英語で学ぶタイの大学

ヤンゴンバスターミナルで、自分が乗るバスの出発時間まで時間潰しをしていたら、フランス人の若い女性の二人連れに会った。

この人たちは、二日に一晩は夜行バスで移動しているとのことで、短い期間にバガン、マンダレー、カロー、インレー湖と来て、ヤンゴンに到着したところで、これから西の方角にある海岸に向かうのだという。

ビーチで二泊した後、ヤンゴンに戻ってバンコクに飛び、さらに二日後にはラオスに向かうのだそうだ。なぜそんなに忙しい旅行をしているのかというと、バンコクに留学中で、フランスに帰省する前に、周辺国をあちこち訪問したいのだとか。

タイに留学というからには、何かタイそのものに関することを学んでいるのかと思いきや、「経営学」だという。授業はすべて英語でなされるとのことで、主に外国人留学生(および英語で学びたいタイ人学生)の獲得を主眼に置いたコースであるようだ。そんなわけで、タイ語はほとんどできないとのことであった。

近年、多くの国々で留学生の招致がひとつの産業として位置づけられ、様々な工夫がなされている。決して数は多くはないものの、日本でもそうした大学あるいは学部、研究科等あるが、公用語として使われているわけではない英語での授業となると、大学側には並々ならぬ苦労があるようだ。

また学生にとっても、例えばそうした大学で学士号を取得しても、日本国内で学外の大学院に進学する場合、「やっぱり日本語が必要だった!」ということで、それまで軽んじていた日本語を、ほぼゼロから学ばなくてはならなくなったというケースも耳にする。

留学生活は、クラスでの授業がすべてというわけではなく、そこでの生活もあり、交友関係等もあるので、英語が公用語として広く用いられている国々ならともかく、地元の生活との乖離がはなはだしい土地ではどうかな?とも感じる。

しかしながら、本人の意欲と頑張り次第で、そこに暮らしていてこそ、地元の言葉を習得することも可能であるので、留学先としてこういう選択があってもいいと思う。「英語で学ぶタイの大学」の案内として、以下のようなウェブサイトがある。

タイの大学へ行こう!英語で学べるタイの大学

とりわけ今後の人生を、タイに関わりを持っていきたいと考えている方には、有力な選択肢のひとつかもしれない。

 

ヤンゴンのサティヤナーラーヤン寺にて

話は前後するが、バハードゥル・シャー・ザファルのダルガーに行く前に、ヤンゴンのダウンタウンを訪れた。宿泊先から目と鼻の先だが、ダルガーの名前とおおよその場所をビルマ語で書いてもらうためである。ザファルのダルガーと言っても、通常タクシーの運転手は理解してくれないからだ。

ベンガル系の人々が集うモスクから出てきた紳士然とした壮年男性に書いてもらった。「これで運転手はわかると思うけど、今行くのならば私が話をするが、後で行くならばこの人に運転手に説明してもらってくれ」と、付近の露店のインド系男性に頼んでくれた。親切な人だ。

ついでにと、インド人街を散策する。インド人街でも、托鉢している坊さんや尼さんたちの姿は多い。明らかにヒンドゥーと見られる人たちも施しのために路上に出ている人たちが少なくない。朝早い時間帯から路上では茶屋が店開きしている。これまで国外のメディアで伝えられてきた暗いイメージとは裏腹に、とても社交的なムードがある。

ヤンゴンのダウンタウンのインド人が多い地区で托鉢する坊さんたち

植民地時代のコロニアル建築の建物に入っているシュリー・サティヤナーラーヤン寺の入口脇に、子供たちのためのヒンディーのレッスンについての貼り紙を見つけた。確かに、この地域では父祖の母国の言葉を使うことができる中高年は多いものの、若年層は理解しない人が少なくない。

ヒンディーのクラスについての貼紙

寺の入口にて、ヒンディーで会話している男性たち二人に声をかけてみた。ひとりは近所に住む人でも、もうひとりはこの寺の管理人であった。後者は、おそらく50歳くらいだろうか。先祖はUP出身で、彼自身はインド系移民五世であるとのこと。1962年のクーデター以降、この国の各地から大勢のインド系の人たちが本国やその他の国々に移住したということはよく知られているが、やはりこの街のダウンタウン界隈でも同様であったようだ。

サティヤナーラーヤン寺

「昔、このエリアはインド系の人たちばかりで、ビルマ人を見かけることさえ、ほとんどないくらいだったんだ。今とは全然違ったよ、あの頃は」

・・・というものの彼自身は、おそらくそのあたりの時代に生まれたと思われるため、実体験として「インド人の街」であったころの界隈を知っているわけではなく、おそらく両親からそうした話を聞かされて育ったのではないかと思われる。だが1962年のクーデターを境にして、インドの言葉(ならびに中国語)による出版が禁じられるなど、言語環境の面でも社会的な変化があったようだ。

「インド系移民に関心があるならば、ゼーヤーワーディーに行くと面白いと思うよ。あそこではインドから来た人々が今も大勢暮らしている。住民の大半がそうだと言っていいくらいだ。まるで、ビハールやUPにでも来たような気がするはずだよ。先祖がそのあたりから来たっていう人たちがほとんどだし。まあ、主に畑仕事やっているところで、とりたてて見るものはないんだけどなぁ。」

今回はそこを訪れる時間はないが、いつか機会を得て出かけてみたいと思った。

南インド系の人たちも混住している。ドーサの露店が店開きしていた。

インド人講師の英会話教室

日本国内どこに行っても英会話教室の広告を見かける。多くは『ネイティヴの講師』を売りにしていて、アメリカ、イギリス、オーストラリア他の『英語を母語とする』人々が教えることになっている。

だが英語の教員という点では、インド人もなかなか評判がいいことをご存知だろうか。産油国方面で英語を教える、英会話を教えるといった仕事に就いているインド人は昔から少なくないようだ。

また、実はあまり広く知られていないようだが、インドの隣国ブータンは1970年代から学校教育の場で、国語のゾンカ語以外の教科は英語で教えるようになっている。その教育の英語化を導入するにあたり、当時まだ英語を自由に使うことのできる現地教員の数がとても少なかった時期に、非常に大きな役割を果たしたのは同国の要請により、大量に派遣されてきたインド人教員たちである。

そんなわけで、英語教育の分野で実績のあるインドで、現地の英語教職者を使って、日本人に対してインターネット経由でオンラインレッスンを行なう英会話教室がある。

MOA (MINATOMO ONLINE ACADEMY)

インドの教育資源を活用した面白い試みであり、こうした事業の今後の進展にも注目していきたい。

ミススペリングだって立派なもの?

看板やTシャツのプリント等々、日本の街中に蔓延している奇妙な英語を棚に上げていえば、インドの街中で『あれれ?』と思う綴りを見かけることは少なくない。特に安食堂の英語メニューなんかかなりスゴイものもあったりするが、ヒンディーの看板や標識の類、メディアでも小規模なローカル紙などでもしばしば『?』なスペルを見かけるものだが、このたびBBC Hindiのサイトで『間違いスペリング特集』を見かけた。
鼻音を示す印がついていないのは、何となく書いていて知らずのうちそれを付けるのを失念したといった具合だろうか。短母音と長母音が逆になっていたり、シャがサにとなるように子音が取り違えられているのは書いた人本来の母語の影響があるのかもしれないし、語の区切りが妙だったり、スペルそのものが間違っているがそのまま読めば似た響きとなる綴りの場合、意味を考えずに耳で聞く音だけで覚えていたものによるものかもしれない。もちろんちゃんとした教育を受ける機会がなかったということも少なくないにしても、ひょっとするとこうした間違いの裏には『誤り』では割り切れない背景がいくつもあるのかもしれない。
どんな言葉でもそうだが、それを学んだ人々の中である特定の言葉を母語とする人に典型的な傾向、しゃべりかた、語の用法というのはよくあるものだ。日本語にしてみても、それを身に付けた中国語圏の人々、インド人やパーキスターン人たち、マレー系の人々等々、どの言語集団の人々にあっても、各グループ内に共通する特徴と他グループとは明らかに一線を画する強い個性を備えているものだ。やや大げさに言えば、その言葉の中にこれまでなかった新たな文化が表出するのである。
言葉の使い手の中に、これを母語としない人が多く加わってくることにより、従来にはなかった語彙はもちろん、新たな言い回しが加わってくるかもしれない。異なる母語、違った文化を背景に育ってきた人々が自らの視点でその言葉を話すことにより、本来それをしゃべっていた人たちとは違う価値観を訴える、表現するといったことだってあるだろう。人と人が言葉で物事を伝え合い影響し合うのと同じように、異なる言葉が人々を介して交わり合う、ぶつかり合うことの中から生まれてくるものも少なくない。言葉とは本来そういうものだ。
一見間違いにしか見えないものの中にも、よく目を凝らして観察してみると、どこからか興味深い事実、学ぶべきものが見えてくることもあるかもしれない。

新時代の辞書

 今年3月に新たなヒンディー語・日本語辞典が刊行された。株式会社大修館書店から出た『ヒンディー語=日本語辞典』(古賀勝郎/高橋明 編)である。もとより日本語で解説された南アジアのコトバの辞典は少ない。地域の大言語であり、話者人口も世界有数のヒンディー語でさえも一般の書店で手に入るものといえば、これまで1975年に初版が出た大学書林の『ヒンディー語小辞典』(土井 久弥 編)しか思い当たらなかった。
 日本でバブル期あたりからの海外旅行ブーム、そして90年代半ばあたりから経済の面でもインドが注目されるようになってから、ヒンディー語のフレーズブックや入門書の類はポツポツと出ていたものの、さすがに本格的な辞書が出てくることはなかった。
 日印間の距離が近くなってきたとはいえ、中国やタイなどにおいてのそれぞれ中国語、タイ語といった地元のコトバの占める立場と、インドにおけるヒンディー語のありかたには大きな違いがあるので、こうした具合になるのは無理もない。およそ人々の動きの中で『経済活動』、つまり日々の糧を得るための仕事が占める部分がとても大きい。そのためちょっとかじってみる・・・程度ではなく、わざわざ貴重な時間とお金を費やして本腰入れて学ぶとすれば、やはりそのあたりが強く意識される場合が多いこともあるだろう。
 もちろん英語で書かれたものならば、従来からインド国内はもちろんOXFORDやHIPPOCRENEといった英米の版元によるものを含めていろいろあるので、「辞書がなくて困る」なんてこともない。今の時代、インド国外のどこの国にいたってネットの通販でいろいろ手に入る。
 ただ自国語により解説された××語の辞書があるかどうか、あってもバリエーションが豊富かどうかといったことは、その××語を話す人々と自分の国との距離を暗に示しているようだ。
 たとえば英・日辞典の数はいったい何種類出ているのか見当もつかないくらいだ。また中・日辞典は大陸系のものと台湾系のもの双方流通しているし、韓・日辞典もいろいろ売られている。日本国内で出版されたものだけではなく台湾や韓国で発行されているものもあり、これらの国々の人々にとっていかに日本語が身近なものであるかということもうかがえる。タイ語辞典にしてみても、タイ語から日本語を引くあるいは日本語からタイ語を調べるもの以外にも、タイ語ことわざ用法辞典なんていう便利そうなものも書店に並んでいる。
 今の日本で人気の外国語といえば何だろうか?おそらくNHKの語学講座で扱っているコトバがそれらに相当することだろう。先述の英・中・韓に加えて、スペイン、ドイツ、フランスなどといったヨーロッパ諸語がある。そして数年前から突如としてアラビア語が登場したのにはやや驚いたが、ちゃんと継続しているところを見ると視聴者の関心はそれなりに高いのだろう。
 テレビとラジオ双方にアラビア語語学講座があるが、後者には東京港区元麻布にあるアラブ イスラーム学院の文化・広報担当者が出演している。サウジアラビアの政府予算で運営される同学院は、在京の同国大使館付属機関であるとともに、『イマーム・ムハンマド・イブン・サウード・イスラ-ム大学東京分校』という位置づけを持ち、実績次第でイマーム大学リヤード校又は他のイスラーム諸国の大学への留学の道も開かれているなど、かの石油大国は日本でのアラビア語普及にかなり力を注いでいるようだ。
 そんな中で、今年3月に出てきたヒンディー語=日本語辞典。アラビア語、ペルシャ語、英語等からの借用語を含めた8万語収録、前者ふたつの言葉を起源とする単語についてはウルドゥー語表記も付加してあるし、イディオムや用例もなかなか豊富である。日本語解説による本格的な辞書の登場だ。
 編者は大阪外国語大学の先生方。辞書の編纂には深い学識とともに非常に緻密で膨大な作業がともなうものなのだろう。充実した収録内容と情報量、それとは裏腹に出版部数がそれほど多くないであろうことを考え合わせれば、これが日本で18,900円(税込)で手に入るとはちょっと安くないだろうか?
 この新しい辞書の登場は、日本におけるインドのコトバに対する関心の高まりや両国間の距離が以前よりもさらに近くなってきたことを象徴している・・・とは言いすぎかもしれないが、そうあって欲しいと願っている。
『ヒンディー語=日本語辞典』
古賀勝郎/高橋明 編
ISBN: 4469012750