遺伝子組み換え食用作物 インドで大量消費の日は近い?

従来の商業作物に対して、遺伝子操作を施すことにより、病虫害や除草剤への耐性、貯蔵性の向上、栄養価の増大、含まれる有害物質の減少等といった形質を与えた遺伝子組み換え作物と呼ばれる。
また医療方面での効果を上げることも期待されており、例えばスギ花粉症のアレルゲンのエピトープを含む米を意図的に造り出し、これを食用とすれば経口免疫寛容により、花粉症の時期の症状を軽減できるであろうというものだ。
将来的には、これまで栽培が難しかった環境での育成を容易にしたり、収穫量を拡大させたりといった効果も期待されている。
しかしながら、こうした作物を食用とすることにより身体に及ぼす作用はないのか、遺伝子組み換え作物が在来種と交雑することによる環境への影響など、その安全性についてはいろいろ議論されているが、今のところまだ結論は出ておらず、中・長期的な観察も不可欠だ。
こうした技術や作物についての評価は様々だが、グローバルな観点からは、バイオ燃料需要の増大、従来の農業国の工業化等、産業構造の変化による就農人口の減少、新興国を中心とした食料の需要増等に対応するため、農業における一層の効率化は避けられない。
また日本のように、現状では食糧自給率が極端に低く、耕作地が限られている国においては、食品としての安全性、環境への影響といった部分への不安が払拭できれば、能率的で、収益率も高く安定したな新しい農業のモデルを創造できるきっかけとなるのかもしれない。今後私たちと遺伝子組み換え作物との関わりは、より深くなっていくものと考えられる。
もちろんネガティヴな側面もある。遺伝子操作という新しい技術が生み出す作物について、まだ知られていない重大な欠陥や問題点が出てくることもあるかもしれないし、グローバル企業が進めるアグリ・ビジネスによるモノカルチャー化(単一品種の栽培)がこれまで以上に進展するのではないかということも容易に想像できる。
アグリ・ビジネスの中でも、とりわけバイオテクノロジー・ビジネスの分野をほぼ独占しているアメリカの私企業に、私たちの食卓の大部分を委ねるという事態になってしまうとすれば、大きな不安を抱くのは私だけではないだろう。
インドでは、2002年に綿花栽培において、遺伝子組み換え種の導入を認可した。その背景には、綿花栽培農家の苦境があった。綿の作付け面積は世界最大だが、収穫量では世界3位に甘んじている現状を踏まえたうえで、収穫量を6割向上させることができると主張するアメリカのモンサント社による熱心な売り込みが、当初はこの新技術に懐疑的であったインド政府に門戸を開かせることになった。
それから7年ほど経った今、ついに食品の分野でも遺伝子組み換え作物が認可されるに至った。先述のアメリカのモンサント社とともに、インドのアグリビジネス企業Mahycoがかかわっている。
Biotech regulator approves commercial release of Bt brinjal (Hindustan Times)
भारत उगाएगा बीटी बैंगन (BBC Hindi)
こうした動きには、国内事情からくる要因が多分に作用しているものと思われる。総人口の6割以上が29歳以下の若年層、25歳以下で区切れば総人口の半数を占める。
一般的には、若年層が多いほど、労働力が豊富であり、個々の家計支出も例えば結婚、家財道具の準備、出産、子供の養育・教育費、住居の購入・新築といった大型のものが続くため、内需拡大に結びつきやすく、経済発展に貢献する度合いが高いとされる。
だが必ずしもこれが有利に働くとは限らず、高い人口増加率が経済の足を引っ張ってしまうというところにインドのジレンマがある。とりわけ出生率の高い社会層において、低所得、失業、貧困、教育等々の問題が深刻なのだ。
総人口の7割が農村に暮らし、しかもその大半が5,000人以下の村に住んでいるとされる。インドの農業は、灌漑が普及に成功した地域を除き、天候頼みの部分が大きいことから、特にモンスーンが不順な年には大きな影響を受けやすい。そうした折には農村人口が大挙して非熟練労働者予備軍として都市部に流出する。
今をときめくBRICsの一角を占めるインドだが、同時に世界最大の貧困層を抱える国でもある。農村部で人々に安定した収入をもたらすことが、世界第二の人口大国の食糧問題、労働問題等、諸々の難問を解決するための大きなカギとなることは言うまでもない。
また経済全体の半分を外需が支える中国とは対照的に、インド経済を引っ張るのは旺盛な内需。総体の三分の二が国内需要によるものだ。
よって都市部の需要に対する周辺部という位置づけであった圧倒的な人口を抱える農村部が富むことにより、国総体としてのの経済規模が飛躍的に拡大することが期待される。
そうした社会的な要因を背景に、遺伝子組み換え作物については、今後トマト、オクラ、米の解禁も近いとされており、インドの食卓への浸透は進むだろう。
数年後、あなたがそうとは知らずにバーザールで手に取っているその野菜も、何気なく口にしている料理の中身も、実は遺伝子操作による産物かもしれない。
ただし、遺伝子組み換え作物というものが、果たして本当に食用に適しているのか、環境に対する影響はないのか、近い将来遺伝子組み換え技術の欠陥や弊害が浮上することにならないのか、その技術が特定の国の私企業にほぼ独占されていることでどんな問題が生じてくるのか、大いに気になるところでもある。

未だ見ぬ『怖い新型インフルエンザ』

日本では学校の新学期が始まり、新型インフルエンザによる学級閉鎖等のニュースがメディアに登場しない日はない。自らはかかっていなくても、身の回りに罹患したことのある人があるという方は少なくないだろう。
早いうちに罹ってしまって、免疫とやらを獲得するのもいいかもしれないが、我が家の下の子供はまだ1歳。私が罹患するということは、自動的に家族も感染・発病してしまうということで、特に乳幼児は新型・季節性を問わずインフルエンザ脳症のリスクが高く、何としても新型に対するワクチンを接種させるまでは、少なくともこの新しい病気をもらってこないことを願っている。
この病気があまりに一般化してしまい、発生件数をカウントすることに意味がなくなってしまったこと、加えて症状や治療方法等が他のA型の場合と変わらないことから、医療機関で簡易検査を行なってA型であることが判明しても、特に新型か季節性までを確定することは通常行なわなくなっているようだ。この時期インフルエンザにかかるということは、非常に高い確率で新型であるということもあるだろう。
新型インフルエンザ – Googleニュース
新型インフルエンザの出現と流行に関しては、他の多くの地域よりも遅れたインドでもSwine Fluとして、やはり同国のメディアにはよく取り上げられている。患者数もかなり増えてきている。
Swine Flu – Google news
本日時点までで、これまでバンガロールだけで36名が死亡しているとのことだ。その他各地で相当数の方々が亡くなっており、類型の死亡者数は9月5日時点で125名を越えている。適切な医療へのアクセス、生活水準等の問題から、特に社会的に弱い立場の人々の犠牲が多いのではないかと思われる。
貧困層の乳幼児や老人、元気なはずの世代でも日銭を稼いで何とか大家族を養っており、体調が思わしくないからといって休めないような人々の間で感染が広まれば、それなりの割合で重症化することは容易に想像がつき胸が痛む。
新型ということで、このタイプのインフルエンザの出現以降、これまで罹患したことのある人を除き、誰も免疫を持っていないため、今後どのように流行していくのか注目される。
新型の毒性は季節性と同程度とはいえ、私たちがこれまで冬になるとよく罹ってきた通常のインフルエンザにしても、持病のある人は重症化しやすく、乳幼児や高齢者もリスクが高く、健康な大人でもこじらせると厄介なことになったりする危険な病気であった。日本だけでも毎年インフルエンザに罹患したことにより、あるいは合併症などを起こして亡くなる方々は1万人以上であるとされる。
現在言われているところの『新型インフルエンザ』のみが怖いのではなく、これまで私たちが慣れ親しんだ?季節性のものも含めたインフルエンザという病気全般が、これと同じ程度に危険なものであることを認識させてくれる機会になったと言えるかもしれない。
数年前から『遠くない将来、新しいタイプのインフルエンザが出現する』という前提のもとで、WHOならびに各国政府が新型インフルエンザに対する行動計画の策定を進めてきた。その進捗状況には国・地域差があったものの、先進国を中心に概ね本格的な体勢が整ってきたところで、今回の新型インフルエンザ出現となった。
世界各地で蜂の巣をつついたような騒ぎとなり、関係当局はその対応に忙殺され、メディアは煽り立てて、騒動に拍車をかけてきた。まさに『予想されたパンデミックの最中』に私たちはある・・・ということになる。
だが『ちょっと待ってくれ』と言いたいのは私だけではないだろう。確かに新型インフルエンザが出現した。だがこれはここ数年来危惧されていた高病原性のH5N1型トリインフルエンザではなかった。現在までのところ、トリからヒトへと散発的な感染が観察されていることからWHOの言うところの『フェーズ3』にある。
遠からず、トリインフルエンザが、これに感染したヒトからヒトへと効率よく感染が広まっていく状態が現れることが予想されており、しかもこれまでトリから感染したヒトの死亡率が約6割という。世界的に大きな災厄を及ぼすことが予想されているインフルエンザである。
今回、意外な『伏兵』の登場により、私たちが本当に気をつけなくてはならない真の敵に対する注意が散漫になってしまっているように感じられてならない。目下、流行している『新型』対応のワクチン生産その他に対して持てる力の大半を注ぎ込んでしまい、いつ出現してやろうか・・・と機会をうかがっている『本命』に相対する余力は残っているのだろうか?と少々心配になったりする。
もちろん、このたびの毒性の低いインフルエンザの流行は、やがて来るであろう『危険な新型』に対する予行演習にはなるだろう。これまで想定してきた対策のうち、何が有効で何がそうでないのか。新たにどういう対策を打ち出すべきなのか、いろいろ検証できることと思う。
私たちが肝に銘じておくべきことは、目下『とうとう怖いインフルエンザがやってきた』のではなく、近い将来『本当に怖いインフルエンザがやってくる』ということである。

i-pill

近ごろインドのテレビでこんなCMをよく見かける。
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携帯電話が鳴る。
寝ていた女性が起き上がって出る。
時刻は午前2時前。
「何?どうしたの?」
相手の話に耳を傾けていた女性が驚いた声を上げる。
「えぇっ!何も用意せずに!?」
「いつ?』
「どうしてそんなことに?」
「妊娠したら堕胎することになるのよ、わかってる!?」
「まだ今なら間に合うと思う」
緊急避妊ピル、72時間以内に服用。望まない妊娠を防ぐために・・・・。
…………………………………………………………..
これはi-pillの宣伝。他社製の類似商品にUnwanted-72というものもある。どちらも強力なホルモン剤からなる薬で、性行為の直後、なるべく早いうちに使用することで妊娠を防ぐ。両製品とも『72時間以内に使用』するものであるとうたっている。この類の薬は、欧米や日本その他各国でも広く流通している。
だが、ちょっとあからさまなこのCM。性に対して開放的になってきていることが背景にあるのだろうか。避妊に関する選択肢が増えること、とりわけ急を要する場合の最後の手段として、こうした手段を選択できるということは大切だ。こうした商品が広く流通すること、そうした方法があることを世間が周知することも意味のあることではある。
しかし同時に避妊という大切な問題について、間違った捉え方をする人も出てくるのではないかということも気にかかる。それに子供たちも普通にテレビを見ている時間帯にも、こうしたCMがバンバン流れているのもいかがなものか?と感じるのは私だけではないはず。いろいろと考えさせられるものがある。

非喫煙者 でもときどき喫煙

ふと思えば、周囲で喫煙者が減っている。禁煙・分煙化の動きはどこも同じで、国は違えども公共の場で喫煙できる場所はどんどん減っていき、これと歩みを同じくしてタバコを吸う人も減っていった。もちろん自然にこうした流れが出来たわけではない。
非喫煙者による禁煙・分煙化を求める意識の高まりは、タバコの害に関する広範な啓蒙活動の果実であるといえよう。それが市民の紫煙に対するスタンスに変化を生じさせ、行政に対しては、非喫煙者の健康を守るために、様々な対策を取ることを促した。
かつては『禁煙』と表示することにより、そのエリアが限定されたスモークフリー空間となり、非喫煙者が喫煙者に対して『吸わないでくれ』と要求できる根拠ができた。だが時代が下るとともに禁煙指定の場所が拡大し、やがて基本的に公共の場ではタバコを吸うことができなくなり、『喫煙エリア』『喫煙所』と指定された場所でのみ、これが許させるようになった。
その喫煙可能な場所にしてみても、日本では今年4月からJRの駅から取り除かれることとなり、いまや喫煙者に残された『聖域』とは、パチンコのような遊戯施設と酒場くらいのものではないだろうか。
世界的にタバコの価格もずいぶん上がっている。もちろん物価上昇によるものではなく、各国政府が政策的にタバコにかかる増税を実施しているからだ。インドで20本入りパッケージを買うと、日本での一昔前に販売価格と変わらない。市井の人々の収入を考えると、ずいぶんな贅沢かもしれない。
購買力という点から見れば、一箱600円から1000円くらいする欧米に比べてずいぶん安い。日本におけるタバコの値段は300円程度と手頃である。タバコに起因する医療にかかる社会的なコストを勘案したうえで、タバコの価格を大幅に引き上げようという動きは常にあるらしいが、おそらく喫煙者自身とは別のところに強力な抵抗勢力があるようで、なかなか実現しそうにはないようだ。
私自身は『非喫煙者』ということになっている。喫煙者ではない、と言い切れないのは、ときどき吸っているからだ。毎日数本だけ吸うという意味ではない。外に飲みに行ったときに、一箱買って席で吸い、店を出るときに捨てている。また仕事やプライベートな旅行などで、自宅を離れる際も例外的に吸うことを自分自身に許している。その際、自分の生活圏に戻る前にタバコを放棄し、これを日常生活に持ち込まないようにしている。
『また吸い始めたら、やめられなくならないか?』と聞かれることもあるが、案外そうでもないので、『要はケジメなのさ』と答えたりしている。飲み屋や旅行から戻ってから、どうにも吸いたくてたまらなくなることはまずないので、私なりにうまく気持ちを切り替えている・・・と思う。
でもよくよく考えてみると、スパッとやめることができないから、そうした例外規定を設けて、ときどき喫煙しているということにもなるかもしれない。『だから本当はやめてないじゃないか』?と指摘されれば、そうだと認めないわけにはいかない。
前置きが長くなったが、そんなわけで私は非喫煙者の立場と喫煙者の気持ちもわかると思う。喫煙しない日常では、タバコの副流煙は臭くて迷惑だなと思うし、たまに喫煙しているときには、それなりにマナーに気をつけているつもりだ。
たまに喫煙者の視点から眺めてみると、各国の空港も喫煙所スペースが非常に劣悪な環境であったり、そもそもタバコを吸う場所がまったくないところも少なくない。その他交通機関や駅など発着場所においても、こっそり吸っている人はあっても、通常は禁止されている。屋内の飲食店もたいてい禁煙だ。『おお、スモークフリー化が進んだなあ』と感じ入る次第である。これは非喫煙者の視点からはなかなか気が付かない変化だと思う。
そんな中、ネット上でこんな記事が目に付いた。
ここでは堂々と、「喫煙カフェ」盛況 (asahi.com)
『すべて喫煙席』が売りとのことで、他から締め出された肩身の狭い喫煙者たちが、心ゆくまで紫煙を愉しむことができる限られた空間だ。しかし今なお喫煙率が相対的に高い水準にあり、『健康増進法
における受動喫煙防止の施策も緩い日本
で、喫煙者を囲い込むことがひとつの大きな商機となりえるならば、喫煙者が大手を振ってタバコを吸える『解放区』が、雨後のタケノコのように各地に出現するのではないだろうか。
非喫煙者がそうした場所に足を踏み入れなければ済むこととはいえ、これまで嫌煙権が強化されてきたのに対して、『喫煙権』を保護する形となる。これによって禁煙化の動きが部分的に骨抜きになる可能性もあるのではないかとも思う。『非喫煙者ときどき喫煙』の私はどちらに肩入れするつもりもないのだが。

新型インフルエンザ 『行動計画原理主義』でいいのか?

ついにインドでも新型インフルエンザの患者が確認された。
First confirmed case of swine flu in India (THE TIMES OF INDIA)
エミレーツ航空のフライトにて、アメリカからドバイとデリー経由でハイデラーバードに到着した人物からウイルスが検出され、現在隔離されているということだ。
また日本では、5月17日昼ごろまでの時点にて、国内でヒトからヒトへ感染が認められたケースは21名となった。いずれも高校生であり、『なぜ高校生ばかり』という声もあったものの、その後成人(20代と40代にそれぞれ1名ずつ)の感染疑い例も出ており、確定すれば成人では始めての例となる。
国内感染計21人に 大阪で9人、兵庫で4人新たに確定 (asahi.com)
大人からも陽性反応 新型インフル、兵庫で新たな疑い例 (asahi.com)
新型インフルエンザ感染が確認された神戸では、今月15日から17日に開催される予定であった『第39回神戸まつり』や同17日に行なわれるはずであった『おまつりパレード』が急遽中止となり、スポーツの試合や大会も中止や延期され、映画館も休館するかもしれないという。また保育所や介護施設も一斉に休業するなど、大きな社会的影響が出ている。
今回の新型インフルエンザについて、日本では厚生労働省が医療専門家等の意見等をもとに定めた新型インフルエンザ対策行動計画をもとに、さまざまな対応がなされているところではあり、これを基に各省庁や各地方自治体での対策行動が進んでいくことになる。
しかしながら、この行動計画自体が、強い毒性を持ち、高い致死率を示すであろう鳥インフルエンザに対して策定されたものである。今のところ季節性インフルエンザ(新型インフルエンザに対するこうしう呼称は、ここ2週間ほどで社会にすっかり定着した)と変わらない症状で弱毒性である。
今後ウイルスが変化してより強い毒性を持つようになる可能性も否定できないとはいえ、メディア上にも医療関係者から疑問の声が多く上がっている。
毎年冬になるとインフルエンザの流行が報じられ、学校などで一定以上の感染者が発生すると、学級閉鎖その他の対策が取られるが、今回の一連の動きのような大きな騒動には発展することはない。
すでにアメリカでは、今回のインフルエンザの症例を見極めたうえで、過剰な反応をすることを取りやめて、季節性インフルエンザに対するものと同等の対応をすることになっていることはすでに広く報じられているとおり。
蛇足ながら、現在の季節性インフルエンザにしてみたところで、もともとは鳥類の病気であったものが、豚を介してヒトにも感染するようになったとされている。今回のインフルエンザは、確かに新型とはいうものの、前代未聞の特異な変化を起こして発生したというわけではない。
行政機構という、上意下達のシステムの中で、それを担当する各組織ないしは該当するスタッフ等は、上からの指示に黙って従い、職務を遂行するしかない。だが策定されている行動計画が、今回のインフルエンザに対する処置としては、かなり的外れであるようだという声が医療関係者からも多く出ている。
一度定めた行動計画の内容について、これを汲み上げて柔軟に対応する機能がなく、事前に定められた行動計画をひたすら墨守すべき根本原理であるかのように、ただこれを声高に叫ぶ政治家や官僚主導により、猪突猛進的に推し進められていく様子自体に大きな不安をおぼえる。
もちろん季節性のインフルエンザでも、毎年世界中で4万人前後の死者が出ているといわれており、社会や個人で気をつけるべきこと、心がけるべきことはたくさんある。
また従前より危惧されていた強い毒性を持つインフルエンザが新たに出現した際に、すでに策定されている対策が流行拡大に対してどの程度の効果があるものなのかを確認する危機管理訓練の機会であるということも否定できないが、社会に対する、また個々人の生活に及ぼす影響があまりに大きい。
行動計画という規定に基づき、これを機械的に推し進めるのではなく、現状を観察したうえで、それに応じて既定の行動計画に対して柔軟かつ適切な軌道修正を行なうこと、それを可能とするシステムを持つことこそが、今の行政に対して求められているはずだ。
当初の想定と異なる部分が出てきた場合、それに対していかに速やかに対応できるか、これが危機管理にキモであることは言うまでもないだろう。この部分がすっかり欠落していることが大変気がかりだ。不必要な部分や大幅に緩和するべきが出てくれば、そのように対応すべきだろう。反対に、より強化すべき部分が生じた場合には、そうした処置を講ずる必要があるにしても。
ともかく、新型インフルエンザについて、臨機応変に対応する能力を著しく欠く、はなはだ硬直した政府が策定した『行動計画』原理に基づく集団ヒステリーを、このままさらにエスカレートさせて良いものなのか、はなはだ疑問である。
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※本日夕方、大阪府の橋元知事が、今回の一連の動きについて『通常のインフルエンザの対応に切り替える必要があるのではないか』として、厚生労働大臣に見直しを要請したことを明らかにした。
橋下知事、「新型インフル対応」見直しを厚労相に要請 (asahi.com)
これを機に、いたずらに危機感を煽ったり、過剰に過ぎる対応を根本的に正して、現状に即した妥当な方向へ向かうことを期待したい。
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