amazon.in

書店に行き、いくつか気になる本の表紙を撮影。紙媒体のものしかない専門書籍の類は普通に購入するが、それ以外の読み物はたいていKindle版が出ている。店頭でページをめくってみて、良さそうであればamazon.inで買いたい。

これだと持ち帰る際に重量は増えないし自宅のスペースも圧迫しない。ただ、もしアマゾンが倒産してしまったら、まだ読んでいない本までもすべてパーになってしまうのだろうと怖ろしいのだが。

このようにして、昼間に見かけた書籍のKindle版を夜な夜な購入していると、なぜか買うことができない書籍があるため気がつくかもしれない。それはタブレットなど大型画面の端末での利用が確認できないと、販売しないKindle書籍があるためだ。

ちょうど今、あなたがインドに滞在中であれば、ぜひamazon.inのアカウントを作っておくと良い。だからといってそこで何か買い物をしなくてはならないということもない。ただ作っておくだけで、インドの書籍に興味があるのならば、後々助かることになるかもしれない。

インドを出てからでもアカウントを作ることは可能とはいえ、インドで作成したアカウントでなければ、Kindle書籍を日本(あるいはインド以外の第三国)にいながらにして購入することはできないからだ。

つまり「インドで作成したamazon.in」のアカウントそのものが、ひとつの財産であると言える。

ただ注意が必要なのは、端末に紐付けられた電子メールアドレスが、日本のアマゾン用に利用しているものだと、これを利用することができない。よって、今持っているけど使わなくなっているスマホないしは古いタブレットをamazon.in用にしようとする場合、一度初期化してからamazon.co.jpで使用しているものとは異なるメルアドに紐付けてからKindleアプリをインストールしないといけないという点。これはKindle専用端末についても同様だ。

あと、使用するクレカもamazon.co.jpで利用しているものとは別にしないと支払いができない。つまり「in」と「co.jp」で、建前上は別人であることにしないといけないという面倒くさい部分がある。

・・・とはいえ、インドを離れても話題の書籍がすぐにKindleで手に入るというのはありがたい。

インドラプラスタへの観測気球

インドでの地名改名について、日本では唐突に伝えられるため、時の政府が気まぐれで勝手に変えたと思う人は少なくないかもしれないが、実はそのかなり前から有識者や有力者の発言、市民団体からの発案などが報じられていることが多い。

そうした中でどのような反応が市民の間から出るのか、様子を観察しているフシが感じられる。もちろんメディアもそうしたことを続報として出すので、「あの街も名前変わるかもしれないんだな」と読者は気が付く。

以前、冗談半分で「BJPによる改名ラッシュの中でデリーがインドラプラスタになるかも?」と書いたことがあるが、実際にそういう動きはやはりあるようだ。リンク先で伝えられている事柄についても、やはり発言者独自の考えというよりも、右翼勢力による首都改名についての観測気球のようなものかもしれない。

BJP政権下での地名改名については、「地名の浄化(シュッディーカラン)」という特徴がある。外来勢力による支配等に因んだ名前を廃してヒンドゥー的なものに置き換えることによるそれだ。

「デリー」については、それ自体に問題があるわけではないのだが、それを英語で「デリー」と呼ぼうと、ヒンディーで「ディッリー」と呼ぼうと、ウルドゥー語で「デーヘリー」と呼ぼうとも、長い長い間、様々な外来勢力に蹂躙されてきた過去を持つ都市、地域の名称であることには変わりはない。

そこで神話「マハーバーラタ」に出てくる都「インドラプラスタ」に替えることで、そうしたネガティヴな記憶を帳消しにするシュッディーカラン、浄化をしようということなのだろう。さすがにインドの首都の名前が変わるようなことがあると、その他の土地の地名変更とは次元の異なる強烈なインパクトとなる。

Now, demand to rename Delhi as Indraprastha (NATIONAL HERALD)

Tejo Mahalayaの本

デリーのクトゥブ・ミーナール、バナーラスのギャーンヴァーピー・マスジッドの論争と時を同じくして展開しているアーグラーのタージ・マハルが「ヒンドゥー寺院を改変して建てられたもの」という主張。

「タージ・マハル」ではなく「テージョー・マハーラヤ」であるとする論争だが、元々ジャイプル藩王国所有の地所であったという主張等々のニュースが日々インドから流れる中、ヨタ話であってもネタ的には興味深い部分もある。インド雑学の見地からは、とうてい看過できないものがある。インドアマゾンのKindle本を検索すると、書籍の概要からしてドンピシャのものが見つかったので購入。今話題になっている「テージョー・マハーラヤ」の元ネタはだいたい網羅されていそうだ。

正しい歴史認識が最も大切であることは言うまでもないし、ヨタ話を擁護するつもりももちろんないのだが、そうした言いがかりの根拠としているもの、でっち上げの内容と根拠とするものについて把握しておくことは大切だ。

編集者兼著者のStephen Knappという人物は、インド(及びその他の国々)でヴェーダ関係の書籍をいくつも出しているなど、西欧人(たぶんオーストラリア人)ながらも、極右勢力とは親和性がとても高いように思われる。

著者 : Stephen Knapp
ASIN : B06ZZ6GXN5

日本の桜風景

インドのニュース番組で日本の桜の風景(おそらく九段のお堀端付近)が写し出されていて、美しい眺めであるのは良いのだが、中華風のBGMが挿入されているのは気になる。

まあ、インド人にしてみると「中国人と日本人は同じ民族だが、国は別々になっているから、前者は中国人、後者は日本人と呼ばれる」という理解なので仕方がない。今どきのインドでも、「東京から来た」と言うと、目を輝かせて「おお!従兄弟が香港に住んでいる!」とか言う人は普通にいるし。

「え?香港って何だよ?」って思ったりもするが、デリー、アーメダバード、ムンバイが同列の並びであるように、上海、香港、東京はひとつの並びとなっている人が多いことについて目くじら立てても仕方ない。往々にしてカンフー映画即ち空手の映画という具合に把握されているし、近年はここにテコンドーも混ざってきて、かなりややこしいことにもなっている。まあ、これはインドに限ったことではないのだけれども。

ウクライナの地名表記を改めるならば・・・

ロシアによる侵攻をきっかけに、ウクライナの地名の日本語表記が変更された。今後は人名の表記にも適用されるのだろうか。こういうものは何かきっかけがあると突然変更されることがあるけど、何かきっかけがないとまったく変わらないもの。

バングラデシュの地名表記なのだが、おそらく「東パキスタン時代」のウルドゥー語表記をカタカナ化したものをバングラデシュ成立(1971年、ずいぶん昔のことだ)以降も引き続き用いているようだ。

たとえばローマ字でNARAYANGANJと表記して「ノロヨンゴンジ」、BARISALと表記して「ボリショル」と発音するのがバングラデシュだが、今も変わらず日本語での表記は「ナラヤンガンジ」「バリサル」となる。RAJSHAHIも語の意味からもウルドゥー/ヒンディー式にはラージシャーヒーと読みたくなるが「ラッシャヒ」になる。

バングラデシュの地名表記がこんな調子なのは、ベンガル語を国語とする新生バングラデシュ成立後、日本語表記の見直しがなされなかったからだろう。苦労してパキスタンから分離独立した際、日本でも大きく報道されていたはずだが「バングラデシュの人たちに連帯感を示して、新生国家の地名はパキスタンのウルドゥー語風の読み方から改めて、ベンガル語風の読み方に変更する」という具合にはならなかったのは、当時の日本の関心は地理的にもっと近いベトナムやインドシナ情勢にあり、バングラデシュはその蚊帳の外だったためかもしれない。

このように、日本語での表記は現地での発音に近いものとするという前提はあるものの、周辺地域との歴史的な関係や文化的背景などから、もともとそうなっていない地域はけっこうあるのかもしれない。ウクライナの地名がロシア読みに倣ったものとなっていた理由は、ロシアを中心とする旧ソヴィエト連邦時代に日本で定めた表記が引き続き使われていたからに他ならないだろう。

【ウクライナの地名変更リスト】チェルノブイリはチョルノービリ。オデッサはオデーサに (HUFFPOST)