もうすぐNANOがやってくる

ターター・モータースの10万ルピー車、NANOの発売が正式に発表となった。
10万ルピーといえば、インドにおいて、従来の自家用車の最安値クラスよりも3割ほど安く、バイク3台分よりは少ない費用で購入できるという価格。
原音に忠実に表すと、カタカナで『ナァェーノー』と綴ることになろうが、『ナ』の後に小さい『ァ』と同じく小さい『ェ』が並ぶ不自然な表記となるので、あえてNANOとローマ字で記すことにする。
NANOの生産につき、西ベンガル州内の工場用地をめぐる大掛かりな争議に巻き込まれたものの、救いの手を差し伸べたナレーンドラ・モーディーが州首相を努めるグジャラート州に生産本拠を移してようやく発売にこぎつけた。
これによって、共産党がチカラコブを入れて誘致したターターを蹴り出すことにより、マムター・バナルジーに率いるトリナムール・コングレスが、同州与党(共産党)の顔にドロを塗り、勝ち点を稼いだ格好となった。
しかしながら内外からの投資先としての西ベンガル州総体としては、『とかく政治や争議関係がややこしく面倒な土地』として、痛い失点を記録したといえる。

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ルピーのカタチ

パソコンのキーボードにいくつかの主要通貨名を入れて変換すると、£、$、\、€といった記号が出てくるが、現在インド政府も自国のルピーを象徴するシンボルの制定に向けて模索中とのことだ。
各国通貨はISO4217による3文字から成る略称で表記できるようになっている。最初の2文字がISO 3166-1 alpha-2による国・地域コード、最後の1文字は通貨のイニシャル。これにより、たとえばインド、パーキスターン、バーングラーデーシュの通貨が、INR, PKR, BDTと表記される。
ISO 4217 currency names and code elements
(ISO International Organization for Standardization)
各国内で自国通貨を表す独自の記号が用いられることが多いとはいえ、国外でも広く認知された通貨記号を持つ国は少ない。
インド政府の試みは、自国通貨を意味するグローバル・スタンドな記号を創造しようというものだ。果たしてINRは、どんなカタチになって私たちの前に姿を現すのだろうか?
India seeks rupee status symbol
(BBC NEWS South Asia)

偽札はお持ちですか?

インディア・トゥデイ2009年2月16日号英語版
インディア・トゥデイ(英語版2月16日号P.20〜P.30、ヒンディー語版2月18日号P.16〜P.24)に、偽造通貨に関する興味深い記事が出ていた。同誌を購読されていなくても多少なりとも興味のある方は、ウェブ上のPDF版をご覧いただければと思う。登録(無料)すれば、これをそのままダウンロードすることもできる。
以前は同誌ウェブサイトで定期購読者以外に提供される情報はかなり限定されていたものだが、昨年あたりから方針が変わったのか発売中および過去の誌面のPDF版を誰でも閲覧およびダウンロードできるようになっている。
これが売り上げにどういう影響を与えるのかよくわからないが、インドで今起きていることを伝える社会の公器であるマスメディアとして、模範となる姿勢だと私は感じている。内容はもちろん、広告を含めて市販されているものと同一だ。私は紙媒体は読み終えたらすぐに処分しているが、後で何か参照したいときに便利なので、毎週PDF版を自宅PCに保存している。
売り上げといえば、取り立てて大きな事件が起きなかった今週号だが、かなり興味をそそる特集だっただけに、かなり販売部数を伸ばしたのではないかと私は推測している。ある意味、テロよりも身近で重大なテーマだけに、続報が待たれるところである。
さて、前置きが長くなってしまったが本題に入ろう。『FAKE CURRENCY』というタイトルの特集記事は、流通しているインドのお金のうち9千億ルピーあるいは通貨の15%が偽物であるというショッキングなもの。記事冒頭には偽通貨の流通ネットワークがイラストで示されている。
パーキスターンのカラーチー、ラーホール、クウェーターおよびNWFPで製造されたものが、ネーパール、バーングラーデーシュといった近隣国を通じて流れるルート、UAEのドゥバイからシンガポール、バンコクなどを経由して回流するルートがあるとのこと。また国内でこれらの流布の中心となっている地域としては、カシミール、ラージャスターン州のバールメール、グジャラートのカッチ地方、カルナータカのマンガロール、ケララ北部、チェンナイ、西ベンガルのマールダー、U.P.北部などが挙げられるのだという。
昔から偽札に関する報道はメディアに出てくることはあったが、ここにきてその規模が格段に大きくなっている(500ルピーおよび1,000ルピーの額面の紙幣において発見さる偽札の数は、最近3年間で何と10倍になっているとか)こと、造りが非常に精巧になっていること、インド経済に与えるインパクトの大きさ、テロ活動の資金源となること、またこれらに対する当局の対応が後手に回っていることなどに対して警鐘を鳴らそうというのがこの記事の趣旨のようだ。
背後には、インド出身で現在パーキスターンに潜伏しているとされる、もはや神話的存在(かなり若いころの写真しか出回っておらず、今では整形手術等でかなり違った風貌になっているらしい)となっている大マフィアのダーウード・イブラーヒムおよびバーキスターンの三軍統合情報部(ISI)の関与が指摘されるなど、非常に大掛かりなものらしい。
P.22には、本物と偽物の紙幣の見分け方が図解されている。思わず手持ちのルピー紙幣を取り出して、マジマジと点検してしまう。ただしここに書かれているのは、現行のデザインの紙幣にセキュリティ強化のためのマイナーチェンジが行われた2006年以降に発行されたものに限った話だ。お札を縦に走る銀色の線の部分の具合が他の紙幣と違ったり、裏面に印刷年がなかったりしても、それが即偽札だと早トチリする必要はない。もっとも2005年以前に発行された紙幣のついての見分け方は出ていないので、ここに示されている内容だけで真贋の見分けがつくとはいえず、あくまでも2006年以降発行された紙幣についての話だ。最近、コールカーターの地下鉄車内でも同様の掲示物を目にしたことをふと思い出した。
ただし今後偽札に対する警戒感が高まってくると、額面の大きなお札については、2005年以前に出た紙幣の受け取りが拒否されるケースが出てこないとも言えないだろう。自国通貨ではないが、外貨両替においてはそういう実例がある。
1996年に米ドルのデザインが変更され、それ以前に発行された紙幣よりも肖像部分が大きくなっている。それよりも前に出た旧型紙幣も米国ではリーガルな通貨だが、偽札が多数存在するため、米国外では国により使えないことがあることは広く知られているところだ。
新札でも50ドル、100ドルといった額面の大きなものになると、発行年やシリアルナンバー冒頭のアルファベット記号によっては、受け取りを拒否されることがあり得る。悪名高きCBナンバーなどはその典型だ。これまでに発見された精巧な偽札の存在がその原因だ。
この紙幣見本のシリアルナンバーが『AK』から始まっているが、もし『CB』だと国によっては受け取ってもらえないことがあるので要注意
すでに流通している偽札について、現金を扱う金融機関で厳重にチェックされているわけでもないようで、銀行の窓口やATMで普通に受け渡しがなされているようで、私たちがそうとは知らずに、パーキスターン製であるとされる偽インド紙幣を手にする機会は案外多いのかもしれない・・・というよりも、冒頭の偽札の割合が15%という数字が確かなものであるならば、相当頻繁にそれらを手にしていることになる。
さて、手持ちの高額紙幣をすべからず点検してみて、『コレは怪しいゾ!?』というお札を見つけたらどうしようか?通常、それらは額面の大きなものであることから、記念に保存しておくよりも、むしろ『変だな』と思ったらそそくさと使ってしまうことだろう。金融機関に確認に出向くなんて面倒なことはしないし、警察署に届け出ようものならばかえって無用なトラブルに巻き込まれそうで怖い。
運悪く所持金に混じっていた偽造通貨を当局に提出したら、相応の報奨金がもらえるような手立てがなされているわけではない。ゆえに『私が偽造したんじゃない。大切なお金を没収されたりしたら元も子もないではないか。アホらしい』『汗水流して稼いだんだ。れっきとした銀行のATMから引き出したお札がたまたまニセものだったとしても、なぜ私が自腹を切る必要があるのか。まったくもって馬鹿らしい』と、まずは自らの懐のことを、私を含めて多くの人々が考えるはず。かくして偽札は大手を振って世間を渡っていくことになる。
偽札対策には、大衆への啓蒙や当局並びに金融機関でのチェック強化のみならず、不幸にしてそれを手にしてしまった個々(個人ならびに企業)への補償を含めた対応もまた不可欠なのではないかと思う一小市民の私である。偽造の手間は変わらないことに加えて、その旨みからしてニセ札は高額紙幣に集中している。ゆえに財布の中にそれを見つけてしまった場合、とりわけそれが個人の私財であった場合の苦悩を政府は汲み取るべし!! ・・・とはいえ、流通している通貨の15%を補償するというのは無理な相談に違いない。どうするんだろう、この偽札対策?
ところで、あなたは偽札お持ちですか??
specimen

インド人学校へ転身

昨日『デリー近郊に日本人村建設?』と題して書いたように、インドで日本からの企業進出を促すための積極策が打ち出されているが、地味ながらも日本においてもインドからの進出を誘致するための具体策がいくつか打ち出されている。そのひとつが来年4月に横浜市緑区で開校予定のインド人学校だ。廃校となった小学校の3階部分を利用して運営するとのこと。
インド系学校来春開校 緑区の小学校跡 (YOMIURI ONLINE)
少子化の日本にあっては、学齢期の子供を持たない人には想像もつかない速度で生徒たちの人数が減少している。現在20代、30代以上の年齢の人たちにとって、小学生、中学生時期に通っていた学校には何クラスあって、何人の生徒たちがいたか思い出して欲しい。
もちろん地域差は大きいのだが、参考までに東京都港区役所のウェブサイトにこういう一覧表があった。
港区立幼稚園・小・中学校園児・児童・生徒数一覧表
学年毎に2クラス、3クラス程度というのがごく当たり前になっており、学校施設の規模と不釣合いなほどである。とりわけ東町小学校の全学年合計で77人、港陽中学の全学年合計78名という数字が目を引く。まるで山村部の分校みたいな人数だ。
こうした傾向は、東京都内どこも共通した現象であり、都外においても似たようなものだろう。地域によっては『学校選択制度』という手段により、居住する学区と隣接する地域の学校に入ることを選ぶことができるようになっている自治体もある。
すると人気校と不人気校の歴然たる差が出てしまい、年度毎の予算配分はもちろん、やり手の校長や教頭、評価の高い教師が優先的に人気校に配置されるといった人事面での処置もあり、不人気な学校はますます凋落していき、やがては廃校や近隣校との統合という整理へと導かれていくようになっている。
そして、廃校や統合により使われなくなった校舎や土地は、資産の有効活用という名目で他の施設建設のために転用されたり、民間に売却されたりしていくことになる。
やや話はそれてしまったが、もともと厳しい基準で施設も充実している公立学校施設という『器』である。都内に数ある空き教室を多数持つ公立学校と同居・・・というのは無理にしても、今後も更に統廃合が進み用済みとなる施設が続々と出てくるにあたり、交通至便な都心近辺にある学校施設を横浜市のように、新設される外国人学校のために有償で貸し出してはどうかと思う。
さらには学費の問題もある。外国人学校は総じて費用が非常に高い。私学助成制度を大幅に見直して、充分な補助を行政から受けられるようにすべきではないだろうか。少子化が進む中、能力の高い外国出身の人たちが定住することが必要となってくることは自明の理だ。
また、その子女たちがしかるべき教育を受けることができる環境を整えることは行政の責任であり、そうして育った子供たちが将来、生まれ故郷ないしは自分たちが育った土地である日本に根を下ろし、この国を支えてくれるようになる、そんな『国家百年の計』が必要なのではないかと思う。

流行のドバイの背景に 2

インドにとって、自国にあり余る人材の雇用先としても、出稼ぎ労働者の送金による外貨獲得源としても、湾岸産油国の存在は貴重だ。自国民の高い出生率とそれに伴う失業率の高さに悩むサウジアラビアでは、社会の各分野において就労者の自国民化を進めているが、数年前にタクシー運転手から外国人を漸減させて自国民化する具体的な方策が打ち出されたときには、インドをはじめとする南アジア各国メディアのウェブサイトにて、それに関する記事がトップを飾っていた。
混乱が続くイラクで、メディア、援助、経済その他にかかわる外国人の誘拐ならびに殺害に関する報道が続いた時期があったが、同様にイラクでの運輸業にたずさわるインドやネパールのトラック運転手たちが連れ去られて殺害される事件も発生した。高いリスクを覚悟のうえで就労した人、隣国のクウェートで働くという話であったのが、実際に渡航してみると配置されたのはイラクだったという、ブローカーに騙されたケースもあったようだ。いずれにしても他の安定した国々ではなく、いまだ混迷の続く国でさえも、そこに石油が出るならば、外から人々を引き寄せる大きな力を持っていることがよくわかる。そこにくれば治安が大変良くて生活インフラも整ったアラブ首長国連邦ともなれば言わずもがなである。
ところでその『人口』は、少々注意を要する点かもしれない。湾岸産油国での人口統計には往々にして外国人、しかも期限付きで在住している出稼ぎの人々まで含まれているのは奇妙に感じる。おそらく自国民があまりに少なすぎるので、こうした人々をも含めないと国の実態が把握できないということが背景にあるのではないかと思う。
アラブ首長国連邦としての一人当たりのGDPは38000ドルとのことで、まあ『先進国並み』ということになる。しかしここには年収5000ドルにも届かない大勢の出稼ぎ労働者たちも含まれている。もちろん外国人在住者=低賃金労働者というわけではなく、様々な分野のエキスパート、専門家、経営者、投資家等も含まれているものの、大半は底辺で働く人たちということにはなる。そのためこの国では『少数派』であるアラブ首長国連邦の国籍を有する人たちだけを見れば、日本のそれの四、五倍に及ぶのではないかという説もあるが、少なくとも私たちの平均的な年収よりもよほど懐具合が良いらしいことは容易に想像がつく。つまり『はるか先進国以上』の裕福な国民が暮らす国である。
そういう経済的な要因はもちろんのことながら、近代以降におけるインドとの間の歴史的なつながりも深い。19世紀半ばから20世紀はじめにかけて、今のドバイを含むアラブ首長国連邦、オマーン、カタール、バーレーンはイギリスの保護国、当時世界に冠たる中東の貿易港アデンを擁するイエメン南部がイギリス植民地となっていた。同じ英領ということもさることながら、イギリス本国政府の植民地省の管轄ではなく、インド省の所轄で、当時のインド政府のボンベイ管区がこれに当たっていたという点も何か作用しているのかもしれない。アデンといえば、グジャラートのジュナーガル生まれでリライアンスグループの創業者ディールーバーイー・アンバーニーが仕事人としてのキャリアの第一歩を踏み出したのはまさにそこであった。
現在のエアインディアのネットワークを見ると、西方面とりわけ湾岸諸国へのネットワークが密で、主に国内線を飛ばすインディアンもこれら地域の主要都市へのネットワークを持っている。石油以前のアラブ首長国連邦をはじめとする湾岸諸国とインド西部との間には元々蒸気船の定期航路が発達しており往来が盛んであり、客船の時代が終わるとともに飛行機に取って代わられる。だが石油で潤う前の湾岸諸国とインドの立場はかなり異なるようで、当時貧しかったアラビアに様々な新しいモノをもたらしてくれる先進地がインドだったようだ。
昔のドバイ
昔のドバイ
人口のおよそ6割をインドおよびその他の南アジアから来た人々で占めており、インドないしはインド人の存在なしでのドバイはあり得ず、それがゆえに『インドで最もキレイな街』などと揶揄されることもあるようだ。今流行りのドバイの背後にちらつくインド世界の濃い影が興味深い。現地在住のインド人ないしはインド系の人々について詳細に書かれたものがあれば手にしてみたいと思っている。
カルカッタ出身の友人がアラブ首長国連邦に赴任しているうち(ドバイ首長国ではなくアブダビ首長国のほうで仕事しているのだが)にちょっと様子を見に出かけてみたいな、と思うこのごろである。