タイの「サンドボックス」のスキームとインドの50万人分の無料ヴィザ

今月1日から開始され、観光業復活のための試運転みたいな感じで、タイ国内だけではなく、各国からも注目されているトライアル。入国後の隔離なしで滞在を楽しむことを可能とする取り組みだ。

概要は以下のとおり。

・事前に入国許可証を取得済であること。

・到着の72時間以内に発行された新型コロナウイルス検査陰性証明書を所持していること。

・最低で10万ドル以上を補償する保険に加入していること。

・タイ国保険省が、新型コロナウイルス感染に係る低・中リスク国・地域からの旅客であり、入国までの21日間以上、これらの国・地域に滞在していること。※現在、日本はこの対象となっていない。

・プーケットへは直行便で到着すること。

・到着の14日前までにワクチン接種を完了し、ワクチン接種証明書の発行を所持していること。(タイ保健省あるいはWHOが承認したワクチンのみ)

・到着時に「タイランドプラス」や「モーチャナ」などの指定アプリをインストールする。

・到着時にPCR検査を受ける。

・政府の安全・健康管理(SHAプラス)認証を取得したプーケット県内の宿泊施設に滞在する。(到着時のPCR検査結果が陰性であればプーケット県内での旅行可能)

・プーケット県内で14泊すること(14泊未満の滞在の場合は、プーケットから直行便で出国)

このところ、タイでも感染者が増えてきているし、変異株の関係もあるため、強く反対する声もある

とりあえずはうまくいくのかどうか、感染拡大が起きることはないのか、その他の問題は起きないのか(プーケット滞在中に所定の回数の検査を受けるかどうか、プーケット内に留まることが義務付けられている間に、勝手に域外に行ってしまわないかどうかなど)、お手並み拝見といったところだ。観光客といっても、実にいろんな人たちがいるので、様々な珍事も伝えられてきそうな気がしている。

ポイントは、リスクの低い層の人たちのみを、政府の目が行き届く施設に囲い込み、本来の隔離期間を観光地で過ごしてもらうというもの。よって、指定された期間が経過すれば、タイ国内の他地域への旅行は解禁となる。プーケット県内の指定施設に滞在中の期間には、政府の指定する頻度でPCR検査を受けることも義務付けられているようだ。

インド、ネパールなどへの観光目的での訪問が可能となるのは、まだまだ先のようだが、インド発の以下のような報道もある。

‘5 lakh free visas will boost tourist footfalls to India’(Sunday Guardian)

記事で取り上げられている「有効期間1か月の無料ヴィザ」の発行は、「2022年3月末または50万人分発行完了するまで」とある。

インドで最初に発見された「デルタ株」「デルタ・プラス株」といった、極めて感染力の強い変異種が世界中で警戒されている中、そんな近い将来に外国人相手の観光業がインドで復活するのかどうか疑問ではあるものの、「コロナ後」を描いて、いろいろな取り組みが始まっていることについては心強く思う。

映画「ブータン 山の教室」

コロナ禍ですっかり映画館から足が遠のいていおり、今年度初めてのシネマホール。「ブータン 山の教室」のあらすじはリンク先のとおりだが、結論から言って、ひさびさに映画館で観る上映作品として選択したのは正解であった。

秀逸なストーリーもさることながら、インドのスィッキム州からすぐ近くにあるブータン王国のティンプーの風景、そこに暮らす若者が教師として赴任する、最寄りの町から徒歩1週間のところにある寒村とその地域の風景。どちらもインドの山岳地域のチベット文化圏を思わせる風情と眺めも興味深かった。緑あふれる美しい山の景色、清冽な水の流れる渓谷、神々しい雪山の眺めをずっと目にしていたくなる。

GNH(国民総幸福量)とかなんとかいう、いかにも白々しいブータンの官製プロパガンダとは違う角度から描かれた幸せのひとつの形。日本のそれとたいして変わらない都市生活。スマホでいつでもどこでも仲間たちや外国の情報に触れる都市育ちの若者と、電気すらなく村内以外との接触が片田舎の同世代の人たちとの意識の乖離を描きつつ、不便と不満から村人たちに失礼を働きながらも、何もないところに赴任してきてくれる若い教員を尊重して温かく接してくれる村人たちとの信頼関係を築くことができて、任期を終えて後ろ髪引かれながら村を後にする主人公。

学級委員役のいかにも利発そうな女の子はブータンの有名な子役かと思いきや、そうではなく普通の村の子ということに衝撃のようなものを感じる。生徒たちの前で先生が英語でしばらく話をするシーンもあり、そこはやっばりのインドアクセントであるところが、いかにもブータンらしい。1970年代以降、近代化を目指したブータンの教育仲介言語は英語だが、導入時に「英語人材」を欠いていたブータンに対して、大勢の教員を送り込んでバックアップしたのは、面倒見の良い「兄貴 インド」であったからだ。

The Endの後のクレジットには、制作陣に香港のメディアグループがあることになるほどと感じるとともに、技術系のスタッフのところにインド人の名前がいくつも並び、おそらくブータン映画産業に携わるインドの業界人は少なくないのだろうとも想像する。

そういえばブータンで最初にテレビ放送が始まったときもインドによる丸抱えの援助であった。画面にインド人はひとりも出てこないのだが、ブータンとインドの絆が見え隠れするところもまた興味深い作品である。

ブータン 山の教室」(公式サイト)

イスラーム世界とユダヤ社会

リンク先の記事だが、書いてあることは驚くべきことでも何でもなく、ごく当然のことだろう。イスラーム教徒とユダヤ教徒の対立の歴史は浅い・・・と書くと、いろいろ反論されるかもしれないが、イスラエル建国運動が現実の動きとなり、イスラエルが建国される前は、そんな「対立」はなかったわけで、イスラーム教とユダヤ教の長い長い共存共栄の歴史の中では、「ごく最近の現象」であると言える。

アラビア世界各地にユダヤ人地区があり、彼らはイスラーム教徒たちと共存していた・・・というよりも、それぞれの現地で、ユダヤ教徒たちは「ユダヤ教を信仰するアラビア人」であった。

インドにおける、いわゆる「バグダディー・ジュー」と呼ばれるアラビア方面から渡ってきたユダヤ教徒たちもそうで、当初は自らも「アラビア人」として、アラビア式の生活様式、アラビア式の装いをして、インドで商業活動を広げた。やがて彼らの上層部を形成する層は、英国植民地当局の買弁としての活動が広がり、急速に植民地支配者側の体制の人たちとなっていく中で「欧風化」していった。商業活動、とりわけ貿易業に携わるバグダディーが住み着いた地域は、ムンバイ、カルカッタ、ラングーン(現ヤンゴン)などの港町が多かったが、いずれもムスリム地区にある。それほどイスラーム教徒の取引のネットワークとユダヤ教徒のそれは、深い繋がりがあったのだ。

独立後、ユダヤ教徒は海外流出により、ごくわずかなものとなっているが、どこの街でもシナゴーグなどの保守に当たるのは、現地のユダヤ教徒世話人から託されたイスラーム教徒たちである。イスラエル建国により、国レベルでは、イスラーム教の国々や様々な国々に暮らすイスラーム教徒との間で感情の軋轢が新しく生まれてしまったが、もともとはイスラーム世界の一部を成すユダヤ社会であったわけだし、今に至るもそれは継続している。

UAEとイスラエル国交樹立により、前者の経済活動にイスラエルから多数参画するようになったのは、今の時代にあっては新しい現象ではあるものの、実は「大昔からそうであった、あるべき姿に戻った」といえるのだ。リンク先記事で、このあたりを押さえておかないと、あたかもイスラーム教徒とユダヤ教徒が何百年も千年も長きに渡って対立してきたかのような誤解を読者に与えてしまいかねないと気になるのだが、これが杞憂であれば幸いである。

(世界発2021)かつての敵国、急接近 イスラエル・UAE、国交樹立半年 (asahi.com)

ミャンマーは今後どうなるのか?

「内戦の危機なんて、まさか?」とも言えないように感じている。

アラブの春の一連の動きで、シリアで民主化要求運動が高まっていったころ、誰が内戦など想像しただろうか。アサド政権による厳しい管理社会に多数の武器や弾薬がどこかに隠匿されていたわけではなく、思惑をそれぞれ持つ各国がいろんな勢力に肩入れしていった結果、あのような泥沼になってしまった。

ミャンマーにおいて、国軍による苛烈な弾圧と市民の抵抗という二極化した形で描かれる現在。これは大変なことなのだが、さらに悪い事態もあり得るのではないかと思う。国軍が割れて、つまり現在の主流派と対立する派閥が浮上して、非ビルマ民族の軍閥組織、近年、多くは政府と手打ちをしたり、武装解除したところも多いとはいえ、これらがそれぞれ利害関係でいずれかと手を組むようなことが。

そのような事が起きた場合、ミャンマーに大きな権益を持つ中国が主流派を援護し、軍の第二勢力を、東南アジアとの接続のハブとして自国北東部で、道路やインフラの開発を盛んに進めているインドが支援するような構図が生じたりしないだろうか。

自国北東部から見たASEAN世界の入口であるミャンマーには、親インド政権を樹立してもらいたいわけで、中国になびかない側に肩入れするのは自然な流れである。

もちろん国防上の理由からも、ミャンマーがさらに中国へと傾斜するのとは是が非でも避けたい。主流派を見限って独自の動きをしようという第二勢力が国軍の中に出てくるようなことがあるとすれば、彼ら自身にとっても、やはり手を組む相手、救いの手を差し伸べてくれる国は、インドをおいて他にない。

ちょうど、かつての東パキスタン内戦、つまりバングラデシュ独立運動が最高潮に達したときが、これに少し似た構図だった。西パキスタンからすると、東西に分かれていたパキスタン国内の東部での内乱であり、東の東パキスタンにしてみれば独立闘争、そしてインドにしてみると、東パキスタンを潰し、そこに親インド政権をそこに樹立したかった。国外から見ると、東パキスタンをめぐってのインドによる代理戦争。

インドの思惑とは裏腹に、バングラデシュはインドの傀儡国家とはならなかったものの、反パキスタン国家となり、それ以前は東西を敵対国に挟まれていたインドにとって、自国東部の安全保障上の懸念は消滅した。独立後のバングラデシュは経済、水利、不法移民等々の問題は抱えているものの、自国に脅威を与える存在ではなくなり、東パキスタン内戦に介入した甲斐は大いにあった。あの抵抗はバングラデシュにとっては大きな成功であるとともに、インドにとっても「大成功した戦争」であったということになる。

今回のミャンマー、経済制裁や周辺国等による説得により、国軍が自制して再び民主化へと舵を切るようになれば良いのだが、国内諸勢力や周辺国をも含めた複雑な対立による炎が燃え上がるようなことになると、取り返しのつかないことになるのではないか、と危惧せずにはいられないのである。

ミャンマー騒乱を深刻化させた4つの理由――忍びよる内戦の危機 (YAHOOニュース)

インドの偉大さ

先日ミャンマーで発生したクーデター。せっかく民主化してから10年経つというのに、時計の針を一気に戻してしまうような、せっかく軌道に乗って明るい将来を描こうとしていた経済が、これからどうなるのだろうか。ミャンマーからのニュースを目にして、耳にして、ふと思うのは、年中ゴタゴタが絶えない割には、揺るぐことのないインドの安定ぶりである。隣国パキスタンやバングラデシュでは、クーデターあり、政変ありで、目まぐるしいことが多いのだが、インドは時の政権が不人気で政局が流動的になることはあっても、国の根幹が揺らぐことはない。

いや、例外はあった。インディラーの時代に強権が独走した「非常事態権限」のころである。あのときは在野の政党や指導者たちと民衆が力を合わせてインディラーの独裁に抵抗した。決して長くはなかったが、そんな時期はあった。当時、軍の一部では不穏な動きもあったとのことで、もしかしから?という可能性はあったのかもしれない。

また、隣国との係争地帯を抱えるカシミール、同様に中国その他からの干渉がある「動揺地域」である北東部のいくつかの州は、そうした周辺国と連動性のある分離活動のため、本来ならば国境の外に向いているべきインド軍の銃砲が、地元市民にも向けられる状態であったため、「インドの民主主義の外」にあった。いや、「あった」という過去形ではなく、地域によっても今もその状態は継続している。そんな地域では、警察組織ではない軍隊に市民を尋問したり拘束したりする権限が与えられていて、さまざまな人権問題も発生しているのだ。

だが、そうした地域は例外的なもので、やはりインドといえば、独立以来ずっと今にいたるまで非常に民主主義的な国だ。

90年代以降のめざましい発展が言われるインドだが、まだまだとても貧しい国だ。日本、ドイツに次いで世界第5位のGDPの経済大国とはいっても、13億を軽く超過する、日本の10倍もの人口を持つがゆえのことで、一人当たりのGDPにならすと、わずか2038ドル。9580ドルの中国はインドの4.7倍だ。もう比較にもならない貧しい国である。

そして文字を読み書きできない人々は総人口中の23%。ひどい州になると33%にも及ぶ。今、西暦2021年なのに・・・である。そんな貧しい人の票もミドルクラスの裕福な人たちの票も等しく一票。投票所の投票マシーンには、政党のシンボルマークが描かれており、文字が読めない人でもそれを頼りに票を投じる。中央の選挙でも地方の選挙でも、ときどき不正があったのどうのという話は出るが、どんな不満があっても居座ったり、クーデターを画策するようなこともなく、敗者は退場していく。落選した議員、失職した大臣などが、政府から与えられた官舎から落選後もなかなか出ていかないというトラブルはあるようだが、公職に力ずくでしがみつこうとするような話はまずない。そのあたりは実にきっちりしている。さすがはインド。

スーチーさんは母親のキン・チーさんがインド大使であったため10代の一時期をデリーで過ごしており、現地で学校にも通っていた。当時首相であったネルーとも家族ぐるみの親交を持ち、24 AKBAR ROADにあった屋敷がキン・チーさんの大使時代に与えられていた。青春時代にインドの首都で「デモクラシー」の薫陶を受けたスーチーさんにとって、「民主主義インド」は彼女の理想かどうかは知らないが、ひとつの重要なモデルであるとされる。

それにしても、ネルーからこの24 AKBAR ROADの屋敷を使わせてもらっていたというのは大変なことだ。現在の国民会議派の総本部があるのが、まさにその場所なのだ。そのような重要なところに住まわせてもらっていたのが現在のスーチーさんを含めたキン・チーさん家族。インドと、そして初代首相のネルーと、実にゆかりの深い人だ。それだけに、今の時代になってもミャンマーでこのようなことが起きて、自宅軟禁となっているのは、なんとも皮肉なことである。

同時に、常々いろいろな問題や不正に満ちていながらも、「総体としてはしっかり」しており、「根幹は良識と法で守られている」インドに対して、いつもながら畏敬の念を抱かずにはいられない。「JAI HIND !(インド万歳)」という言葉が自然と口に出る外国人は、実に多いのである。

For Japan, Myanmar coup brings fears of threat to business, political ties (The Mainichi)