禁煙先進国

世界のたいていの国で喫煙者は肩身の狭い思いをするようになっている昨今。日本の首都圏ではこんな本が売れているらしい。

最新版 東京 喫煙所マップ  東京喫煙愛好会著 (PHP研究所)

ISBN-10: 4569793258

ISBN-13: 978-4569793252

著者が『東京喫煙愛好会」となっているのも面白い。もはや喫煙という行為は、かつてのように大人の嗜みではなく、一部の好事家の変わった趣味といった具合だろうか。

それでもまだまだ喫煙者に対して甘いという声も聞こえてくるようだ。それにタバコの価格だって他の先進国に較べてまだまだ安いではないかとも。世界で最も喫煙者に対して厳しい国はと言えば、欧米ではなく南アジアのある国のこと。ブータンでは法律上では『麻薬並み』に厳しい扱いになっている。 

もう何年も前にヒマラヤの禁煙国として、ブータンの禁煙化について書いてみたが、それから6年以上経った今、同国で人々から尊敬される存在である僧侶が、タバコに関わる罪状で5年の実刑判決を受けたことがニュースになっている。 

国境の町プンツォリンと接するインド側のジャイガオンで購入した噛みタバコ72パケットを密輸したというのが罪状だが、タバコで『5年間の服役』とは厳しい。 その商品とは、インドのどこの街でよく見かけるBABAブランドのものようだ。 

Charged for handling tobacco (KUENSEL ONLINE) 

Enforcing the ban (KUENSEL ONLINE) 

同国ではすでにタバコの販売が禁じられており、個人的な消費目的である場合のみ外国から関税を支払い持ち込むことができるようになっている。ただし関税の支払いのレシートを保管しておかないと、タバコが見つかった場合密輸と判断されるとのこと。 

また地域によっては条例等により、屋外や公共の場での喫煙行為自体が違法となっている場所もある。アッサム国境の町ゲレチューでは、今年1月1日から自室のみOKということだ。罰金は500 Nu(ブータン通貨ニュルタム、インドルピーと等価)だ。アッサム側の町と接しているため、市内に流通するタバコが後を絶たないため、思い切った策に出たものと思われる。 

闇で出回るタバコといえば隣国インドから入ってくるものが大半だが、値段のほうは例えばWILLSがインドで40 Rsであるとして、ブータンにおいては首都で流通の中心地でもあるティンプーでは60~80 Nu、インド国境から遠い地域に行くと100 Nuあるいは150 NUという価格にもなるというから、喫煙者の経済的な負担も大きい。とても喫煙という行為を楽しむ環境ではない。 

是非はともかく、禁煙環境という意味ではブータンは世界最先端にある。

※コールカーターのダヴィデの星 3は後日掲載します。

チベット 酸素 ヘモグロビン

高い所はどうもダメなのである。高所恐怖症というわけではないが、高地で酸素の薄い状態が苦手だ。
特に飛行機で、海抜3000 m以上のところに降り立ってしばらくすると一両日は動けない。ちょっと二日酔いに似た症状となる。頭が痛くてダルくて、ベッドから立ち上がる気もしない。
いつだかデリーからのフライトでラダックのレーに着いたときもそうだったし、ペルーでリマからクスコに飛んでみたときもそうだった。到着してから宿に荷物を置き、少年たちのストリートサッカーに加わると、空気の薄さからやけに息が切れると感じた。
リマで同じ日系宿に宿泊していた人たちが同じ宿に泊まっており、近くのペーニャ(フォルクローレのライブハウス兼飲み屋)に出かけたのだが、アルコールが入ると強烈に効いた。
翌日、翌々日と部屋でノビていた私に、彼らが『コカ茶が効くらしいよ』と駅前のマーケットに出かけてくれたが、その日本人3人が羽交い絞め強盗に遭ってしまい、非常に申し訳ない思いをした。相手は10人くらいいたそうだ。
以降、高所に弱いという自覚が出来たため、そうした場所に着いたばかりでいきなり身体を動かしたり、酒を飲んだりしないようにしている。
もちろんその程度の高度ならば、しばらく安静にしていると順応するし、日数をかけて高度を上げていけば、こうした症状は出ない。それでも山道や斜面を上ったりすると息が切れるし、ちょっと走ったりするだけでもとんでもなく苦しい。どうやら私は登山にはまったく向いていないらしい。
酸素が薄い状態に対して、人の身体とはうまく出来ているもので、血液中のヘモグロビンを増やすことにより、低酸素状態で効率良くこれを体内に循環させることで対応する。だがそうした高地に順応した状態は高血圧を招くなど、決して人体に好ましい状態ではないこともよく知られている。
高度による影響は個人差が大きく、トレーニングによりその体質を変えることはできず、結局時間をかけて高度に順応させていくしかない。その他、本来は緑内障やてんかん等の治療薬であるアセタゾラミドというが高山病対策に有効であるとされる。商品名『ダイアモックス』として知られており、高地でのトレッキングに出かける人による利用も多い。だが高山病の症状が出て重症化した場合は『死なずに済む』ためには低地に移動するしかない。
海抜3,000 mを越えたあたりから、高山病を発症する人が出てくる(本当に高地がダメな人の場合、2,000 mでも辛いそうだ)というが、その程度の高さでも重篤化した例、さらには死亡例もかなりある。
だが海抜3,000 mから4,000 m超の高地でも、ごく普通に暮らしている人たちもあり、チベット高原やアンデス山脈などはその典型だ。
そんな高地に暮らしているチベット人たちの体質について、最近見かけたニュースが興味深かった。

チベット人の遺伝子は高地生活に適応
(ナショナル・ジオグラフィック)
The Genetics of High-Altitude Living (Science)
低地で暮らす人々に較べて、チベット人たちは呼吸回数が多く、血管も太いのだという。つまり体内に酸素を巡らすための効率に優れているということになる。
面白いのは、私たちが高度に順応するために血液中のヘモグロビンを増やすのに対して、高地で生活してきたチベット人たちには、これとは逆にヘモグロビンの増加を抑制する遺伝子を持っているというのだ。そのため高地に暮らしていながらも、ヘモグロビンが増えることによる負の影響を受けずに生きていくことができる。
長い歳月、幾世代にも渡って高地で生活してきたため獲得した体質ということになるのだろうが、やはり私たち人類の身体も時とともに環境に合わせて進化を続けていることを思い出させてくれる。
※『彼方のインド4』は後日掲載します。

『水』商売

ここ20年間ほどの間で、現地通貨であるルピーをベースに見れば、インドの物価は今とまったく比較にならないほど上がっている。しかしながら店頭で販売されているミネラルウォーターの類の値段はあまり変わっていないし、これらを製造しているメーカーやブランドもずいぶん増えた。
店で飲料水を購入する層が大きく広がったことが、相対的な低価格化を推し進めることになっているのだ。もちろんその間に、価格や機能性にもいろいろあるようだが、浄水器を備え付ける家庭も増えた。飲み水の安全性に対する認識が上がったことが背景にある。
かつて日本でエンジニアとして働いた経験があり、現在コールカーター郊外に暮らしている友達の家を初めて訪れた際、こんな話を聞いたことがある。
ずいぶん昔のことだけれどもね、父の旧知の友人で、アメリカに移住した家族が我が家を訪れたことがあった。暑い夏の盛りだったけど、この部屋に彼らが入って来て、家の者が彼らに水を差し出したが、誰も口を付けなかった。
これが父にとって非常にショックだったんだな。ウチでお客に出したものが受け入れられないなんて。そんな不名誉なことを受け入れることができなかった。
当時は、父も私を含めた家族の他の者たちも、観念的な浄・不浄とは違う、今の私たちが言うところの衛生観念からくるものであることをよくわかっていなかった。
何しろ普段私たちが何の問題もなく飲んでいた水だからね。安全だと思ってた。まさか外から来た人たちがそれを口にすると、下痢したり病気になったりすることがあるなんて想像もしなかったよ。
それから浄水器を購入してね、もちろん幾度か買い換えたけれども。そのおかげでウチではいつも安全な水を飲むようになっているんだ。

昔からの友人の家族であることにくわえて、ましてや彼の家柄はバラモンである。彼の父自身も、また家族の人々も、二度とそういうことのないようにと願ったのだという。
同時に、それを機会に自分たちが日々口にしている飲料水のことを考えてみるきっかけにもなったそうだ。いくら慣れているからといっても、それまで家族や身内が水に起因する病気にかかることはしばしばあったようだ。
しかしある程度生活にゆとりのある層を除けば、まだまだ安全とはいえない水を日々飲用している人々は多いことは言うまでもない。
ところで、車両価格が10万ルピーほどという、これまでにない低価格が話題となったNANOが、これまでの自家用車の購買層の下に広がる大きな裾野をターゲットにしているのと同じく、あと一歩で安全な水に手が届かない膨大な人口に商機を見出したのが、やはりTATAグループである。
新商品Swachを発表するターター財閥総帥ラタン・ターター氏
TATA CHEMICALSから、従来よりも安価でランニングコストも低いとされる浄水器Swachが発表された。浄水器本体は、749ルピーと999ルピーの2種類。今後さらに4機種が新たに市場に投入されるということだ。米殻の灰などを材料として出来たフィルターは299ルピーとのこと。
『世界で最も安価な浄水器』との触れ込みで、4、5人程度の世帯で月当たり30ルピーの支出で安全な水を得ることができるとされている。
差し当たっては、年内にマハーラーシュトラ、カルナータカ、西ベンガルの各州で発売され、半年ほどの間にはその他全国で販売を開始する予定。
Tata unveils Swach water purifier (new kerala.com)
バクテリアや細菌などを除去し、飲み水に起因する疾病の80%を防ぐことができるということから、庶民の健康増進に貢献すること、とりわけ乳幼児死亡率を引き下げる効果も期待されている。
もちろんインドに限ったことではなく、同様の生活環境にある第三世界の多くの国々での潜在的かつ巨大な需要も視野に入れているようで、同社の世界戦略商品であるともいえる。
しかし南アジア各地で、井戸水を飲用している地域で問題となっている砒素を除去する機能は付いていないということだ。それでも同社は砒素対策の研究も並行して行なっているらしい。今後の進展を期待したい。

史上最悪の産業事故から四半世紀

昔からボーパールで生活している、ある一定の年齢層以上の人々にとって、12月3日という日付には特別な意味があるはずだ。
今年もその日がやってきた。1984年の12月3日の零時過ぎに、マディヤ・プラデーシュ州ボーパール市のユニオン・カーバイド社の工場で起きた、史上最悪といわれる産業事故である。
ONE NIGHT IN BHOPAL (BBC NEWS South Asia)
その晩、同工場から有毒ガスが市内に流出した。イソシアン酸メチルと呼ばれる肺の組織を破壊する猛毒である。事故が起きた夜半のうちに50万人近くの人々が多かれ少なかれそのガスに晒され、2千人以上が命を落としたとされるとともに、その後これが原因となって死亡した人々の数は2万5千人に及ぶという。
また命を落とすには至らなかったものの、深刻な健康被害を受けた人々の数は、20万人とも30万人とも言われているとともに、今なお引き摺る後遺症に悩んでいたり、精神を病んでいたりする人々もある。彼らの中でガンを発症する率が極めて高いことも指摘されているとともに、出生する赤ん坊たちの中に先天的な奇形が多く見られるという。
1969年開業時には地元の工業化の進展と大きな雇用機会をもたらすものとして、またここで生産される有用な殺虫剤の普及は社会に貢献するものとされていたことなどもあり、歓迎されていた工場である。
事故の原因については、今なおいろいろ議論のあるところだが、ユニオン・カーバイド社が主張していた『アメリカ本国と同じ安全基準』が実際には適用されておらず、ずさんな管理がなされていたことが背景にあるようだ。また従前より、工場内部からも事故の可能性を危惧する声が一部から上がっていたらしい。
1989年に、事故の遺族たちとの示談が成立し、彼らに対する補償問題は解決したものとされているが、工場地の重度に汚染されている状態、そこから敷地外への有害物質の漏出が現在も続いており、今なお付近の人々に対する健康被害が継続しているとされるが、これについての責任の所在が確定していないため、何の対応策も取られていない。
同工場は事件後閉鎖されているが、ボーパールの駅から北方面2キロ弱の地点にある。Google Earthなどで確認していただけるとよくわかるが、この工場自体が市街地内にあり、しかも人口稠密な地域にごく近いことも大きな被害を呼ぶことになった。

大きな地図で見る
線路西側にかつての工場施設が錆び付き、荒れ果てた姿で亡霊のように姿を現す。かつて大事故を起こした建物が、当時そのまま放置されていることが示すように、事件は今なお続いている。
この事故は、発生直後からマスコミやノンフィクションなどでいろいろ取り上げられてきたが、比較的近年になってからも映画や小説の題材となっている。
1999年には、この事故を題材にしたヒンディー映画『Bhopal Express』がリリースされているので、観たことがある人も少なくないだろう。
The City of JoyFreedom at Midnightなど、インドを題材にした作品も複数手がけてきたドミニク・ラピエールがハビエル・モローとともに著した作品『Five Past Midnight in Bhopal』を世に送り出したのは2002年。
20091203-five past.jpg
日本で同書は『ボーパール午前零時五分』というタイトルで発売された。
事故に関して、以下のようなビデオならびに写真のサイトもある。
Twenty Years Without Justice : Bhopal Chemical Disaster (STRATEGIC VIDEO)
Bhopal Gas Tragedy (Photos by Raghu Rai)
汚染が継続していることを警告する住民側とこれを否定する行政の姿勢を伝える報道もある。
Bhopal site ‘not leaking toxins’ (BBC NEWS South Asia)
事故発生からすでに四半世紀が過ぎたことになるが、今なお健康被害等が続いていることについて目をつぶるべきではないし、彼らの救済や汚染状態の調査と適切な対策がないがしろにされてしまっているこの事件を風化させてしまってはならない。
だが、事故の規模があまりに大きなものであったがゆえに『誰がその費用を負担するのか?』という問いに対して、『誰も負担できないし、負担しない』状態が続く限り、被害者たちの苦悩は続くことだろう。たまたまそこに居合わせたがゆえに事故に巻き込まれた罪無き人々に対するあまりに酷い仕打ちである。

SWINE FLU

インドでもSwine Fluとしてニュースの話題に上ることの多い新型インフルエンザ。
First batch of swine flu vaccines in India by Dec (Hindustan Times)
そういえば、先月末には、グジャラート州首相のナレーンドラ・モーディーが発症したことが伝えられていた。
Narendra Modi tests positive for swine flu (ZEE NEWS)
そのインフルエンザが我が家にもやってきた。ここ数日間、四人家族のうち三人が相次いでバタバタと罹患し、そろそろ私かも?と思っていた矢先、熱がバーンと上がり、医師の診察によれば、家の他の者たちと同じA型で、目下流行っているのは、まず間違いなく新型インフルエンザであるとのことだ。とりあえず各自タミフルないしはリレンザの処方を受けた翌日あるいは翌々日には平熱に戻った。
これが、今年4月の後半あたりからメディアで大々的に報じられてきた新しいウイルスか、と思うと、ちょっと感慨深いものがないでもなかった。半年ほど前ならば、感染経路を詳細に調べられたり、それまで接触した人々も調査の対象となったりといった具合に、周囲を巻き込んでの大わらわになるところであったのだろう。
そもそも当時の・・・といってもそんなに前のことではないのだが、メディアと行政が一体となってのあの狂乱ぶりは一体何だったのかと思う。新型ウイルスが、ヒトからヒトへ効率よく感染するようになり、世界的な流行が始まっているというパンデミック宣言がなされた時点で、すでに症状等は季節性のものと変わらないということが伝わっていたにもかかわらず、しばらくの間はあまりに過剰な対応がなされていた。
しかし今回の騒動で、肯定的に捉えることができる部分が二点ほどあるのではないかと思う。まずは、現在出現が危惧されている高病原性鳥インフルエンザが私たち人間の間で流行するようになった場合、対策として何が有効であるのかないのかを判断するシミュレーションにはなったであろうということだ。
加えて、現在流行中の新型インフルエンザについては、症状や治療方法が季節性のものと変わらないため、少なくとも日本国内では、両者につき同じ『インフルエンザ』として扱うようになっており、行政の示す指針に区別はなくなっていることも挙げられる。
・・・というのは、これまで、悪くすると死に至る病気であるインフルエンザが軽視され過ぎていた。学校や幼稚園等の場合は、クラスで一定数を超える患者が発生下場合、学級閉鎖の措置が取られてきたが、社会人の場合は職場で特にそうした対応はなされていなかった。ただのカゼの一種という意識で、熱や頭痛を我慢して職場に出てくる人もあったし、たいていの人はとりあえず熱が落ち着けば仕事に戻っていた。
実は、インフルエンザにより、日本国内だけでも年により数字は大きく異なるものの、1万数千人から3万人もの方々が亡くなっていること、基礎疾患があると、重症化しやすいということを今回の新型インフルエンザ騒ぎで初めて知った人も少なくないだろう。
本来、インフルエンザが『怖い病気』であることが再認識され、それなりのきちんとした対応がなされるようになったことは、きわめて前向きに評価できることだと思う。暦がひと巡り、ふた巡りもすると、もはや新型ではなく『Aメキシコ型』とでも呼ばれるようになるのだろう。
罹ったことのある人が大幅に増えて、今後数年間は流行の主体となるのがこの型のインフルエンザであろうという見通しがなされていることから、ワクチン等も潤沢に用意されるようになることだろう。それでも感染の拡大と重症化を防ぐために、『タミフル・リレンザ投与を開始して、解熱後2日間開けてから登校・出勤』という体制はしっかりと維持されるべきだ。
現在、世間で言うところの『新型インフルエンザ』を含めた既存のインフルエンザについて、早期治療と充分な休息により、普通は大事に至らずに済むとはいえ、罹患した人々の6割が死亡すると推定されている高病原性鳥インフルエンザが、『ついにヒトの間で流行』となった場合、果たしてどうやって私たち自身を守ることができるのか?という疑問と不安を感じることは否定できない。