RICKSHAW CHALLENGE

RICKSHAW CHALLENGE
言うまでもなく、オートリクシャーはインドを代表する乗り物のひとつである。だいぶ前に『オートでGO !』というタイトルで取り上げたことがあるが、この自動三輪によるレースがインドを代表するレース?と言えるかどうかはともかく、業務用車両が爆走するということに、興味を抱く人は少なくないだろう。
このレースは、なかなか広がりを見せているようで、インド国内でいくつかの大会が開催されるようになっている。
RICKSHAW CHALLENGEのサイトにその概要が記されている。直近のレースは、MUMBAI XPRESS 2009だ。7月31日から8月13日までの14日間で、チェンナイ出発後、ヴェロール、バンガロール、マンガロール等を経て、パンジム、アリーバグ等を駆け抜けてムンバイーにゴールインする。
その次がTECH RAID 2009というレースで、こちらは10月16日から同22日までの7日間で、チェンナイからバンガロール、アナンタプルなどを経て、ハイデラーバードに至る。
年内最後のスタートは、CLASSIC RUN 2010という大会。こちらもチェンナイを発ってから、マドゥライ、ラーメーシュワラム等を通過して、カニャークマーリーでゴール。12月29日から1月8日まで11日間の行程だ。
それに続いてMALABAR RAMPAGE 2010は、4月2日から同20日までの19日間という長丁場。スタートもゴールもチェンナイだが、タミルナードゥとケーララの両州をぐるりと一周する形になる。
他にもカスタムメイドのYOUR ADVENTUREという企画も可能だそうだ。
インディア・トゥデイ6月17日号でもこれらのレースのことが取り上げられていたが、かなり外国人の出場もあるようだ。同誌記事中には、『参加者の中には、70歳のカナダ人男性以外にも、英国のAV男優、元ミス・ハンガリー、元俳優の日本人男性も含まれている』と書かれている。
RICKSHAW CHALLENGEのウェブサイトには、エントリーに関する情報も載せられている。腕に自信があれば出場して上位入賞を目指してみてはいかが?
参加するには相応の費用がかかるとはいえ、その部分をクリアできるチームであれば広く参加の道が開かれており、敷居の低い国際レースである。

ヒトもまた大地の子 2

現代のヒトは、野山で狩猟採集生活を送っているわけではないし、そうしたやりかたでは大地が養いきれないほど膨大な人口を抱えている。私たちがこうやって暮らしていくことができるのも、自らが造りだした文明のおかげだ。今後とも発展を続けていくことこそが、私たちの社会が存続していくことの前提なのだから、私たちの生産活動を否定するわけにはいかない。
古の彼方、ヒトという生き物が地上に現れたころ、命を維持するのに必要な水や食料の関係で、生活できる地域は限られていた。河、湖、池、泉といったものが必要で、すぐ近くの海、山、野原などから様々な産物等が容易に手に入ることが必須条件だった。
その後時代が下るにつれて、世界各地で耕作が始まり、ヒトが集住する規模が拡大し、富が蓄積されるようになってくる。やがてそれらの富を広域で動かして交換、つまり交易という活動が盛んになってくる。
文明の発展は同時にヒトの持つ様々な知識を向上させ、技術を進歩させていくことになる。ヒトが集住する地域では都市化が進み、交通や地理学的な知識の蓄積から、生活圏や経済圏は次第に拡大していく。長距離に及ぶ陸や海のルートが確立され、シルクロードに代表される長距離に及ぶ貿易が実現されるようになった。
その後、やがて欧州は大航海時代に入り、世界各地に進出して植民都市を建設していくことになる。様々な富を様々な形でそこから持ち出すことが、彼らの最も大きな目的のひとつであったとはいえ、鉄道敷設が始まる前に建設された市街地の多くは、海や河の岸辺から広がる形のものが多く、まだまだ人々が生活できる条件が揃う地域は限られていたといえる。
だが、いまや国や地域によってはなはだしい格差はあれども、各地に道路、水道、電気等々の生活インフラが行き渡り、蛇口をひねると水がほとばしり、スイッチを入れれば電気が使えて、調理や暖房などのためガスが利用できるようになっている。どこにでもエンジンのついた乗り物で、道路、空路、海路などで簡単に移動できるようになっている。かつては地理的、物理的にヒトの生活に適さなかった土地であっても、ちゃんと生活環境が整うのが今の時代だ。
そうした技術や交通手段の進歩により、都市も拡大している。鉄道、バス、メトロなどの発達により、それらが導入される以前よりも日常的に行動できる範囲が広がっている。これにより、都市の周辺に大きく広がる『郊外』を出現させ、その郊外はさらに近隣の町を呑み込んで市街地をさらに拡大させていく。こうした市街地に生まれ育ったおかげで、自然との関わりを、日々あまり意識できないのは私に限ったことではないだろう。
もちろんそうした技術の進歩や経済活動等の拡大により、産業革命以降、とりわけ20世紀以降はエネルギーの消費量が飛躍的に増えている。近年、先進諸国が停滞している中にあっても、いわゆる新興国の発展にともない各地で大規模な開発が進んでいる。これらにより、環境に与える負荷がますます大きくなっていることは言うまでもない。
生態系システムから大きく逸脱してしまったヒトの社会活動そのものが、大自然というシステムに対していかにリスクの大きなものであるかという認識が広まっている。日々の暮らしや生産活動等が環境に与える影響をなるべく小さくしようと、熱帯雨林保護、CO2排出量の規制、CNGを燃料とするエンジンやハイブリッドエンジンを動力にして走る自動車の導入、日本発の『クールビズ』の呼びかけ等々、世界各地でさまざまな取り組みがなされている。
だが、それらの試みは、これまでの間に失われた環境を取り戻すものではないことは言うまでもない。私たちが自然環境に対して与えるダメージを、今後なるべく小さくしていこうというものでしかない。そのため、われわれ人間が環境や自然に対して与える影響や圧力はどんどん蓄積していくいっぽうなのだ。
ヒトもまた、もともとは自然の生態系の中で育まれた生き物のひとつである。建物やクルマ、電化製品や通信機器といった多くの無機物に囲まれて暮らす私たちだが、大自然という大きなものに対する畏れと愛情を忘れてはいけないと思う。
私たちのこの大地は広大にして精緻なるもの。先述の緑の革命のように、近代的な技術により土地にもともと備わっていた条件を克服したかのように見えても、実は長期的にはその成功は不完全なものであり、背後には厄介な問題が控えていることが判ったりする。
私たちヒトが、母なる大自然への反逆者ではなく、大地の子として周囲と共存していくためには、私たちの存在が自然に対して及ぼす影響の本質について、今後もっと大きく踏み込んだ取り組みが必要であろう。

ヒトもまた大地の子 1

近年、インド各地で農民たちの自殺のニュースをよく目にする。緑の革命に成功したはずのパンジャーブでさえもそうした事例が多い。1961年の大飢饉以降、近代的な農業が導入され、記録的な増産を実現したものの、塩害の問題が取り沙汰されるようになっている。
インドの穀倉地帯、パンジャーブ州の農業の基盤となるのはもちろん広域にわたって張り巡らされた灌漑だが、これらの維持管理の不手際が指摘されている。また河川からの取水だけではなく、地下水も盛んに利用されているが、これは過剰揚水につながり、地下水位の下落につながっている。
また地下水中の含塩量の問題等が指摘されている。これらは国境をまたいだパーキスターン側でも同様であるとともに、はるか西のエジプトにおいても、塩害が深刻な問題になっているという。どの地域も大規模な灌漑に成功し、水利のコントロールと農作物の収穫増に大きな成果が上がったと自負していたはずの地域である。
都会の街中、しかも建物の中にいると、窓の外の気候の変化はまるでテレビの画面の中の出来事のようで、あまり現実感がないといっては言い過ぎだろうか。あるいは大きな建物に囲まれた中に身を置いていると、本来地上の生き物としてあるべき空間、外界とのつながりが希薄になってくる。
空気の乾湿、気温の高低以外に自然界の影響というものをほとんど感じなくさえなってくる。 都市生活の中で、『大自然の脅威』を感じるのは、それこそ大地震であるとか、予期せぬ規模の豪雨のため洪水といった大災害の発生時くらいのものではないだろうか。
ヒトとは、実に環境負荷の大きな生き物だ。地下に巣を掘ったり、樹木を立ち枯れさせるほどに旺盛な食欲を見せる動物たちはいるが、大自然の中に都市というヒト専用のコロニーを造って平野の景色を一変させたり、河を堰き止めて広大な湖を作ったり、ときには山を跡形もなく消失させてしまうなど、大地の有様さえも一変させてしまうほどの大きな力を行使する生き物は他にないだろう。地形だけではない。大気や水さえも汚濁させて、それまで生活していた動植物を駆逐させてしまうことも多々ある。
しかもヒトの生活圏において、動植物を含めたあらゆる有機物は、ヒトにとって有用であるものだけが存在することを許され、多くの場合は飼育・栽培といった形でその数量まで管理される。しかしながら有益でない、あるいは害があると判断された生物は、そこにいることさえ許されず、駆逐や駆除といった形で殲滅が図られるという厳しい掟がある。

邦字メディア

このところ、タイの政治の動きが気になり、同国の英字メディアに加えて邦字紙バンコク週報のウェブサイトを眺めていたらこんな記事が目に止まった。
インドの民間航空、バンコク便を延期 (バンコク週報)
ここにある民間航空とは、キングフィッシャー・エアラインのことで、今年3月からバンガロール・バンコク便を毎日運行させる予定であったのだそうだ。しかし機材繰りの関係でこれを今年10月に延期。また発着地もバンガロールの代わりにムンバイーとコールカーターからそれぞれバンコクに就航させる予定だという。 今のところ、首都デリー便は予定されていないようだが、日本からバンコク経由でインド行きの選択肢が増えるのは喜ばしいことである。
ところでバンコク週報といえば、ご存知のとおりバンコクをベースとする週刊の邦字紙。昨日は、想像を超える多数のアクセスがあった模様で、日中一杯はまったくつながらなかった。もちろんタークシン元首相支持者たちのデモ活動、政府が鎮圧に乗り出し、軍隊と衝突して死者まで出る騒ぎになっているがゆえのことである。
1976年の創業当時は週間バンコクと称していたそうだ。他にも海外の邦字紙といえば、シンガポールの星日報、フィリピンのマニラ新聞、インドネシアのじゃかるた新聞等、各地でいろいろ出ている。
現在これらは紙媒体のみならず、多くがウェブサイトも開設しているため、昔は現地の日本人社会周辺でしか見かけることのなかったこれらのメディアに、いとも簡単にアクセスできるようになっている。たまに覗いてみると、日本で発行されるメディアには取り上げられないトピック、日本のメディアとは違った視点なども感じられ、なかなか興味深いものがある。
海外の邦字メディアへのリンクをまとめて掲載しているところはないかな?と探してみると、ちょうどいいサイトが見つかった。
海外の日本語新聞 (岸波通信)
こうした電子媒体をも含めた邦字メディア、つまり海外発の日本語による報道といえば、おおまかに分けて三つに類型できる。
?在留邦人向け
まず第一に、先に上げた仕事などのために現地に在留している日本人たちのためのメディアだ。往々にして駐在期間が数ヶ月から数年と限られており、往々にしてその国や地域の事情にあまり通じておらず、コトバの問題もあり地元メディアによるニュースをなかなか得にくい人たちが主な購買層となるだろう。現地ニュースを噛みくだいて伝え、これと合わせて在留邦人たちに役立つ生活・娯楽ニュースなどを提供することに意義がある。
?日系人ならびに定住者向け
サンパウロ新聞ニッケイ新聞に代表される、海外に移住した日系人たちを対象に発行されているものだ。在住国のニュースが日本語で書かれている点では前者と似ているとはいえ、読者層の大半にとって『故郷』とは在住国そのものであるため、日本に対するスタンスがずいぶん違う。『父祖の国』の日系人に対する処遇がしばしば記事になったりもする。また『納骨堂詐欺にご注意』などという見出しが目に付いたりするのも、そこに根を張って生きる日系人たちの立ち位置が感じられる。また日系人たち(おそらく年配の方々が中心か?)の間で、日本の出身地を単位とする県人会活動が盛んなことも、そうした記事が多く含まれていることから推測できる。
?と?は、かならずしもはっきりと境界を区切ることができるものではないかもしれない。タイやインドネシアなどで生活の糧を得る生業を持ち、長年定住して家庭をもうけ、終の棲家としている日本人は少なくないし、ブラジルをはじめとする日系人社会の中に出入りする非定住型の日本人もある。
?日本語版外国メディア
最後に前者ふたつとは明らかに発行主体と目的が異なる邦字メディアがある。日本から見て外国の報道機関が、自国その他のニュースを日本語により日本人読者を相手に発信するものだ。必ずしも発行主体のある現地在住日本人を対象とするものではなく、日本で暮らす日本人たちに自分たちの国の様子を伝える役目をも担っている。ウェブ版の韓国の朝鮮日報、中国の人民日報などがこのタイプに当たる。もちろんロイター・ジャパンのような外国通信社が発信する日本語ニュースもここに分類できるだろう。
?はともかく、?と?については、一時滞在も含めて相当まとまった数の現地在住の日本人ないしは日系人の人口がなくては存在しえない。それがゆえに、アジアを中心とする各地で、新たな邦字メディアが生まれたり、日本語による主に娯楽関連のミニコミ紙が登場したりと活発に推移しているのとは裏腹に、中南米の邦字メディアについては、日系人の世代が下るにつれて、日本語を理解しない人が増えていること、父祖の国への文化的な関心も薄れていくことから、かなり苦戦しているところが多いということも耳にする。
インドの邦人人口はまだそれほど多くはないとはいえ、今後日印関係がより緊密なものになっていくのだとすれば、いつの日かインドで発行される邦字新聞というのも出てくるのだろうか。『日本語で読むインドニュース』を標榜する有料のウェブサイト、インド新聞や無料のインドチャンネルなどというものがあり、活発にインド関連のニュースを発信しているものの、これらはちょっと違う気がする。内容もさることながら、メディア自身が立つ軸足の関係である。
今、広く知られている邦字紙によるウェブサイトは、言うまでもなく既存の紙媒体のメディアが時代に合わせてウェブ版でも発信するようになったものだ。今の時代に発刊する邦字メディアは、紙面作成や頒布に人手やコストがかかるうえに、流通するエリアに限りがあり、保存性もよろしくない紙媒体をスッ飛ばして、直接電子媒体で・・・というのがいいのかもしれない。
ともあれ、メディアは社会の公器とはいうもの、れっきとした商売でもあるので、やはりそこはそれなりの需要があり、採算が見込まれることなしに存在しえないことは言うまでもない。

もうすぐNANOがやってくる

ターター・モータースの10万ルピー車、NANOの発売が正式に発表となった。
10万ルピーといえば、インドにおいて、従来の自家用車の最安値クラスよりも3割ほど安く、バイク3台分よりは少ない費用で購入できるという価格。
原音に忠実に表すと、カタカナで『ナァェーノー』と綴ることになろうが、『ナ』の後に小さい『ァ』と同じく小さい『ェ』が並ぶ不自然な表記となるので、あえてNANOとローマ字で記すことにする。
NANOの生産につき、西ベンガル州内の工場用地をめぐる大掛かりな争議に巻き込まれたものの、救いの手を差し伸べたナレーンドラ・モーディーが州首相を努めるグジャラート州に生産本拠を移してようやく発売にこぎつけた。
これによって、共産党がチカラコブを入れて誘致したターターを蹴り出すことにより、マムター・バナルジーに率いるトリナムール・コングレスが、同州与党(共産党)の顔にドロを塗り、勝ち点を稼いだ格好となった。
しかしながら内外からの投資先としての西ベンガル州総体としては、『とかく政治や争議関係がややこしく面倒な土地』として、痛い失点を記録したといえる。

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