エアインディア+インディアン=NACIL

NACILl
National Avigation Company of India Limited (NACIL)という聞きなれない新会社の名前のもとに経営統合され、この傘下のエアインディア、そしてインディアン (旧インディアン・エアラインス)となった両社。エアインディアインディアンどちらが使ってきたURLを打っても、まず最初に新会社NACILによる共通ホームページにつながる。そこに表示される両キャリアのロゴいずれかをクリックしてエア・インディアかインディアンの独自のウェブサイトにアクセスされるようになっている。
ともに国営会社とはいえ、それぞれの政治背景に加えて企業風土が大きく異なること、職員たちのユニオンの力がとても強いことなどもあり、とりあえずは両キャリア併存の「緩い統合」という形でソフトランディングすることになったのだろう。NACIL社が抱えるふたつのキャリアは、どちらもスター・アライアンスに加盟申請することにより、共同運航その他について同アライアンス内他社と連携を進めていくことになる。エア・インディアの子会社エアインディア・エクスプレス、同様にインディアンの子会社アライアンス・エアはどうなるのかと思っていたが、旧両社の子会社同士で合併して、NACIL関連の格安航空会社という位置づけになるようだ。
統合により、エア・インディアとインディアンの両キャリアが持つ路線について、今後整理していく動きなどがあるのかな?思っていたらやはりそのようである。
現在、エア・インディアによる東京発着便は週に4往復している。バンコク経由でデリーと東京を結ぶAI308(デリーからの往路)とAI309(東京からの復路)が2本ずつ、ムンバイーと東京をデリー経由で結ぶAI306(ムンバイからの往路)とAI307(東京からの帰路)が同様に2本ずつある。
しかしバンコク経由のAI308/AI309は今年10月最後の週末をもって運行を終了し、その後はAI306/AI307が週に4往復することになる。4便すべてがデリー・東京間ノンストップとなることから、日印間のアクセスはちょっと良くなるし、エア・インディアが従来よりも日本を重視する姿勢の表れでもあろう。

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アフガニスタンのガイドブック Lonely Planetから

ロンリープラネット アフガニスタン
古の時代から連綿と続いてきたインド亜大陸の長い歴史にあって、アフガニスタンとのつながりは非常に深い。ここを経由して様々な文化や習俗、民族、支配者、侵略者たちが次々に入ってきた。仏教、イスラーム教、各時代の政治勢力など通じて、ひとつづきの世界であったこともある。現在のインドの文化をこれほどまでに重層的にして豊かなものに仕上げた要素のひとつともいるのがこの国の存在だ。
アフガニスタンといえば、2005年10月に「カイバル峠の向こうが見えてくる」にて三一書房の「アフガニスタンガイドブック」を取り上げてみたが、このたびついに旅行案内書の真打登場、ロンリープラネットの「Afghanistan」が今月中に発売されることになった。
とはいえジャーナリストやNGO関係者等を含む、外国人を狙った誘拐事件が頻発している。先日も韓国人のキリスト教団体関係者23名が拉致されて、現在までそのうち2人が殺害されており、今なお事件解決への道筋が見えないことからよくわかるように、まだまだ気楽に旅行できる状態にはない。
近年この国を訪れた友人の話によれば「それなりに治安が保たれている街中はいいけど、怖いのはいつ何が出てきてもおかしくない街道上の移動かなあ・・・」とのことだ。
このガイドブックが出たことによって触発される人も少なくないにしても、この地を訪れる外国人が急増するということはないだろう。
かつてはヨーロッパから陸路でインド・ネパールを目指す旅行者たちの多くが通ったアフガニスタン。もちろん通過地としてだけではなく、現在ネパール同様にこの国自体がひとつの旅行ハイライトでもあった。1978年の軍事クーデター「四月革命」続く1979年のソ連軍によるアフガニスタン侵攻。前年に成立した革命評議会内で新ソ連派によるクーデターが発生し、アミン評議会長が殺害され、親ソ連派のカルマル副議長が政権トップの座に躍り出るという混乱が続いた後、同国は内戦状態が長く続くこととなる。

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「ムンナー・バーイー」にしばらくお別れ・・・か?

Sunjay Dutt
父親がスニール・ダット、母親が往年の名女優ナルギスという、ムンバイーの映画界きってのサラブレッドである。ナルギスの母ジャッダンバーイーはアラーハーバードで有名な踊り子とジャワーハルラール・ネルーの父であるモーティラールとの間に生まれたと言われる。非嫡子の子とはいえ、サンジャイの母親のナルギスは、元首相のインディラー・ガーンディーのいとこにあたることになり、その息子であるサンジャイはインディラーの息子で同じく元首相のラジーヴのはとこになる。こうした大御所政治ファミリーとの非公式な血縁関係もいかにもインド芸能界きっての名家らしいところだ。
しかし生来の育ちの良さをみじんも感じさせないガラの悪さはいったいどこからきたのだろうか?大胆不敵な面構え、高い背丈と筋肉隆々のマッチョな体つきながらも、アクションシーンや悪役だけではなく、コミカルな映画や優しい父親役まで幅広くこなせる懐の深さは、やはり偉大な映画人であった父母から引き継いだDNAの証だろう。オッカないけど面白い、粗野ながらも人情に厚く、武骨でもごくたま〜に知的であったりと、様々な表情を使い分けることができる器用な役者だ。もちろん彼の魅力の真髄は「頼りになる兄貴」「いかすオヤジ」であり、本来ならばヒーローを演じるには年齢的なピークを過ぎていても、彼ならではの役どころが次から次へと回ってくるのである。まさに余人を持って換えがたいボリウッド映画界の至宝のひとりだ。
品のなさだけではない。第一級のお騒がせ芸能人でもある。両親があまりに著名でありすぎたことによる重圧か、甘やかされて育った結果か、それとも生まれながらの本人の性格なのか、映画の役柄以上にとてもシリアスなトラブルが多い俳優だ。高校の頃から麻薬類を使用し、俳優デビュー後にアメリカでドラッグ中毒の治療を受けていたことがある。
90年代初頭、最も人気の女優のひとりであったマードゥリー・ディクシトと浮名を流していたころのこと、1993年に起きたムンバイー連続爆弾テロ事件に連座した容疑で罪に問われる。近年ポルトガルで身柄を拘束、インドに移送されて現在拘留中のアブー・サレームとその一味が密輸した武器弾薬類の置き場として自宅の一部を提供したとして武器不法所持のかどで逮捕される。その後彼は刑務所で1年半過ごすことになった。

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エアインディアの『特等』エコノミー席

機首エリアの座席
飛行機に乗る際、1〜2時間程度のフライトならともかく、何時間もかけて長い距離を行く場合、多くの人が座席について何かしらリクエストすることだろう。トイレが近い人ならば通路側、狭い席ながらも片側の壁に思い切り寄り掛かって少しでも楽な姿勢を取りたい人ならば窓側を頼むだろう。敢えて「真ん中」をリクエストする人はあまりいないと思うが、連れの人が窓側ないしは通路側に席を取れば自然とそこに座ることになる。エコノミーとはいえ、結局どこに座っても同じかといえばそうでもないようだ。
エアインディアのムンバイー/デリー・東京を結ぶ便を利用する際、いつもリクエストする席がある。機体前方の通常、出入口となるドアよりも前の部分、座席番号にして1から6までの部分だ。航空会社やエアクラフトの種類により、機体前方がビジネスクラスなどアッパークラスの座席が占めているものもあるが、エアインディアのデリー/ムンバイーと東京を往復する便はボーイングの74D(=747-300)の場合、上のクラスの座席はアッパーデッキなので機首先端部分はエコミー座席だ。
機内の通路といえば大人同士がすれ違う場合、互いに体を横にして胸や背を擦り合うようにしなくてはならないが、ここでは小さな子供が駆け回って遊べるくらいのスペースがある。座席数にして19席と少ない割には、このスペース専属のフライトアテンダントが付くためサービスはなかなか手厚い。通路が広いため小さな子供たちが駆け回って遊ぶことができるくらいのスペースがある。何時間も続けて座っているのに疲れた大人たちもここでビール片手に談笑していたり、膝の屈伸などして身体を動かしていたりする人の姿もある。座席の大きさはエコノミーの他のブロックと同じだが、通路部分がグンと広いだけでずいぶん気分が違ってくるものだ。中央を抜ける通路両側に1番から6番までの座席があるのみだが、このゾーン専属のフライトアテンダントが付きサービスが手厚いのもいい。担当するお客が少ないため気持ちに余裕があるのか、かなり親切であることも多い。
特に注目したいのが座席番号1番だ。2番以降6番までは通路両側3席ずつだが、先頭一番だけは2席のみ。しかも足元には大人ひとりが縦に寝そべることができるくらいのスペースがある。1便にわずか4席しかない「大当たり」の座席だ。そもそも座席番号1から6までのエリアは、エアインディアの東京便を頻繁に利用する人たちの間では人気が高く、事前にこのブロックに座りたいとのリクエストをしている乗客も少なくないと聞く。日本に長く暮らしているインド人、在京インド大使館関係者の利用も多い。繁忙期あるいはやや混雑する時期にはこのゾーンを取るのはかなり難しかったりする。それでも閑散期には、こともあろうにこの「1」の席、つまり1A,1B,1J,1Kというごくわずかしかない「特等席」がずっと空席ということもあるのだ。
座席番号1
エアインディアのエコノミー席でムンバイー/デリー・東京を飛ぶ際、ちょっと早めにチェックインカウンターに並び、「1の列をお願いします。もしダメなら6の列まで・・・」とリクエストしてみてはいかがだろう。

なぜ暗がりで食べるのか 2

インドでは伝統的に『会食する』ことについて、私たち日本人が『みんなで一緒に食べる』のに較べてことさら大きな意味があった。保守的な地方では、今でも庶民が日常出入りする安食堂であってもパーティションやカーテンで仕切られた個室が併設されているところをしばしば見かけるし、高いホテルでなくともルームサービスを頼んで部屋で食事を取る人がかなり多いこともその表れであろう。インド人の家に『食事に招待』されて、皿の上に次々と食事をよそってくれるのに食べているのは自分だけで、家人たちはニコニコしてそれを眺めているだけ・・・ということがあったりもする。(もちろん外国人である客と肩を並べて一緒に食事する人も多いが)
コミュニティの慣習を守らなかった、禁忌を破ったなどという理由で村八分にされていた個人や家族が、なんとか周囲と仲直りして『社会復帰』する際にその証のひとつとして会食がなされたりすること、階級差別を否定するスィク教のグルドワラで供される食事等々、『一緒に食べる』ことについては帰属を同じくする人々がその紐帯を確認するという意味合いがある。
そういう風土なので、1980年代に日本の自動車メーカーSUZUKIがインドに合弁会社として進出した際に『職階や出自その他に関係なく誰もが一堂に会して利用する社員食堂』を設置したことは大変画期的なことであったようで、当時は内外で大いに話題になったものである。また『会食』ではないが、かつてマイソールの王宮で雇われていたバラモンの料理人たちは、宮殿内で自らの食事を摂ることはなかったという。そこで食べることが畏れ多いからではなくその反対で、出身カーストにおいては自分たちのほうが上位にあるからである。世俗的な社会地位と出自についての観念上の上下関係は必ずしも一致するものではない。
旧来型のレストランの照明が押しなべて暗いのは、その『闇』により席と席との間に架空の境界を演出するということに意味があるのではないかと思う。向こうにいる人たちが誰だかよく見えない。こちらにいる私たちが誰なのか向こうにもよくわからない。この『暗さ』が壁のような働きをして、お互いの『個』が守られるということになろう。
つまり客席を明るく照らし出してわざわざ『境界を取り去る愚』を冒さないためと見ることができるのではないだろうか。そんなわけで照明の暗さには、意識せずとも文化的な背景があり、それがゆえに保守的なスタンスからの『適度な明るさ具合』には私たちのモノサシとは違うものがある・・・と私は思うのである。