イスラームはインドに学ぶべき

ハイデラーバードでは広くウルドゥー語が使用されていることはよく知られているが、私はてっきりテルグ語社会の中で、インドのムスリムにとっての教養のひとつとしてウルドゥー語が広く理解されていることと思っていたが、実はネイティヴでウルドゥー語を話す人が非常に多いことは知らなかった。

ハイデラーバードのムスリム人口は4割前後と言われ、大都市としては突出したイスラーム教徒人口の割合の高さを示している。とりわけ旧市街を中心に代々ここで暮らしてきたムスリムたちが多いようだが、そうした人たちの中で見るからに北方系といった顔立ちや肌の色の人たちが大勢いることも特徴的だ。デカンのこの地に北インドを移植したかのような観さえあるとしても言い過ぎではないだろう。

ハイデラーバード市街地から出ると、「デカンにやってきたな」と感じるし、市内でも南インド風のゴプラム様式のヒンドゥー寺院からある一角から、ムスリム地区に入ると一気に北インドにワープしたかのような気分にさえなる。

ところで、最近の日本ではイスラーム関係のビジネスが盛り上がりを見せつつあり、ムスリム社会への関心も少しずつ高まりつつある。それは良いことだと思う半面、ムスリム自身によるタテマエの発言をそのまま伝える安易なものに終始していることが気にかかる。

イスラーム理解には、私たち非ムスリムからするとネガティヴに捉えてしまう部分も併せて知ることが不可欠である。世代を越えて皮膚感覚で蓄積してきたイスラームへの理解は深い。付け焼き刃の「イスラームとは」の類よりもはるかに実際的で、タメになるはずだ。

一時滞在のお客さんならば、帰国するまで我慢して、後はニコニコして送り出してしまえば済むのだが、自国で共存していくにはそれなりの覚悟と妥協が必要となる。。

Namaste Bollywood+ 43のレヴューを取り上げた際にも書いたが、イスラームが栄えてきた歴史の長さと、イスラーム教以外の様々な宗教との共存という点からも、イスラーム教やそれを信仰するムスリムの人たちを理解するために、インドという国は私たちにとって非常に優れた教師となることと信じている。

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