サダル・ストリートの新しいホテル

昔から何も変わらないように見えるコールカーターの安宿街サダル・ストリートだが、近年はちょっと小綺麗な宿もポツポツと出てきている。だが残念なのは、新築時の心地よささが持続しないことだ。もちろんそれがゆえに安宿ということになるのだろう。

安宿街といっても、フェアローン・ホテルのようなユニークなヘリテージ・ホテル、あるいはリットン・ホテルの如き昔ながらの中級ホテルがあったりするのだが、そうした『ちゃんとしたホテル』が新規参入することはなかった。少なくとも一昨年、ムンバイーを本拠地とするBAWAグループによるBAWA WALSONが進出してくるまでは。

パークストリートのすぐ北側という好立地で、移動のチケットの手配その他の用事のため何かと便利で悪くないのだが、やはり安宿街の代名詞『サダル・ストリート』という名前が好ましくなかったのだろう。

それでも近年は、隣国バーングラーデーシュからやってくる人たちが大勢いることに加えて、インドの北東州からの訪問客の姿も目立つようになってきて、さらには1人あるいは友人と少人数でフラリとこの街を訪れるインドの他の地域の若年層の人々の利用も増えているなど、この通りに宿泊する人々の中で西欧人を中心とした先進国からの旅行者が占める割合はかなり低下しているようだ。

バーングラーデーシュからの旅行者、インド各地からの訪問客はどちらも経済力はピンキリのようだが、かなりゆとりのありそうな人でも、あまり場所には頓着しないのは、やはり自分たちの『地元』ではないからだろう。

BAWA WALSONは、それなりに繁盛しているようだ。同ホテルは『通常料金』として6,000Rsだの7,000Rsだのといった金額を掲げているものの、時期にもよるが電話あるいはネットで問い合わせると、実際は2,200~2,800Rs程度で宿泊させている。他の大都市に較べて、コールカーターのホテル代はかなり低目であるということもあるが、このクラスのホテルがこうした料金で利用できるのはかなりバーゲンであるといえる。 このあたりの話については、昨年の今ごろ書いたサダル・ストリート変遷をご参照願いたい。

新規参入したBAWA WALSONの正面には、昨年10月に開業したGolden Apple Boutique Hotelがある。BAWA WALSONよりも少し安い1,995Rsという金額で、室内もなかなかスタイリッシュでカッコいいホテルだ。

なかなかいい感じのベッド
ソファのあたりが気に入った。どっかり座ってくつろぐのも良し、日記などしたためてみるにも良し。向かって右側はバスルーム。
廊下は狭いものの、なかなかキレイに仕上げてある。

しかし、どこかからコピーしてきたようなトレードマークといい、パチンコ屋の入口みたいなエントランスといい、開業してから日が浅いにもかかわらず、いかにも仕事をするのが、嫌で嫌でたまりませんといった風情の従業員たちといい、どうも品がないなあと思いきや、ホテルのカードをもらうと、6年ほど前に鮮度が命!1 エコノミーなホテルは新しいほうがいいと題して取り上げてみたAshreen Guest Houseの系列であった。

どこかで目にしたようなリンゴのトレードマーク。エントランスはパチンコ屋風である。

名前は忘れたが、ムスリムのオーナーがAshreen Guest Houseを筆頭に、Hotel Aafreen、Afridi International Guest Houseという計3つの安宿を運営している。エコノミーな割にはキレイにしているとのことで、安旅行者の間で評判はまずまずらしい。

今回は、やや上のクラスを狙って奮発してみたようだが、器は悪くないものの、ちょっと背伸びしすぎている気がする。数年すると順調にボロ宿化してきて、オープン当時に利用した人が再訪するとガッカリすることと予想している。

サービスのつもりかもしれないが、宿泊しているフロアーでは天井に付いているスピーカーから大音響で音楽が流れていてうるさい。部屋にタオルを持ってきてくれるようにと、内線で繰り返し頼んでも永遠に運ばれてこない。安宿から格上げしたところなので仕方ないようだ。デスクの上にあるルームサービスのメニューを手にすると、Blue Sky Cafeと書かれていた。外国人バックパッカーがよく出入りしている安食堂から部屋まで宅配というシステムであるところもそれらしい。

ともあれ、安宿街のサダル・ストリートにも、アップグレード化という新たな傾向が出現していることは冒頭で述べたとおりである。

コールカーターの老舗洋菓子店

NAHOUM & SONS

創業1902年から数えて今年で110年目となるナフーム(Nahoum & Sons) は、1911年にデリーに遷都されるまで、英国によるインド統治の中心地であったコールカーターでも、現存する最古の洋菓子屋であるとされる。

店の名前が示すとおりユダヤ系の商店で、経営者は三代目のディヴィッド・ナフーム氏。ずいぶん前には彼が店に出ているところを見かけた記憶があるのだが、今や90代という高齢のため、滅多に店に顔を出すことはないらしい。

昨年の今ごろ、『コールカーターのダヴィデの星1234』で取り上げてみたとおり、今や見る影もないものの、コールカーターはユダヤ系コミュニティが繁栄した場所でもある。

この街きっての老舗洋菓子屋といっても、決して敷居の高いものではなく、ここを訪れる旅行者誰もが一度は足を踏み入れる(そして煩い客引きにつきまとわれる)ニューマーケット内の雑然とした一角にある。

Nahoum & Sons Private Limited

F-20, New Market

Kolkata – 700087

店内の様子

市内の他の場所からニューマーケットに移転してきたのは1916年だというから、このロケーションですでに96年が経過していることになる。室内の様子もショーウィンドウも時代がかっていて、なかなかいい感じだ。創業時から少し遡った19世紀のコールカーター在住欧州人向け商店の中はこんな感じであったのではないだろうか。

朝は10時開店だが、店の一部は朝7時くらいから開けており、そこでは香ばしい匂いが立ち上る焼きたての食パンを販売している。ベーカリーとしてもかなり評判がいいらしい。

メインの洋菓子類については、ケーキ、ドライケーキ、ペストリー、クッキー、メレンゲの類で、他の洋菓子屋に陳列されているものと大差ないのだが、いろいろ買い込んで試してみると、見た目は似ていても、味わいは標準的なレベルを大きく凌駕している。さすがは110年もの歳月を経た老舗だけのことはあり、どれも美味であった。

時代がかった棚もいい感じ。

果たしてナフームに陳列されている菓子類で、創業当時から同じレシピで作っているものがあるのかどうかは不明。冷蔵庫のなかった時代のことだが、今のナフームのショーウィンドウにも冷蔵装置は付いていないので、たぶん同じようなものを作っていたのではないかと思う。

静かに目を閉じて食してみれば、あなたも20世紀初頭の味わいが体験できるに違いない。

見た目は他店のものと同様でも、さすがは老舗の味わい。

インドの食事

2009年に出た『インドカレー紀行』という本がある。

南インド史研究の第一人者の辛島昇氏が著した書籍である。タイトルからわかるとおり、一般向けに書かれたものだが、インド各地の料理と文化的・歴史的背景、古来インド固有のものではなかった食材の伝播と定着に関する過程等も含めてわかりやすく解説してある。食事から見たインド文化誌といった具合だ。本文中にいくつも散りばめられているレシピもぜひ試してみたくなる。

カラー版 インドカレー紀行

カラー版 インド・カレー紀行 (岩波ジュニア新書)

辛島昇著

大村次郷写真

出版社: 岩波書店

ISBN : 4005006299

2006年に日本語訳が発行された『インドカレー伝』(リジー・コリンガム著/東郷えりか訳)と重なる部分もあるのだが、特に代表的な料理を論じている関係上、自然とそうなってしまうのだろう。

『インドカレー紀行』によると、インド料理の本が数多く出版されるようになったのはここ40年くらいのことであるという。早い時期から全国的に普及していた北インドの料理はさておき、その他はごく当たり前の日常食として地方ごとの家庭で伝えられてきたものであり、特定の地域の料理がそれと関係のない地域で食されるということがあまりなかったためらしい。インド国内における一種の『グローバル化』現象のひとつということになるのだろう。おそらく娯楽としての外食産業の普及という点もこれに寄与しているのではなかろうか。

ともかく、人々の間で地元以外の料理についての関心が高まり、ローカルなレシピであったものが『インドの料理』というナショナルレベルに持ち上がることとなり、そこから今でいうところの『インド料理』という捉え方が出てきたという指摘には思わず頷いてしまう。

歴史の中で、各地で生じた様々な食文化の混淆、新たな食材と料理法の導入の結果、生み出されてきたのがインド料理の豊かなレパートリーである。その末裔に当たるのがイギリス経由で入ってきて日本で定着した『カレーライス』ということになる。

かつてなく各地の味を楽しむことができるようになっており、加えてレディーメイドの調合スパイスや食材、レトルト食品なども広く流通してきている昨今、とりわけファストフード等の普及により、特に若年層の好みの味覚は確実に変わりつつあるだろう。そうした中で、新たな味覚が創造されつつあるのもしれないが、同時に各家庭あるいは地域ごとの味のバラエティが少しずつ収斂されて『標準化』されつつあるのではないかとも思われる。

この『インドカレー紀行』について、今後続編の計画があるのかどうかは知らないが、個人的には『インド菓子紀行』が出てくれると大変嬉しい。ラスグッラーとゴアのベビンカは取り上げられていたが、本来の食事同様にバラエティ豊かで味わい深く、それ以上にカラフルなインドの甘味の世界だ。『インド菓子文化』をカラー画像入りでを包括的に取り上げた本が出れば『本邦初』の快挙となることだろう。

日本の技をおみやげに

食品サンプルの出来栄えは、日本製品の右に出るものはないだろう。発祥は80年ほど前のことという。レストランや食堂のショーケースに並ぶ本物そっくりのそれらを目にしていたく感激し、東京都台東区の合羽橋あたりで買い求める外国人は少なくないようだ。

これらは外国へのみやげにいいかもしれないが、製作を体験できる教室を開いている業者もある。在日の外国人の方を誘って出かけてみると喜ばれるかもしれない。

サンプルFAN FUN FAN (大和サンプル製作所)

料金等は以下を参照のこと

食品サンプル体験(大和サンプル製作所)

実は最近妻が子供と一緒にサンプル作りにトライしている。手前ミソながら、初めての割にはまずまずの仕上がりなのではなかろうか。私も今度試してみようと思う。

素人が初めてトライした割にはまずまずの出来かも?

 

レストラン流行るもシェフは人材難

先日、日本の新聞社のウェブサイトにこんな記事が掲載されていた。

求む、英国カレー調理人 移民規制で不足し国民食ピンチ (asahi.com)

移民規制の厳格化によりヴィザの取得が難しくなったことで、インドをはじめとする南アジア系料理店でシェフを招聘するのが困難になっているとのことだ。こうした傾向は今に始まったものではなく、2004年にはインディペンデント紙が以下の記事を掲載している。

The big heat: crisis in the UK curry industry (The Independent)

また2004年にもBBCのこうした記事があり、2000年代を通じてのことのようである。

Britain’s curry house crisis (BBC NEWS South Asia)

チキンティッカー・マサーラーは英国の国民食・・・なのかどうかはさておき、人々の間で定着したお気に入りのひとつではあるようであり、インド料理そのものがイギリスにおける人気の外食となっているなど、需要は大きいにもかかわらず、シェフが人材難であることを原因に店をたたむ例が後を絶たないとは皮肉なものだ。

通常、イギリスでU.K. Asianといえば南アジア系を指すように、インド系をはじめとするこの地域にルーツを持つ人々が多数居住しているとはいえ、地元にいるインド系コミュニティの中からシェフを調達するのはこれまた容易ではないようだ。

そもそも思い切って外国に移住する勇気を持ち合わせている人々は得てして上昇志向が強いもの。単身でしばらく稼いだ後に帰国する人たちはともかく、家族を伴って来た人たちともなれば、往々にして息子や娘の教育には力を注ぐようだ。親と同じ苦労はさせたくないと。

そういう点では日本にそうした具合にやってきている中国人料理人たちも同様だ。子供たちは中国あるいは日本で大学まで行かせて『もっと割のいい仕事』に就くことができるようにと頑張らせるのが常だ。日本のバブル期以降、日本の移住し条件を満たして帰化した中国出身者は多く、その中に飲食業に関わる人たちも相当数あるのだが、彼らの子供の世代で、厨房で包丁を握ることを仕事にする人はごくごく少ないだろう。このあたりの事情はU.K. Asianたちの間でも同様らしい。

ところでチキンティッカー・マサーラー、イギリス人たちの好みに合うというのは単なる偶然ではないようだ。もともとこの料理の起源がインド在住のイギリス人家庭発祥(調理人はインド人)という説がある。その真偽はともかくとしても、主にパンジャーブ地方のアングロ・インディアン(インド在住のイギリス人のこと。時代が下るとやがて英印混血の人々のことを指すようになった)たちが好んだアイテムであったらしく、元々彼らの舌によく合うものであったため、イギリス本国で受け入れられるのは必至であったのだろう。