STONE HOUSE LODGE跡地

ゲストハウスが無くなったくらいで『跡地』とは大げさかもしれないが、かつて存在した格安ドミのあった宿で日本人バックパッカーに人気だった。ニューロードから路地を北に少し進んだところにあった。伝統的なネワール建築・・・といっても庶民の長屋だったので、大変奥行きの狭い前後に薄い木造建築だった。入口の上階がオーナー家族の居宅で、食事時になると、調理の音や匂いですぐにわかった。

オンボロだったが、タメルあたりのどこの宿よりも安かったので、長期旅行者はよく利用していたし、他の宿に滞在して空き待ちをしている人もあり、ドミトリーのベッドが空く際には、チェックアウトする宿泊者に直接「ベッドの引き継ぎ」を依頼するなんてこともあった。

とにかく安かったので、カトマンズに沈没するにはもってこいだったのだ。かくいう私もバックパッカー時代にここで沈んだことがある。

ニューロードから路地に入る。
昔ながらの建物も一部残っている。
電線がものすごい。
正面の薄い色の壁の建物は、かつて「ビレンドラ・ゲストハウス」であった。
黄色い門の向こうに「ストーンハウスロッジ」があった。今では別の建物が建っている。

当時の入口の門柱は残っているが、建物は建て変わっている。

すぐ隣に1990年あたりに新築されたビレンドラ・ゲストハウスは、ロケーションの割には安くて部屋も清潔だったのだが、なぜか人気の宿とはならず、すでに廃業している。個人的には、ビレンドラ・ゲストハウスにも思い入れがある。

当時、バンコクで泊まったゲストハウスで知り合い、一緒に市内のあちこちを観光したり食事したりする中で親しくなった北米の女性旅行者がいた。当時のエコノミーな宿のドミトリーはエアコンなど付いていないサウナ状態。異性の宿泊者が同室にいても、西洋人女性は気兼ねすることなく衣類を脱ぎ、あられもない姿でベッドに寝そべっているのが普通だった。そんな姿の彼女のメリハリの効いたボディーを目にしていた私は、ぜひもっと親しくなりたいと思いつつも時間切れ。彼女がバンコクから南方面へ向かうときに見送る際、日本人としては慣れない抱擁をされてムギュっと胸元に押し付けられた豊満なバストにドギマギするとともに、軽いキスに頬を赤らめる若者の私であった。

私よりも少し遅れてネパールに来るというので、カトマンズで宿泊を予定していたストーンハウスロッジの住所を渡してあったのだが、ありがたいことに彼女は本当に現れてくれた。その晩、一緒に夕食を取った後、思い切って愛を告白すると事態は急展開することとなった。

翌朝、朝日の差し込む部屋のベッドで目覚めると、一緒にシーツにくるまって寝ている彼女の一糸まとわぬ姿。昨夜のことは夢ではなかったのだと、胸がキューンと鳴る。ここはストーンハウスロッジ隣のビレンドラ・ゲストハウスの一室。私は宿を引き払い彼女のもとに転がり込み、安宿ではあったが新婚旅行のような生活が始まった。

まだ雨季であったためトレッキングに行く気にはなれず、カトマンズ市内はもとより、カトマンズ盆地内には見どころが多いためカトマンズをベースに日帰りであちこち訪問したりした。朝は近所のカフェで軽食、それから観光に出て夕方ゲストハウスに戻る。当時のカトマンズは夕方8時を回ると深夜の雰囲気。彼女と過ごす長い夜がとても楽しかった。

ストーンハウスロッジに宿泊していた人から「安旅行者の分際で愛の巣を構えた」と冷やかされたりした。真新しいビレンドラ・ゲストハウスはきれいで良かったのだが、なぜかカーテンがついておらず、電気をつけたままだと室内の私たちの様子がドミトリーから見えいたようで恥ずかしい。

残念なことに、私としては不本意ながら彼女との交際は長続きすることはなく、ネパール滞在中の数週間で終わってしまった。仲違いしたわけではなかったのだが。

ネパールからインド、パキスタン、イランを経てトルコ、ギリシャへという方向は同じであったので、もう少し長く一緒にいたかった。しかし彼女は私よりも10歳以上も年上の既婚者であり、半年間の旅行が終わったら家庭に戻る立場。一度でいいから世界を旅してみたいという長年の夢を叶えるため、ご主人の理解を得て出てきていることは、バンコクにいたときから知っていた。

お互いあまり深入りすべきではなかったのだ。あまりに仲良くなり過ぎた私たちは距離を置くことに決めた。それでも相変わらず親しい男女がただの友人の関係に戻るのは容易ではなく、ふたりが物理的に離れるしかないことを悟るまでに時間はかからなかった。

彼女はどちらかがカトマンズを離れようと言い、私はインドに向かうことに決めた。最後の一日はそれまでと変わらない楽しい時間を過ごしたが、あっと言う間にバスの時間になっていた。バススタンドに見送りに来てくれた彼女と交わした最後の長い長い抱擁とディープなキスが思い出に残っている。このまま永遠に時が止まってくれないものかと願った。バスがそろりと走り出し、手を振る彼女の姿がすぐに彼方へ消える。切なさに胸が張り裂けそうになるのをこらえつつ、私の恋は終わったことを実感した。

だがその2か月ほど後、彼女とインドでバッタリ再会することになるのだからわからないものだ。そのごく数日前から同宿を始めていた別の北米女性とレストランに入ると、通された席の隣になんと彼女がいたのだ。そんなわけで気まずくはあったのだが3人で食事をすることになった。

再会がとても嬉しかった反面、「君のことは生まれ変わっても忘れやしない」「出会えて本当に良かった。君のことを愛している。永遠に・・・」などと言って、涙で別れたすぐ後に、他の女性と一緒になっていて大変申し訳ない気もした。数日前から連れ合いとなった女性が彼女に「彼と一緒に旅行していて」とペラペラ喋ってしまうのを遮ることはできない。もちろん女性は私と彼女が恋仲であったことはまったく知らない。

さらには食事を終えて戻る宿が同じで、これまた同一のフロアーのすぐ近くの部屋という非情な偶然が重なり愕然とする。すぐ近くで独りで寝ている彼女への思いは断ちがたく、いたたまれない気持ちになった。もしここでひとりで彼女と再会していたならば、今晩はどうなっていただろうかとか、この部屋を出て再び彼女に言い寄ろうかなどと、ろくでもないことを考えてしまう。

翌朝、新しい連れとなった人と宿を出立して他の街へ移動する前、ひとりで彼女の部屋を訪れて最後の挨拶をした。別れてそう時間の経たないうちに別の女性と旅していることに罪悪感を抱いていた私には謝罪のような気持ちもあった。カトマンズで別れ話を切り出したのは彼女自身とはいえ、いろいろ思うところあったはずだ。それでも「元気そうで安心したわ。これからきっと良いことがあるわ。」と温かく長く抱擁してくれて、慈しみに満ちた眼差しで送り出してくれたので感激した。まるで以前の恋人が突然実の姉になったかのようでもあった。やはり当時20代前半だった私よりもずっと大人の彼女の落ち着いた物腰と度量に私はさらに惚れなおした。

バックパッカーとして長期旅行をしている人たちだが、多くは特に詳細な予定があるわけではなく、なんとなく「アジアを横断する」とか「インドに半年、それから東南アジアでも半年くらい滞在したい」「もしかしたら中国も行くかもしれない」「お金が続けばアフリカか南米にも」などと、ごくフワッとした「旅程」を考えていることか多い。

つまりスケジュールはあってないようなものなので先の行動はフレキシブルだ。通常は仕事をしているわけではない(今の時代はパソコンや通信環境も手元にあるので旅行しながらフリーランスの仕事をしている例外もあるかもしれない)ため身軽であり、しかも圧倒的に若い独身者が多いため、恋愛に対する関心が強い年代だ。宿泊費が高めの大都市でドミトリーに滞在する場合を除けば、安宿ながらも誰に気兼ねすることもなく自由に使える部屋がある。

いつも観光客でごったがえしているメジャーなスポットはともかく、ちょっと辺鄙なところで、ひょっこり「同じ外国人旅行者」と出会えば、しばらく話し込むこともあるだろうし、夕食に誘い合ったりもするだろう。そんな中で夜遅くまで話し込んで親しくなるということは珍しくない。普段の生活とは違う非日常空間でもあるため、あっという間に大胆な展開を経てアツアツの恋仲となり、旅路を伴にするというロマンチックな関係に発展することも少なくない。

その背景には、まず『人は恋をする生き物である』ということがある。一人旅は気楽で良いのだが、しばらく続けていると気の合う話し相手も欲しくなるのは自然なことだ。本質から外れた些末なところでは、宿代を折半して安く上げるという経済的な誘因もあったり、一人だと何かと不便なこともある移動中の安心感(バスの小休止地点でトイレにいくとか、ちょっと買い物に出るとかなども含む)もあれば、女性の一人旅があまり良しとされない国での安全確保という利点もあるかもしれない。

もちろん互いに相手の人柄や感性を認め合っての真面目な交際であり、性的な衝動だけが目的ということは、あまりないだろう。それでも旅先での恋の常として、ボンヤリとした予定であっても、やはり各々が目的を持って旅しており計画している期間や予算もそれぞれなので、どんなに互いが相手を好きになっても仲睦まじくなっても、遠からず別れのときがやってくることはお互いわかっている。帰るべき国が異なれば、なおさらのことだ。それだけに一緒にいる今という時間が愛おしくなり、旅先の恋というものは激しく燃え上がるのだ。

旅から離れて自国の忙しい日常に埋没して過去の思い出になっていくこともあれば、旅を終えて帰る先がごく近いエリアでその後も会う機会に多く恵まれて付き合いが続いていったり、あるいは違う国同士の遠距離で交際を続けて愛を育みゴールインするカップルもある。

昔は『ここの鉄道駅から私は北へ、彼女は南へ向かう』『彼女の帰国を空港まで見送る』といったシチュエーションでは、まさに『今生の別れ』という気がしたものだ。往復に時間のかかる手紙のやりとりをしていても、やがて間隔が空き、いつの間にか途切れてしまったり、互いに引っ越しして新しい住所も判らなくなったりする。もっとも、それよりも前に新しい出会いがあって、以前の相手とは一気に縁遠くなってしまったりもする。

インターネット、SNSの発達した今では、引き続き相手と近況をオンタイムで交換できるし、ビデオチャットなどでごく近くに感じることができるし、場合によってはその旅行中に向かう方向が同じであれば、どこかで落ち合って旧交を温めることもあるだろう。昔とはずいぶん事情は違うことと思う。。

そうは言っても、今も変わらないのは、人の縁というものは、まったくもって先が読めないものであり、旅先の恋の行方というものもとうてい予測がつかないものであることだ。まさに筋書きのないドラマである。

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

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