ネオ・クラシック

上は街なかで昔ながらの素焼の器でチャーイを売る店。下は空港内に出店しているカフェのチェーン店のチャーイ。

前者は、以前はガラスのコップで商っていたようだが、このところ素焼の器が人気であること、それを背景に供給も安価かつ安定的になされるようになったことから、利用するようになったらしい。そして後者は「昔風」を現代式に解釈した回顧趣味。こちらはずいぶん肉厚でしっかりしているので、捨てるのにしのびなくなる、しっかりした素焼きの器だ。

1杯70ルピー。「中身のチャーイは要らないから器だけくれ」と、「器のおかわり」を注文したくなるほどだ。

昔々は、ごく当たり前だった素焼の器は、時代の変遷とともにガラスや陶器の器が利用されるようになったり、紙コップやプラスチックのコップが使われたりするようにもなった。さらに時代が下り、2004年にラールー・プラサード・ヤーダヴが鉄道大臣(2004年から20091年まで)となった際、鉄道施設内でのチャーイの販売において、環境保護と地場産業の振興の観点から、素焼のカップを利用するようにと号令をかけたことがきっかけとなり、素焼の器の感触、匂いが郷愁を呼び起こすとともに、鉄道施設外でも改めて見直されるきっかけとなった。

素焼の器を利用する背景にあった本来の理由、経済的合理性、他人と器を共有しないという浄不浄の観念とは異なる観点からの「ネオ・クラシック」な需要となっている。

コッラムへ

鉄道でコッラムに到着
市内では教会をよく見かける。

 

「ピンクカフェ」は公営バスの古い車体を用いた軽食チェーン。
小ぶりなモールがいくつかある。

宿に荷物を置いてからコッラム・ビーチへ。案外波は高く、晴れているものの天候は不安定な感じ。天から差し込む光の具合がいろいろ変わっていくため、漫然と写真を撮っていても、その時その時の空の表情が異なる。

オートでタンガッサリー地区へ。ここはポルトガル、続いてオランダ、そして最後に英国が貿易の拠点を持ったところ。ポルトガル時代の砦の残骸がここにはある。近くには灯台があり、上からの眺めははとても良かった。

その灯台の手前にはフットサルコートがあり、まだ新しいようでコンディションも良さそうだったそうだった。

ケーララ州はフットボールが盛んな土地柄もあり、フットサルコートもよく見かける。個サルがあれば参加したいところだ。今日は、せっかくのグリーンのピッチでクリケットに興じている集団を見かけてガックリしたが。

クイロンの宿は、チェックインする際に30分前に所定の電話番号にかけて、担当の人を呼び出すというシステム。手続きが終わるとその人はバイクでどこかへ去っていく。

宿泊先界隈

玄関は鍵がかけっぱなしだが、建物脇の勝手口は常に無施錠なので、宿泊客はそこから出入りすることになっている。新築で部屋もピカピカなのに、なぜそんなにぞんざいなのか?

ケーララは治安が良いとはいえ、そういうシステムであることを知った人が建物の中に入って宿泊客を待ち伏せするとか、ドアの下から光が漏れている部屋(つまり誰か泊まっている部屋)を襲うことは可能だ。宿泊客が慌てて担当者に電話しても到着できるのは30分後。こういうのはあまり感心しない。

集合住宅の中のいくつかの部屋を民泊に貸し出しているB&Bならともかく、ここは建物の中には宿泊者しかいないため、何かあっても外にはまったくわからない。キレイではあるものの、人気がないのか、あまり知られていないのか、宿泊客は日に数人程度。私が利用したときも「今日は3人」とのことであった。

昼ご飯はドーサ
ティータイム

 

夕飯は牛肉アイテムで

ニュー・イラーニー・レストラン

名前やたたずまいからしてパールスィーの店みたいだが、現地のパールスィーの方によると、そうではなくムスリムの店とのこと。ムスカーバンのフィリングはバタークリームで、懐かしい味がする。「アーメダバードで感じる昭和」である。

前回取り上げたラッキー・レストランも良かったが、出てくる食事はこちらのほうが私の好みだ。ノンヴェジもある。相当な人気店らしく、食事時を外しても混みあっている。

 ハッピーな墓場レストラン

墓場と共存する「LUCKY RESTAURANT」へ。金属のレーリングで囲われているのはすべて墓石。店内には木も生えており、天井から空へと抜けている。

墓も木もあるがまま、その上からすっぽり店が被さっているのがエラい。

歴史と現在、厳かな墓地と明るいカフェがクロスオーバーする度量が大きく不思議な空間。友人連れや家族連れが楽しく談笑している。

ともすればジメっとしたムードになりがちな墓地が店名どおりに幸運をもたらすハッピーな空間になっている。

This Lucky Restaurant in Ahmedabad allows you to dine with the dead ! (timestravel)

ラージパトナガルのアフガンレストラン

「インド在住のアフガニスタン人」というと、どのような人々を想像されるだろうか。少なくとも南デリーのラージパトナガルにおいては、アフガニスタン人ミドルクラスが多く、 「西洋人ではない白人」や「インド人みたいにも見えるが、あまり耳にしない美しい響きの言葉を話している人たち」がいたら、アフガニスタン人である可能性が高い。

南デリーのラージパトナガル

この地域には、そうしたお客相手のアフガン料理屋がいくつもある。アップマーケットな店なので用意される料理は豪華なものが多い。そんな中にあるMazaarというレストランを訪れたのだが、一部のインド人客、アフリカ方面からと思われるムスリムの家族連れを除けば、ほぼアフガニスタン人客。大きなケバーブ類やプラオなどが次々に運ばれていた。ワンポーションが多いため、数人連れで来ると、より楽しめることだろう。座敷もあり、お客たちは敷いてあるカーペートの上で車座になって食べている。このレストランのメニューはこちらになる。チキンの煮物とご飯のセットもよかったがSheer Yakhというアフガン式のアイスクリームが飛び切り良かった。

MAZAAR RESTAURANT

働いているスタッフもアフガニスタン人の若者たちだ。国際色豊かなラージパトナガルの中でもひときわ異色な店のひとつだろう。界隈にはアフガニスタン人が経営する日用品屋、両替屋、旅行代理店等々いろいろあり、看板等がダリー語でも表記されている。仕事の関係でデリーとカーブルなどアフガニスタンの主要都市との往来もけっこうあるのだろう。

かつてはエアインディア及び複数のアフガニスタンの航空会社がデリー・カーブル間を直行していたのだが、ターリバーン政権復活以降は運休しているため、エアインディア等でドバイに飛び、そこからアフガニスタンのカーム航空でカーブルに入るというのが一般的であるようだ。