ヒトもまた大地の子 1

近年、インド各地で農民たちの自殺のニュースをよく目にする。緑の革命に成功したはずのパンジャーブでさえもそうした事例が多い。1961年の大飢饉以降、近代的な農業が導入され、記録的な増産を実現したものの、塩害の問題が取り沙汰されるようになっている。
インドの穀倉地帯、パンジャーブ州の農業の基盤となるのはもちろん広域にわたって張り巡らされた灌漑だが、これらの維持管理の不手際が指摘されている。また河川からの取水だけではなく、地下水も盛んに利用されているが、これは過剰揚水につながり、地下水位の下落につながっている。
また地下水中の含塩量の問題等が指摘されている。これらは国境をまたいだパーキスターン側でも同様であるとともに、はるか西のエジプトにおいても、塩害が深刻な問題になっているという。どの地域も大規模な灌漑に成功し、水利のコントロールと農作物の収穫増に大きな成果が上がったと自負していたはずの地域である。
都会の街中、しかも建物の中にいると、窓の外の気候の変化はまるでテレビの画面の中の出来事のようで、あまり現実感がないといっては言い過ぎだろうか。あるいは大きな建物に囲まれた中に身を置いていると、本来地上の生き物としてあるべき空間、外界とのつながりが希薄になってくる。
空気の乾湿、気温の高低以外に自然界の影響というものをほとんど感じなくさえなってくる。 都市生活の中で、『大自然の脅威』を感じるのは、それこそ大地震であるとか、予期せぬ規模の豪雨のため洪水といった大災害の発生時くらいのものではないだろうか。
ヒトとは、実に環境負荷の大きな生き物だ。地下に巣を掘ったり、樹木を立ち枯れさせるほどに旺盛な食欲を見せる動物たちはいるが、大自然の中に都市というヒト専用のコロニーを造って平野の景色を一変させたり、河を堰き止めて広大な湖を作ったり、ときには山を跡形もなく消失させてしまうなど、大地の有様さえも一変させてしまうほどの大きな力を行使する生き物は他にないだろう。地形だけではない。大気や水さえも汚濁させて、それまで生活していた動植物を駆逐させてしまうことも多々ある。
しかもヒトの生活圏において、動植物を含めたあらゆる有機物は、ヒトにとって有用であるものだけが存在することを許され、多くの場合は飼育・栽培といった形でその数量まで管理される。しかしながら有益でない、あるいは害があると判断された生物は、そこにいることさえ許されず、駆逐や駆除といった形で殲滅が図られるという厳しい掟がある。

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