パイガー墓地(Paigah Tombs)

ハイデラーバードの旧市街からパイガー墓地に行くのはあまり簡単ではなかった。オートの運転手たちがそこを知らないからである。またマクバラー・シャムスルウムラー(Maqbara Shums Ul Umra)と言えば判ってもらえたのだろうか。
ともあれ、こんなときにスマホは役に立つ。グーグルマップで検出して出てきたロケーションに近く、誰でも判りそうな「サントーシュナガル警察署」まで行くことにした。

この街では、オートの運転手たちに対する道案内サービスのようなものがあるらしい。運転手が携帯で電話して誰かに行き方を質問、というようなことがしばしばある。運転手がムスリムで、運転中に携帯を手にして話しているのがウルドゥー語なので、その会話内容が判るわけなのだが。最初は誰か知人にでもかけているのかと思ったが、そうではないようなので尋ねてみると、もちろん知らない場所に行く場合に、先方が知る範囲での情報をもらえるともに、道路混雑具合の照会にも使えるということだ。なかなか面白いサービスである。

警察署前のヒンドゥー寺院

しばらく走って到着したサントーシュナガル警察署のゲート近くにいた人に、進むべき方角を確認。警察署付近には南インド様式のヒンドゥー寺院があるが、少し進むとムスリム地区となり、インド北方系と思われる色白で風格のある顔立ちの人々が多い。そうした中高年の人々が立ち話しているところでふたたび道を尋ねて、もう近くまで来ていることがわかった。私の目的地は、ジャマー・マスジッド・クルシード・ジャーの裏手にあるとのこと。

パイガー墓地はこのモスクの裏手

ここは、ニザームの家臣、パイガー一族の墓地。この一族はイスラーム教の二代目のカリフ、ウマル・イブン・アルハッターブの子孫であるとされる大変な名門。ニザームの忠実な家臣として仕えた家柄だが、独自の宮殿や数千人にも及ぶ私兵を持つなど、藩王国内の王国のような権勢を誇った一族であったとのこと。先祖がアラブのクライシュ族から出たとされるムスリムの家系はインドやパーキスターンで他にもあるが、その中でもまったく次元が異なることになる。1960年代に埋葬された人の墓もあり、同家の墓地として割と最近まで使われていたらしい。ムガルやラージャスターンの様式に地元デカンのスタイルを加えたものとされる精緻なデザインで、大変風格を感じさせる墓地である。












墓地内の礼拝施設

墓地内の礼拝施設の中

「パイガー墓地(Paigah Tombs)」への2件のフィードバック

    1. ずいぶん遅くなりましてすみません。コメントありがとうございます。墓地として素晴らしいだけでなく、近年亡くなった方もまたここに埋葬されていることから、一族の歴史は今も継続していることを感じました。

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