後に日本で家庭を持ったバーングラーデーシュ人の子供たちの中で年長の部類の中からそろそろ実社会に出る者が出てくるころである。

新規来日組では、留学・就労その他の目的での男性の単身者の来日が多いコミュニティではあるが、経済的にはあまり楽ではないと思われるそうした若い人たちの中でも、募金箱に千円札をソッと入れてくれている人がけっこういることに気が付いた。

震災後、世界各国から寄せられた様々な支援についての報道を目にするが、日本社会に根付いて暮らすバーングラーデーシュ出身の良き仲間たちからの温かい善意も決して忘れてはならないと思う。

※『生業2』は後日掲載します。

生業 1

このところインドのメディアの人身売買にまつわるニュースにて、バーンチラーというコミュニティのことが取り上げられているのをしばしば目にしている。マディヤ・プラデーシュ北西部からラージャスターン南東部あたりに分布しているコミュティである。

インドにあまたあるコミュニティには、それぞれ特有の習慣を守り、固有の生業で生計を立ててきた人たちが多い。もちろんそうした古い社会の枠組みは現代においてもそのまま存続しているというわけではないし、あるコミュニティの特徴的な部分にて、それを構成する人々すべてを一般化してしまうのも誤りだ。

ただし特定のコミュニティがある業種において特殊な技術、知識、既得権を握っていたり、部外者が新規参入するのが困難であったりということがないとは言えないし、何かとそうした縁がものを言う分野もあることだろう。

それとは逆にいわゆる賤業とみなされる分野においては、その職域を外部から敢えて侵すことにより、新規参入者にとって何か経済的に大きな利益が上がるということでもなければ、社会から賤しまれて収入も少ない生業が世代を越えて連綿と受け継がれていくということもあり得る。

現代インドでは、そうした出自によるハンディキャップによる格差を是正するために指定カースト、指定部族に対する留保制度が用意されている。­そうした措置のおかげで特に出自の低い人たちの生活や教育の水準が上昇し、次第により公平な社会が実現されるのが理想だろう。

留保制度によって一流大学に入学できたり、さらにはその後IAS(インド高等文官)その他ステイタスの高い職業に就くことができたりといった具合に、底辺で苦学してきた人たちがインドという大きな国を動かす側に回る例は決して珍しいことではない。能力とやる気がありながらも生活苦で野に埋もれようとしている人々を数多く救済している。

しかしながら、留保制度という逆差別は、憲法に謳われている万民の平等と矛盾する部分もある。留保の対象となる指定カースト(SC)、指定部族(ST)、加えてその他後進諸階級(OBCs)以外の人々の機会を奪うことにもなる。

所属するコミュニティによって秩序だった教育、所得、生活水準があるわけではなく、『留保対象以外の人々』が必ずしも『留保対象の人々』よりも恵まれた境遇にあるとは限らないことに留意が必要だ。

留保制度は長らく政争の具ともなっており、年月の経過とともに新たに留保対象として指定されるコミュニティが増えるとともに、留保の割合もことあるごとにいじくられてきた。

果たして留保制度が現行のままで良いのかどうかについて、誰もがいろいろ意見のあるところではないだろうか。それでもインドにおいて、政策のツケは広く民意を問う選挙という公平な手段により、国民自身が審判を下す民主的なシステムが徹底している国であるだけに、難しい匙加減のもとでそれなりにバランスが取れていると見ることはできる。

かつてと違い、今のインドのとりわけ中央政界においては、大政党が過半数を得られることなく、大小含めた主義主張の異なる様々な政党の寄合所帯となっている。それがゆえに右派勢力が政権を取ろうとも、中道左派の国民会議派が支配しようとも、連立政党や閣外協力政党にも配慮した運営が求められる。結果として極端な方向に舵を切ることなく、穏健でバランス感覚に富んだ政治が続いているように見受けられる。

<続く>