ルアンパバーン街歩き 1

利用した宿には朝食がついていたが、クロワッサン、フルーツ・サラダ、コーヒーあるいは紅茶というシンプルなもの。だがクロワッサンは美味しかった。

旧仏領のインドシナ地域では、植民地時代からの伝統で、バゲット作りは盛んだ。それらをフランス式に食べるのではなく、屋台で土地の作法で肉や野菜を調理したものをはさんで売っていたりする。だがそれ以外のパン類については、おそらくこうした観光地での製造が、近年になって盛んになったものと思われる。

バゲットなどのパンを売るベーカリー

ルアンパバーンのサッカリン通りには、3 NAGASというレストランがある。洒落たコロニアルな建物はもとより、1952年式のレトロなシトロエンが店の前に置いてあることから、大変目を引く存在なのだが、これを経営しているのは、Accor Hotelsというフランス資本のホテルグループだ。

ルアンパバーンには、他にもちょっとお洒落なレストランやカフェがあるのだが、こうした国際チェーンはもちろんのこと、タイなど近隣国の外食産業も参画しているのではなかろうか。

例えば、いくら旧仏領といっても、国際的に通用するような旨いコーヒー、美しいケーキ類がその当時から存在したわけではなく、やはりこうしたものを伝えたのは、観光化が進むにつれて参入した国外資本(個人による開業を含む)が道を切り拓いてきたはずで、元々この地にはなかった新しい文化を導入することになった。

外来の外食産業がリードすることにより、地場の業者も優れた感覚やサービスの手法を取り入れていく。観光業振興におけるひとつの成功例である。

そんな具合で、観光客が多く滞在するエリアでの外食はけっこう値段も高いので、バックパッカーをはじめとする安旅行者たちは、どこで食事をしているのかといえば、もっと質素な店になる。

ナイトマーケットが開かれるエリア界隈では、ビュッフェ方式の屋台が店開きする。「何でも盛り切りで1万5千キープ」などと書かれており、大皿を手にして、自分でいろいろ盛り付けている西洋人たちの姿がある。

夕刻近くなると、屋台を切り盛りする人たちが、こうした料理をポリバケツに入れて、大八車で運んでくる。一見、生ゴミを運んでいるのか(失礼!)と思ってしまうが、それらを大皿に盛りつけて、賑やかな宴が始まるのだ。こうした需要を見つけて行動する地元飲食業者たちのフットワークの軽さに感心する。

ここでも中国人観光客がとても多いため、漢字の看板もよく見かける。グループでやってくる人たちが多く、客単価も高いようで、なかなかの上客だろう。

このような造りのホテルも少なくなく、コロニアル建築を改修したものであったり、まったく新築のコロニアル風建築であったりもする。いずれにしても快適に滞在できそうで、好感度抜群だ。

〈続く〉

托鉢の街角

托鉢の僧侶たちの行列を待ち受ける人々

街の人々が総出でお坊さんたちを迎えている、という印象を受ける。

毎朝繰り返される仏門と在家のコミュニケーション。ゆっくりと歩む僧侶たちは、沿道のひとりひとりにお布施の機会を与える。

同時に、施すものを何ひとつ持たず、仏門にいる僧侶たちの姿を拝みにきた貧しい者には、托鉢中の僧侶たちから施しが与えられる。

誰でも、短期間であっても、僧籍に身を置くことが普通の南方上座部仏教であるからこその、人々の参画意識もあるかもしれない。

かつて自分がそうしていたことがあり、こうしている今も、身内の誰か、学生時代の仲間の誰かが袈裟をまとってお寺にいるとあれば、お寺を通じた「同窓」意識みたいなものがあるのかもしれないと想像したりする。僕らが持ち合わせていないもうひとつの人付き合いのチャンネルを持っているということになる。

話は全然違うが、かつてタイその他のこうした南方上座部仏教国で、王家の跡目争いに負けた人物、政争に破れて身の安全を確保できる居場所を失った人などが、最後の避難場所として、しばしば逃げ込む先は仏門であった。

生涯、還俗しない限り、元居た社会に影響力を及ぼすことはできないが、命を狙われることも(概ね)なかった。もはやその人物は、俗世にあらず、仏道に精進する僧侶であるからだ。

俗世間と同じ空間で、次元の異なるもうひとつの世界があるのは、悪くない。

この国に限ったことではないが、仏門の裾野の広さが、 社会で居場所を失った人、失業や貧困に苦しむ人を救う社会のセーフティネットとして機能している部分もあり、そうした仏門を支える社会の姿勢もある。

世の中って、うまく出来ているものだなぁと感心したりもする。

ルアンパバーンの朝市

旧王宮の裏手、マーケットと住宅街の境目にある狭い路地で開かれているマーケット。スペースはないのだが、たくさんの人たちが商っている。

穀物、野菜、肉類その他のごく普通の食材以外に、サルノコシカケ、サワガニ、大きな川魚、タガメなども売られている。

様々な種類の米

赤米
タケノコ
野菜なのだろうが名前はよくわからない。
ウナギ?アナゴ?のように見える。
サルノコシカケ
サワガニ
川魚各種
タガメ

その中で、とりわけ目を引いたのは、ハチである。日本のようにスズメバチである。幼虫、丸ごとの巣、サナギなど、様々な状態のものがある。日本でも「ハチノコ」といえば、ミツバチ、アシナガバチの他にも、スズメバチなどが食用とされる地域があるが、直にこうして見かけるのは初めてなので、ギョッとしてしまう。怖ろしい・・・。

マーケットで商う女性たちは、これらを運んできただけだが、これを捕獲する人たちは大変な危険を冒しているわけである。それにしても、幼虫にしてもこのスズメバチ、実に大きくて迫力があった。

ハチの巣
ハチノコ
ハチのサナギ
成虫となる寸前のハチのサナギ
こちらはほぼ成虫

パフラットで昼食

インド人が集住している商業地区。マレー半島やシンガポールと異なり、このあたりに住んでいる人たちは北インド系の人々が中心。それを象徴するかのように、スィク教徒の姿が目立つとともに、規模の大きなグルドワラーがあり、こうした人々の資金力の豊かさを思う。

グルドワラー内部

北インド系のコミュニティーといっても、出自は必ずしもインドとは限らず、ネパール系の人々もあり、ミャンマーから渡ってきたインド系、ネパール系の人々も少なくない。

グルドワラーのすぐ隣には、INDIA EMPORIUMという、インド関係商品の店が多く入っているモールがある。サーリーやシャルワール・カミーズといった衣類、神像、神具等に加えて、様々な雑貨類も販売されている。

周囲にはインド系の人々が経営する食堂、ミターイーの店、インド映画DVDを扱う店なども多く、ちょっとした「インド空間」が広がる。

ここでは、ごく普通にヒンディー語が飛び交っているが、そのいっぽうで、見た目はタイ人の血は入っていない生粋のパンジャービーに見える年配男性同士の会話がタイ語(これが母語となっているのだろう)だったりして、タイ生まれの人たちについては、すっかり言語環境は現地化している様子も窺える。これは性別や年齢層を問わずに言えることのようだ。

そんな具合でも、話しかけてみると、きれいで流暢なヒンディー語で返事が返ってくる。パフラットのインド人が多いエリアの周囲は、当然のことながらタイ人ばかりの空間であるのだが、タイ生まれのインド系の人々の存在に加えて、常にインド、ネパール、ミャンマーからの人々の流入も盛んであるため、こうしたインドらしい環境が、その活力とともに維持されていくのだろう。

「もうずいぶん前に嫁に来たけど、私が生まれ育ったのはインドのパンジャーブなのよ」と話してくれる女性店主もいたりするが、インドや周辺国からここにやってくるのは男性が圧倒的に多いとはいえ、結婚のためインド本国からタイに渡る女性も少なくないそうで、家庭の中の「インドらしさ」も次世代に引き継がれることになるようだ。

先述のINDIA EMPORIUMに中華料理屋が入っているのは場違いな感じがするが、せっかくバンコクに来たからには、こういうものを食べるとココロも身体も満足する。

コサメット1

バンコクのエカマイ・バスターミナルに向かう。コサメットに行く船着き場バーンペーまでのバスは1時間半後まで無いと言われたが、幸い反対のカウンターではミニバスのチケットを売っており、これは今すぐに出るところとのことで助かった。クルマは、「ミニバス」というよりも、大きめのヴァンであった。

ヴァンの同乗者に台湾人男性がいた。タイ人の運転手は中国語が出来るようで、他の同乗の中国系タイ人のおばあさんとともに、北京語で話している。中国語というのは実に使い出のある言葉だ。台湾人にしてみても、違う国に行って、そこに数世代にわたって暮らしている現地の華人たちと中国語で会話できるというのはなかなか面白いものだろう。

もっとも華人といっても、タイではすっかり現地化してしまって、潮州語等、父祖の言葉は出来ず、当然ながら北京語も出来ないという人たちは多いようだが、それでも中国系の人口が多いだけに、流暢に使いこなす人もまた少なくないようだ。

バーンペー到着は11時前くらいであったか。バンコクから3時間程度であった。船でコサメットに着いたのは、ちょうど正午あたり。この島は、バンコクから近いので、幾度か来たことがあるのだが、前回訪れたのは20数年前だったが、コサメットに渡るバーンペーの船着場周辺の光景がまったく違っているのには驚いた。魚の干物やスルメなどを天日で干している風景の中、突堤脇に小屋があり、そこで船の切符を売っていたように記憶しているが、いまやすっかり立派な市街地になっている。

バーンペーの市街地

バーンペーの埠頭

実に久々に訪れたコサメットでは、ずいぶんアップマーケットな宿泊施設やレストランがいっぱいで、まったく別世界になっていた。今回は子連れで来ているので、船着き場近くで、何かと便利なサイケウビーチに滞在。至近距離にコンビニが3軒もあり、ATMも沢山ある。

コサメットへ

コサメットの船着場はずいぶん立派になっていた。
ちょっとした市街地になっており、コンビニも出来ているのにはビックリ。
旅行者に必要なものは何でも揃っている。
今のコサメットには、こんな立派なホテルが沢山ある。

昔のように細い角材の枠組みにベニヤで壁を仕切り、茅葺きの屋根を付けただけの、歩くと建物全体がミシミシと軋む、高床式の簡素なバンガローは、少なくともサイケウビーチからアオパイビーチまで歩いてみた範囲では見当たらなかった。

そうしたバンガローは、独立した部屋ふたつで一棟だったが、当然エアコンなどは無かった。砂だらけのベニヤ床に敷かれたマットに蚊帳を取り付けて、裸電球ひとつが頼りなく点る、蒸し暑く重苦しい空気の中で、どこからか聞こえてくる虫の声を耳にしながら、幾度も寝返りを打つ。やがて汗まみれで、浅い眠りへと入っていく。コサメットに限ったことではないが、タイのビーチの典型的な宿であったと記憶している。

首都圏から近いことから、昔から週末にバンコク界隈から地元の人たちが大挙して訪れていたのだが、バンガローに宿泊しているのはたいてい欧米人、加えてそれ以外の日本人等の人たちであった。タイ人でそうした安い宿に泊まるのは、ギターを抱えた大学生のグループくらいであったように思う。今はカップルや家族連れが、きれいで快適なホテル等に宿泊している。

外国人旅行者の層も大きく変化した。欧米の中高年層が実に多くなったことに加えて、今は中国大陸から来る人たちが大変多く、どこも中文の看板や表示で溢れている。コサメットに着いてから海パン、一緒に来ている私の娘の短パン等を買い物したのだが、いずれも売り子たちが上手くない北京語で話しかけてくる。商談、値段交渉は、私の更に下手くそでデタラメな中国語で終始する。

中国人団体さん。とにかく賑やかでよく食べる。

かつて幾度か訪れたことがあるところでも、ふた昔以上前のこととなると、まったく異なる場所になっているので、初めて訪問するよりもかえって新鮮味が感じられるかもしれない。

大型のレストランが沢山出来ていて、これまたビックリ。
かつての素朴なムードとはまったく異次元の世界
夜になっても華やかなビーチ
ビーチに席を並べた大賑わいのレストラン
海鮮バーベキューの具の見本
ちょっといい感じのホテルで、空調の効いたフロントには、こんな高級犬が鎮座していた。
ビーチ裏手には屋台の集合体もある。

数々の美しい島々に恵まれたタイでは、「屁」みたいなもので、大きな歓楽街のあるパタヤよりはマシという程度かもしれない。さりとて南国の島、タイの国立公園指定されているだけあり、それはそれで風光明媚で素敵な島で、個人的にはかなりお気に入りだ。

変わらないのは海原の風景
夕暮れ時の浜辺
今日の日よ、さようなら

それに、首都圏から4時間弱でアクセスできる点もいいし、ここから対岸のバーンペーまで渡れば、1日に数本程度、スワンナプーム国際空港への直通バスもある。

大当たりのドリアンで夢心地

〈続く〉