右ハンドルでKeep Right !

インドの隣国ミャンマーの道路について特に印象に残ったことがある。路上を走る車両のほとんどが右ハンドルながら右側通行であることだ。
この環境下で左ハンドルという『正しい仕様』のクルマといえば、日本のマツダが現地で合弁生産しているジープ、ポンコツの中国製トラック、さらに稀なものとしてメルセデスやBMWなど西欧の自家用車など非常に限定的なものである。それに対して大多数のクルマは商用車から自家用車、小型車から大型車まで、目にするクルマのほとんどが日本やタイといった左側通行の国から運ばれてきた日本メーカーの中古車ばかりだ。聞くところによると、ミャンマーでこれらの車両の輸入に関わる人たちにはインド系、とりわけムスリムの人々の存在が大きいらしい。日本から自国やロシアなどに中古車を輸出するパーキスターン人の業者は多いが、これらの取引でいろいろつながりがあるのかもしれない。
ともあれ、左側通行の日本を走るクルマがほぼすべて左ハンドルになったようなもので、なんとも危なっかしい。自家用車はもちろんのこと、特にバスやトラックのような大型車両が前を走る同サイズのクルマを追い越そうとする際、本来あるべき左ハンドルの車両よりもずっと大きく反対車線にハミ出ることになるのが恐ろしい。
中央車線寄りに運転席があれば、少し白線を越える程度で先方の状況がわかるが、運転席がその反対にあれば巨大な車幅のほぼ全体を左にスライドさせないと見渡すことができないのだ。この原因による事故はかなり多いはずだ。
対向車線を走るバスがいきなり『ニュ〜ッ』とこちら側に飛び出してくるのを目にするのも怖いが、そこにしか空きがなくてバス前方左側に座らされるのもかなりスリリングだ。
こういう環境に育つと『右側通行である。ゆえに右ハンドルなのだ』という間違った思い込みをしてしまうのではないかと思う。ほとんどのクルマの供給元が左側通行である日本(およびタイ、シンガポールといった近隣国)を走っていた右ハンドルの中古車である以上、右側通行に固執するのには無理がある。
バスの場合は乗降口の問題もある。ヤンゴンの市バスはさすがにドアを車両右側に付け替えてある(ゆえにドアの折り返しが反対になってしまう)が、同様のタイプで都市間を結ぶ数時間程度の中距離バスにも使用されているものは日本で走っていたままに左側のドアから客を乗り降りさせている。大型シートのハイデッカータイプの長距離専用バスについても同じだ。国道で他のクルマがビュンビュン走る側に降車することになるため、見ていてハラハラする場面が少なくない。
ところで旧英領であったこの国は元々右側通行であったそうだ。1970年のある日、突然右側通行に変更になったのだという。切り替え後には相当事故が起きたことだろう。もっともその時代はクルマ今よりずっと少なかったはずではあるが。今となってはまた左にシフトするのは無理だろう。
それがゆえに、右ハンドルの日本車ではなく左ハンドルの韓国や中国の車両の需要が大きいのではないかと思うのだが、前者がほぼ皆無で後者もごく限られた数しか入ってきていないのはどうしたことだろうか。
実情をわきまえずに左側通行から右側通行に変更するという、今から40年近く前に起きた過ちのツケを今なお人々危険な思いをし、時にはそのツケを『命』でもって支払っていることであろうことは容易に想像がつく。民意の届かない国ではあるが、早急に何とかしなくてはイカンのではないだろうか。

『デジタル一眼』基準のコンパクトデジカメ

シグマDP1
例によって『インドでどうだろう?このカメラ』ということになるのだが、非常に期待されるモデルがついに発表となった。(発売日未定)
昨年秋にドイツで開催された写真・映像関係の総合見本市フォトキナで参考出品されていたシグマのコンパクトデジカメDP1だ。
同様に参考出品という形で展示されていたデジタル一眼レフSD14は今年3月に実機が発売されたものの、前者はその後どうなっているのか気になっていた。しかしここにきてようやく同社のDP1スペシャルサイトが出来上がり、PDFカタログのダウンロード配布を開始するなど、発売に向けて着々と準備が進んでいる中、果たして真打登場なるか?と期待される一台だ。
『一眼レフ基準』を打ち出すこのカメラの最大の売りにして、ユーザー側にとっても最大の注目点は、このモデルに搭載されるセンサーだ。この類のデジカメとしては世界で初めてAPS-CサイズのCMOSが採用されることになる。一般的なコンパクトデジカメのセンサー、1/1.8型ないしは1/2.5型のそれぞれ7倍、12倍に相当する非常に大きなものだ。激しい画素数競争が繰り広げられてきたデジカメの世界、1000万画素、1200万画素といった表記をよく見かけるが、現在の高画素時代、この数字における多少の違いはあまり意味がない。それよりもレンズの光学性能やカメラとしてのハード面およびソフト面の機能性のほうが大切だ。
しかしこの『画素数』というもの、あくまでも表面積1インチ当たりにどれくらいの密度があるかということに他ならない。同じサイズの印画紙に出力する場合、当然のことながらフィルムに当たるセンサーの表面積が大きなほうが有利だ。そのサイズに7倍、12倍もの差があるとすれば、ことセンサーの部分に限ればその優劣は火を見るよりも明らかといったところだろう。加えてこのセンサーはFOVEON X3ダイレクトイメージセンサーというちょっと革新的なフルカラーセンサーであるとされる。

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ラール・キラーが世界遺産に

ラール・キラー
本日6月28日、デリーのラール・キラーがユネスコの世界遺産に登録されたとの発表があった。以下、これを報じる各メディアの記事である。
UNESCO declares Red Fort a World Heritage Site (Hindustan Times)
Red Fort now a world heritage site (ZEE News)
Red Fort is now a World Heritage site (Times of India)
インドにとってこれが27番目の文化遺産登録となる。観光資源という部分から眺めてみるとインドの土壌は非常に豊かだ。先人たちが築いた財産でいかに多くの人々が恩恵を受けるのか、いかにその土地を潤わすことができるのだろうか。やみくもに『観光振興』を唱えてみたところで、その目玉を打ち出すことは容易なことではないのだが、インドにはこうした『特大の目玉』が無数に転がっている。
まさに見事な遺産に恵まれているがゆえに残念に感じることも少なくない。こうしたメインストリームにある史跡については手厚く保護されるものの、歴史的に高い価値を持ち造形面からも興味深い旧跡であってもマイナーな土地にあり知名度も低いものなるとほとんど補修の手が入らず、目も当てられない状態にあるものも少なくないことだ。
でもこれはやはりインドが史跡・遺跡の宝庫であるがゆえのことだろう。どこに出かけてみても、かしこに『歴史』が散見されて、いにしえの時代から現代までの連綿と続く人々の営みを肌で感じることができるのもこの国の大きな魅力のひとつだろう。

ミャンマーのインドな国鉄

ヤンゴン駅発バゴー行きの7UPという急行列車に乗りこんだ。ここを出て2時間あまりで到着する最初の駅がバゴーである。モン族の王朝の古都で英領時代にペグーと呼ばれていた。
アッパークラスの車両では通路左側に一列、右側に二列の大型な座席が並んでいる。リクライニングもついていてなかなか快適だ。この列車はバゴーを出てからさらに北上を続け、マンダレイなどにも10数時間かけて走るのだが、そんな長距離でもこれならば寝台でなくとも充分耐えられそうだ。これで空調が付いていると更に良いのだが。
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ちょっと見まわしてみて、車両の造りがずいぶんインドのそれに似ているなあと思った。まず気がついたのは前席背面に付いている折り畳みテーブルである。ここに『SUTLEJ』の文字が入っているので、ひょっとしてこの車両はインド製ではないのだろうか。そう気がつくと、天井の扇風機、壁のプレートの合わせ目の細いアルミ板のシーリング、戸の引き手や窓の造 り、つまり外側の鎧戸、内側のガラス戸、そして座席番号を示すプレート等々、どこに目をやってもインド風である。
果たしてトイレに行こうと出入口のほうに行ってみると、トイレのドアを開けるとそこにあったのはまさしくインドの車内風景であった。そして手を洗おうと差し出すとそこには見慣れた蛇口と金属の洗面台。シンクの縁にはインド国鉄のマークまで入っていて、ちょっとビックリ。上に目をやると、そこには『Railcoach Factory, Kapurthala』というプレートがあった。これは紛れもないインド製車両であった。

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その電話はブータンに通じる

ヒマラヤの小国ブータンにアメリカ向けのコールセンターが開設されるのだという。ちょうど隣国インドでイギリスやアメリカの会社によるアウトソーシングのサービスを行っているように。英語のアクセント等の訓練や一般常識等の基礎知識の訓練を行ったうえで、8月から業務が開始されるのだそうだ。
ブータン初の英語コールセンターの運営等は、バンガロールを拠点に同事業を展開するインド資本によるもの。特別な関係にある二国間にあって、やはり他に一歩先んじるのはインド企業ということなのだろう。記事中には『英国やオーストラリア向けサービスも予定』とあり、頼るべき産業があまりなく、外貨獲得手段も限られているこの国にあって、一大産業に発展する可能性があるようだ。人口およそ70万人と規模は小さいものの、1970年代よりインドの協力もあって英語教育が普及しているブータン。現場で業務に従事する人材には事欠かないのだろう。
同国は外国人の入国を厳しく制限しており、観光目的の入国でさえも通常はごく限られた短い期間のものとなり、滞在中の行動も制限されている。いわば鎖国状態にあるといえるこの国に暮らす人々が欧米の大企業のサービスを代行するというのは逆説的にも響く。だが国王主導とはいえ着々と民主化、複数政党制導入への道筋が築かれているこの国の将来を予見する重要なトピックではないかと思う。まさに大きな変化のはじまりとでも言えるのではなかろうか。
従来の権力層とビジネス界を中心に台頭する外資を含めた新進勢力の綱引き、民族主義とグローバリズムの拮抗が予想される中、中国とインドという二大国の挟間にある小国が、旧スィッキム王国(現インドのスィッキム州)やネパールといった先例を見ながら、どういう国づくりを進めていくのか大変興味のあるところだ。
ヒマラヤに問い合わせ ブータンに初のコールセンター (asahi.com)