Kindle端末買い替え

日本のアマゾン用にKindle Paperwhite(左)、インドのアマゾン用に9年前に購入したKindleを使用していたが、あまりに動作が緩慢になったので注文したKindleの一番安いモデル(右)が届いた。

前者は画面部分と縁部分の段差がなく、一枚のフラットなガラススクリーンで仕上げてあるのに対して、後者は画面の部分のみガラスのため段差がある。そのため操作感、ページめくり感は前者のほうが勝るとともに、画面の見た質感が実際の紙のごとく自然な風になっているとともに、黒地に白文字で表示する「ダークモード」も選択できるようになっている。しかし反応速度もストレージサイズも変わらないため、安い左のほうで充分な気がする。

日本アマゾンとインドアマゾンでそれぞれ別の端末を使っているのは、日米のアマゾンはKindleアカウントを結合できるのに対して、日印のそれはできないからだ。そのため専用の端末を用意する必要がある。

インドアマゾンで発行されたKindle書籍のうち、日本アマゾンでも購入できるものはとても少なく、価格も高くなる。ときには数倍にもなる。しかし不思議なのは、ときにしてその逆のケースもあることだ。日本アマゾン用に使用している左の端末で表示しているヒンディー語書籍がそんな例外だった。たまにそういうことがある。

インド訪問時には、いつも帰国前に書籍漁りをするのが儀式みたいになっていたが、Kindleで購入できる書籍であれば、それで購入するに越したことはない。送料はかからないし、あるいは重たい思いをして運んでくる必要もない。もちろん紙の書籍ならではの良さを否定はしないが、これを日本まで移動させるための手間とコストを考えると、やはり電子書籍はありがたい。ただしどんな本でも電子で入手できるわけではなく、紙媒体でしか出ていない興味深い本が多いのもインド。

それでもやはりコロナ禍にあって、電子書籍はなおさらのことありがたい。ウェブのやインドの電子版の週刊誌などに出ている書評で見かけた作品を、インドアマゾンで即座に購入できるからだ。まさにKindleさまさまである。

コロナ禍で報じられるインド

INDIA TODAY 6月9日号

India Today 6月9日号電子版が配信された。

この前の号の特集は、「自助の共和国」と題して、コロナ禍で大変なことになっている人々に対して、サポートの手を差し伸べる人々を取り上げていた。コロナに罹患した人たちのために自宅で食事のパックを作って提供している人から、グルドワラーで「酸素のランガル」として、酸素ボンベで重症患者に提供するスィクのボランティアの人たち、ヘルプラインを開設し、電話でコロナ関係相談に乗り出した有志の医師たち、はてまた数千人のスタッフを擁するNGOで、コロナの状況に鑑みて、一時的にコロナ患者救済の活動を始めた団体等々、それぞれの出来る範囲で、大変な中でも世間のために働きかける人々の姿に感銘を受けた。

さて、今回はそのまったく反対で、「恐怖のとき」と題して、コロナにより不足している治療薬、酸素ボンベ、酸素濃縮装置その他を投機的に買い占めてボロ儲けする人たち、コロナでの失業、先行き不安からくる精神疾患が多発していること、河岸に流れ着くコロナ死が疑われる多数の遺体等々、たいへん暗い側面が伝えられている。

日本など、外国のメディアに取り上げられるインドは、平時でも偏りがあり、コロナ禍においてもそれ以上であったりするが、もちろんインドへの関心がその程度なので仕方ないことではある。しかしながら、大変好ましい話も、それとは反対にあまりに悲痛な話題も、あまり伝えられないのは残念でもある。これもまた、コロナで大変な目に遭っているのは、インドだけではなく、世界中なので、やはりこれも仕方のないことではあるが。

INDIA TODAY 6月2日号

ネット屋

インターネットが普及し始めた1990年代半ば、世界中でサイバーカフェなる「ネット屋」が続々オープン。どこも大いに賑わっていた。

それまでは、旅先で家族や友人と連絡を取り合うとすれば、郵便が主要な手段であった。どこの国でも大きな街の中央郵便局では「局留め」で封書、ハガキ、荷物などを期限付きで預かってくれていた(今でも制度上はあるかと思う)ので、そうしたところでは親しい人から手紙を受け取って笑顔の人、期待していた便りがなくて残念そうな人等々、さまざまだった。

電話という手段もあったが、いかんせん国際電話というものは目が飛び出るほど高かったので緊急の場合のみの手段であった。電話局で長時間待たされるものでもあった。そもそもこちらからはかけられるが、自前の番号を持っていないこちらに家族や友人がかけることはできない。

「コレクトコール」の制度を利用して、定期的に自身の安全を家族に伝えている若いドイツの女性に会ったことがある。数年前に欧州を一人旅していた兄が事件に巻き込まれて死亡するという不幸があり、両親は成人したばかりの子がひとりで旅行することを大変心配しており、毎週末にに欠かさず無事を知らせるという約束で旅行に出るとができたのだそうだ。両親の元にコレクトコールを依頼し、オペレーターが両親のどちらかに「娘さんがコレクトコールをかけたいと依頼しているが受けるか?」と質問して、両親は断ることになっているのだと言っていた。どうしても話をする必要がある場合はどうするのかと尋ねると、「緊急の際に名乗る名前が決めてある」とのこと。いつもの名前でかければ自分が無事であるという了解になっているのだというから、実に賢い「コレクトコールの利用方法」だと感心した。

手紙を出してもこちらから向こうまで届くのにかかる時間、故郷からこちらまで届くまでの時間は、国や地域にもよるが短くて数日、長くて半月あるいはそれ以上かかることもあり、ハガキなどでは伝えられる内容も限られていた。

ネットの時代入ってからは、連絡にかかる時間がゼロとなり、向こうがすぐに見て返信してくれれば、ものの数分で「元気そうでなりより」という連絡が入ってくるのだから、郵便でやりとりしていた時代とは比較にならない一足飛びの進歩だった。インターネットが普及し始めたばかりの低速な回線であっても、それはたいへんな驚きであったことは言うまでもない。

低速な回線といえば、その頃のインドの田舎ではネット屋が少なく、接続はとても遅かった。宿からわざわざオートリクシャーでネット屋まで行き、そこでウェブメールで自分のアカウントをなんとか開き、届いているメールに簡単な返信を書いて送信するだけで、軽く1時間かかってしまうようなことはザラであった。ログインするにも、受信するにも、送信するにも、じっと待っている必要があったのだ。

それでも当時は「たいへん便利な時代になった!」と感じていた。インドから日本その他どこにでも連絡をすることができるからだ。それだけではなく郵便のように「これから向かう先の中央郵便局」の局留めで送ってもらうわけではなく、目の前で開いている自分のメールアカウントで相手とメッセージをやりとりできるという双方向性は画期的だった。

やがてブロードバンドが浸透してくるころになると、あまたあるネット屋はいずれも「高速回線」を売りにするようになり、ネット屋で家族や友人たちとビデオチャットに興じている様子はよく見かけるようになった。

ネット屋が重宝されていたのはこのあたりまでだろうか。それまでは「有料サービス」であったホテル等でのWIFI接続は次々に無料化されていき、街中のカフェなどでも無料のWIFIサービスを提供するところが増えていき、有料のネット接続そのものを提供するネット屋は次第にジリ貧になっていく。

ネット屋の時代の終焉が決定的となったのは、スマートフォンの普及だ。初代iPhoneの登場した頃には端末もデータ通信料も高額であったが、アンドロイドOS搭載のスマートフォンの登場とともに利用者が急増していくにつれて端末価格も通信料も低廉化していく。

この流れの中で、誰もが掌の中にネット環境を持ち歩くようになっていったため、ネット屋はすっかり存在意義と顧客を失い、バーザールから姿を消していった。

廃業したネット屋(バンコクにて)

今から思えば何が仕込んであるかわかったものではない端末で、よくもまあ大切なIDとパスワードを入力してメールのチェックなどしていたものだと思うが、それも自前の端末とネット環境を持ち歩くことができる今だからこそ言えることだ。

こうしたものを求めるユーザーが爆発的に増加していくことを受けて、各国でデータ通信の分野で新規参入が相次ぎ、熾烈な競争を繰り広げた結果、旅行者のような一時滞在者でも安価に利用できるプリペイドプランが各国で普及した。インドもまたその中のひとつであることは言うまでもない。

今の時代、早朝でまだ暗い宿のベッドの中でメールをチェックして必要があれば返信し、階下に降りて開店したばかりの隣の食堂でトーストをかじりながら、長距離バスを予約し、続いてUBERを呼んでバススタンドまで行ってもらうというようなことが可能なのだから、ずいぶん便利になったものだと思う。バスが深夜近くになって目的地に到着するので泊るところが不安であれば、座席で揺られながら予約サイトでバススタンド近くの宿を確保できてしまう。

長期旅行者たちの旅のスタイルにも大きな変化を生んだ。ネット以前は仲良くなった相手と別れるときは文字どおり「今生の別れ」みたいなもので、住所と実家の電話番号を交換して「また機会があれば会おう」なんて言っていたが、ネット時代に入るとメルアド交換でいつでも簡単に連絡できるようになった。

そしてスマホとSNSの普及した後は、「佐藤君は今日プリーに着いた」とか「ジャニスは明日イギリスに帰国するみたい」といったことがオンタイムで共有されるようになったし、SNSの通話機能でごく当たり前に会話する先は自国であったり、旅先で会ってすでに他国に移動している相手だったりする。

そんな具合なので、旅行先で待ち合わせて再会というのもごく当たり前のものとなっている。ネット以前も旅先で再開というシーンはしばしばあったとはいえ、それらは偶然の産物であり、予定しての行動ではなかったため、本質的に異なるものであった。

デジタルの時代になってからは、どんなサービスや利便さも、すぐに陳腐化してしまうので、現在の「たいへん便利な時代」も5年後、10年後から見ると、「あの頃はあんなに面倒くさかった」とか「まだこんなことをしていた」と思い出すことだろう。

もっともその「進歩」を見る前に、新型コロナウイルス感染症によるパンデミックが収束を見ないことには、そうした旅行の景色は見えてこないわけだが。

SIM超速開通

タイやネパールのように「購入したその場で開通」という具合ではなく、購入してから電波を受信できるようになるまでしばらくかかり、受信できる状態になったら「ヴェリフィケーション」を実施してしばらく待ってからようやくネットを使えるようになるインドでは、入国してからすぐにネットを利用することができず、ちょっと不便な思いをしていた。

すぐにネットがなければ旅行できないわけではないが、日常生活でネットなしで30分と過ごすことすらないので、こと旅先ともなると、ものすごく不便に感じるのは当然のことだ。

そんなインドで、「SIM開通がずいぶん早くなったよ!」と聞いていたとが、購入後なんと10分だか15分だかで開通して、いたく感激した。

以前は購入した翌日だったこともあった。その後所要時間が半日になったり、3、4時間になったりしていた。都会で買いそびれて、グジャラートのブジで購入したら、開通まで1週間くらいかかったこともあった。もちろん今でも田舎で外国人がSIMを購入しようとすると断れることは珍しくないのだが。

今回は手で記入するフォームではなく、店の人が自身のスマホに入っている「登録用アプリ」で入力しており、パスポートの画像を入れ込んだりして登録していた。今や写真も不要となり、店の人がスマホで撮影したものをフォームに落とし込んでいた。ずいぶん便利になったものである。

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

増殖するOYO

カトマンズでもOYOが増殖しており、例の赤いロゴ入り看板が目立つ。このチェーンに加盟する宿はロクなものではないのだが、やはりこの国でも当然のごとく勢力を伸ばしている。

話はネパールから逸れるが、インドのデリー訪問時の常宿としているところは、エコノミーな宿の割には、午前2時とかに着いてもちゃんと対応してくれるし、メールで予約しても、ちゃんと部屋は取れているし、前金も要求されない。

なんだ、そんなの当たり前じゃないかと思うかもしれないが、実はそうではないのだ。このあたりがちゃんと対応しているエコノミーな宿というのはあまりない。

深夜過ぎに着くと、玄関が閉まっていて、背後でワアワア吠える野犬にビビって冷汗かきながら扉をガンガン叩いて大声を上げると、ようやく眠い目をこすりながら使用人のお兄ちゃんが開けてくれるとか、予約のメールをしても、催促のメール出してもなしのつぶてで、遅い時間帯に到着してみると、満室とのことで断られるというようなところは、エコノミーな宿では多いのだ。そうした宿は、カイシャ的な経営ではなく、家族経営あるいは雇い入れたマネージャーに任せっぱなしのところが多いため、自然と容易なほうに流れてしまい、ルーズになっているケースが多い。

エコノミーな宿からロイヤリティをせしめて、包括的なノウハウとマーケティングを提供するOYOのようなビジネスが急伸した背景には、そうしたエコノミーな宿泊施設におけるマネジメント能力の欠如がある。うまいところに目を付けたものだと思う。

booking.comなど予約サイトを利使って予約してもいいのだが、クレジットカード情報を入れたり、前払いする必要があったりするため、メール予約で現地決済のほうが気楽に決まっている。そうでなければ、前金やクレジット情報を入れずに予約できるところがあると気が楽だ。OYOはちょうどそんな感じ。前払いにすると、少し宿泊費が安くなったり、朝食が付いたりといった具合で、前払いもしくはクレジット情報入力へ誘導しようとするが、それらなしでも予約はできる。

また加盟施設が急伸しているためか、ネパールではどうだか知らないが、インドにおいては大手予約サイトではカバーしていないような田舎町にもOYOの施設があったりもする。

勝手のよくわからない小さな町に夜遅く到着するような場合、OYOのサイトにアクセスして予約しておくと安心かもしれない。もっともそんなケース以外では、決して利用したくないのだが。

内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。