アフガニスタンのガイドブック Lonely Planetから

ロンリープラネット アフガニスタン
古の時代から連綿と続いてきたインド亜大陸の長い歴史にあって、アフガニスタンとのつながりは非常に深い。ここを経由して様々な文化や習俗、民族、支配者、侵略者たちが次々に入ってきた。仏教、イスラーム教、各時代の政治勢力など通じて、ひとつづきの世界であったこともある。現在のインドの文化をこれほどまでに重層的にして豊かなものに仕上げた要素のひとつともいるのがこの国の存在だ。
アフガニスタンといえば、2005年10月に「カイバル峠の向こうが見えてくる」にて三一書房の「アフガニスタンガイドブック」を取り上げてみたが、このたびついに旅行案内書の真打登場、ロンリープラネットの「Afghanistan」が今月中に発売されることになった。
とはいえジャーナリストやNGO関係者等を含む、外国人を狙った誘拐事件が頻発している。先日も韓国人のキリスト教団体関係者23名が拉致されて、現在までそのうち2人が殺害されており、今なお事件解決への道筋が見えないことからよくわかるように、まだまだ気楽に旅行できる状態にはない。
近年この国を訪れた友人の話によれば「それなりに治安が保たれている街中はいいけど、怖いのはいつ何が出てきてもおかしくない街道上の移動かなあ・・・」とのことだ。
このガイドブックが出たことによって触発される人も少なくないにしても、この地を訪れる外国人が急増するということはないだろう。
かつてはヨーロッパから陸路でインド・ネパールを目指す旅行者たちの多くが通ったアフガニスタン。もちろん通過地としてだけではなく、現在ネパール同様にこの国自体がひとつの旅行ハイライトでもあった。1978年の軍事クーデター「四月革命」続く1979年のソ連軍によるアフガニスタン侵攻。前年に成立した革命評議会内で新ソ連派によるクーデターが発生し、アミン評議会長が殺害され、親ソ連派のカルマル副議長が政権トップの座に躍り出るという混乱が続いた後、同国は内戦状態が長く続くこととなる。


この時期以降、ごく一部の例外を除いてアフガニスタンという国はこの地域の観光地図から姿を消し去ることとなった。ナジブッラー政権時代(1987年〜1992年)末期に政府が掌握する土地は首都カーブルとその周辺地域くらいになってしまってからも、ニューデリーのアフガニスタン大使館は空路のみ入国可とする観光ヴィザを発行しており、記憶では確か週1便往復するのみであったがインディアン・エアラインスのデリー・カーブル便もあったため、首都のみを訪れて再びデリーに戻ることは可能であった。だが大使館でヴィザ取得する前にひとつの障害があり、自国の大使館からレターを書いてもらい、それを申請書類に添付しなくてはならなかった。もちろん当時の日本大使館であっても答えは「No」であった。
同時期にイランのテヘラーンにあるアフガニスタン大使館では、イラン国籍の人々に対しては同国東部からアフガニスタン西部へと陸路で越えることのできる査証を発行していたものの、その他の国の人々に対してはその限りではなかった。
こうしたヴィザ取得の問題、そしてインターネットが普及する前でもあり「今アフガニスタンで何が起きているのか?」についてほとんど何もわからなかったこともあってか、この方法による入国よりむしろパーキスターンのペーシャーワルでアフガン国内で活動するいくつものムジャヒディーンのグループのひとつとコンタクトを取り、彼らが掌握している地域に連れて行ってもらったという人たちのほうがよほど多かったように思う。ムジャヒディーンたちにとってもこうした「ツアー」は貴重な現金収入源でもあり、かなり組織化されていることが多かったようだ。
30年近くもの長きにわたり、先進国の人々の観光旅行先としてはもちろん、周辺国をも含めた投資先としてもほとんど注目を集めることのない国となってしまったアフガニスタンから、ときに外部へ伝えられるニュースとしては、内戦の状況、戦争の背後にある超大国あるいは周辺国の思惑、パーキスターン側に逃れてきた難民の人々の生活といった血なまぐさい、あるいは悲痛なものばかりで、この国の豊かな歴史や文化を感じさせるようなものではまったくなかった。
旅行地図から消滅してしまった。特にここに関心を持つ人を除けば「アフガニスタン」といえば「銃器とテロと流血の国」という非常にネガティヴなイメージが固定してしまっているのではないだろうか。そこで本格的なガイドブックが出回ることにより、それらの魅力が「再発見」されていくことには充分大きな意義があることだろう。よく出来たガイドブックはそれ自体が紹介される地域の一時代を映す資料ともなり得る。その国の今を知るためのひとつのきっかけにもなるだろう。いかに優れた案内書といっても、そこに記されている旅行情報は水物であり、常に変化していくものであることはいうまでもないが。
蛇足ながら本来のアフガニスタンとはまったく関係ない部分についての興味もある。今なおいろいろと混乱が続いているアフガニスタンだが、すでに援助関係者等による需要をアテ込んで大陸からやってきた中国の商売人たちによる飲食店が都会にはいくつもあり、安価な中国製衣料品や日用雑貨などを扱う業者たちも少なくないという。「海水の到るところ華僑あり」(アフガニスタンには海はないが)とはいうものの、成長著しい中国本土や東南アジア、はてまたインドやネパール(こちらも最近、主に観光分野において中国人たちの進出が著しいという)ではなく、よりによってリスクが非常に大きく苦労も多そうなアフガニスタンなのだろうか?そうした当人たちから何がしか興味深い話を聞くことができたらと思う。
近いうちにアフガニスタンに出かけてみるなどという予定はないし、当分そのつもりもない。家族も仕事もある今となっては、何かあったら失うものがあまりに大きすぎるので、いつのこととなるやら見当もつかない。
しかしアフガニスタンが「誰でも観光旅行に出かける先」となったら、パーキスターンからカイバル峠を越えて入国し、アフガニスタンから見て「インド世界への玄関口」にあたるジャラーラーバード、ムガル朝初代皇帝バーブルとその家族の墓がある首都カーブルを経て、南回りでかつて北インドを広範囲に攻めて自国領土を東へと拡張したガズニー朝マフムード王の本拠地であったガズニー、古くからパシュトゥーン人勢力の一大中心地であったカンダハール、美しいタイル貼りのモスクが林立するヘラートを訪れてイランへと抜けてみたい。あるいは北部で、周辺地域で良質なラピス・ラズリーが採掘されることで有名なファイザーバード、古の時代から栄えてきた交易地クンドゥズ、バクトリア王国の首都であったと目されるアイハヌム、ハズラト・アリー廟を擁しアフガニスタン随一の巡礼地であるマザーリー・シャーリーフを見物してから中央アジアに出たりなどといった旅行を楽しんでみたいと思うのだ。
また北へ南へと大回りするだけでなく、この国を横断する形でたどりつく中央部の仏教遺跡のバーミヤーン、巨大なミナレットがそびえるジャームなども決して外せない。
交通機関、各地のアクセス状況や宿泊施設など、どんな具合になっているのか関心があるし、アフガニスタンの旅をロンリープラネットのガイドブックの記事上でいろいろ想像してみるのも楽しそうだ。とりあえずこのガイドブックが発売され次第購入してみることにしよう。
Lonely Planet Afghanistan
ISBN: 9781740596428

「アフガニスタンのガイドブック Lonely Planetから」への1件のフィードバック

  1. こんにちは。他のブログのコメント欄ですが、mySQL error という表示が出て投稿ができなくなっているようです。新システム移行のせいなのかなとも思いますが、よろしくご対処くださいませ。ご連絡まで。

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