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カテゴリー: greater india

  • モコンチュンのクリスマス 2

    モコンチュンのクリスマス 2

    モコクチュンの町

    山の上に広がるモコクチュンの町は、想像していたよりは大きく、見た感じは物資もそこそこ豊かな感じがするのは、ここまで来る道を考えると不思議である。物資を運ぶもっと効率的なルートが他にあるのかといえば、そんなことはないだろう。ナガランド最大の街、ディマープルからのルートが一部アッサムを経由するこのルートで到達するのは、他よりもベターな道路を選好してのことであるからだ。ナガランド州において、ディマープル、コヒマに次いでモコクチュンは大きな町ではないかと思う。

    Hotel Metsuben

    Hotel Metsubenという、町の中でも小高いエリアにあるところに投宿。Metsubenとはナガの言葉で「花」という意味だ。クリスマスなので、込み合っているのではないかという予想は外れた。外国人客は私以外には、インド人バイカー、フランス人の四人連れのグループ、そしてインド人家族連れが二組だけで、ガランとした感じであった。食事も材料の調達の関係があるので事前に注文しておいてくれとのこと。下半期におけるひとつのピークと思われるシーズンでこのような具合ということは、それ以外の時期には閑古鳥が鳴いていることだろう。

    私とインド人バイカー以外は、隣州のアッサム州発のツアーで来ている人たちだ。ナガランド州の交通事情を考えると、これが最善の方法であることは、クリスマス前後の数日間が州内のすべての分野において共通であり、交通機関さえもその例外ではないということを知るに至り判った。ツアーで来ている人たちと、自前の足を持っているインド人バイカー以外は、たとえ町周辺を散策してみようにも、徒歩で行くしかないだけでなく、州内の移動もままならない。同様に、この州では週末は同様の状態となるため、インドの他州と比較して、あるいは同じ山間の州と較べてみても、信じられないくらい旅行はしにくいことになる。

    スィッキム州でも地域間の公共交通機関により移動は、主に朝早い時間帯のシェア・スモウのみという具合であったが、ここでは主要な町のひとつであるモコクチュンからであっても、ディマープル、コヒマ以外へのバスやスモウは、休みの日以外であってもあるのかないのか判然としないくらい頼りない。もともと人口密度が薄く、人やモノの地域間での移動も少ないのだろう。確かに今日眺めた範囲に限られるが、沿道で見かけた集落もずいぶん小さくて簡素なものばかりであった。

    さきほどナガランド州内のウォカーから到着したインド人バイカーは旅慣れた感じの男性。5週間の休暇中で、ロイヤル・エンフィールドの大排気量モデルを駆り、遠路はるばるケララ州から来ているとのことである。ジャーナリストかライターかと思えばそうではなく、なんと医者であるという。

    「え、医者が忙しい?40歳を過ぎて自分なりの地位を固めれば、仕事は下の者たちがやってくれる。もうしゃきりきに働く年齢ではないさ。」とのこと。この人自身は50歳前後くらいだろう。インドの医者がそんなにヒマとは思えないのだが、どうやら自分で病院を経営していて、彼の子供たちや雇用しているスタッフたちに任せているので、わざわざ「お偉いさん=彼」がオペを取り仕切るようなことはないということのようだ。

    「外科医なんだが、まあアレを切ったり、これを付けたりってな具合だね。要は大工仕事と同じだ。」と笑う彼の趣味はバイクで駆け回ることであるといい、この年齢にしてバイクでケララ州から北東インドにやってきて、帰路もまたこの北東地域から一路ケララ州まで走破することになる。体力にも自信があるようで、なかなか面白い人物らしい。

    大蛇のとぐろみたいなクリスマスツリー
    立派な体格のサンタさん
    雪は降らないけど雪ダルマ
    これまたクリスマスツリーの一形態か?

    この日はクリスマスイブであったため、町中にいくつもある教会ではミサが続いている。賛美歌を合唱する様子を見ていると、これらを日本語で歌ったミッション系スクールに通った高校生時代のことを懐かしく想い出す。ギターその他の洋楽の楽器による伴奏でやっているところもあり、いかにもクリスマスというムードである。

    町一番の大きな教会
    着飾って教会前に集まる子供たち

    ナガランドのキリスト教の歴史は浅く、建築的には見るべきものはない。それでも外部の宗教とまったく縁のなかった地域で、ときに首狩りに遭い殉教してしまう宣教者を出しながらも、教えを広めていったバプティストの人たちの情熱と根気には頭が下がる思いがする。もともとイギリスによる統治に対する反抗が強い土地だったので、そうした外来者による宣教についても相当な嫌悪感や反対もあったことだろう。

    ミサの後に撮影。教会の中はこんな感じだった。

    ナガランド、マニプル、ミゾラムは禁酒州ということになっているため、バーはなく、ホテルでも酒は出していない。どこか闇のバーはあるのではないかと思うのだが。禁酒州がゆえに、町中には酒の広告類もない。ここに住んでいる人たちは、アッサムに出かけて「おおっぴらに飲む」ことに喜びを感じたりするのだろう。

    地元の人たちはけっこう飲んでいるという話もあるので、どこかでかなり出回っているのだろう。軍用に大量に供給されているはずなので、そのあたりからも流れているものがあるのではないかと想像はできる。マーケットや空き地などでビールの空き缶やウイスキーの空き瓶などを見かける。

    夕食は宿のレストランにて。ナガのチキンの料理を食べる。大豆発酵させた調味料を使っているため独特の臭いがする。ちょっと納豆に近いような、そうでもないような具合だ。味わいについては賛否が分かれるところではないかと思う。

    旨いかどうか微妙な味
    ナガ料理については人により評価が大きく分かれるはず

    夜は嫌になるほど冷え込む。二枚の毛布の下に、フリースを着たまま潜り込んだのだが、それでも寒くて寝ることができないほどだ。

    昼間もそうであったが、布団に入ってからも外からはまるで銃撃や爆弾のような物凄い轟音の爆竹の音が断続的に響いてくる。ディワーリーのときによく鳴らしているものと同じだが、子供達の遊びとしてはちょっと危険過ぎる。誤って失明したり指を失ってしまったりという話も耳にする。あんなものは禁止してしまえばいいのにと思うが、そのあたりのさじ加減というか、許容度は日本とインドでは天地の差がある。危険だからと禁止してしまえばいいかといえばそうでもなく、こうしたことから学ぶことも少なくないことも事実であるからして、さじ加減がむずかしいところだ。

    夜はとても冷え込む

    〈続く〉

  • ナガランド州モコクチュンのクリスマス 1

    ナガランド州モコクチュンのクリスマス 1

    昨年のクリスマスはナガランド州のモコクチュンで過ごした。

    90%以上の人々がクリスチャンであり、またその中の大半がバプティストという紛れもないキリスト教環境にある中、欧州とは異なる場所にありながらも、本格的なクリスマスを体験できる場所であることを期待した。

    ナガランド州最大の街ディマープル発のモコクチュン行きのバスが、アッサム州のジョールハート近郊のマリャーニーを通る(このルートはナガランドの道路事情が良くないためアッサム州を経由して走行している)するはずなのだが、クリスマス直前のため、減便して運行がなされているとのことで、待てどもバスは来なかった。

    そんなわけで、同様にバス待ちをしていた人たちとタクシーをシェアしてモコクチュンを目指さざるを得なかった。シェアする人たちはナガランド人ではなく、アッサムを含めた平地のインド人たちで、ナガランドで軍の基地の出入りの業者その他、ナガランドで何がしかの仕事をしている人たちであった。

    ナガランド州は、インドにありながらもイギリス領時代からこれまで長きに渡り、他州の人たちの出入りを原則禁じてきた地域である。パーミットを得てのみ入域が可能で、中央政府関係の仕事、軍関係の任務に携わる人たちに加えて、道路建設や建物の建築作業その他の作業に関わる人たちがやってくるとともに、数は決して多くない観光客が訪問する程度であった。

    長く続いてきた地元の反政府勢力と政府軍との内戦、同時に同じナガ族の反政府組織やその他周辺民族の武装組織同士の武力抗争等もあり、治安面での印象は決してよくなかったため、それほど多くの人たちがナガランド州を目指してきたわけではない。2011年の元旦から、外国人はナガランド州ならびにミゾラム州とマニプル州への入域が原則自由化され、それに少々遅れてインド人もパーミット無しで入ることができるようになったようである。

    現在もナガランド、ミゾラム、マニプルの三州で反政府武装組織は存続しているのだが、政府側との停戦が功を奏して、治安面での改善が見られるようになったことが、内外の観光客によるこの地域への訪問の自由化に繋がったわけである。

    まだ先行きの不安は否定できないものの、2011年に「とりあえずは1年限り」として自由化されたものが、すっかり定着しているところを見ると、今後大きなトラブルが生じない限りは、今後もこのままで推移するものと思われる。

    入域の自由化の数年前から、インド中央政府が運営するインド政府観光局は、従前より自由に訪問できたアッサム州、メガーラヤ州と合わせて、北東諸州の観光についてキャンペーンを張ってきた。その背景には、石油をはじめとする地下資源に恵まれたアッサム州、石材と石炭を豊富に産出するメガーラヤ州を除けば、北東州でもとりわけアッサムの東側にある四州(ナガランド州、ミゾラム州、マニプル州、トリプラー州)については、開発が遅れており、これといった産業も資源もないだけに、財政的に中央政府が全面的に面倒をみるしかない状態から脱却すべく、唯一可能性がある観光面での発展に期待をかけているという現実がある。

    それはさておき、平地との往来が制限されてきた地域であるだけに、州境を越えただけでずいぶんな違いが感じられた。アッサム州らしい茶園が広がる風景の中、しばらく山間の坂道を上った先にはナガランド州境のチェックポストがあり、モンゴロイド系の風貌をしたナガランド警察のポリスたちがクルマの中を覗きこむ。

    そこからさらに進んだところにある集落では、平地から来たらしき人の姿はチラホラ見かけるものの、マジョリティは私たちと同じモンゴロイド系の人々となってしまう。あたりに点在するヒンドゥー教のお寺や祠はなく、十字架を掲げた教会の景色となる。州境を挟んでクルマで30分ほど走っただけで、カルカッタから成田の空港まで飛んだくらいの大きな違いがあるといっても過言ではない。

    アッサム州から入ると、しばらくは良好な道路であったものの、進むにつれて道幅がとても細くてガタガタした部分が増えてくる。標高がさほどではないことを覗けば、ヒマーチャル・プラデーシュ州やスィッキム州と景色が似ている感じはするものの、路面状況はかなり劣るようだ。

    沿道で道路等の工事作業をしている人たちの大半は平地のインドの人たちだが、集落や村に暮らしている住民の大半はナガ族の人々。ミャンマーに住んでいる人たちとも似ている気はするものの、この地には仏法が及ぶことはなかった。仏教的あるいはヒンドゥー教的なバックグラウンドのないモンゴロイドの人々というのは私にはあまり馴染みがないが、インドとミャンマーという、どちらもインド起源の大宗教が広く深く伝播した地域の境目にありながらも、この地域が空白地帯であったことが不思議に感じられる。

    ナガランド州に入ってしばらく進んだあたりで昼食のために小休止した集落

    スズキのヴァンに運転手含めて8名が乗ると大変窮屈である。マリャーニーから80キロ程度の距離ながらも、くねくねと曲がった山道であること、路面状況もあまり良好ではないため、5時間ほどかかりモコクチュンの市街地が見えるところまでやってきた。

    山の斜面に広がるモコクチュンの町
    今やどこでもケータイで繋がる時代

    〈続く〉

  • ビルマハイウェイ

    ビルマハイウェイ

    ビルマ系米国人の歴史家、タンミンウーによる原書「WHERE CHINA MEETS INDIA」の和訳版である。著者は1961年から10年間に渡って国連事務総長を務めたウー・タン(ウ・タント)の孫にあたる。

    原書の初版は軍政期の2010年に出版されている。この年の11月に実施された総選挙を以て、「民政移管」されたことについて、あまりに軍にとって有利なシステムで選挙が実施されたことにより、「軍政による看板の架け替えに過ぎない」「欧米による経済制裁解除狙いが目的の茶番劇」と酷評された選挙であった。

    「実質は軍政の継続」と批判されつつも、経済面では「中国による野放しの専横」がまかりとおっていることへの危機感とともに、「東南アジア最後のフロンティア」としての潜在力と市場規模を持つミャンマーへの制裁解除のタイミングを待っていた先進諸国の反応は迅速で、一気に大量の投資が流入することとなり、ご存知のとおりの「ミャンマーブーム」となっている。

    そんなわけで、この本が執筆された当時からそれほど長い年月が経過していないにもかかわらず、すでにミャンマーを取り巻く環境は大きく変わってきている。それほど変化は早い。

    新興市場としての魅力、新たな「世界の工場」としての先進国からの期待と同様の思いを抱きつつも、利用価値の高い陸続きの隣国として、戦略的な意図での取り込みを図る国々もある。

    自国の内陸南部からインド洋への出口を狙う中国。中国との接近により国内北部の平定を企図するミャンマー。

    隣国ミャンマーに対する中国の進出に危機感を抱いて挽回を狙うとともに、自国北東部の振興を期待するインド。中国に傾斜し過ぎることに対するリスク回避のため、カウンターバランスとしてインドへの接近を試みるミャンマー。

    こうした各国の思惑が交錯するとともに、地元の人々もまた分断された国境の向こうとの繋がりに期待するものがある。もともと北東インドはインド世界の蚊帳の外にあるとともに、ミャンマー北西部はビルマ族自身が完全に掌握をしたことのない周辺地域であった。

    北東インドにあった王国は、アホム王国のように現在のタイ・ミャンマーにまたがって分布しているタイ系の民族によるものであったり、マニプル王国のように現在のミャンマー領に進出したりといった具合に、相互にダイナミックな往来がある地域でもあるのだが、現在は国境から両側がそれぞれ、もともとは従属していなかったインドあるいはミャンマーの国の領土として固定されてしまっているとともに、往来が希薄な地の果ての辺境という立場におかれるようになっている。

    そんな現状も、東南アジア地域への陸路による出口を求めるインド、中国とのカウンターバランスを期待するミャンマーの交流の活発化により、「地の果て」が南アジアと東南アジアという異なる世界を結ぶ物流や交易の現場として、いきなりスポットライトを浴びて表舞台に飛び出してくる可能性がある。もちろんこれまであまり知られていなかった観光地としての期待もある。

    そうした動きの中で、先進国による経済制裁の中で、これとは裏腹に強固に築き上げられたミャンマーと中国の間の深い経済の絆、ミャンマーが属するアセアンの国々による政治や投資での繋がり等と合わせれば、これら政治・経済、人やモノの流れが幾重にも交差することになるミャンマーの地勢的な利点は非常に大きい。

    やがては単なる市場やモノづくりの拠点としてではなく、東南アジア、中国、南アジアという三つの世界を繋ぐ陸の交差点として、大きな発言力を持つ大国として台頭する日がやってくるようにも思われる。

    そんな未来の大国へと成長する可能性を秘めたこの国について、様々な角度から検証しているのがこの書籍である。ぜひ一読をお勧めしたい。

    書名:ビルマハイウェイ

    著者:タンミンウー

    翻訳者:秋元由紀

    出版社:白水社

    ISBN-10: 4560083126

    ISBN-13: 978-4560083123

     

    書名:Where China Meets India

    著者:Thant Myint-U

    出版社:Faber & Faber

    ISBN-10: 0571239641

    ISBN-13: 978-0571239641

     

  • アシン・ウィラートゥー師

    反イスラームを唱えるミャンマーの仏法僧、アシン・ウィラートゥー師。良くも悪くも軍政により長らく封印されてきた対立が「民主化」により日の目を見ることになったといえる。

    ただし、これを仏教徒vsイスラーム教徒という単純な構図にしてしまうことは誤りで、地域に長らく根ざしてきた仏教を背景にする人たちの中で少なからずの割合で抱いている南アジア起源のムスリムの人々に対する感情と見るのが正しいだろう。

    その多くは英領期に移住した人々の子孫が大半で、独自のコミュニティと価値観・生活習慣等を維持しており、主に都市部での商業活動に一定の影響力を保っている。また植民地期にイギリス人たちとともにやってきた「征服者側の人々」でもあったという部分も無視できない。

    そのためウィラートゥー師の存在によりミャンマー国外でも注目されるようになっているこの現象の本質は、宗教対立というものではなく、ミャンマー国内の民族問題の一側面であり、植民地時代からひきずる歴史問題でもある。

    バングラデシュとの国境におけるロヒンギャーの人々に対する扱いについても、こうした感情の延長線上にあるといえるだろう。

    Non-Violent Extremism: The Case Of Wirathu In Myanmar – Analysis (ARNO)

  • 北東インド振興は鉄道敷設から

    北東インド振興は鉄道敷設から

    掲載されたのが今年9月18日と、少々古いニュースで恐縮ながら、北東インドの未来を感じさせるこのような記事があった。

    NE to be linked to Trans-Asian Railway Network (The Assam Tribune)

    北東インドが81,000キロに及ぶTARN (Trans-Asian Railway Network)につながるのだという。具体的にはマニプル州都インパールからモレー/タムー国境(前者がインド側、後者がミャンマー側)までの118kmの鉄路を敷設する予定であるとのことだ。

    同様に、トリプラー州のジャワーハル・ナガルからコラーシブ/ダルローン国境(前者がインド側、後者がミャンマー側)に至るルートの提案もなされている。

    こうした計画や展望の成否についてはかなり流動的であることは言うまでもない。つまりミャンマーの好調な経済発展がこのまま継続するかどうか、そして両国のこの地域の政情について、とりあえず安定してきている状態が今後も続くかどうかというリスクがある。前者については、対立してきた先進諸国との関係改善により、内外から空前の投資ブームが起きていることから問題はないように思えるが、後者については不透明だ。

    鉄道ネットワーク建設により、インドとミャンマーの二国間というよりも、南アジアと東南アジアという異なる世界・経済圏を結ぶ架け橋となることが予想されるインド北東部とミャンマー西部だが、この地域で活動している両国の反政府勢力、つまり地元の民族主義活動グループにとって、こういう状況はどのように受け止められるのかといえば、一様ではないだろう。

    それぞれの勢力の思想・信条背景により、これを経済的地位向上の好機と捉えるケースもあれば、自国と隣国政府による新たな形の簒奪の陰謀であると判断するかもしれない。だがどちらにしてもあながち間違いではないだろう。これらの計画は、両国政府自身へのメリットという大所高所から見た判断があるがゆえのことであり、「辺境の地を経済的に潤すために隣国と鉄道を接続」などということがあるはずもない。しかしながらこのようなリンクが出来上がることにより、これまで後背地にあった土地が外界と物流・人流の動脈と繋がることにより、経済的に利するところは非常に大きい。

    これまでインド・ミャンマー国境では、表立って活発な人やモノの出入りはなかったがゆえに、それぞれがインド世界の東の果てとなり、ミャンマー世界の西の果てとなり、それぞれが「行き止まり」として機能していたがゆえに、その手前の地域は中央から見た「辺境」ということになっていた。

    だが、鉄道がこの地域を通じて両国をリンクすることになれば、南アジア地域と東南アジア地域の間でモノやヒトの行き来が活発になり、やがて大量輸送目的の道路建設にも繋がることだろう。このあたりの地域は、主に「通過するだけ」というケースも少なくないかもしれないが、それでもこれまでほとんど表立って存在しなかった商圏が出現することにより、ミャンマー西部やインド北東部のマイナーな地域が複数の「取引の中心」として勃興するということは当然の流れである。

    天然資源に恵まれたアッサムを除き、これといった産業もなく、観光振興に注力しようにも、反政府活動による政情・治安面での懸念、観光資源の乏しさ、アクセスの悪さなどが災いして、中央政府がたとえ北東地域の経済的自立を望んでも、なかなか実現できないジレンマがあった。

    ここにきて、ミャンマーブームは、隣国インドにとっても「自国の北東地域の振興と安定」という恩恵を与えることになりそうだ。 同様に、長年国内各地で内戦が続いてきたミャンマーにとっても、同国西部について同様の効果が期待できるものとなるだろう。

    これは、ミャンマーとの間だけに限った話ではない。インドのトリプラー州都アガルタラーから国境を越えた先のバーングラーデーシュの町アカウラーまでを繋ぐ予定がある。その距離は、わずか15kmに過ぎないが印パ分離以来、互いに分断されてしまっていた経済圏が鉄道を通じて限定的に再統合される可能性を秘めている。加えて、インドのトリプラー州南部のサブルームからバーングラーデーシュ随一の港湾都市チッタゴンを結ぶ計画もあり、インドとバーングラーデーシュが経済的により密な関係になることが大いに期待される。ミャンマーブームほどの規模ではないが、インドの東部地域の特定業界限定で、将来性を買っての「トリプラー州ブーム」が起きるのではないかとさえ思う。

    北東インドの振興と安定については、国境の先へと結ぶ鉄道敷設がカギを握っているといっても過言ではない。同時に、これまで辺境として位置しており、独自の伝統・文化を維持してきた地域が、それぞれ「インド化」「ビルマ化」されていくプロセスでもある。銃による侵略に対してはよく耐えて抵抗してきた民族や地域は枚挙にいとまがないが、札束と物欲の魅力に屈することのなかった人々の例についてはあまり聞いたことがない。

    加えて将来、インド北東部とミャンマー北西部を通じて、南アジアと東南アジアが経済的に緩やかに統合されていくことによる、文化的・社会的影響を受けるのは、その「緩衝地帯」でもあるこの境界地域である。これまでのような中央政府と地元民族の対立という図式だけでなく、相反する利害を共有する「国境のこちら側と向こう側」という図式も加わることになる。

    今後の進展に注目していきたい。

  • 印パ分離のドキュメンタリー

    当時のものとしては珍しいカラー映像を交えた印パ分離時を取り上げた、BBCによるドキュメンタリー作品がある。

    Pakistan And India Partition 1947 – The Day India Burned (Youtube)

    この作品にところどころ挿入されるカラーの実写映像も同様にYoutubeで視聴できるようになっている。

    Very Rare Color Video of Indian Independence 1947 (Youtube)

    印パ分離により、双方からそれぞれムスリム、ヒンドゥーとスィクの住民たちが先祖代々住んできた故郷を離れて新たな祖国へと向かった。もちろん新国家のイデオロギーに感銘したり、賛同したりしてのことではなく、彼らが父祖の地に留まるのがあまりに危険になってしまったがゆえの逃避行である。双方から1450万人もの人々が移住を余儀なくさせられたとともに、移動の最中で暴徒の襲撃で命を落とした人々、両国の各地で発生したコミュナルな暴動による死者も数え切れない。

    恐らく人類の歴史上、かつてなかった規模の巨大な人口の移動であるとともに、最大級かつ最悪の宗教をベースにした対立であったといえる。この出来事が今も両国の人々の間で記憶され、家庭で子や孫に語り伝えられるとともに、両国間の問題が起きるたびにメディア等による報道等により、新しい世代もそれを疑似体験することになる。さらに悪いことに、往々にして両国の政治によって利用されることであることは言うまでもない。

    印パ分離は英国の陰謀か、ガーンディーの力及ばずの失敗か、ジンナーの成功かはともかく、政治が犯した罪は今も償われてはいない。カシミール問題も、印パ分離がなければ生じることはなかった。

    ヒンドゥーがマジョリティーの『世俗国家』の一部となって支配されることに対するアンチテーゼとして成立したムスリムがマジョリティーのイスラーム共和国パーキスターンが存在するということは、国防上の懸念が将来に渡って続くことを意味する。しかしながら分離がインドにもたらした恩恵があることも無視できない。

    現在のパーキスターンのバルチスターンの分離要求運動のような地域的な問題とは無縁でいられることはともかく、ムスリムがマジョリティーの地域ならではの、奥行と広がりがあり中央政界を揺るがすほどの規模の各種のイスラーム原理主義運動やアフガニスタンを巡る様々な問題と直接対峙する必要がないというメリットは非常に大きい。

    またパーキスターンの北西部のアフガニスタン国境地域のFATA(連邦直轄部族地域)のような連邦議会の立法権限が及ばない地域が存在することは、治安対策面でも大きな問題がある。

    独立以来、インドが一貫して民主主義国家としての運営がなされてきたのに対して、血を分けた兄弟であるパーキスターンは残念ながらそうではなかったのには、地理的・思想的背景があるように思えてならない。

    印パ分離はまぎれもない悲劇であり、現在の両国は今なおその傷が癒えているとはいえず、分離による代償を両国とも払い続けている。

    しかしながら現在、パーキスターンとインドが別々の国となっていることについては、少なくともインド側から見れば好都合である部分も決して少なくないことは否定できないことである。分離という大きな痛みからあと数年で70年にもなろうとしている今、これまでとは異なる視点から評価・検証する必要もあるように思う。

  • 紅茶レジェンド

    紅茶レジェンド

    慌ただしい朝に少々時間を気にしながらも楽しむ一杯の紅茶、昼下がりに読書をしながら楽しむ紅茶、午後に友と語らいながら楽しむ一杯の紅茶、夕方になって傾く陽を眺めながら楽しむ一杯の紅茶。どれもとっても素敵な時間を与えてくれるものだ。

    紅茶というものが世の中になかったとしても、同じように時間が経過していき、同じように日々が過ぎていくのだろうけれども、この一杯の安らぎのない生活というものは考えられない。コーヒー好きの人にとってのコーヒーと同じことだが、この一杯あってこその充足感、気分の切り替え、解放感がある。

    味わいをゆっくりと楽しみ、気持ちがすっきりするけれども、酔わないのがいい。だから朝から晩まで、時間帯を問わず、場所を問わずに楽しむことができる。お茶を淹れることができる設備がないような場所では、もちろんペットボトルに入った紅茶だって立派な紅茶に違いない。カップで熱い紅茶を啜るのとはかなり気分は違うけれども、やっぱり気持ちを解放してくれる。

    私は紅茶が大好きだ。けれども産地やブランドへのこだわりは正直なところまったくない。色合い香りともに派手なセイロンティー、上品で風格のあるダージリンティー、地元原種の茶の木がルーツのアッサムティー等々、それぞれの個性がどれも楽しい。

    はてまた、イギリス式のティーでもインド式のチャーイでも私にとってはどちらも紅茶。どんなお茶でも自分で淹れるし、淹れていただけるならばどんな紅茶でも美味しくいただく。

    あればいつでも嬉しい紅茶だが、長年茶商として営んできて、紅茶エッセイストとしても知られる著者によるイギリスと紅茶の歴史の本がある。

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    書名:紅茶レジェンド

    著者:磯淵猛

    出版社:土屋書店 (2009/01)

    ISBN-10:4806910155

    ISBN-13:978-4806910152

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    紅茶と血を分けた兄弟である中国茶の数々、中国沿岸部から雲南までを経てミャンマーへと広がる茶の栽培地域。そのさらに先にインドのアッサム、ダージリンといった紅茶の産地へと足を運び、それぞれの地域での特色ある喫茶習慣はてまた食べ物としてのお茶を紹介。

    トワイニングとリプトンという、紅茶業の二大巨頭の事業の変遷、イギリスや世界各地での喫茶習慣の普及と大衆化についての流れが語られていく。

    そしてともにスコットランド出身、それぞれアッサムとスリランカで茶の栽培の先駆者として歴史に名を刻んだチャールズ・アレクサンダー・ブルースとジェイムス・テイラーの生涯についても紹介されている。後世に生きて紅茶を楽しむ私たちにとって、どちらもありがたい恩人たちだ。

    茶園で働く人々によって手摘みされる茶葉、製茶場での加工の過程、その後の流通やパッケージング等々に想像を働かせつつ、現在の紅茶世界の背後にある歴史に思いを馳せると、カップの中で湯気を立てて揺れている紅茶がますます愛おしくなる。

    人類の長い歴史の中で、紅茶出現後、しかも紅茶の大衆化以降に生きることを大変嬉しく思う・・・などと書いては大げさ過ぎるだろうか。

    蛇足ながら、近年刊行された紅茶関係の本としては、こちらもお勧めだ。

    紅茶スパイ(indo.to)

    とにかく私は紅茶が大好きである。

  • バーングラーデーシュ市場に販路を目論むユニクロ

    中国一辺倒であった生産拠点を他国への分散を図るユニクロがバーングラーデーシュでの製造に力を入れ始めるとともに、マイクロ・クレジットの成功で知られるグラーミーン銀行との提携で、現地会社グラーミーン・ユニクロを設立したのは2010年のこと。

    ユニクロのソーシャル・ビジネスという位置づけにて、地場産業から調達できる素材による現地請負業者が生産した製品を、現地の委託請負販売者が顧客に対面販売をするという形での取り組みがなされていたことは以前取り上げてみたとおり。

    Grameen UNIQLO (indo.to)

    おそらくこうした試みの中で、このビジネスがモノになるという確信を得たのであろう。ユニクロは同国で今後1年間に30店舗のオープンという目標を掲げるに至った。カジュアル衣料販売で世界第4位の同社が、ZARA、H&Mといったライバルを追い抜いて世界トップに躍り出ることを画策する同社の狙いは、これまで競合する他社が手を付けていない最貧国市場での大きなシェアの獲得である。

    11月17日(日)午後9時からNHKで「成長か、死か ~ユニクロ 40億人市場への賭け~」という番組が放送されていた。

    内容は近年の業界の勢力図とライバル各社の動向、そしてこれまでターゲットとしていなかった最貧国市場への進出と現地でのスタッフたちが格闘する日々、そして現地を代表するアパレル企業トップからユニクロへのアドバイス他といった具合だ。

    その中で、ユニクロが展開するカジュアル衣料は現地の女性たちにあまり受け入れられず、今年7月にオープンした第1号店ではあまりに女性客への売れ行きが芳しくないので、急遽地元のバーザールからシャルワール・カミーズを調達して店舗で販売するといった一幕、女性スタッフが現地の女性たちのお宅を訪問してクローゼットの中を見せてもらったら、誰もがほとんどサーリーやシャルワール・カミーズ以外の服をほとんど持っていないことに驚くなどといった場面があったが、いくら何でもこのあたりの事情については事前のリサーチで判っているはずの基本的な事柄なので、何らかの作為のあるヤラセのストーリーなのではないかと思った。

    いずれにしても、今回の路線転換により、「ソーシャル・ビジネスです」と、トーンを抑えていた同国での市場展開が、「ビジネスそのものが目的です」という本音を剥き出しにした市場獲得へのダッシュとなったことは注目に値する。最貧国市場への浸透といってもこれが意味するところの地域は世界中各地に広がっているが、バーングラーデーシュは、人口は1億6千万人に迫ろうかという巨大な規模であるにもかかわらず、国土の面積は北海道の2倍弱という地理的なコンパクトにまとまっているという魅力があり、今後同業他社や異業種の企業等の進出も期待されている中、ユニクロの進出が呼び水となり、同国のマーケットとしての魅力がこれまでよりも大きく取り沙汰されるようになるのだろう。

    こうした番組について、以前であれば「再放送されることを期待しよう」などとするしかなかったのだが、最近のNHKはウェブでのオンデマンド放送も実施しているので、興味関心のある方は視聴されることをお勧めしたい。本来は有料だが、まだアクセスしたことがなければ無料でお試し視聴もできるようになっているようだ。

    成長か、死か ~ユニクロ 40億人市場への賭け~ (NHKオンデマンド)

  • 異なる世界の狭間 ミャンマー

    3回連続でのミャンマー関係の話題で恐縮である。

    しかしながらインドの隣国であること、英領期にはインドと合邦していた時期もあること、ムガル最後の皇帝バハードゥル・シャー・ザファルの流刑地であったこと、20世紀初頭のヤンゴンは事実上「インドの街」であったことなどから、インド繋がりで関心のあるミャンマーということでご容赦願いたい。

    Travel Visionのサイトを閲覧していると、今年の7月から8月にかけての古い記事になるが以下のようなものがあった。

    ミャンマー国際航空、9月にチャーター4本、JTB九州単独で (Travel Vision)

    首都圏や大阪エリア以外でもミャンマーへの航空需要の観測気球が上げられているようだ。今年のGWには成田と関空以外からも、福岡と沖縄からミャンマー国際航空(MAI)のチャーター便が飛んでいたとは知らなかった。

    またこんな記事もある。

    全日空、ミャンマーの新興航空会社に投資、株49%取得 (Travel Vision)

    「現在は国内線のみを展開しているが今年10月には国際線の就航を予定」とあるものの、今年11月現在までのところ、国際線への進出は果たしていない。しかしながら今後は全日空とのコードシェア便等の導入がなされることがあれば、大いに利用価値のあるものとなるかもしれない。

    一度就航して、間もなく運休していた直線距離にして100km程度ながらも、タイ南部からが再就航した、こんなルートもある。

    ミャンマー、タイ、ノックエアー「モーラミャイン~メーソート」間の直行便再開(9月~)(Travel Vision)

    ミャンマーのモーラミャインとタイのメーソートの間にあるミャワディ/メーサウ国境は、今年8月末ごろから、ミャンマーとタイの他の3つの地点(タチレイ/メーサイ、ティーキー/プナユン、コタウン/ヤナウン)とともに、往来がタイ・ミャンマー以外の第三国の人々に対しても自由化(これまでは制限付きでこれらの地点を越えることができた)されることとなった。人の流れとともに、物流も盛んになることだろう。

    Four border checkpoints to be opened to all this week (The Nation)

    もとより、タイひいては東南アジア地域とインドを結ぶ動脈としての展開が期待されているミャンマーだけに、国境の東側、つまりタイ側と較べて半世紀ほど時代を遡ったようにみえる現在のミャンマーのこの地域においても、その時差をダッシュで取り戻そうとしているかのような変化が訪れることになるであろう。

    タイ側は経済活動が活発なので、いろいろな動きが伝えられてくるが、反対側の国境つまりインド側は経済面でも政治面でも後背地であるため、華やかなニュースに欠ける。しかしながら、ナガランドからミャンマーへの鉄道接続計画、北東インドの街からミャンマーの街への国際バスルート開設の構想なども聞こえてくる。

    当然のことながら、同じく国境を接している中国とミャンマーの間の行き来も非常に活発で、雲南省と隣り合わせのミャンマー北東部のラーショーなどのように、商売のため越境してくる中国人のプレゼンスが大変目立っていたり、このエリアで走り回る乗用車、トラック、バイクなども日本車ではなく、中国からの輸入車両が多かったりといった具合に、中国の存在感が大きい。

    何よりも、ミャンマーが欧米先進国等による経済制裁下にあった時代、大手を振って進出してきて広く浸透したのが中国資本であり、市場を席巻する中国製品である。

    中国と東南アジアの狭間であり、南アジアと東南アジアを繋ぐ地勢でもあり、また中国とインドをリンクする地域でもある。

    経済発展により、多民族国家の生活様式や文化の多様さは失われていく運命にあるのかもしれないが、周囲との行き来が活発になることにより、ミャンマーを取り囲む、文化・伝統が異なり、政治体制も経済も何もかもが異なる「世界」からの影響を受けて、どのように変化・発展を遂げていくのか非常に興味のあるところだ。

  • ミャンマーの空が近くなる

    今年のGWにミャンマー国際航空(MAI)がミャンマーと日本の間のチャーター便を飛ばしたことは以前お伝えしたとおり。

    MAI (Myanmar Airways International) ミャンマーから日本への直行便就航 (indo.to)

    ※2013年のGWのみ

    このときには成田からマンダレー、ヤンゴンから成田、そして関空からマンダレー、ヤンゴンから成田のフライトであったが、来年2月には茨城からマンダレー、ヤンゴンから茨城というルートで5本のチャーターフライトが運行する予定だ。

    ミャンマー国際航空、2月に茨城チャーター、計5本 (Travel Vision)

    すでに全日空が成田からヤンゴンへの直行便が毎日就航しているところだが、ミャンマー側の航空会社も定期便を飛ばすようになると直行便の選択肢が増えてありがたい。

    同様に、以下のような動きもある。これまで隣国のタイと較べて、実質の距離以上の隔たりが感じられたミャンマーの空が、少しでも近くなってくれるとありがたい。

    ミャンマーと航空当局間協議、オープンスカイ視野に (Travel Vision)

    ミャンマー、成田路線が自由化、以遠権も (Travel Vision)

     

     

  • ミャンマーの国内線フライト ネット予約とEチケット発行が可能に

    ミャンマーの国内線フライト ネット予約とEチケット発行が可能に

    クレジットカードによる支払いとEチケット発行ができるようになった!

    このところ、インドのお隣のミャンマーを巡る様々な動きは実に目まぐるしく変化しているが、旅行事情も同様である。

    従前は、基本的にクレジットカードは使用できなかった。ヤンゴンのような大都市の一部の外資系高級ホテルではカードによる支払いは可能であったようだが、実際の決済は国外でなされる形であったため、厳密に言うとミャンマー国内での支払いということにはならなかったようだ。もちろんその分、割高になってしまうのは言うまでもない。

    そんな具合であったので、ミャンマー到着前に国内線のフライトを押さえようという場合、同国内の旅行代理店に依頼して予約を取ってもらう必要があった。代金は現地に到着してから航空券と引き換えであったり、代理店がミャンマー国外に持っている銀行口座に振り込むという具合であったりした。

    筆者が幾度か利用した旅行代理店の場合、ミャンマーに到着してから米ドル現金払いであったが、先方にとっては決して小さくないリスクを負う取引きであったはずだ。

    フライトを依頼した人がちゃんと約束の日時に現れなかったりしたら、そのチケット代金は代理店自身が被ることになってしまう。世の中にはいろんな人がいるので、もともと行く気がないのにいたずらで予約を依頼したり、あるいは突発的な理由により予定直前にミャンマーを訪れることができなくなり、代理店で発券後であるにもかかわらず、放置してしまったりするような人もいるのではないかと思う。

    いっぽう、利用者側にしてみると、旅行代理店に対して搭乗したいフライトについて、電子メールで自分の目的地、日程、希望の時間等々を伝えて、予約が確定するまでの間に、おそらく数往復のメールがあることだろう。その間に数日間はみておかなくてはならないので面倒であるとともに、急に思い立って訪問という場合にはなかなか難しい。加えて現地での航空券の受け取りという手間もある。平日の昼間に到着する便で、受け取りが空港であればいいかもしれないが、夕方以降であったり、週末であったりすると、別料金というケースも少なくないようだ。

    他の多くの国々の場合は搭乗を考えている航空会社のウェブサイトあるいはskyscannerその他の予約サイトで簡単に席が確保できてしまうのと較べるとずいぶんな手間である。

    そんな事情も、ミャンマーでクレジットカードの決済が可能となったことにより、大きく変化した。今のところ国内線航空会社により対応は様々かもしれないが、エア・バガンはカードによる支払いにより、即時Eチケット発行という形になっている。間もなく他社のサイトも同様に整備されることだろう。

    航空券の事前予約と同様に、ミャンマー旅行において不便であったことのひとつのお金の事柄もある。観光地の入域料や宿泊費の支払いが基本的にはドル払いであったことだ。これにより、小額紙幣を含めた米ドル現金をかなり多量に持ち歩く必要があった。

    だが、これについても変化の兆しはあった。「ミャンマーブーム」の今年前半ならびにと昨年同時期の訪問で、場所によっては現地通貨チャット払いの選択もできたことである。それが今では、すべての場所についての適用かどうかよくわからないが、入域料はチャット払いとなっている。

    ミャンマー、各観光地の外国人入域料、現地通貨チャットでの支払いに (Travel Vision)

    外貨による支払いとなっていたのは、同国の外貨事情が逼迫していることによるものであったため、現在のように外国からの投資がブームとなると、当然の帰結として必要度が下がる。また、言うまでもないことだが、現金を扱う出納上でも現地通貨のほうが都合がよいことはもちろんのことだ。

    先述のクレジットカードのことはもとより、トラベラーズチェックも基本的に使用できなかったミャンマーだが、これについては経済制裁により、欧米先進国等との金融ネットワークから遮断されていたことが理由である。制裁を加えていた側との関係改善により、様々な方面での規制が廃止されたり、大幅に緩和されたりしている。

    日本から持参したカードでATMから現地通貨で引き下ろすこともできるようになっているため、従前のようにミャンマーで両替するお金はすべて米ドル現金で持参という不用心なこともしなくてよくなってきている。

    VISAカード、ミャンマーでATM取引開始 (ミャンマービジネスニュース)

    国内の様々な少数民族と政府の間で続いてきた紛争も、このところ和解が進んでいることから、外国人が入域することすらできなかった地域も次第に訪問が可能となってくると、新たな見どころが「発見」されていくことになることが予想される。

    そうした地域は同国の周縁部に多いため、やがては大手を振って陸路で行き来できる地点も出てくるはず。タイやマレーシアはもちろんのこと、インドの北東部とも長い国境を接しているため、東南アジアからインドへ陸路で抜けることが可能になるのもそう遠い未来のことではないだろう。

    経済制裁により孤立していたことにより、ちょっと特殊であったミャンマーの旅行事情だが、今後加速がついてどんどん「普通の国」となっていく方向にある。

    目下、ミャンマーをめぐる様々なニュースから目が離せない。

  • SAFF CHAMPIONSHIP NEPAL 2013

    隔年で開催されるSAFF (South Asian Football Federation) Championship。今年の開催国はネパールで、831日から911日にかけてカトマンズで開催された。

    indo.toに掲載する時期を逃してしまっているが、せっかくなので簡単に触れておくことにする。SAFFの公式Youtube Channelにて、各試合のハイライト画像はもちろんのこと、ゲームをフルで観ることもできるようになっているのも幸いであり、南アジアのサッカー事情に多少なりとも関心のある方はぜひ視聴していただきたいと思う。

    A(インド・ネパール・パーキスターン・バーングラーデーシュ)B(アフガニスタン・スリランカ・ブータン・モルジヴ)に分けてのリーグ戦にて1位、2位を占めたチームがそれぞれ決勝トーナメントに進出するわけだが、A組では地元開催のネパールがインドを下すという大健闘を見せて1位通過、2位がインドとなった。インドの初戦はパーキスターンで、サッカーにあってもやはり印パ戦ということを感じさせる激しい試合であった。B組はモルジヴとアフガニスタンがともに21分で同率であったものの、モルジヴが持前の得点力で稼いだ得失点差にて1位、アフガニスタンが2位という形になった。

    地元開催でぜひとも初優勝を狙いたいネパールだが力及ばず、0-1でアフガニスタンの決勝進出を許してしまう。同様に勢いに乗るモルジヴもたびたびインドのゴールを脅かすものの得点に至らず、安定感に勝るインドが1-0で寄り切る形で決勝戦へと進むこととなった。

    決勝戦は、まさにインドで開催された2011年大会と同じく、インド対アフガニスタンというカードとなった。前回、決勝戦の笛を吹いた主審はシンガポール国籍のスィク教徒であったが、インドのほうに肩入れしたい私からしても、不可解なジャッジが重なり、何かウラがあるのではないかと勘繰ってしまうほどであり、インドの優勝にも素直に喜ぶことができなかった。

    今回も内容は互角の好ゲームではあったものの、アフガニスタンが2-0で勝利することにより、前回の雪辱を果たした形となった。

    ここのところ地域の大会で躍進しているアフガニスタン。政情が安定しており、スポーツが振興する環境にあり、それなりに育成面でもシステムが機能しているはずのインドを初めとする他国のありさまを不甲斐ないとするか、国内事情もままならない新興国ながらも活躍しているアフガニスタンを賞賛するかという点について、人それぞれ考え方は違うかもしれない。

    欧米その他(インドのI Leagueを含む)の外国のクラブでプレーしている選手たちがかなりいるという事情はあるため、他国の代表チームと単純に比較できない部分があるのがアフガニスタン代表チームの特徴ともいえる。同国内では昨年からアフガン・プレミアリーグが始まっており、国策としてのサッカーの振興という意図が背後に見える気がする。この世界的なスポーツが国民や地域の心をひとつにまとめるという、平和貢献の役割が期待されているのではなかろうか。

    さて、次回大会は2015年となるが、ふたたびインドが開催国となることが決まっている。前々回に引き続いてなぜ?という気がしなくもないが、やはり国力と企画実行力という点で地域において圧倒的な存在感がある大国の責任ということにもなるのかもしれない。

    さらに先の2017年が行われるのはパーキスターン。開催国となるにあたっては、南アジアの頂点を狙う地域の強国としての台頭を期待したい。

    蛇足ながら、南アジアのサッカーといえば、現在までのところ日本と最もゆかりが深い国はブータン。2008年から行徳浩二氏、松山博明氏、小原一典氏と3代続けて日本人が代表チームの監督に就任している。

    日本で中継されることはもちろん、試合内容が新聞等で報道されることもまずないが、ブータンのサッカーファンたちの間では、「日本のサッカー」に対する関心度はかなり高いのではないかと思われる。