ミャンマーのインドな国鉄

ヤンゴン駅発バゴー行きの7UPという急行列車に乗りこんだ。ここを出て2時間あまりで到着する最初の駅がバゴーである。モン族の王朝の古都で英領時代にペグーと呼ばれていた。
アッパークラスの車両では通路左側に一列、右側に二列の大型な座席が並んでいる。リクライニングもついていてなかなか快適だ。この列車はバゴーを出てからさらに北上を続け、マンダレイなどにも10数時間かけて走るのだが、そんな長距離でもこれならば寝台でなくとも充分耐えられそうだ。これで空調が付いていると更に良いのだが。
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ちょっと見まわしてみて、車両の造りがずいぶんインドのそれに似ているなあと思った。まず気がついたのは前席背面に付いている折り畳みテーブルである。ここに『SUTLEJ』の文字が入っているので、ひょっとしてこの車両はインド製ではないのだろうか。そう気がつくと、天井の扇風機、壁のプレートの合わせ目の細いアルミ板のシーリング、戸の引き手や窓の造 り、つまり外側の鎧戸、内側のガラス戸、そして座席番号を示すプレート等々、どこに目をやってもインド風である。
果たしてトイレに行こうと出入口のほうに行ってみると、トイレのドアを開けるとそこにあったのはまさしくインドの車内風景であった。そして手を洗おうと差し出すとそこには見慣れた蛇口と金属の洗面台。シンクの縁にはインド国鉄のマークまで入っていて、ちょっとビックリ。上に目をやると、そこには『Railcoach Factory, Kapurthala』というプレートがあった。これは紛れもないインド製車両であった。


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やや感慨に浸っていると出発の時間になったようだ。『パゥ〜』と聞こえてくる機関車の汽笛までインドのそれと同じ音色なので、おそらく機関車もインド製ではなかろうか。
ともあれ気分はIndian Railwaysなのである。
列車は定刻に出発。沿線の鉄道関係施設もインドのそれとよく似た造作になっている。乗客たちがミャンマー人であること以外にインド国鉄と大きく違うのは、横だけではなくタテにも大きく揺れることだ。時々、あたかも道路でスピードブレーカーの上を徐行せずにまたいでしまったがごとく、ガッタンガッタンと下から突き上げてくることもある。そういえばスリランカの国鉄でもこういうのはよくあった。
ヤンゴンを出ると車窓の景色は、点在する家屋の形を除けばヒンドゥスターン平原と言われても『ああ、そうか』と思うような茶色く広大な景色が続く。線路両側には畦道がいくつもついているが、舗装されているものはひとつもない。盛り土した上に人々が歩いた跡が無数についている。
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やがてバゴーに到着。この駅は周囲の鉄道用地が広くとってあるわりには小さな駅舎だ。
線路の上にかかった陸橋(この下を線路が走っている)から駅を眺めると、昔々のイギリス領時代が見えるような気がした。鉄道建設のため工事が進む風景、列車が初めてやってきたときに周囲に野次馬たちが集まり見物する様子などである。どうしてそんなことを思うのだろうか。しばし考えてみると理由がわかった。眼下の鉄路とその関係施設の広がる風景が、規模はまあ大きな割にはずいぶん旧式にしてシンプル。おそらく鉄道建設当時と同じ・・・とまでは言わないまでも、植民地期からほとんど変わっていないと思われるからである。『今の時代』を思わせるものがひとつも見当たらない。
インドと同様、駅付近では広大な鉄道用地土地を占めており、いくつもの軌道が並んでいる。 バゴー駅は、ここからマンダレイやパガンといった北部に向かう路線と、マウルミャイン、ダウェイなど南部に向かう路線との分岐点であるだけに、客車や貨物などの重要なジャンクションであるため、切り替え、連結、分離などのためこれほど大きな施設となっているのだろう。
わずか2時間の道のりであったが、バスとは違う趣や旅情がある鉄道はいいなあと思う。他愛もないことではあるが、車両がインド製であることから視覚的にも聴覚的にもインド鉄道旅のイメージとオーバーラップするのが妙に嬉しいミャンマー国鉄であった。
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