ストランド・ホテルでハイティー

シンガポールのラッフルズ・ホテルで供されるようなハイティー(軽食と甘味類のバイキング)を期待して、ヤンゴンのストランド・ホテルへ。

ホテルのカフェに着いてから尋ねてみると、そういうスタイルではなく、セットになったものをウェイトレスがテーブルに運んでくるとのこと。欧州式とミャンマー式とがあると言われて、欧州式を注文。

運ばれてきたダージリン・ティーは極上品。続いて出てきた軽食類は、三段になったステンレスの棚状のものに10品程度。どれもひと口サイズのアペリティフ類やケーキ等。まさに「午後の紅茶」といった具合、しめて17ドル。内容や味は悪くはないが、お買い得感はなし。

1901年開業という、東南アジアを代表するヘリテージ・ホテルのひとつとはいえ、経営母体は、アルメニア人実業家、日本軍による接収、帝国ホテル、国営化、インドネシア人実業家へと変遷している。国営時代に、宿泊はしていないものの、レストランでコーヒーを飲んだ記憶がある。当時は、あまり手入れもされていないようで、非常に古ぼけた印象を受けたが、宿泊費は当時の私でも払えなくはない金額であったように思う。

現在の経営陣になってからは、大改修が実施されたこともあり、「白人専用」であった開業時の如く、高級ホテルとして再生している。一泊550ドル以上もする。しかし、かなりモダンに仕上げてあるため、重厚な伝統を感じさせるといった具合ではないようだ。器そのものは、由緒あるものであっても、中身は普通の高級ホテルとなっている。

それにしても、このクラスでありながら、WiFiが利用できるのはグラウンド・フロアーのロビーのみ、というのは如何なものか?他に競合するこのタイプのホテルが市内に不在(ここ以外のアップマーケットな宿泊施設は、今風のモダンなホテル)とはいえ、伝統にアグラをかいているという気がする。それでも、アグラをかくことのできる伝統があるというのが、このホテルの魅力と強みではあろう。

ヤンゴンのサティヤナーラーヤン寺にて

話は前後するが、バハードゥル・シャー・ザファルのダルガーに行く前に、ヤンゴンのダウンタウンを訪れた。宿泊先から目と鼻の先だが、ダルガーの名前とおおよその場所をビルマ語で書いてもらうためである。ザファルのダルガーと言っても、通常タクシーの運転手は理解してくれないからだ。

ベンガル系の人々が集うモスクから出てきた紳士然とした壮年男性に書いてもらった。「これで運転手はわかると思うけど、今行くのならば私が話をするが、後で行くならばこの人に運転手に説明してもらってくれ」と、付近の露店のインド系男性に頼んでくれた。親切な人だ。

ついでにと、インド人街を散策する。インド人街でも、托鉢している坊さんや尼さんたちの姿は多い。明らかにヒンドゥーと見られる人たちも施しのために路上に出ている人たちが少なくない。朝早い時間帯から路上では茶屋が店開きしている。これまで国外のメディアで伝えられてきた暗いイメージとは裏腹に、とても社交的なムードがある。

ヤンゴンのダウンタウンのインド人が多い地区で托鉢する坊さんたち

植民地時代のコロニアル建築の建物に入っているシュリー・サティヤナーラーヤン寺の入口脇に、子供たちのためのヒンディーのレッスンについての貼り紙を見つけた。確かに、この地域では父祖の母国の言葉を使うことができる中高年は多いものの、若年層は理解しない人が少なくない。

ヒンディーのクラスについての貼紙

寺の入口にて、ヒンディーで会話している男性たち二人に声をかけてみた。ひとりは近所に住む人でも、もうひとりはこの寺の管理人であった。後者は、おそらく50歳くらいだろうか。先祖はUP出身で、彼自身はインド系移民五世であるとのこと。1962年のクーデター以降、この国の各地から大勢のインド系の人たちが本国やその他の国々に移住したということはよく知られているが、やはりこの街のダウンタウン界隈でも同様であったようだ。

サティヤナーラーヤン寺

「昔、このエリアはインド系の人たちばかりで、ビルマ人を見かけることさえ、ほとんどないくらいだったんだ。今とは全然違ったよ、あの頃は」

・・・というものの彼自身は、おそらくそのあたりの時代に生まれたと思われるため、実体験として「インド人の街」であったころの界隈を知っているわけではなく、おそらく両親からそうした話を聞かされて育ったのではないかと思われる。だが1962年のクーデターを境にして、インドの言葉(ならびに中国語)による出版が禁じられるなど、言語環境の面でも社会的な変化があったようだ。

「インド系移民に関心があるならば、ゼーヤーワーディーに行くと面白いと思うよ。あそこではインドから来た人々が今も大勢暮らしている。住民の大半がそうだと言っていいくらいだ。まるで、ビハールやUPにでも来たような気がするはずだよ。先祖がそのあたりから来たっていう人たちがほとんどだし。まあ、主に畑仕事やっているところで、とりたてて見るものはないんだけどなぁ。」

今回はそこを訪れる時間はないが、いつか機会を得て出かけてみたいと思った。

南インド系の人たちも混住している。ドーサの露店が店開きしていた。

さくらフェスティバル 2012

今年も東京都千代田区九段にあるインド大使館にて、さくらフェスティバルが開催される。

さくらフェスティバル2012 (インド大使館)

会期は3月31日(土)から4月8日(日)までと長いが、日によって開催時間が異なる。詳細については、上記リンク先のPDF文書をご参照願いたい。

なお、先日『春の足音』と題して取り上げてみたとおり、今週末の3月24日(土)と25日(日)には、東京都渋谷区の代々木公園にて、『パキスタン・バザール2012』『ソンクランフェスティバル2012』が場所を分け合っての開催となる。

今年もいよいよ屋外イベントの季節が始まろうとしている。

チェラプンジー2

翌朝は朝6時に起床。雨と深い霧に包まれていた前日とは打って変わっての好天であった。雨上がりのため空気も澄んでいる。これが昨日であれば良かったのにと思ったが、多雨のチェラプンジーらしい体験が出来たと前向きに取るようにしよう。

この宿で食事の注文と配膳、停電の際の蝋燭等々、宿泊客の世話をするチェートリーという老人はネパール系の男性。実直そうな感じの人だ。ネパールから来たわけではなく、ダージリンから来ているという。彼と宿の主人との会話はヒンディーだ。ナガランドでもそうであったが、こうした使用人等との言葉の関係もあるので、地元の人たちにとってヒンディーを理解することが必要となる面もあるようだ。仕事のため北東州に来ている他地域の人々で、土地の言葉をしっかり身に付ける者はあまりいないため、両者を結ぶ共通語としてのヒンディーの果たす役割は高いらしい。

朝食を終えて、昨日予約しておいたタクシーでシローンに出発。チェラプンジーの村を通る斜面で、ひとつコーナーを曲がったらそこから先はまるで別世界のようであった。まるで昨日のように霧が深い。霧が出ているときは、場所によって視界の深さがまったく違い、霧に濃淡があるものだが、それにしてもこれほど極端なことも山の中ではしばしばある。

霧が深いエリアを抜けると急に視界が広ける。眼下に果てしなく続く雲海の景色を楽しみながらクルマはひた走る。しばらくの間、狭い車内で運転手と二人きりになるため、相手の人柄でその行程の印象がかなり変わったりもする。見た目が地元の人ではないため、何気なく「あなたどこの人?」と尋ねたら、親の代にベンガルから移民してきた家族史を滔々と話す生真面目な感じの青年であった。彼の話を聞いているうち、あっという間にシローンに到着していた。

シローンでは、ちょうど乗り合いのスモウ(大型四駆)が出発するところであった。車内で、叔父に連れられた4歳前後の女の子が、祖父と祖母の家があるシローンに戻りたいとワンワン泣いている。叔父は「グワーハーティーに行くのはやめて、シローンに帰ろう」となだめつつ、「おーい、運転手さん!シローンに戻ってくれ。」などと声をかけている。

40歳前後の運転手は「よし、わかった。シローンに戻るぞ。」などと調子を合わせてやっている。運転は乱暴で、人相はあまり良くないし、声もダミ声だが人は悪くないようだ。

だが女の子はそれでもきかないので、困った叔父はシローンに戻ることにしたようだ。シローン郊外にある人造湖のほとりで二人は降りていった。子供がグズると大変なのはどこの国も同じだ。ウチの下の子もちょうど同じ年頃なので、なんだか身につまされる思いがする。

スモウの運転手、人は悪くないようだが、かなりクセのある人間であるようだ。前方を走るクルマがあると無理に加速して乱暴な追い越しを繰り返し、かなり危ない気がするのだが、それでも前方に走るクルマがなくなると急に安全運転になり、スピードもやけに緩慢になる。

シローンとグワーハーティーの間にはバスも走っているものの、本数がとても少ないようで、多くはシェアタクシーかシェアスモウということになるようだ。バスに比べてかなり割高なので、庶民の中でとりわけ頻繁にこのルートを行き来しなくてはならない人の場合、かなり大きな負担になるかもしれない。

ところでグワーハーティーは、土地の人の言い方では「ゴーハーティー」と聞こえる。ローマ字の綴りでもGuwahatiではなくGauhatiやGawhatiといったものも目にする。

中間点でチャーイと食事のための休憩。並びにいくつもある小さな店でアチャールを売っているが、北東インドならではのものを見つけた。竹の子のアチャールである。このあたりでは工芸品、家屋の建築その他で竹をよく使うが、食事でも竹の子をよく利用するため、こうしたものがある。

店先に果物等とともに並ぶアチャールのビン
食べていないが味は良さそう。

途中、工事その他の理由で渋滞しているところがいくつかあったため、グワーハーティーまで4時間くらいかかった。グワーハーティーの鉄道駅南側にあるスモウス兼タクシースタンドに到着した。

<完>

ナガランド6 ディマープルへ

午前6時半に宿を出て、コヒマのバススタンド前にあるディマープル行きシェアタクシースタンドから乗車。山間の道を下っていき、少しずつ高度が下がってくる。途中でパイナップル畑が沢山あった。

新鮮なパイナップル

沿道ではあちこちでそれらを販売する売り子たちの姿がある。私たちは停車してひとつ購入。ディマープルに着いてから、ホテルのレストランで朝食の際に切ってもらったが、とても甘く、かつ酸味も強い濃厚な味であった。

ディマープル近郊に入ってくると、もはやナガランドという雰囲気ではなく、普通のインドの街みたいになってくる。州都は人口10万人弱のコヒマだが、州内最大の都市ディマープルは人口は17万人近い。午前8時頃、街の郊外にあるNiathu Resortに到着。 スイミングプールやテニスコートなどもあり、いくつものコテージからなる、いかにもといった感じのリゾートホテルだ。 私たちが利用したのは、バルコニーがある2階。部屋は広いしきれいで快適だ。まだ出来たばかりで新しいのもよい。

Niathu Resort

ただ難点は、街からずいぶん遠いことだ。所在地が「7th Mile」と書かれているだけあり、市街地からずいぶん離れている。乗り合いテンポやオートリクシャーで、ディマープル中心地にある鉄道駅から30分くらいかかる。

ここを選んだのは、WiFiを利用できるからだ。一緒に旅行しているL君が抱えている仕事の大詰めを迎えており、是が非でもネット環境がなくてはならない。コールカーターで購入したvodofoneの3G接続は、平地に降りてきてもあまり良い状態ではなく、ほとんど使いものにならない。ナガランドではどうもダメなようだ。

しばらく部屋でのんびり過ごしてから、昼前くらいになって観光に出発。宿の敷地前の国道から乗合テンポで、終点のディマープル駅前の道路の立体交差下、通称レールゲートと呼ばれるエリアまで行く。そこからオートにてハイスクール・コロニーのサーキット・ハウスまで行く。

カチャリー王国の遺跡

ここの正面がカチャリー王国の遺跡だが、あまり見るべきものが残っているとは言えない。複数のピラーが固まっている部分とタラーブがある。ピラーの周囲は柵で囲ってある。いろいろいたずら書きや勝手に掘りこんだ跡などがあることから、遺跡保護のためにそうしたのではないだろうか。この遺跡やカチャリー王国のことはよく知らないこともあるが、よほど想像力たくましくないと、あまり楽しめない遺跡であった。

しばらく歩いた先にあるSaramati Hotelという州政府系のホテルがあるあたりは賑やかな商業地になっており、ナガ民族関係のグッズを売る店がいくつもある。ショールやマフラーであったり、ナガの槍を模した工芸品であったりする。ナガの刀の模造品もあった。その他の工芸品といえば、竹を利用したものが多い。

竹細工

しばらく歩くと駅前の道路の立体交差に出た。さきほどはここでテンポを降りて、オートに乗り換えたあたりの場所だ。立体交差も駅舎もごく新しく、駅のすぐ南にはバススタンドがある。このエリアは、相当数の商店や家屋を取り壊して建設したものと思われる。ディマープル市街地はほとんど『インドの街』である。ナガランドの他地域ではほとんどみかけないヒンドゥー寺院がいくつもあり、ムスリムの墓地もあった。入口のゲートには、1930年に出来たことが記されている。かなり前から他地域から流入してきた人たちが多く住み着いていたのだろう。その墓地の隣にはアッサムライフルズの連隊の駐屯地があり、周囲では兵士たちが物々しい警備をしている。装甲車に乗った重装備の兵士達もしじゅう出入りしている。

今回、ナガランド観光のハイライトのひとつである北部のモンと呼ばれる地域は訪れなかったが、ごく最近まで自由に訪れることができない州であったため情報がとても少なく、また滞在中に他の外国人にもほとんど会わなかった。だがRAP免除措置がこのまま続けば、より多くの人たちが訪れて、様々な魅力を発見していくことだろう。治安面での不安がなければ、タイ北部のように山岳部に住む少数民族の村を訪れるトレッキングがブームになる可能性も秘めており、そのあたりが今後のナガランドにおける観光振興のカギになることは容易に予測できる。

他の魅力あるエリアから距離があり、バーングラーデーシュを跨いだ反対側に位置するため交通の便の面からも、今後もそう大きな人気を呼ぶことはないように思われるのだが、人口が希薄で丘陵地の眺めも良いことから、のんびり過ごすにはもってこいだ。

まだ知られていないところが多く自分で探る楽しみがあることからも、個人的にはナガランドはなかなかオススメである。

<完>