『水』商売

ここ20年間ほどの間で、現地通貨であるルピーをベースに見れば、インドの物価は今とまったく比較にならないほど上がっている。しかしながら店頭で販売されているミネラルウォーターの類の値段はあまり変わっていないし、これらを製造しているメーカーやブランドもずいぶん増えた。
店で飲料水を購入する層が大きく広がったことが、相対的な低価格化を推し進めることになっているのだ。もちろんその間に、価格や機能性にもいろいろあるようだが、浄水器を備え付ける家庭も増えた。飲み水の安全性に対する認識が上がったことが背景にある。
かつて日本でエンジニアとして働いた経験があり、現在コールカーター郊外に暮らしている友達の家を初めて訪れた際、こんな話を聞いたことがある。
ずいぶん昔のことだけれどもね、父の旧知の友人で、アメリカに移住した家族が我が家を訪れたことがあった。暑い夏の盛りだったけど、この部屋に彼らが入って来て、家の者が彼らに水を差し出したが、誰も口を付けなかった。
これが父にとって非常にショックだったんだな。ウチでお客に出したものが受け入れられないなんて。そんな不名誉なことを受け入れることができなかった。
当時は、父も私を含めた家族の他の者たちも、観念的な浄・不浄とは違う、今の私たちが言うところの衛生観念からくるものであることをよくわかっていなかった。
何しろ普段私たちが何の問題もなく飲んでいた水だからね。安全だと思ってた。まさか外から来た人たちがそれを口にすると、下痢したり病気になったりすることがあるなんて想像もしなかったよ。
それから浄水器を購入してね、もちろん幾度か買い換えたけれども。そのおかげでウチではいつも安全な水を飲むようになっているんだ。

昔からの友人の家族であることにくわえて、ましてや彼の家柄はバラモンである。彼の父自身も、また家族の人々も、二度とそういうことのないようにと願ったのだという。
同時に、それを機会に自分たちが日々口にしている飲料水のことを考えてみるきっかけにもなったそうだ。いくら慣れているからといっても、それまで家族や身内が水に起因する病気にかかることはしばしばあったようだ。
しかしある程度生活にゆとりのある層を除けば、まだまだ安全とはいえない水を日々飲用している人々は多いことは言うまでもない。
ところで、車両価格が10万ルピーほどという、これまでにない低価格が話題となったNANOが、これまでの自家用車の購買層の下に広がる大きな裾野をターゲットにしているのと同じく、あと一歩で安全な水に手が届かない膨大な人口に商機を見出したのが、やはりTATAグループである。
新商品Swachを発表するターター財閥総帥ラタン・ターター氏
TATA CHEMICALSから、従来よりも安価でランニングコストも低いとされる浄水器Swachが発表された。浄水器本体は、749ルピーと999ルピーの2種類。今後さらに4機種が新たに市場に投入されるということだ。米殻の灰などを材料として出来たフィルターは299ルピーとのこと。
『世界で最も安価な浄水器』との触れ込みで、4、5人程度の世帯で月当たり30ルピーの支出で安全な水を得ることができるとされている。
差し当たっては、年内にマハーラーシュトラ、カルナータカ、西ベンガルの各州で発売され、半年ほどの間にはその他全国で販売を開始する予定。
Tata unveils Swach water purifier (new kerala.com)
バクテリアや細菌などを除去し、飲み水に起因する疾病の80%を防ぐことができるということから、庶民の健康増進に貢献すること、とりわけ乳幼児死亡率を引き下げる効果も期待されている。
もちろんインドに限ったことではなく、同様の生活環境にある第三世界の多くの国々での潜在的かつ巨大な需要も視野に入れているようで、同社の世界戦略商品であるともいえる。
しかし南アジア各地で、井戸水を飲用している地域で問題となっている砒素を除去する機能は付いていないということだ。それでも同社は砒素対策の研究も並行して行なっているらしい。今後の進展を期待したい。

NANOの日本上陸地は福岡!

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12月11日(金)から14日(月)まで、4日間に渡って開催される福岡国際モーターショーに、TATAから発売されている10万ルピーの自家用車NANOが展示される。
日本で発売される予定はないし、そもそもインドで販売されている仕様では、日本国内で登録することはできない。
しかしながら、大都市圏を除けば、公共の交通機関のサービスがまばらで、自家用車無しでは生活していけない地域は少なくない。デフレ時代の日本では、従来の軽自動車よりも更に安いクルマの需要は出てくるのではないだろうか。
また新興国(・・・というコトバは好きではないが、いわゆる経済紙等で表現されるところの新たに経済面で勃興しつつある国々という意味での)における自家用車に対する潜在的なニーズを広く掘り起こすであろうTATAの世界戦略車について、当初は先進諸国の自動車メーカーの間では否定的な見方も少なくなかった。
しかし、今ではルノーと日産がインドのバジャージと組んで、同様の価格帯での格安自家用車の開発を宣言しているなど、他社によるライバル車の投入の動きもある。
NANO単独ではなく、追随するメーカーが出てくることにより、自家用車の新しいカテゴリーが創出されることになりそうだ。
NANOは、TATAが世界の並み居る自動車メーカーを向こうに示して見せた『コロンブスの卵』であったといえる。
しかしながら、インドを含めて道路事情、道路行政が良好とはいえない国々で、クルマの販売がかつてなく急伸することになると、どうなるのか?という不安は否定できない。

MagazineX Business vol.1 【特集】タタのすべて

20091103-tatanosubete.jpg
三栄書房から、ターターの格安乗用車NANOを特集したムック本が発売された。
MagazineX Business vol.1 【特集】タタのすべて (三栄書房)
まさか日本でこのクルマの特集本が出るとは予想だにしなかっただけにオドロキであるとともに、第1号として顧客に納品されたNANOの実車をもとに、その仕様についての詳細なレビューが掲載されている。
これまで自家用車の購入層でなかった人々からの需要を掘り起こそうという、ターターの世界戦略車NANOの分析、これを生んだターターという企業体についての紹介、インドのクルマ市場ならびにそこで競い合う日系をはじめとする外資系企業の動向、インド資本の自動車メーカーの主な製造車種のラインナップといった記事が並んでいる。
NANOを中心に、これが開発された背景やこの車種が投入される市場の特徴などがバランスよく取り上げられており、インドのクルマ市場がどういったものか概観できるようになっているなど、なかなか充実した好感の持てる造りになっている。
ただし『インドといえばカレーだ』と言わんばかりに、クルマとは無関係の料理に関する記事があったり、旅行記仕立ての写真入りの取材者による雑感をまとめたページなどが入っていたりするのはちょっとどうかと思った。限られた誌面なので、やはりNANOないしはインドのクルマ事情に関する記事はいくらでも書けるはずなので、本題のほうにもっと集中して欲しかった。
あと気になったのは、人名・地名などを含む固有名詞等の表記。10万を意味する数詞ラークが『ラック』となり、ヒンドゥスターン・モータースが『ヒンダスタン・モーターズ』となっている。また拝火教徒を意味するパールスィーについて、隣り合った記事で『パールシー』であったり『パーシー』であったりと揺れがある。
日本においてインドの名称に馴染みがないがゆえ、書き手によっていろんな表記をしてしまうことになる。しかし、そうした書き方が様々なメディアで繰り返されることにより、事実上、その表記に定まってしまうことだろう。
もっともその他の外国地名・人名等で、実際とあまりにかけ離れた日本語表記がなされている例は少なくないし、お隣の中国に関しても漢字で書かれた名称等を日本語式の読み方をするのが習慣となっているため、胡錦濤を『こきんとう』と読み、重慶を『じゅうけい』と読み慣わしている。ごく一部、上海を『しゃんはい』、広東を『かんとん』などと、現地の発音に近い読み方がなされものもあるのだが。
結果として、中国語での地名・人名等の読み方について、それなりの予備知識がないと、中国の歴史や政治について英文で書かれたものを手に取ってみたり、あるいは人が英語で話すのを聞く際に、一体何のことについて、誰のことについて述べられているものなのかわからないということになってしまうという、なまじ『漢字圏』に属するがゆえのパラドックスが生じたりもする。
もっとも、現地の読み方に近づけた形であるかそうでないかはさておき、外来の固有名詞や名称等の表記がある程度定まった時点で、日本語の『語彙として定着した』といえるだろう。
その意味で、マスコミ等で取り上げられる機会がとみに多くなってきたインドについて、これまであまり日本語メディアで伝えられることのなかった沢山の人名、地名等を『日本語式に命名する』という、大きなフロンティアへの門戸が開け放たれているわけである。
そうした中、日本語の環境にとって新しいインド発の人名・地名その他の名称が、私たちの語彙の中に根付くまで、様々な書き手がいろんな表記を続けていくことになる。
話はずいぶん飛んでしまった。Magazine X Businessの創刊号は丸ごとNANOおよびインドのクルマ市場ということであったが、12月17日発売予定の次号では、『中国車のすべて』という特集が予定されている。中国では、インドとは対照的に、小規模なベンチャー企業が活発に格安車、電気自動車などを開発していることが話題になっている。再び意欲的な内容を期待したい。

遺伝子組み換え食用作物 インドで大量消費の日は近い?

従来の商業作物に対して、遺伝子操作を施すことにより、病虫害や除草剤への耐性、貯蔵性の向上、栄養価の増大、含まれる有害物質の減少等といった形質を与えた遺伝子組み換え作物と呼ばれる。
また医療方面での効果を上げることも期待されており、例えばスギ花粉症のアレルゲンのエピトープを含む米を意図的に造り出し、これを食用とすれば経口免疫寛容により、花粉症の時期の症状を軽減できるであろうというものだ。
将来的には、これまで栽培が難しかった環境での育成を容易にしたり、収穫量を拡大させたりといった効果も期待されている。
しかしながら、こうした作物を食用とすることにより身体に及ぼす作用はないのか、遺伝子組み換え作物が在来種と交雑することによる環境への影響など、その安全性についてはいろいろ議論されているが、今のところまだ結論は出ておらず、中・長期的な観察も不可欠だ。
こうした技術や作物についての評価は様々だが、グローバルな観点からは、バイオ燃料需要の増大、従来の農業国の工業化等、産業構造の変化による就農人口の減少、新興国を中心とした食料の需要増等に対応するため、農業における一層の効率化は避けられない。
また日本のように、現状では食糧自給率が極端に低く、耕作地が限られている国においては、食品としての安全性、環境への影響といった部分への不安が払拭できれば、能率的で、収益率も高く安定したな新しい農業のモデルを創造できるきっかけとなるのかもしれない。今後私たちと遺伝子組み換え作物との関わりは、より深くなっていくものと考えられる。
もちろんネガティヴな側面もある。遺伝子操作という新しい技術が生み出す作物について、まだ知られていない重大な欠陥や問題点が出てくることもあるかもしれないし、グローバル企業が進めるアグリ・ビジネスによるモノカルチャー化(単一品種の栽培)がこれまで以上に進展するのではないかということも容易に想像できる。
アグリ・ビジネスの中でも、とりわけバイオテクノロジー・ビジネスの分野をほぼ独占しているアメリカの私企業に、私たちの食卓の大部分を委ねるという事態になってしまうとすれば、大きな不安を抱くのは私だけではないだろう。
インドでは、2002年に綿花栽培において、遺伝子組み換え種の導入を認可した。その背景には、綿花栽培農家の苦境があった。綿の作付け面積は世界最大だが、収穫量では世界3位に甘んじている現状を踏まえたうえで、収穫量を6割向上させることができると主張するアメリカのモンサント社による熱心な売り込みが、当初はこの新技術に懐疑的であったインド政府に門戸を開かせることになった。
それから7年ほど経った今、ついに食品の分野でも遺伝子組み換え作物が認可されるに至った。先述のアメリカのモンサント社とともに、インドのアグリビジネス企業Mahycoがかかわっている。
Biotech regulator approves commercial release of Bt brinjal (Hindustan Times)
भारत उगाएगा बीटी बैंगन (BBC Hindi)
こうした動きには、国内事情からくる要因が多分に作用しているものと思われる。総人口の6割以上が29歳以下の若年層、25歳以下で区切れば総人口の半数を占める。
一般的には、若年層が多いほど、労働力が豊富であり、個々の家計支出も例えば結婚、家財道具の準備、出産、子供の養育・教育費、住居の購入・新築といった大型のものが続くため、内需拡大に結びつきやすく、経済発展に貢献する度合いが高いとされる。
だが必ずしもこれが有利に働くとは限らず、高い人口増加率が経済の足を引っ張ってしまうというところにインドのジレンマがある。とりわけ出生率の高い社会層において、低所得、失業、貧困、教育等々の問題が深刻なのだ。
総人口の7割が農村に暮らし、しかもその大半が5,000人以下の村に住んでいるとされる。インドの農業は、灌漑が普及に成功した地域を除き、天候頼みの部分が大きいことから、特にモンスーンが不順な年には大きな影響を受けやすい。そうした折には農村人口が大挙して非熟練労働者予備軍として都市部に流出する。
今をときめくBRICsの一角を占めるインドだが、同時に世界最大の貧困層を抱える国でもある。農村部で人々に安定した収入をもたらすことが、世界第二の人口大国の食糧問題、労働問題等、諸々の難問を解決するための大きなカギとなることは言うまでもない。
また経済全体の半分を外需が支える中国とは対照的に、インド経済を引っ張るのは旺盛な内需。総体の三分の二が国内需要によるものだ。
よって都市部の需要に対する周辺部という位置づけであった圧倒的な人口を抱える農村部が富むことにより、国総体としてのの経済規模が飛躍的に拡大することが期待される。
そうした社会的な要因を背景に、遺伝子組み換え作物については、今後トマト、オクラ、米の解禁も近いとされており、インドの食卓への浸透は進むだろう。
数年後、あなたがそうとは知らずにバーザールで手に取っているその野菜も、何気なく口にしている料理の中身も、実は遺伝子操作による産物かもしれない。
ただし、遺伝子組み換え作物というものが、果たして本当に食用に適しているのか、環境に対する影響はないのか、近い将来遺伝子組み換え技術の欠陥や弊害が浮上することにならないのか、その技術が特定の国の私企業にほぼ独占されていることでどんな問題が生じてくるのか、大いに気になるところでもある。

航空不況の中、増便続くインドとタイを結ぶ空路

昨年は原油価格の高騰、特に後半からは世界的な不況という追い討ちもあり、燃料価格がすっかり落ち着いた今年に入ってからも、航空各社の大半の苦戦が伝えられる中、様々な地域で路線の減便や廃止といったニュースが耳に入ってくる。
しかしインドとタイを結ぶ路線はその限りではないようだ。エアインディアがAIのコードのフライト以外にも旧インディアン・エアラインのICコードならびにエア・インディア・エクスプレスのIXコードの便、加えてタイ航空もインドの主要都市とバンコクを結んでいる。またジェットエアウェイズも、今やインドの四都市(デリー、ムンバイー、コールカーター、ワーラーナスィー)からバンコクにそれぞれ定期便を就航往復させているなど、印泰間の往来はなかなか盛んである。
さらに8月14日からコールカーター・バンコク便を就航させるキングフィッシャー・エアラインスは、10月からはムンバイー・バンコク便の開始も予定されているという。その10月から来年3月までの間、ガヤー・バンコク間も検討中なのだとか。
また東南アジアの航空会社としても、現在クアラルンプルから亜大陸方面ではインドのティルチラッパリとバーングラーデーシュのダッカまで、エア・アジアのフライトがあるが、同社は年末あたりからムンバイー・バンコク、デリー・バンコクのフライトを開始する予定だ。
インド各都市とバンコクとの間のフライトが増えると、タイ以東にある日本とインドとの行き来の際の空路の選択肢も増えるわけで、私たち日本人にとっても喜ばしいことである。