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カテゴリー: greater india

  • 中国本土からの旅行者

    久々に訪れたネパールでも、中国からやってくる旅行者の多さに驚かされた。
    また、日本で近年喧伝されているイメージとは正反対のこなれた感じの人たちもまた実に多いことにも。
    本日、チトワン国立公園と隣接する町、サウラハーで多くの中国本土の旅行者たちを見かけたり、話をしたりしたが、知的かつ都会的でスマート、人柄も良さそうで、英語もちゃんと話すことができる若者たちが沢山いた。とかく好印象だった。
    おそらく、声が大きくて騒々しい『爆買い』の人たちとは違う層ということになるのだろう。
    まぁ、大きな国なので、旅行者もいろんな人たちがいる。ネパールでもツアーバスを借り切って移動している団体さんなどは、相当うるさいのだろう。

  • チトワン国立公園2

    チトワン国立公園2

    ジャングルウォーク

    早起きしてチトワン国立公園のジャングルウォークに参加。参加、といっても、私以外にカナダから来た若い男性がいるだけなのだが、安全面への考慮からガイドが2人付くことになっている。

    まずはこの船で河を進んで水鳥を観察
    船着場の対岸にアリゲーターの姿
    河で洗濯する人々

    川、草原、深いジャングルと変化に富む国立公園を徒歩で行くのは楽しい。様々な水鳥を含めた鳥類、ワニ、サイ、何種類かの鹿などを観察することが出来た。

    ガイドのひとりは、地元先住民のタールー族で、動物の生態に詳しいだけではなく、彼の民族や村の話も聞くことも出来たのは幸運である。

    トラの足跡
    サイ

    水際では、トラの足跡をいくつか見つけることも出来たが、歩いている最中にトラとばったり遭遇することがあったらそれはそれで困るかもしれない。ガイドたちが手にしている棍棒が威力を発揮することを願うしかない。

    ちなみに英語のjungleは、英語の語彙を構成する三大要素であるローマン系、ノーマンフレンチ系、アングロサクソン系のいずれでもなく、インド亜大陸のजंगल(jangal)からの借用語。他にも、大航海時代から植民地期に至るまで、もともとの英語には無かった概念や事象などを表す語彙が南アジアのボキャブラリーから吸収されているのだが、jungleについても、それまで英語で抱えていた『森林』を意味する語彙では表現出来ない奥深さと、畏れがあったのではないかと想像したりする。

    徒歩で歩くのは愉しいのだが、危険な野獣に遭遇して窮地に陥ることはないのか?ということがときどき頭の中をよぎる。そういうケースは皆無というわけではないようだが、これまでの経験値で危険は少なく、動物たちをそこそこ近くで眺めることが出来るコースが選択されているのだろう。それでもやはりちょっと気になるが。

    ジープサファリ

    宿に戻って昼食を済ませた後、今度はジープサファリに参加した。ひとつのグループ単位が10人ほどのようで、他のところで申し込んだ人たちと合流して1台のジープで回る。

    だが当然、公園内の未舗装ではあるが、道路を走ることとなる。両側はジャングルであったり、深い藪であったりする。そのため動物はあまり見ることができなかった。何種類かの鳥、ハヌマーンラングール、アカゲザル、牛くらいある大きな鹿、クロコダイルくらいだろうか。

    最後のほうで訪れた大きな沼には、ずいぶんたくさんのクロコダイルが日向ぼっこしていた。気持ち良さそうだが、非常に危険なワニ。すぐそばではワイルドボアが水際で草を食んでいたが、こういうのが餌食になるのだろう。

    クロコダイル

    国立公園内のワニのブリーディングセンター外にいたのは、ベンガルタイガー・・・ではなくネコ。人が来ると、とりわけスナック菓子の袋をもっていると、足元にまとわりついてねだる。気品のある顔立ちで美しいネコだった。

    ワニのブリーディングセンター

    午前中のジャングルウォークを100とすれば、午後のジープサファリは30点の赤点レベルであった。森林や灌木など、視界を遮るものが少ないロケーションでの場合と異なり、森林地域でのジープサファリはこれまであまり楽しめたことはない。大型の獣が道のすぐ近くに潜んでいたとしても、往々にして獣自身はこちらの動きをつぶさに観察しているものの、ジープ側からは見つけることが出来ず、というパターンとなる。

    〈完〉

  • チトワン国立公園1

    チトワン国立公園1

    ジャナクプルから早朝のバスで出発。カトマンズ行きの便だが、ナーラーヤンガルを経由する迂回ルート。国境と並行して平原部を走り、いくつかの河を超えるが、いずれもこの時期には水がほとんど流れていない。雨季には、広い川床となっている部分の端いっぱいまで水が来るらしいことは、そうした流れの跡から見て取ることができる。

    午前11時ごろ、少し早めのランチ休憩を取ったダーバーのあたりからは丘陵地となり、その背後に山脈が見える。

    ランチ休憩先

    サウラハーの少し手前にあるラトナナガルでバスを下車してミニバスに乗り換えるが、すでに通路まで満員であるうえに、天井が私の背よりも低いので、大変窮屈な姿勢となる。

    あとひと息でサウラハーの町に着く。

    幸い、最終目的地のサウラハーはここから15分程度。あまり広がりのない町だが、かなり良さそうなホテル、ちょっとアップマーケットなレストラン、両替屋やATMもある。さすが世界的に良く知られた国立公園訪問のベースとなる場所だけのことはある。

    このあたりではハチミツが特産とのことだが、本日の宿泊先では、部屋すぐ隣の建物の窓辺に生きたサンプルが見られるという、これまた幸運なロケーションだ。蜂が『クマのプーさん』に出て来そうな見事な巣を築いており、忙しく働いている様子を眺めることが出来る。

    翌日朝のジャングルウォークと午後のジープサファリを予約すると、食事以外にはすることがない町だが、さすがに国内外から大勢の観光客が訪れるところだけあって、いろいろ美味しいものには事欠かない。昼から夕方近くにかけて、数軒ハシゴして食べ歩いてみた。

    米を潰したカジャのセット
    左上はタースという水牛の焼肉

    水牛のビリヤーニー

    〈続く〉

  • ジャナクプル3 鉄道談義

    ジャナクプル3 鉄道談義

    全面改修中のジャナクプル鉄道は、今も休業中。すでに狭軌の軌道は撤去されており、土埃を立てて、しかしのんびりと、広軌のレールを敷く下準備がなされている。軌道を敷くことになる広い畦道状の部分は、高く盛り土がなされており、しばらく徒歩で進んでみると、橋梁を建設するための作業が進行中。

    山積みされた鉄道建設資材
    盛り土された土手のようになっている。ここにレールが敷かれる予定。
    旧ジャナクプル鉄道時代の機関車が打ち捨てられている。
    こちらは旧ジャナクプル鉄道時代の客車

    旧駅舎は現在も建っており、閉鎖されているのだが、なぜか駅舎入口のキオスクだけは開いており、新聞、雑誌や袋菓子などを販売している。

    旧駅舎。休業中だが左手のキオスクは営業していた。

    「狭軌の軌道を広軌へと交換が終われば、最新型の大型車両(広軌となるので)がこの鉄路を疾走するのさ!路線ももう少し先まで伸びる予定だしね。お客の需要次第だが、インドのジャイナガルへ往復する本数も増える。まさに本格的な鉄路の時代が到来しようとしているのだ!」と熱く語るキオスクの年配男性は、鉄分濃厚。鉄道旅客の往来に彼の稼ぎがかかっているので、当然のことではあるが。

    駅舎の裏側に出てみると、ゆったりとチャーイを飲んでいる3人連れがいた。ひょっとして、路線休業中でヒマな?鉄道マンかと思い声をかけてみると、鉄道建設を請け負っているインドのコンタラクターの人たち。私も席を勧められ、チャーイを頂きながらしばらく話を伺う。

    鉄道建設に関わるコントラクター

    この時点から完成まで18か月の予定で、駅舎はジャナクプルを象徴する美しいお寺、ジャーナキー・マンディルを模したデザインとなるのだとか。

    ジャナクプルは終着駅ではなく、ここから少し先にあるクルターというところとなるのだそうだ。工事のフェーズ2も計画されており、クルターから25kmほど先のバールディーバースまで延伸されること。さらにはフェーズ3にて、バールディーバースからビールガンジへの路線とシリグリーへ抜ける路線を建設するというプランもあるとのこと。

    コントラクターの方によると、「もっとも、フェーズ2の後はいつになるか、どうなるかまだわかりませんけどね・・・。」とのことだが。

    ともあれ、土埃が舞う工事現場で、想像力たくましくすれば、真新しい機関車に牽引される新生ジャナクプル鉄道の真新しい列車が、カラフルに飾り立てられた駅舎に入線してくる姿が瞼に浮かぶようだ。

    さて、こちらは現在までのジャナクプル駅。終着駅の割にはこじんまりしているが、背後に市街地はなく、駅舎手前からStation Rd.が始まり、いきなり賑やかな商業地区となっている。インドとの間を行き来する玄関口として機能してきた歴史を感じさせてくれるものだ。

    ステーションロードは鉄道駅へと至るジャナクプルのメインストリート
    街中からステーションロードを通って行きつく旧ジャナクプル駅
    旧駅舎の脇は野菜市場

    バスよりも運賃が安く、インドから品物を大量に仕入れて運ぶ商売道具の人たちにも使い勝手は良かったらしい。

    以前、グジャラートのジャームナガルで、鉄道駅がしばらく前に郊外へ移転され、市街地の駅が廃止となったエリアを散策したことがある。

    鉄道から乗り降りする人たちを相手にしていたホテルや食堂など、ほとんどが空き家となり、屋根が抜け落ちた旧駅舎同様に、駅前商店街がゴーストタウン化している様を見て、さもありなんと思った。こうした旅客相手の商売人たちはバスターミナル周辺に移動したらしい。

    さて、話はジャナクプルに戻る。鉄道は数年来運行しておらず、開通するのはまだ先であるため、やはりステーションロードは、駅前に近くなるほど、元気がないように見える。
    〈完〉

  • ジャナクプル2 ミティラー画の村

    ジャナクプル2 ミティラー画の村

    毎日、新聞くらい目を通さないと気分が良くないので、いくつかのニューススタンドを回ったが、やはりネパール語紙しかないようだ。地元の英字あるいはヒンディー紙は見当たらない。前者は田舎町なので需要が少ないということに尽きるが、インドから国境を越えて毎日運ばれてくるHindustan紙はあるのだが、ネパールに滞在しているのでネパールのニュースを読みたい。

    カトマンズで発行されているヒンディーによる月刊ニュース雑誌「Himalini」は見かけたが、ネパールのタライ地域で印刷されているLok Matという週刊新聞はあるとのことだが、あいにく品切れであった。その他、ページがやたらと少ないタブロイド版で地元のマイティリー語新聞がある。

    そんな具合で、見た目はインドと変わらない空間とはいえ、ニュース関係の出版活動については、ネパール語以外のものは盛んではないようだ。

    本日は、オートリクシャーをチャーターして近郊を巡る。運転手はヒンディー語映画の俳優、ナスィールッディーン・シャーに似た風貌の初老男性。この町で走るオートの大半は電動になっており、E-RICKSAA(E-リクサー)と呼ばれる。「リクシャー」ではなく、「リクサー」なのだ。

    ナスィールッディーン・シャーみたいな風貌の運転手
    プルガマー村

    手始めに町を出てしばらく進んだところにあるプルガマー村へ。ミティラー画で知られているこの地方、家の壁に描かれた絵を見たかった。村に着いてから、そうした家がないかと何やら仲間たちと話し込んでいる若者に尋ねてみたところ、『あるかなぁ?』ということで、付近で一番物知りだとかいう人物の家へ連れて行ってくれた。

    村一番の物知りだとかいう方のお宅

    その人物は、地域のマイクロファイナンスの仕事をしているのだとか。この方の家の中庭で伺った話によると、『昔はみんなやっていたけどねぇ。ちょうどディーパーワリーあたりの頃に女性たちがそうやって飾り立てていた。今は現金収入の手段として描く人が多くなったね。』とのこと。また、これまでなかったモノや習慣が村に入ってくるのは、いわゆるグローバル化の側面だが、元々他の地域ではやらないことを自分たちもやらなくなってしまうという面もあるね、とも。

    まぁ、世の中そんなもんだろう。

    それでもフラフラ散策してみると、全くないというわけではなかった。見聞きするそれよりもかなりシンプルではあるのだが、アートとしてのミティラー画ではなく、実際に生活の中で描かれる絵を目にすることが出来てよかった。

    壁に絵が描かれた家

    村の親子

    次に訪れたのはクワー村。ここの村もミティラー画が家の壁に描かれているかといえば、事情はプルガマー村と同じような具合であったが、国内外で広く知られているJWDC(Janakpur Women’s Development Centre)というNGOの活動本拠地である。

    クワー村

    クワー村で壁に絵が描かれていた家

    もともとは祝祭の時期に家を飾り立てるためのものであったミティラー画を女性たちの現金収入とそれに伴う社会地位向上を図るために設立された団体。近郊の村から通いでやってくる女性たちがミティラー画の手法で描いたり、刺繍をしたりしている。

    JWDCでは、そうした人たちを作業員ではなく、アーティストと位置づけており、工房にお邪魔してお話を伺い、実に快活な方々が多く、ここで生み出される手工芸品には、彼女たちの積極的な創意工夫が生かされているのだろうなぁ、と想像したりする。

    ミティラー画といえば、国境をまたがってインドのビハール州にも広がるミティラー地方だが、ここのスタッフの方からこんな説明があった。

    「サンプルとして、ここにビハールで作製された絵があるんですけど、私たちのものと見較べて下さい。ビハールのものは線使いが細かくて、色付けも豪華な感じでしょう。こちら側では線が太くて力強く、描き方もシンプルなのです。」

    そう言われて眺めてみると、私のような素人目にも確かにスタイルがかなり異なるのが明らかであった。

    絵の撮影は遠慮してくれとのことで、ここにそれらをアップすることは出来ないのだが、同じミティラー画でも地域にごとの特徴があるらしい。

    インドのビハール州のマドゥバニー界隈では、世界的に有名になったミティラー画のアーティストが多数いるが、とにかく絵を買えとしつこく言い寄ってくる人がいろいろいて閉口した記憶があるのだが、ここジャナクプルあたりでは、そのような商売人に出会うことはなかった。インド側でのほうがずいぶん大々的に産業化されているということなのだろうか。

    〈続く〉

  • ジャナクプル1 シーター姫の生誕地

    ジャナクプル1 シーター姫の生誕地

    カトマンズから飛行機でジャナクプルに到着

    ジャナクプルの宿にチェックインして、部屋に荷物を置いてから、ジャーナキー・マンディルに参拝。ラーマーヤナに出てくるシーター姫の誕生地ということになっているこの町で、まさにそのシーター自身を祀る寺院だ。それだけに、ファンシーな感じの装飾とたたずまいである。建物自体はラージプート建築で、ここにいるとネパールに滞在している気がしない。まるでインドに居るかのようだ。

    ジャーナキー・マンディル

    ジャーナキー・マンディルの本堂

    境内に併設されている寺院の博物館では、ネパールルピーで15Rs、インドルピーで15Rsと書かれているが、国境が近いため日常的にインド人参拝者が多いのだ。そんなこともあって、市中で広くインドルピーが流通している。昨年11月にインド政府が高額紙幣(額面500Rs と1,000Rs)の廃止を宣言した際には、かなり困った人たちが少なくないことだろう。

    ネパールルピー、インドルピーでの入場料をそれぞれ表記

    インドに居るかのよう・・・といえば、このあたりの雰囲気としては、ほとんど視覚的にはインドである。ネパールでは普通にヒンディーが通じて便利な反面、返事が英語やネパール語で返ってくることがあったり、『ネパール語は出来ないの?』というコメントが挟まれたりすることもある。そのため、ちょっと気後れするような、申し訳ないような気がしたりすることもある。だが、ジャナクプルに来ると、さすがにそういう雰囲気はない。ゆえに、ますますインドに戻ってきたような気分になる。看板や売られている新聞はやはりネパール語(文字は同じ)なので、やはり違う国にいるのは間違いないという、やや不思議な気分になる空間だ。

    このあたりのマジョリティはインド側のミティラー地方と同じく、マイティリーの人たちで、彼らの言葉「マイティリー」はヒンディーの方言。国境を挟んだ通婚についてもよく耳にする。国境でインド側とネパール側に分かれているミティラー地方だが、文化的にはもちろんのこと、インド国籍とネパール国籍の人たちの往来は自由であるため、一続きの世界だ。

    蛇足ながら、ほとんどインドのビハールみたいに見えるジャナクプルだが、やはりネパールなので、いかにもそれらしい佇まいの寺院も存在している。

    〈続く〉

  • 眺めて面白いネパール語

    眺めて面白いネパール語

    基層語彙にヒンディーと共通するものがとても多いので、視覚的には解りやすいネパール語。新聞を開けば、何について書かれているのかはだいたいつかめる。
    この看板は関係ないが、『警察』に『पुलिस』(pulis)ではなく、प्रहरी(praharii)言葉が使われていたりするなど、ヒンディーよりもオーソドックス感が強いのも良い。
    同じデーヴァナーグリー文字を用いるのだが、外来語の転記の綴りも、ネパール独自のものがいろいろあるため、散歩していても小さな発見があって楽しい。

  • パータン

    パータン

    手前がチャールナラヤン・テンプル跡地

    2015年に発生した大地震のため、チャールナラヤン・テンプルは崩壊したとのこと。その他いくつかの文化財でも地震に被害の修復工事進行中だった。

    パータンの王宮内を見学。ここも地震のダメージがあったので修復工事がなされている部分があるものの、今は見事な展示がなされた博物館になっている。

    以前は特に中にこれといったものがなく、空き家になった王宮内を歩くだけで、手入れもよくなかったので、あまり印象はなかった。王家が暮らしていたころは、今のように床も壁もきれいにしてあったのだろう。こうした煉瓦造りで独自の雰囲気を持ったところには、やはりネパール独自の文化を感じさせるものであり、インドのそれとの大きな違いが感じられる。亜大陸北部で隣り合っている国ながらも、ずいぶん距離感が感じられるものである。

    クンベーシュワル・テンプル

    ゴールデン・テンプルへの参道
    ゴールデン・テンプル

    マハーボディー・テンプル
    ウク・ベヘル

    旧市街を散策してみると、実にいろいろ興味深いお寺がいくつもある。端正な境内と四重の塔を頂くクンベーシュワル・テンブル、とても狭い入口を進むとブロンズ版で装飾されて金色に輝くゴールデン・テンプル、ブッダガヤのそれを思わせるマハーボディー・テンプル、かなり狭い敷地ながらも奥行きを感じさせ造りの仏教寺院ウク・ベヘル等々。

    クンベーシュワル・テンプルを除けば、狭小な境内に詰め込んだような造りになっているものが多いのは、やはり中世の都会というか、狭いところに集住するエリアに建立された都市的な寺院らしい信仰空間だ。

    趣きのある街並み

    2015年の震災後、つっかい棒で支えられるのは日常的な光景になったようだ。

    中世の面影を残す街並みも素敵なパータンである。

    ストゥーパの隣にあった建物の扉は仏教旗色に塗り分けてあった。

    カラフルなストゥーパがあり、居心地が良かったのでここでひと休み。

  • ネワール式家屋のいいお宿

    ネワール式家屋のいいお宿

    パータンでこういう宿を見かけた。

    Newa Chen

    従前からネワール家屋を安宿に転用したものはあり、田舎町でも利用する機会はあるが、多くは決して快適なものではなかった。ボロくなるに任せたままで、夕方に部屋に戻るのがちょっと憂鬱?な感じで、そういうのはかつてのストーンハウスロッジもそんな具合だった。

    ここはかなり大きなお屋敷みたいなのを修復して宿泊施設にしてあり、ひとりで泊まるには、もっと安いところでいいのだが、友人や家族と一緒に、というケースには最適なんじゃないかと思う。オーナー家族も敷地内の別棟に暮らしている。

    空港からの距離もカトマンズと変わらないし、旧市街もカトマンズよりもずいぶん静かだ。
    他にもいくつかこういう宿泊施設を見かけたが、ここでは中を見せてもらった。8部屋しかないので、シーズンには電話やメール等で予約しておいたほうがいいだろう。

  • 井戸端会議

    井戸端会議

    バクタプルにて。これぞまさに文字通りの井戸端会議。
    働き者の主婦たちの間で、地域の話題、ダンナのグチ、子供たちのことなど、いろんな家庭からのトピックが飛び交い、ときには誇張されたり、明るい笑い、やっかみ、憐憫などとともに、話題がどんどん拡散されては、忘れ去られていくのだろう。
    地域の活力は、まずここからはじまる。

  • アウンサンスーチー氏 国家顧問就任1年

    NLD政権発足から1年。
    期待されたほどの成果が出ていないという批判はあるものの、政権担当した経験がない指導者、政党であること、けれども旧国軍系勢力と衝突することなく切り盛りしていること、外資の呼び込みやおカネの回り具合は良好に推移していることなど、総体的に見て素晴らしいことだ。

    映画や物語の絵空事のストーリーではないし、ガーンディーに比肩するほどの偉人とはいえ、神様ではないのだから、民族問題、内戦、人権侵害等々の課題が山積する国のすべてをいっぺんに取り組むことが出来るわけではなく、解決出来るはずもない。「難局」というならば、現在のNLD政権が直面しているものよりも、軍政時代のほうがより大きな難局に対峙していたと言える。また2010年に「民政移管」と称して、軍幹部が軍籍を外れて発足した翼賛団体、USDP (連邦団結発展党)も「軍政の看板のかけかえに過ぎない」と批判されていたものの、良くも悪くも数々の難局を乗り越えてきた。

    NLD政権発足は、軍を背景とする体制から完全に民政へ移管した快挙であったが、その後、旧体制に属していた層への粛清や報復といった手段により対立を生むことなく、着々と成すべき仕事を粛々と進めているように見える。やはりそこにはスーチー氏の冷静な判断と、彼女に対する周囲の厚い信頼あってのことなのだろう。

    スーチー氏から袂を分かって新たな政治団体、政党を立ち上げようという動きもあることは、これまた好ましい動きだ。旧国軍勢力に対抗するため異なる思惑を抱えつつも横断的に団結していた中から自らのカラーを鮮明にする人たちが出て来たわけで、民主主義のシステムが国民の中のより広範な意見を吸い上げることが出来るようになることを期待したい。

    NLDが政権党となるまでのスーチー氏の闘いの軌跡は偉業だが、大統領の上の存在、『国家顧問』に就任してからのそれも同様だ。

    それにしてもすでに71歳となった彼女、後を継ぐことになりそうな人たちはみんな小粒で、あまりに偉大過ぎるカリスマが去った後の真空をどうやって埋めるのか?埋めることが出来るのかが気になる。
    どんなに素晴らしいリーダーでも、老いという天命から逃れることは出来ない。

    スーチー政権発足から1年、早くも難局にさしかかる政権運営 (WEDGE Infinity)

  • バクタプル

    バクタプル

    夜明けとともに、カトマンズ近隣にあるバクタプルへ。
    確か、初めてカトマンズを訪れたときには、バクタプル行きの中国製トロリーバスが走っていた。その頃の中国でも同じようなものが活躍していたが、日本では『架線から電気を取って走る』バスなど見たこともなかったので仰天したことを覚えている。

    当時、静かな田園風景の中を進んでいったように記憶しているが、今はまったくそんなことはなく、バス往来の激しい幹線道路を進んでいく。大袈裟に言えばバスは100メートルごとにお客を拾ったり、下ろしたりしながら進んで行くのだが、そうした乗客の出入り、沿道の人々の様子を眺めているのもなかなか楽しい。

    カトマンズからバクタプル方面へのアラニコ・ハイウェイは、片側2車線の素晴らしい道路となっており、沢山のクルマが行き交っている。

    アラニコ・ハイウェイ

    バクタプルに到着して市街地に入ると、一見、昔と変わらないように見えるが、ところどころにつっかい棒で支えている建物があったり、無残にも壁が崩れ落ちたり、丸ごと崩壊していたりするものもある。























    非常に建て込んだ市街地で、ぽっかり空いた空間にレンガが積んであるのは、倒壊した建物を再建するための作業に着手するところのようだ。壁が崩れ落ちたままになっているものが目に付くいっぽう、もうかなり再建完成近くなっている建物も見かける。崩壊著しいところでは、複数の建物がまとめて倒れたかのように思われるところもある。たまたまその部分の足元が脆弱だったのか、あるいは崩れた建物が倒れ掛かることにより、連鎖的に倒れたのかな?と想像したりもする。煉瓦造りの家屋が道沿いにぴったりと密着して建てられているため、そういうケースもあったのではないだろうか。



    ダルバール・スクエアの歴史的建造物の中にも、大きな被害を受けたものは少なくなく、再建には、どのくらいの時間(と費用)がかかるのだろうか。このあたりについては、世界遺産指定されていることもあり、規模はともかく、内外から支援の手が差し伸べられることとは思うが、人々の住まいについては、崩壊した建造物の再建はオーナー自身がなんとか費用の手立てをしなくてはならないので大変だ。

    同じく地震多発国に住む者として、大変心が痛む。

    震災後もバクタプルの素焼き作りは盛ん