バーングラーデーシュが旬?

今年2月に大手旅行代理店H.I.S. がダッカ支店をオープンさせたのだそうだ。同支店のブログも用意されている。
国土は北海道の2倍程度と狭いものの、世界遺産のパハールプル、マイナモティといった仏蹟、シャイト・ゴンバズ・モスジッドやカーン・ジャハーン廟などのイスラーム関係遺蹟、茶園で知らせるスィルハトといった名所、首都ダーカーや近郊の古都ショナルガオン、はてまたモンゴロイド系少数民族が暮らすチッタゴン丘陵地帯など、魅力あふれる土地が数多い。また海が好きな人は、同国最南端に位置するセント・マーティン島なども気に入るのではないかと思う。
H.I.S.のツアーでは、そうした観光地以外にもNGO『BRAC』やグラミーン銀行のマイクロクレジット事業の視察ツアーも用意されているのは、日本では被援助国というイメージの強いバーングラーデーシュらしいところかもしれない。
聞くところによると、そう遠からず『地球の歩き方 バングラデシュ』も発刊されるようである。今年はちょっとしたブームになるのだろうか?
そもそも隣国インドと較べてずいぶん観光客が少ない国である。突然大勢のツーリストが訪れる(・・・ことになるのかどうかは知らないが)ようになると、これまでの素朴な雰囲気やたまたま出会った地元の方がひたすら歓待してくれるようなムードも変わってしまうのかもしれない。
だが、これがきっかけとなってバーングラーデーシュに関心を持つ人が増えて、観光業が国の産業のひとつの柱として成長することがあれば、人口問題に苦しむこの国で各地にもたらす雇用機会や収入といった面で好ましいだろう。
何やら突然『バーングラーデーシュがブーム!』なんていうことはないにしても、インドの西ベンガル州や東北州などに興味を持って訪れる人が、目と鼻の先の隣国にも足を延ばしてみたり、それとは反対にバーングラーデーシュを訪れた人が、国境向こうインド側の地域にも同様の関心を抱いてくれれば、と思うのである。

月の水

月の北極付近に相当量の水が存在することが明らかになったのだそうだ。
Ice deposits found at Moon’s pole (BBC NEWS)
昨年8月下旬に通信が途絶したことによりミッションが終了しているインド初の月探査機チャンドラヤーン1号により得られたデータにより判明したものだという。
人工衛星の打ち上げ数では、ライバルの中国に対してはまだ遅れをとっているものの、ドイツやイギリスと肩を並べ、宇宙開発の分野でメジャープレーヤーとして定着して久しいインドだ。今後も人類の宇宙探索の様々な方面で貢献していくことになるのだろう。
将来利用可能な資源の探索はもちろんのこと、軍事目的での転用など、様々な実利的な目的あっての壮大な事業だが、かつて西洋人たちが東西に船舶を走らせ、欧州域外への進出を図った大航海時代が始まった時期と似たようなものかもしれない。
いつか人類が月や火星からミネラル類を輸入したり、開発プロジェクト等のために他の星に長期滞在したりする時代がやってくるのだろうか。各国の思惑が交錯する中で、地球外の空間や土地における主権や統治の概念等は、どのようになっていくのか見当もつかない。それがゆえに有力な国々が競って宇宙への進出を画策しているのだろう。
軍事、ロケットといえば、インドのミサイル、アグニ3は、射程距離1,500〜3500 kmの同国で文字通り第三世代の中距離弾道ミサイルで、アッサム州内から発射した場合、北京や上海も射程距離に入るようになっている。
前世代のアグニ2は飛行距離800から2000 kmで、スィッキム北部の軍事施設からなんとか四川省の成都あたりには届くといった程度であったのに比べて飛躍的な進歩である。
次世代アグニ5は,(なぜ『4』をスキップして『5』になる。おそらくそれまでの中距離弾道ミサイルから本格的な大陸弾道ミサイルへと進化し、別格のものとなるからであろう)では、航続距離を5000 kmまで大幅に伸ばし、インドのどこからでも中国のほぼ全土が射程圏内に収まるようになる。
宇宙開発は、国の将来への投資であるといえるし、そうした先端技術を持つことが、国力自体を増進させるという効果もあるのだろう。またミサイルについても、現にパーキスターン、中国という核を保有する国々と長年緊張関係にあり、国防上のバランスを取っていく必要性を否定できないだろう。
しかし宇宙開発も軍拡も、これらの事業を行なうことにより、どれほどの予算が費やされているのかということを思えば、ちょっと複雑な気持ちになる。
昨今、経済発展が好調なインドとはいえ、そこはスタート地点があまりに低かったがゆえに、動き出せば伸びしろが大きいということに他ならず、今でも決して裕福で社会的に余裕のある国ではない。
巨大な予算をつぎ込んで、先端技術を駆使した開発が華々しくなされているいっぽう、世界最大の貧困人口を抱えているこの国では、生活環境等改善のため、こうしている今にも適切な投資を必要としている人々が大勢いる。
その配分をどうするのか決めるのは、言うまでもなく政治の役割だ。一足飛びに生活大国へ・・・というのは無理にしても、先端技術で華やかな成果を謳いあげるのと同じくらい、社会のボトム部分の底上げを実現できる日が来ることを願いたい。

ムンバイー タクシー業界仰天

拾ったタクシーの運転手がたまたまお喋りな人で『あなたどこの人?』と尋ねてくる。『Tokyoだ』と答えると、『トゥルキー(トルコ)の人かい。てっきり日本人かと思ったよ』などと言っているが、またどこかで会う人ではないので、こちらは特に否定しない。

『あなたの田舎はどこだい?』と振ってみると、『ラクナウーの近く』との返事。『ラクナウーからどちらの方向かい?』『ゴーラクプルのほうに120キロくらいかなぁ』『じゃあファイザーバードのあたりだな』『おぉ、まさにそこさ!よく知ってるねぇ』なんていう話になった。

かれこれムンバイーで運転手家業を始めて16年になること、数ヶ月前に数年ぶりに帰郷してみて楽しかったこと、ごくたまにしか会うことのできない子供たちが、父親不在でもしっかりと成長して、特に長男が学校で親の期待以上に頑張って良い成績を上げていることなど、いろいろ話してくれた。

こうした人に限らず、ムンバイーのタクシーを運転しているのは、たいていU.P.かビハールの出身者たちだ。郷里に家族を置いて、懸命に稼いでは送金している人が多い。家は遠く離れているし、そう実入りのいい仕事ともいえないが、家族はそれをアテにして暮らしているため、一緒に生活したくてもそうしょっちゅう帰ることもできない。

このほど地元マハーラーシュトラ政府は、そんなタクシー運転手たちが仰天する発表を行なった。
Maharashtra Govt. makes Marathi mandatory to get taxi permits (NEWSTRACK india)
その内容とは『マハーラーシュトラに15年以上居住』『マラーティーの会話と読み書き』が必須条件になるとのこと。

ヒンディーと近縁の関係にあるマラーティーを覚えることはヒンディー語圏の人たちには決して難しいことではない。ヒンディーと歴史的な兄弟関係にあるウルドゥー語を話すアジマール・カサーブ、2008年11月26日にこの街で起きた大規模なテロ事件犯人で唯一生け捕りとなり、現在ムンバイーの留置所に収監されている彼でさえも、周囲の人たちとの会話を通じ、すでに相当程度のマラーティーの語学力を身に付けていることは広く知られているとおりだ。

ムンバイーのタクシー・ユニオンも『運転手たちはヒンディーに加えて、多くの者はマラーティーだって理解するし、英語の知識のある者だって少なくない。何を今さらそんなことを言い出すのか』と、即座にこれを非難する声明を出している。

もっとも『マラーティー語学力を義務付ける』という動きはこれが初めてではなく、1995年の州議会選挙で、それまで国民会議派の確固たる地盤であったマハーラーシュトラ州に、マラーター民族主義政党のシヴ・セーナーが、BJPと手を組んで過半数を獲得することによって風穴を開けたときにも同様の主張がなされていたことがあった。

そもそも義務としての『マラーティー語学力』それ以前の1989年から営業許可の条件のひとつにはなっていたようである。それが今回、これを厳格化するとともに、最低15年以上の州内での居住歴を加えて、州外からの運転手の数を制限し、地元の雇用を増やそうという動きである。タクシー運転手家業の大半が州外出身者で占められているのは、そもそも地元州民でその仕事をやりたがる人が少ないことの裏返しでもあるのだが。

先述の90年代から伸張したシヴ・セーナーは、幹部のナーラーヤン・ラーネーが脱党して国民会議派に移籍、党創設者であるバール・タークレーの甥であるラージ・タークレーがこれまた脱退して新たな政党MNS(マハーラーシュトラ・ナウニルマーン・セーナー)という、本家シヴ・セーナーとはやや路線の違う地域民族主義政党を立ち上げた。

そのため総体としての地域至上主義は、やや影が薄くなった感は否めないものの、このふたつの政党は、やはり今でも一定の存在感を示しているがゆえに、やはり今でもコングレスは安定感を欠く、というのが現状である。

そうしたシヴ・セーナー/MNSの土俵に自ら乗り込み、ライバルの支持層を切り崩し、自らのより強固な基盤を築こうというのが、今回のタクシー運転手の語学力や在住歴に関しての動きということになるようだが、当然の如く、運転手たちの多くの出身地である北部州の政治家等からもこれを非難する声が上がっている。

州首相アショーク・チャウハーンにとっては、そうした反応はすでに織り込み済みのようで、既存の営業許可に影響はなく、新規の給付についてのものであると発言するとともに、将来的にはタクシー車両へのAC、GPS、無線機器、電子メーターと領収書印刷装置等の搭載を義務付けることを示唆するなど、議論をすりかえるための隠し玉はいくつか用意しているようだ。

これまでことあるごとに地域主義政党のターゲットとなってきた北部州出身タクシー運転手たちだが、それと対極にある国民会議派は彼らの力強い味方であるはずであったため、今回の動きについては、まさに『裏切られた』と感じていることだろう。

たまたま街中で目立つ存在であるがゆえにスケープゴートになってしまうのだが、タクシー運転手に限らず、ムンバイーをはじめとするマハーラーシュトラ州内に居住する他州出身者は多い。現在同州与党の座にあるコングレスにとって、これまで地域主義政党が手にしてきた、いわゆる『マラーティー・カード』を自ら引いてしまうことは、かなり危険な賭けであることは間違いない。

この『タクシー問題』が、今後どういう展開を見せていくことになるのか、かなり興味深いものがある。

※『ダーラーヴィー?』は、後日掲載します。

NIAの海外旅行保険

日本発の海外旅行保険を扱う保険会社は、AIU、三井住友海上、ジェイアイ傷害火災、損保ジャパン等々いろいろある。
同様に日本で営業するインド系の保険会社でも扱っていることはかねてより耳にしており、だいぶ前に『ニッポンで稼ぐインド国営会社』で取り上げたことがあるが、先日初めて同社の海外旅行保険のパンフレットを手にして眺める機会があった。ちなみに、これはウェブサイトからも閲覧することができる。
海外旅行総合保険 (ニューインディア保険会社)
インド最大の保険会社であり、ムンバイーに本社を置く国営のNIA (The New India Assurance Company Limited)の日本支社、ニューインディア保険会社の商品だ。
私自身、ニューインディア保険会社はまったく利用したことがない。身の回りでこの会社の保険商品を利用したという人もいないため、その評判を耳にしたことはないが、どんな具合なのだろうか?

インド人100万人

一説によると、UAEに在住するインド人労働者の数は100万人にも及ぶのだとか。総人口567万人(人口統計に在住外国人も含まれている)中、UAE国籍を持つ人々は20%ほどで、あとは外国籍の人々だ。
UAE以外のアラブ諸国とりわけ非産油国の人々が15%, アラブ圏外ではイラン人が8%とかなり多いものの、なんと南アジア諸国の人々が50%を占めていることから『インド人100万人』という数字は驚くに値しないかもしれない。あるいはパーキスターン、バーングラーデーシュといった両隣の国々から渡っている人々も含めた『インド系人口』とした場合、とてもその数で収まるものではないだろう。
経済的な重要度に比較して、人口規模が小さく、様々な分野における労働人口が不足している湾岸産油国と、経済成長目覚しいとはいえ、世界第2の人口大国であるうえに、まだまだ失業率が高く、需要があればそれこそ無尽蔵ともいえるマンパワーを供給できるインドとの相性は、中東湾岸地域と南アジアという隣接する地理条件とともに、極めて良好だ。
歴史的につながりも深く、人々の行き来が頻繁であったことから、仕事や住居といった紹介・斡旋というベーシックなニーズにおけるインフラも備わっている。同時にこれは労働者たちに対する搾取の構造ということも言えなくもないにしても、出稼ぎに行くにあたってのハードルもそう高くないことになる。
インド人労働者といっても、エンジニアや金融関係者といった頭脳労働者から工場や建築現場の作業員までいろいろあるが、肉体労働者たちに対する待遇、とりわけ賃金契約、住環境、作業現場の安全性確保等々にかかわる問題点が指摘されることは多い。
また相当の危険を覚悟のうえで、あるいは騙されるような形でリスクの高い仕事を担わされる者も少なくない。数年前に、イラクでインド人、ネパール人などのトラック運転手が武装グループに拉致されて殺害される事件が続いたことを記憶している方も多いだろう。
このあたりの産油国ではどこもインド在住者は多いが、特に観光客の目につきやすいサービス産業に従事する者も多いためか、UAEの東隣の国オマーンについて、JTBの『オマーン情報』に、同国で使用されている言語について『アラビア語、ウルドゥー語、ヒンディー語』という記載があるくらいだ。
オマーン情報 (JTB)
おそらくタクシー運転手、ホテルやレストランを含むレジャー施設の従業員等にインドやパーキスターンの人々が占める割合が高いこともあるのだろう。
オマーンについては、位置的に南アジアに近いがゆえに、現在の出稼ぎの人々以前にやってきた移民の子孫が多いことでも知られている。南アジア西端にあるパーキスターンのバローチスターン地方から多数のバローチーの人々による移住の歴史もあることなどから、インド地域からの移民史という観点からも、ペルシャ湾を挟んでイランの南側に位置する湾岸地域は興味深いエリアである。

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1990年8月にイラクがクウェートに侵攻したことに始まった湾岸危機の際、当時のインドでは外貨準備高が枯渇(輸入決済2週間分の7億米ドル相当)することによる経済危機を迎えた。危機による原油の高騰、湾岸市場への輸出高の減少などに加えて、この地域の産油諸国で働く自国民からの送金が減少した影響も大きかった。
1991年6月に首相に就任した故ナラスィマー・ラオは、著名なエコノミストであり、インド中央銀行総裁であったこともあるマンモーハン・スィン(現在インド首相)を財務大臣に任命した。当時のインドは、綱渡り的な経済運営を強いられながらも、これを機会に大胆な経済改革を断行した。
その結果、『災い転じて福と成す』といった具合に、今の経済的繁栄につながる基礎を築くこととなった。そのため2004年12月に他界した彼の首相在任中の最大の功績は、マンモーハン・スィンを財務大臣に据えたことであるという評価は多い。
もちろん今のインドは当時よりずっと豊かになり、経済規模も拡大したことから、湾岸諸国へ出稼ぎにいった人々による送金に頼る度合いも大幅に下がっているため、単純な比較はできない。
しかし現在でもケーララ州のように失業率が高く、湾岸諸国への出稼ぎが多く、彼らの送金が内需拡大に貢献しているという地域もある。同州からは、こうした国々に職を求めて出向く医者や看護婦といった医療関係者が多数あることでも知られている。
ドバイショックが、今後湾岸地域の経済ならびに世界経済にどれほどのインパクトを与えることになっていくのかは予断を許さない。堅調な伸びを維持するインド経済については、その波及を楽観視する声も多い。
だが出稼ぎ者の送金という、ややミクロな視点からは、UAEのみでも100万人規模とされるインド人労働者たち自身や彼らが養う故郷の家族、ひいては彼らを多く送り出している地域の経済は、まさにショックな事態を迎えることにならないともいえず、今後の推移を見守りたいところである。
Dubai crisis raises migrant worker fears (BBC NEWS Middle East)