バーングラーデーシュ初の原子力発電所建設へ 果たして大丈夫なのか?

近年、好調な経済成長が伝えられるようになっているバーングラーデーシュ。地域の他国にかなり出遅れてはいるものの、失礼を承知で言えばスタート地点が低いだけに、ひとたび弾みがつけば、今後成長は高い率で推移することは間違いないのだろう。日本からもとりわけテキスタイル業界を中心にバーングラー詣でが続いているようだ。

これからが期待される同国だが、やはりインフラ面での不安は隠しようもないのだが、電力供給事情も芳しくない。発電電力の約4%は水力発電、他は火力による発電だが、その中の大半を自国産の天然ガスによるものが占めている。開発の進んでいる東部の電力事情はいくぶん良好なようだが、西部への電力供給の普及が課題であるとされる。

産業の振興、とりわけ外資の積極的な誘致に当たっては、電力不足の克服は是が非でも実現したいところだろう。長らく雌伏してきた後にようやく押し寄せてきた好況の波に乗り遅れないためにも、1億5千万人を超す(世界第7位)人口大国であり、世界有数の人口密度を持つ同国政府には、国民の生活を底上げしていく責任がある。

そこでロシアと原子力エネルギーの民生利用に関する政府間協定に署名することとなり、2018年までに二つの原子力発電所の稼働を目指すことになった。

Bangladesh signs deal for first nuclear plants (NEWCLEAR POWER Daily)

実のところ、この国における原発建設計画は今に始まったものではなく、東パーキスターン時代にダーカー北西方向にあるループプルに建設されることが決まっていたのだが、1971年にパーキスターンからの独立戦争が勃発したため立ち消えとなっている。新生バーングラーデーシュとなってからも、1980年代初頭に原発建設を目指したものの、資金調達が不調に終わり断念している。

同国にとっては、建国以前からの悲願達成ということになりそうなのだが、折しも日本の福島第一原子力発電所の事故以降、原発そのものの安全性、他よりも安いとされてきたコスト等に対して大きな疑問を抱くようになった日本人としては、本当にそれでいいのだろうかと思わずにはいられない。

同時に国内であれほどの大きな事故が起きて、その収拾さえもままならないにもかかわらず、また原子力政策そのものを根本的に見直そうかというスタンスを取っていながらも、原発の輸出には相変わらず積極的な日本政府の姿勢についても信じられない思いがしている。ベトナム政府は原発建設を日本に発注することになるのは今のところ間違いないようだ。

『日本でさえ不測の事態であのようになったのだから・・・』などと言うつもりはないが、大変失礼ながらバーングラーデーシュという国での原子力発電の稼働は本当に大丈夫なのだろうか?

事故さえ発生しなければ、原発稼働は同国の電力事情を大きく好転させていくことになるのかもしれないが、電力供給の分野でロシアの技術力・資金力両面において、大きく依存しなければならなくなる。

どちらも憂慮されるものだと思うが、とりわけ前者については大いに気になる。本当に大丈夫なのだろうか、バーングラーデーシュでの原子力発電所の稼働は? サイクロンや水害といった大規模災害がよく起きることもさることながら、頻発するハルタール、その背景にあるといえる政治的な問題、不安定な政局等々、国内の人為的環境面での不安も大きい。

決して遠くない将来に起きる(かもしれない)大惨事への序章でなければよいのだが。これが杞憂であることを願いたい。

「バーングラーデーシュ初の原子力発電所建設へ 果たして大丈夫なのか?」への2件のフィードバック

  1. 15年ぐらい前に、バングラデシュの資源・エネルギー省?の役人と偶然知り合った。彼は東海村のジャエリィJAERI(日本原子力研究所、現在はJAEA日本原子力研究開発機構)に研修に来ていた。全て日本側が費用を負担し10日か、2週間ホテルに宿泊し原子力発電等について英語で講義をうけていた。日本の膨大な予算を使って蓄積された原子力のノウハウを売り込む下準備のようだった。当然原子力関係の専門家(エンジニアか研究者)だと思ったが、実は単なるお役人。お前行って来いと言われただけ。その後バングラデシュを旅した際、彼の役所は故郷に招待されたが、兄は某町の町長だったり、一族がそれなりの地位のある面々。観光旅行とは言わないが、先進国日本を見てみたいというので来たような人物だった。そんな国で????

  2. 国内では原発政策を見直すスタンスを示していながらも、今後引き続き原発建設を他国に売り込むことは矛盾しないとする日本政府の姿勢には疑問を感じています。それでもこの技術を手に入れることを強く望んでいる国々もあるわけですが、チェルノブイリと福島という大きな教訓がありながらも、そこから私たち人類が広く学ぶということはなかなか容易ではないようです。所詮『対岸の火事』といった具合なのでしょうか。

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