ダマン4 海岸

ナーニー・ダマンの市街地からしばらく北上したところにあるデーヴカー・ビーチ。日本風の松林の中にヤシの木が混じるエキゾ空間。ここは岩場が多いが松の木が生えているエリアと浜の間くらいに海の家みたいなのがいくつもあり、みんなそこで飲んでいる。ほとんど男性客ばかりだ。たいていラムやウイスキーなど、安価に酔える酒をあおっているため、もう昼近くになると、大声で騒いだり、へべれけでフラフラしながら小便に立つ男性たちの姿が見苦しい。平日でこうなのだから、週末はどんなことになっているのかと思うと情けない。酒はスマートに飲もう。

あまり雰囲気が良くなかったので、ダマンの海岸に戻ることにした。昔の記憶では、ボロボロの穴が開いたようなシャツを着ていかにも貧しげな男たちばかりだったオート運転手の中にも、一見ちょっとしたいいとこのボンボンみたいに見えなくもない身なりと風貌の男の子が、たまーにいたりする近年。特に都会ではそういうのは珍しくはない。それだけ豊かになりつつあるということなのだろう。
ダマンでは、ご覧のとおりの逆三角のボディービルダー運転手がいた。見た目の筋肉に時間とお金を投資する余裕があるわけだ。庶民の可処分所得の変遷を比較(どういうモノサシで測ればよいのかわからないが)すると、なかなかおもしろいことになりそうだ。

お客が来ないのでフテ寝しているタトゥー屋。浜にはこういうのが多い。ひどく不衛生そうだし、病気がうつりそうだ。近ごろインドでも若い人たちで入れ墨しているのが増えてるけど、まったく感心しない。入れたら10年後どころか1週間後にでも覆いに後悔しそうなデザインサンプルを掲げている店もある。

タトゥー屋

湖かと思うほど穏やかな水面のダマンの海岸。アラビア海に沈む夕陽が大変美しい海岸だ。浜から長く沖に突き出している砂洲があるのだが、潮が引くと仰天するほど遠くまでそれが伸びる。更にはそこから先もずいぶん遠浅なので、かなり遠くまで出た人がくるぶしまでしか水に浸っていなかったりする。満潮の際の水面からすると、潮流は強そうで海水浴には向かない感じであるが。砂は黒く、粒が小さな石のような感じの浜で、昼間はまったくパッとしない。水も茶色で見映えするようなことはないとはいえ、夕陽の時間帯となるとこれが絶景となるのだ。インド人はカナヅチが大半なので、海で遊んでいる人たちは大勢いても、泳いでいる姿はみかけない。

ダマンのビーチに面した素晴らしいロケーションを占めるサーキットハウス。つまり役人用の宿泊施設。

夕暮れ時のダマンの眺めは最高だったが、とても残念なことがひとつ。

ビール瓶の破片が散乱しており、散歩していてもそこここで飲んでいる人たちが平気で瓶を放置していくし、立ち去り際にわざわざガチャンガチャン割っていくグループもあった。飲み終えてから海に投げる奴もいた。

酒税の低さで、飲酒がダマン観光の主要な魅力のひとつになっているだが、その結果としてのこうしたゴミの散乱は、目に余るものがある。

浜を歩くと足元でガラス破片がギシギシ、バリバリ鳴る。とても裸足で歩いたり、寝そべったりして日光浴などという環境ではない。サンダル履きで歩くのさえ危険なくらいだ。

Darbha村の定期市(ハート)

村から品物を運んでくるアーディワースィーの人たち
同じ村の人たちとジープをチャーターしたりもする。

バスタル地方といえば、カラフルなハート(定期市)で知られるが、だいたい大きなスペースに屋根や幌が張られているところで工業製品、野菜、軽食などを商うのは町の人。

そのまま何もないところにムシロを広げて野菜、竹のザルやカゴ、手作りのホウキ、酒、野蚕の繭など村の産品を売るのは先住民が多い。どちらも近くに集まって商っており、先住民とのその他の市民が隣り合って商売しているという図はなかなかないし、アーディワースィー(先住民)が屋根や幌の下で何かを売っているというのもないようだ。きちんとしたマーケットプレースの場所で商売するのが普通の市民、先住民はその脇や空き地で物を売るといった棲み分けになっているらしい。

野蚕の繭

生鮮食品でも町の人たちとアーディワースィーの人たちが売るものには違いがある。私たちに馴染み深く、大量に栽培・収穫できる野菜類などを沢山積み上げて売るのは町の人たち。商業作物としてあまり栽培されない野菜についてはアーディワースィーの人たちが扱っているようだ。

町の人たちが売る野菜

アーディワースィーの人たちが売る野菜

魚類については、大きな鮮魚類は町の人たち、小魚などの干物はアーディワースィーといった具合だ。

町の人たちは鮮魚を売る。

アーディワースィーの人たちは小さな魚の干物を売る。

マフアの花から造った地酒マフア、米から醸造したドブロクみたいなのを売っているのは女性たち。こうした「青空バー」は、地域の様々な村からやってきたアーディワースィーの男たちの社交場となる。ちょっとした美人ママのところにそうしたお客たちが集まるのは、いずこも変わらないようだ。

青空バー
米から造ったドブロク
こちらはマフアーの花。これを使ってマフアーの酒が造られる。
マフアーの酒を売る美人ママ

チトラクート滝

ジャグダルプルから直行するミニバスがあり、1時間余りで到着した。
「チャッティースガルのナイヤガラ」とも呼ばれるそうだが、増水する雨季にはもっと流れが大きいのだろう。
太陽の角度の時間帯がドンピシャで、虹が見えて良かった。狙って行ったわけではないが、「虹がね・・・」という話を前日に聞いていたので。

日本とネパールを繋ぐお金の縁

紙幣の原料となる樹木、ミツマタの大半をネパールからの輸入に頼っているとのこと。
リンク先記事によると、もともとネパールでよく採れていたというわけではないようで、1990年代からネパールでの栽培を始めたようだ。
日本とネパールのお金をめぐる縁は、日本からの国際協力のみならず、ネパールが日本の紙幣発行を下支えしてくれているという側面は、これまであまり知られていなかったはずだ。

ネパールが支える日本紙幣 原料の樹木、大半を生産(日本経済新聞)

センティネル族

アンダマン諸島の中のセンティネル島に住むセンティネル族。外界とまったく接触を持たない民族として知られているが、アメリカの若い宣教師が彼らの島に上陸を試みて弓矢で射殺されるという凄惨な事件が発生した。

このセンティネル族、いくら孤立した民族とはいえ、その出自でインド本土の学校に進学したり、街に定着したりした人たちは若干程度いるのでは?と思いましたが、まったくそうではないらしい。

政府の保護政策により、地域への入域が禁止されていることの裏返しに、政府から彼らへの働きかけもほぼ無い。今も石器時代同様の暮らしであるようで、文化人類学的には大変価値のある存在だ。またこの島内で世界が完結していること、外界からまったく影響を受けていない独自の言語、価値観、倫理観があることなど、大変興味の引かれるものでもある。

この若い宣教師は、旺盛な好奇心と使命感みたいなもの、そして功名心に駆られて上陸を試みたのかもしれない。

クリスチャンの言う「神は愛なり」という言葉は好きだが、一方的な価値観、倫理観、文明観の押し付けにより、ときには「神は害なり」に転じることもある。

とくに宗教のようなものに限ったことではなく、政治活動、販売活動、その他何かの教宣活動においても、「これは素晴らしいから受け容れるべき」というような態度は、相手の存在や現状を否定することに等しいことも少なくない。

North Sentinel Island tribespeople believed to have killed trespassing US ‘missionary’ (CNN)