i-pill

近ごろインドのテレビでこんなCMをよく見かける。
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携帯電話が鳴る。
寝ていた女性が起き上がって出る。
時刻は午前2時前。
「何?どうしたの?」
相手の話に耳を傾けていた女性が驚いた声を上げる。
「えぇっ!何も用意せずに!?」
「いつ?』
「どうしてそんなことに?」
「妊娠したら堕胎することになるのよ、わかってる!?」
「まだ今なら間に合うと思う」
緊急避妊ピル、72時間以内に服用。望まない妊娠を防ぐために・・・・。
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これはi-pillの宣伝。他社製の類似商品にUnwanted-72というものもある。どちらも強力なホルモン剤からなる薬で、性行為の直後、なるべく早いうちに使用することで妊娠を防ぐ。両製品とも『72時間以内に使用』するものであるとうたっている。この類の薬は、欧米や日本その他各国でも広く流通している。
だが、ちょっとあからさまなこのCM。性に対して開放的になってきていることが背景にあるのだろうか。避妊に関する選択肢が増えること、とりわけ急を要する場合の最後の手段として、こうした手段を選択できるということは大切だ。こうした商品が広く流通すること、そうした方法があることを世間が周知することも意味のあることではある。
しかし同時に避妊という大切な問題について、間違った捉え方をする人も出てくるのではないかということも気にかかる。それに子供たちも普通にテレビを見ている時間帯にも、こうしたCMがバンバン流れているのもいかがなものか?と感じるのは私だけではないはず。いろいろと考えさせられるものがある。

世界遺産をチャーター

Mountain Railways of Indiaとして世界遺産登録されているインドの山岳鉄道群。1999年にダージリン・ヒマラヤ鉄道が、その鉄道名そのままで登録されて以降、2005年にはニールギリの山岳鉄道が追加登録されるにあたり、『山岳鉄道群』という扱いに変更された。
そして昨年2008年にはカルカー・シムラー鉄道が追加され、合わせて三つの路線がこの『山岳鉄道群』に含まれている・・・とくれば、インドの鉄道好きな人ならば即、マハーラーシュトラのマーテーランのトイトレインの姿が瞼に浮かぶだろうだが、もちろんマーテーラン丘陵鉄道も近々世界遺産登録入りする見込みらしい。
世界遺産入りを果たしたシムラー行きトイトレインの路線だが、起点のカールカーから終着駅シムラーまで4.970 Rs, 逆にシムラーからカールカーまでは3.495 Rs, 往復ならば8.465 Rsで借り切ることができる。片道5時間余りの道のりだが、車窓からの景色を満喫しながら、仲間たちとワイワイ楽しむのもいいかもしれない。Shivalik Palace Tourist Coach という名の車両で、さしずめインド版お座敷列車といった風情。
The Kalka Shimla Heritage Railway (Indian Railways)
おそらくインド国内外のツアー・オペレーターたちからの引き合いも少なくないことと思われる。また往復のパッケージの場合、シムラーでの一泊分も付いているとのことで、チャンディーガルを含めたカールカーから近場の街のグループによる利用もけっこうあることだろう。
なおカールカー・シムラー間で、チャータートレインを走らせることもできるとのこと。料金は約28,000 Rs。1日の定期便本数が往復4本と少ないため、こういうことも比較的やりやすいはず。映画やドラマの撮影向けといったところかもしれない。
いずれにしても世界遺産を個人で借り切るというのはなかなかできない経験だ。機会があって人数も集まれば、試してみるのもいいのではないかと思う。

現代を生きるムガルの『王女』

コールカーターのスラムに暮らすマードゥーという33歳の文盲の女性が、政府系企業のCoal India Ltd.で小間使いの仕事を得たことにより、極貧生活から救われるという記事がメディアに取り上げられていた。
なぜそんなことがトピックになるのかといえば、ムガル朝につながる『世が世なら・・・』彼女の家系がその理由だ。この女性は1857年の大反乱に加担したかどでビルマのラングーン(現ビルマのヤンゴン)に流刑に処せられたムガル朝最後の皇帝バハードゥル・シャー・ザファルから数えて五代目の直系に当たるという。これまで彼女は母親のスルターナーとともにとコールカーター市内でチャーイの屋台を営んでいたのだそうだ。
これまでもメディアで幾度かムガル皇帝の末裔たちを取り上げたニュースを幾度か目にした記憶がある。政府の下級職であったり、下町の小さな部屋を家族とともに間借りしていたりと、すっかり庶民の大海の中のひと滴となっており、昔日の栄華をしのばせるものは何もなくなっている。
この『救出劇』は、デリー在住のジャーナリストの働きかけによって実現したものであるが、150年以上も前の大反乱の旗印に担ぎ出された老皇帝の子孫の『名誉回復』の背後には、政治的な背景や意図もあるのかもしれない。なんでも西ベンガル州の石炭担当の大臣から直々に辞令が手渡されるのだというから、まあ大したものだ。
その女性、マードゥーの就職先は、1773年にベンガル初代総督ワレン・ヘイスティングスの命により、現在の西ベンガル州のラーニーガンジに開かれた炭鉱に端を発する歴史的な企業体であり、ムガルを滅ぼしたイギリスとの因縁めいたものを感じなくもない。
しかしながら直系の末裔といえども、ムガルの末代皇帝から数えて五代目という血のつながり以外には、先祖から輝かしい文化や伝統を受け継いできたわけでもなく、ただ『ムガルである』がゆえに救いの手が差し伸べられるというパフォーマンスに対して大いに違和感を抱かずにはいられない。
それまで誰も知らなかったまったく無名の人物が、こうして多くのメディアに取り上げられるのは、やはりムガルであるがゆえの潜在的な話題性のためである。
余談になるが、時代の流れの中で世襲の地位や権力を失っていった支配者層でも、後に政治家に転進したり、実業界等に活路を見出したりした名門は珍しくないものの、対抗する勢力により一気呵成で滅ぼされた王朝の子孫は、たとえ命ながらえても世間の大海原の中に姿を消していくのが常だ。
日本での知人の中に、清朝の皇帝の末裔がいる。十数年前に日本に渡ってきたときから知っているが、中国ではごく普通のつつましい市民であったようだ。言うに及ばず文革期に彼の一族は、庶民よりはるか下の非常に厳しい環境に置かれていたと聞いている。
ムガル朝が滅亡しようとも、清朝の歴史に終止符が打たれようとも、それぞれの子孫が生きている限り、たとえそれを記録していようがいまいが、家族史は連綿と続いていく。また偉大な王朝の末裔であるという『事実』は、その家系に連なる人々を除き、他の誰にも手に入れることができないものであることは間違いない。
Mughal emperor’s descendent gets a job (The Times of India)

RICKSHAW CHALLENGE

RICKSHAW CHALLENGE
言うまでもなく、オートリクシャーはインドを代表する乗り物のひとつである。だいぶ前に『オートでGO !』というタイトルで取り上げたことがあるが、この自動三輪によるレースがインドを代表するレース?と言えるかどうかはともかく、業務用車両が爆走するということに、興味を抱く人は少なくないだろう。
このレースは、なかなか広がりを見せているようで、インド国内でいくつかの大会が開催されるようになっている。
RICKSHAW CHALLENGEのサイトにその概要が記されている。直近のレースは、MUMBAI XPRESS 2009だ。7月31日から8月13日までの14日間で、チェンナイ出発後、ヴェロール、バンガロール、マンガロール等を経て、パンジム、アリーバグ等を駆け抜けてムンバイーにゴールインする。
その次がTECH RAID 2009というレースで、こちらは10月16日から同22日までの7日間で、チェンナイからバンガロール、アナンタプルなどを経て、ハイデラーバードに至る。
年内最後のスタートは、CLASSIC RUN 2010という大会。こちらもチェンナイを発ってから、マドゥライ、ラーメーシュワラム等を通過して、カニャークマーリーでゴール。12月29日から1月8日まで11日間の行程だ。
それに続いてMALABAR RAMPAGE 2010は、4月2日から同20日までの19日間という長丁場。スタートもゴールもチェンナイだが、タミルナードゥとケーララの両州をぐるりと一周する形になる。
他にもカスタムメイドのYOUR ADVENTUREという企画も可能だそうだ。
インディア・トゥデイ6月17日号でもこれらのレースのことが取り上げられていたが、かなり外国人の出場もあるようだ。同誌記事中には、『参加者の中には、70歳のカナダ人男性以外にも、英国のAV男優、元ミス・ハンガリー、元俳優の日本人男性も含まれている』と書かれている。
RICKSHAW CHALLENGEのウェブサイトには、エントリーに関する情報も載せられている。腕に自信があれば出場して上位入賞を目指してみてはいかが?
参加するには相応の費用がかかるとはいえ、その部分をクリアできるチームであれば広く参加の道が開かれており、敷居の低い国際レースである。

ヒトもまた大地の子 2

現代のヒトは、野山で狩猟採集生活を送っているわけではないし、そうしたやりかたでは大地が養いきれないほど膨大な人口を抱えている。私たちがこうやって暮らしていくことができるのも、自らが造りだした文明のおかげだ。今後とも発展を続けていくことこそが、私たちの社会が存続していくことの前提なのだから、私たちの生産活動を否定するわけにはいかない。
古の彼方、ヒトという生き物が地上に現れたころ、命を維持するのに必要な水や食料の関係で、生活できる地域は限られていた。河、湖、池、泉といったものが必要で、すぐ近くの海、山、野原などから様々な産物等が容易に手に入ることが必須条件だった。
その後時代が下るにつれて、世界各地で耕作が始まり、ヒトが集住する規模が拡大し、富が蓄積されるようになってくる。やがてそれらの富を広域で動かして交換、つまり交易という活動が盛んになってくる。
文明の発展は同時にヒトの持つ様々な知識を向上させ、技術を進歩させていくことになる。ヒトが集住する地域では都市化が進み、交通や地理学的な知識の蓄積から、生活圏や経済圏は次第に拡大していく。長距離に及ぶ陸や海のルートが確立され、シルクロードに代表される長距離に及ぶ貿易が実現されるようになった。
その後、やがて欧州は大航海時代に入り、世界各地に進出して植民都市を建設していくことになる。様々な富を様々な形でそこから持ち出すことが、彼らの最も大きな目的のひとつであったとはいえ、鉄道敷設が始まる前に建設された市街地の多くは、海や河の岸辺から広がる形のものが多く、まだまだ人々が生活できる条件が揃う地域は限られていたといえる。
だが、いまや国や地域によってはなはだしい格差はあれども、各地に道路、水道、電気等々の生活インフラが行き渡り、蛇口をひねると水がほとばしり、スイッチを入れれば電気が使えて、調理や暖房などのためガスが利用できるようになっている。どこにでもエンジンのついた乗り物で、道路、空路、海路などで簡単に移動できるようになっている。かつては地理的、物理的にヒトの生活に適さなかった土地であっても、ちゃんと生活環境が整うのが今の時代だ。
そうした技術や交通手段の進歩により、都市も拡大している。鉄道、バス、メトロなどの発達により、それらが導入される以前よりも日常的に行動できる範囲が広がっている。これにより、都市の周辺に大きく広がる『郊外』を出現させ、その郊外はさらに近隣の町を呑み込んで市街地をさらに拡大させていく。こうした市街地に生まれ育ったおかげで、自然との関わりを、日々あまり意識できないのは私に限ったことではないだろう。
もちろんそうした技術の進歩や経済活動等の拡大により、産業革命以降、とりわけ20世紀以降はエネルギーの消費量が飛躍的に増えている。近年、先進諸国が停滞している中にあっても、いわゆる新興国の発展にともない各地で大規模な開発が進んでいる。これらにより、環境に与える負荷がますます大きくなっていることは言うまでもない。
生態系システムから大きく逸脱してしまったヒトの社会活動そのものが、大自然というシステムに対していかにリスクの大きなものであるかという認識が広まっている。日々の暮らしや生産活動等が環境に与える影響をなるべく小さくしようと、熱帯雨林保護、CO2排出量の規制、CNGを燃料とするエンジンやハイブリッドエンジンを動力にして走る自動車の導入、日本発の『クールビズ』の呼びかけ等々、世界各地でさまざまな取り組みがなされている。
だが、それらの試みは、これまでの間に失われた環境を取り戻すものではないことは言うまでもない。私たちが自然環境に対して与えるダメージを、今後なるべく小さくしていこうというものでしかない。そのため、われわれ人間が環境や自然に対して与える影響や圧力はどんどん蓄積していくいっぽうなのだ。
ヒトもまた、もともとは自然の生態系の中で育まれた生き物のひとつである。建物やクルマ、電化製品や通信機器といった多くの無機物に囲まれて暮らす私たちだが、大自然という大きなものに対する畏れと愛情を忘れてはいけないと思う。
私たちのこの大地は広大にして精緻なるもの。先述の緑の革命のように、近代的な技術により土地にもともと備わっていた条件を克服したかのように見えても、実は長期的にはその成功は不完全なものであり、背後には厄介な問題が控えていることが判ったりする。
私たちヒトが、母なる大自然への反逆者ではなく、大地の子として周囲と共存していくためには、私たちの存在が自然に対して及ぼす影響の本質について、今後もっと大きく踏み込んだ取り組みが必要であろう。