グジャラート州 酒類解禁への道 

酒、酒、酒・・・
禁酒州
インド独立の父、ガーンディーを生んだグジャラート州といえば言わずと知れた禁酒州。1960年5月1日にそれ以前のボンベイ州から分離し新州が成立してから現在まで、酒類の販売、持ち込み、消費等が禁止されている。バスなどで入る際に州境の検問で警官たちが乗り込んで来て簡単な車内検査を行なうことがあるが、鉄道で出入りする際には特に何もないため、国外から来た旅行者などはここが禁酒であることを知らずにそのまま持ち込んでしまうこともあるだろう。外国人のカバンをひっくり返して細部まで調べるなんてことはないので持ち込もうと思えば簡単にできてしまうのだが、同州の法を犯すことになるという認識は必要である。飲酒をしようという場合、私自身特に手続きしたことはないのだが、正式には当局からリカー・パーミットを取得して定められた場所で飲むことになる。
街中の風景に酒屋やバーが見当たらないのはやや寂しい。でも休暇で訪れているぶんには我慢できないこともないし、たまには肝臓にお休みをあげるのもいいではないかと思う。
しかしこの地域に仕事その他で居住するとなると話は違ってくるだろう。おおっぴらに飲み会やパーティーを開くわけにはいかないので、『飲みニュケーション』文化圏の人々は困るだろう。自宅にストックして身内や親しい人たちと飲んでいる分には警察の厄介になることはまずないにしても、『酒=犯罪』に関わっていることに違いはない。何時捕まってしまっても文句は言えないというリスクを抱え込むことになる。

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今年は中印観光友好年

india & china
2007年は日印交流年であるとともに『中印観光友好年』でもある。
このほどビハール州のナーランダーで玄奘三蔵記念堂が落成した。この記念堂建設事業には驚いたことに約半世紀もの年月がかかっている。1950年代に両国間で合意し建設が始まったものの中印紛争が勃発、そして長らく続いた両国の敵対関係のため工事は長らく中断。両国の関係改善にともない2000年になってから工事が再開され、両国の関係機関等の協力のもとで建設が進み、ようやく2007年2月になって落成式を行なうことができたのだ。
両国間での各界の要人たちの様々な目的による頻繁な往来、国防面での交流と協調の促進も提言されているが、経済・商業面での結びつきの強化に向けてはインド側もかなり力を入れているようで、『メイド・イン・インディア・ショー』や『インド・ファッション・ショー』といったプログラムの開催が予定されている。
そして交流年としての看板である『観光』自体については、インドや中国から海外旅行を楽しむ人々が増えてきたとはいっても、それぞれの国の人口の大多数である庶民は両国間を観光で行き来できるような恵まれた環境にはないため、文化使節として京劇、ボリウッドダンサーたちの往訪、文化展、スポーツ大会、ブックフェアにフードフェスティバルの開催といった交流事業が中心を占める。
予定されている様々な活動のひとつに先述の玄奘三蔵記念堂の落成も含まれているが、中国側にインドによるモニュメント建設計画もあり、河南省洛阳市に『インド式仏教寺』が建つ(すでに完成しているのかもしれない)のだそうだ。
また中国政府は今後5年で500人の若者をインドから受け入れることを決定している。どのような目的でどれくらいの期間招致するのかよくわからないのだが、インドの将来を担う有望な若者たちの中に親中派の芽を植え付けようというのが目的であろう。
長い国境を接している割には、地理的・政治的な障害に遮られて国民同士による直接の行き来は希薄だった両国。関係改善と政府が音頭を取っての交流促進のムードの中、折りしも経済グローバル化と飛行機による大量輸送の時代ということもあり、インド・中国間の人やモノの行き来は両国間の歴史始まって以来の急速な進展を見ることだろう。中国におけるインド企業やインド人たちのプレゼンスの台頭以上に、インドを中心とする南アジア地域に企業家精神に富む『新華僑』たちが次々に進出してくる様子が頭に浮かぶ。
これまでインド在住の中華系住民のイメージを代表してきたのはコルカタ華人たちだが、今後新たに大陸から進出してくる人々にお株を奪われてしまう日はそう遠くないように思われる。
「中国インド観光友好年」開幕 (人民網日本語版)

今や北東地域にも進出 新興航空会社ネットワーク

北東インド
コールカーターからグワーハーティー、テーズプルからジョールハート、インパールからアイゾール、シローンからコールカーター・・・。
コールカーターを軸とする北東インドへの航空路、北東州内の空のネットワークといえば、ついこの間までは国営のインディアン・エアラインス(および子会社のアライアンス・エアー)にジェットエアウェイズ、そしてごく一部にエアー・サハラといった具合に旧来の会社による独占市場であった。
近年、雨後のタケノコのように次々と会社が設立されて乗り入れ先をジワジワと広げつつあった新規参入各社ネットワークは、旧来の会社ほどの体力もないことから経済的に進展著しい地域に特化してきた。その結果、コールカーターを除けば当分の間インド東部には及ばないように思えたのだが、今やその『空白地帯』で異変が始まっている。新興の航空会社がこのところ次々に北東部へ進出してきているのだ。

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これぞ旅行用三脚?!

Gorillapod
巷でGorillaPodなる三脚が話題になっている。従来の三脚と違い脚がグニャグニャと自在に曲がるのが特徴。足場が悪かったりスペースがなかったりと三脚を設置できる環境になくても、タコのような足を這わせたり巻きつけたりできるのだ。例えばベンチの背もたれに絡みついたり、柱に抱きついたり、果てまた木の枝からぶら下がったりと臨機応変に撮影シーンを提供してくれる。おかげでこれまで想像さえできなかった面白いアングルからの撮影も可能になる。
サイズはコンパクトカメラ用の小さなものGorillapod(自重45g、耐荷重275g)がすでに昨年から販売されている。だがこれは華奢すぎてコンパクトデジカメといっても特に小型のカメラでないとブレはもとより落下も心配であまり興味が沸かなかった。
だがこのGorillapodを一眼レフカメラでも使用できるように、グッと大型化したモデルがすでに欧米では販売されている。現在、日本でも外国業者から通販で取り寄せることができるが、3月には日本国内でもカメラ量販店等で順次発売される予定とのことだ。
なお一眼レフ用モデルには二種類あり、ひとつは標準レンズなど小型レンズを装着用Gorillapod SLR(自重165g、耐荷重800g)と、ズームレンズ装着用のGorillapod SLR-ZOOM(自重241g、耐荷重3kg)である。
Gorillapod
後者はこのシリーズ中で唯一好みの自由雲台を取り付けることができる。むやみに大ぶりなわけではないので、主にコンパクトデジカメに使うつもりであっても汎用性、機能性と安全性を考えればこれがベストチョイスかと思う。『三脚』の割にはやけに重量が軽いことで判るとおり、普通に立てて使うよりむしろ何かに巻きつかせて固定することを第一義とする製品のようだ。
長く使っているうちにジョイントがくたびれてきてダメになるんじゃないか?という疑問も沸くだろう。同じように感じる人も少なくないようで、この点について『そんなに高いものではないのだからまた買えばいいじゃないか・・・』という製品レビューを見つけた。
Joby Gorillapod SLR Tripod Review (DIGITALCAMERAREVIEW.com)
結局のところ、変わった動きと奇妙な見た目で気を引くアイデア商品。末永く大切に使うこだわりの道具ではないだろう。三脚とはたゆまず揺らがず、カメラをひたすらガッシリと支えるものであるはずなので、正直なところ奇をてらったヘナチョコなツールは邪道だろう。でも手軽さといい遊び心といい、散歩用兼旅行用としてとっても気になる三脚なのだ。しかしアイデアとしては大変面白いので、ひょっとしたら本格的なカメラ用品メーカーが類似の商品をより本格的かつ高品質に仕上げて市場に投入してくるのではないかと私は予想している。
このGorillapodを購入後したら使用感をレポートしたいと思う。
Gorillapod
JOBY Gorillapod

再びコールカーター中華朝市へ 3 華語新聞

印度商報 インドで唯一無二の中文紙 
父親が中文の新聞編集にかかわっていたため、中華食材屋を営むCさんは、学生のころからペンネームでちょくちょく記事を書いていたという。日々の生活のこと、在印華人たちのこと、そして詩などを掲載していたということだ。そうした古い新聞をいくつか見せてくれた。活字が擦り切れていたり、該当する活字がない部分は黒い四角、つまり『■』で印刷されている。『前後の文脈からそこにどういう字が来るのか想像できるかどうか、語学力が問われるところなのよ』とCさんは笑う。その部分は自筆で正しい文字をボールペンで書き入れてあった。華人が減り読者が少なくなると経営が立ち行かなくなり、この新聞はすでには廃刊となっている。
もうひとつの中文新聞、『印度商報』はインドに現存する唯一の中国語による新聞である。数年前まで手書きであったという紙面を見せてもらったが昔々の日本のガリ版刷りみたいな感じだ。旧正月の号は印刷すべてが赤字で刷られており、中国らしい雰囲気を醸し出している。現在はほとんどが活字になっているものの、ところどころ手書きの部分が残り非常に素朴な印象のわずか4ページから成る新聞だ。
紙面からはカルカッタ華人たちが中文紙にどんな記事内容が記載されることを期待しているかが見て取れるようである。これはタイやマレーシアなどの中文で書かれたメディアが、それぞれの地元で何が起きているかを伝えているのとは性格を大きく異にしているのだ。インド全般のニュースはおろか発行元のコルカタのローカルニュースさえもほとんど掲載されておらず、大半は中国の『人民網』や台湾の『聯合報』といったインターネットのニュースサイトから引っ張ってきた中国・台湾記事である。
地元記事はわざわざ中文で書かなくても英字紙その他に沢山の情報が溢れているため、むしろインドのメディアが取り上げず、どうしても縁遠くなってしまう祖国の出来事を知るためのミニコミ紙というところに存在意義があるようだ。もっともインドにおけるさまざまな一般名詞・固有名詞等を漢字に置き換える作業も大変そうだ。華人人口が大きくないこともあり、よほどメジャーな地名・人名等でないと漢字での表記が定まっていないのではないだろうか。
定価は一部2ルピー半。しかしこの新聞は宅配のみで路上等での販売はないようだ。ただ海外に移住したカルカッタ華人の間での需要もあるため、一週間分ずつまとめて航空便で外国にも届けられているという。
Cさんのところで今回もいろいろと興味深い話を聞かせてもらった。丁重に礼を言って店を後にした。界隈ではいくつかの中国寺院や同郷会館などが目に付く。『××醤園』『××金舗』と書かれた大きな店もあった。どちらも醤油の卸売店だ。まだ9時前ではあったがこれらはすでに営業を開始している。プラスチックのジェリ缶に詰めた醤油が店の前にいくつも置かれており、使用人たちがトラックに積み込んでいる。額に汗して働く人たちは目に付くかぎりすべてインド人であった。
次第に人通りが多くなってくるにつれて、朝市ではポツポツと見かけた華人たちの姿がインド人の大海に呑み込まれて、ついにほとんど目に付かなくなってしまう。漢字の看板や華人たちの住居らしきものが散在していながらも、界隈を行き来する彼らの姿を滅多に見かけない。非常に中国色が希薄な『チャイナタウン』である。
めでたい新年(旧正月)は朱刷りでお祝い気分を演出